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続・羽柴くんは胃が痛い

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[~社長side~]



「…で、お前は何と答えたんだ?」
「取り敢えず『分かった』とだけ言っといた」

 颯爽と社長室を出て行ってからわずか1時間で富樫が戻って来て。成功の祝杯をあげようと思ったが、それは一旦お預けだと断られてしまう。そして語られたのが未来ちゃんの葛藤とやらで。俺なんかは聞けば聞くほど面倒臭い女だと感じるのに、肝心の富樫本人はそう思わないらしい。

「あんなのさァ、俺のことが好きで堪りませんと言ってるようなモノだよなあ…。ああいうクソ真面目なところが他の女と違って信じられるというか、なんかグッとくるんだよ。いつも真剣に自分と向き合ってるというかさ、間違えて、失敗して、ちょっとずつ成長してんだぞ?可愛いよなあ、もう」

 なんなのかその余裕。俺専用のエグゼクティブ・チェアに座り、優雅に脚を組み直しているけどな、問題は全然解決していないんだぞ?!富樫のすぐ傍で机に座りながら俺は言う。

「で、この後どうすんの?何か策はあんのかよ」
「さあな。暫くは様子見で行こうと思ってる。…あのな、羽柴」

 満足気な微笑みを浮かべて富樫は目を細める。

「うん、何だよ?」
「他の男はどうか知らんが簡単に手に入らない方が俺は燃える。考えてみると今までの女たちは容易く手に入り過ぎたんだ」

「きゃあ!何そのモテ男にしか許されない台詞」
「うるせっ。とにかく俺は未来を諦めない。御門王子も伏兵の須賀も打ちのめして、この手に必ず収めてみせる!…じゃあなッ」

 そう言って、富樫は未来ちゃんの仕事を手伝うからとオフィスの方へ戻って行った。…うん、やっぱり俺の親友はかなりの変人だ。





 ……
 翌朝。

「おはようございます社長。新聞はこちらに用意して宜しいでしょうか?」
「うん。あー、才木さん」

 才木さんは、知的なメガネ美人で理想の秘書を具現化したような女性である。

「はい、なんでしょうか?」
「今晩の接待、ブッキングしそうだからさ、ずらせないかなあ?」

 ギン、と睨まれたのはどうしてだろうか?

「またですか?もうこれで今月は3度目ですよ」
「いや、だって、俺のせいじゃなくて親父だし。次から次へと見合い話を持って来るんだって!34にもなってそういう相手もいないのかとかネチネチ説教するしさ、しかも相手と会わなければウチの会社に投資した金を今すぐ返せとか脅すんだぞ?今すぐは厳しいと思わない??」

 ねっ?という表情で下から顔を覗き込むと、才木さんは蔑むような目で俺を見た。

「いつまでもフラフラしてるからですよ」
「うええっ?!そんな冷たいこと言う?」

 流れるような所作でコーヒーを机に置いたあと、才木さんはトレイを胸に抱えて言うのだ。

「そんなにお見合いが嫌なら、早くそういうお相手を見つければいいじゃないですか」
「そういうお相手が簡単に見つかればね」

 ワザと口を尖らせると、何故か才木さんも真似をして口を尖らせている。

「社長…見つけようとしていないのに、見つかるはずありませんよ」
「んー、分かってるー」

「富樫副社長も独り身だし、焦る必要無いとか思っていらっしゃいません?でもあの方は一度結婚されていますからね。お分かりでしょうが、バツイチとずっと独身とでは世間の見る目も違います。それに今まで黙っていましたが、私…・・社長をお慕いしております!!」

 尖らせていた俺の口が、一瞬で半円を描く。そっか、そうだったのか、才木さんったら。…って、ごめん!現実逃避しちゃったや。ああ、そうさ。本当は聞こえてたんだ。才木さんがお慕いしているのは『社長』なんかではなくて『副社長』なのだと。

 ジーザス!お前もか。お前も富樫のことを…。キリッとした表情で才木さんは俺に宣言した。

「社長!競争しませんか?社長は結婚相手を見つけ、私の方は副社長との交際を目指すのです。どちらが先に目標を達成するか競争することで頑張れますよね?」

 なんだその競争??正気なのか、才木さん。すぐに断るつもりだったが、ふと思い直す。そっか、未来ちゃんのことを知らないんだよな。富樫は彼女に夢中だから絶対キミを選ばないよ。

 …そう、必ず勝てると分かっていたからこそ、
 俺はその勝負を受けることにしたのである。





「へ?才木さんと食事に行くのか?じゃあ、未来ちゃんはどうするつもりだ?」
「うーん。ソレはソレ、コレはコレかなあ。だって暫くは未来とそういうこと出来ないし。性欲の解消は必要だろ?」

 き、聞き違いか??いやだって富樫だぞ??幾らなんでも身近な社員に手を出すはずが…。って、未来ちゃんという前例が有ったしッ。

「待て、富樫。才木さんは本気だ!!乙女の純情を踏み躙るつもりなのか、お前」
「乙女…、純情…。残念ながら俺が抱いている才木さんのイメージとはかけ離れているなあ。それに向こうから言って来たんだぞ『体だけの関係でも構いませんから』と」

 うええっ。何をトチ狂ってんだよ才木さん?!本気で狙っている男に肉弾攻撃って、一番やっちゃいけないことなんだからなッ。激しく項垂れていると、コンコンとノックの音がして、噂のその人が颯爽と登場した。な、なんだこの生々しい雰囲気は…。社長室中央に立つ富樫に近寄った才木さんは、何やらヒソヒソと耳元で囁いたかと思うと奴の肩にそっと手を置いたまま思わせぶりに俺の方を向いた。

 なんだろう、このムカムカした感じ。

 大好きな富樫なのに。そして、理想の秘書の才木さんなのに。頭の中に浮かぶ言葉は星の数ほどの『狡い』で、どうやら俺は富樫が羨ましいらしい。だって才木さんは俺付きの秘書なんだ、どう考えたって好きになるなら俺の方だろ??勝手に脳内でエロい妄想が繰り広げられてゆく。

 ガーターベルトを装着した才木さん、
 背中のファスナーを下ろさせる才木さん、
 メガネの鞘を唇に当てる才木さん、
 全裸にヒール靴という出で立ちの才木さん。

 ああ、鼻血が出そうだ。しかし残念ながらその才木コレクションを見ることが出来るのは富樫だけなのである。

「うふふ、では、明晩20時にコンチネンタルホテルで」
「ああ、楽しみにしているよ」

 いや、だって、そんな聞こえるように言うなよ。俺が未来ちゃんを連れて乗り込んだらどうするつもりなんだッ。…ん?それっていいんじゃないか??才木さんの存在に焦った未来ちゃんが、『やっぱり私は副社長と結婚します』と言えば全て丸く収まるんじゃね??いいねいいね!!この案、早速実行しちゃおう!!

 …というワケで俺は内線を掛けた。

「えっ、ミョウバンですか?お祖母ちゃんが茄子の漬物を作る時に入れてた、あの白い粉ですよね??」
「違うしッ」

 この電話を隣接した秘書室にいる才木さんに聞かれてはマズイので、ひたすら小声で喋る俺。だが、敵は手強かった。『明晩なんだけどさあ』で切り出したところ、いきなり冒頭の返事をされてしまったのである。くっそ、普段コミュニケーションを取ってない相手との会話は苦手だな。

「いや、言い方が悪かったよ。“明日の晩”、秋山さんの予定を空けておいてくれないか?」
「あのう…、ところで貴方はどなたですか?」

 ぎょぎょっ。そ、そこからだったか。スマンスマン、だってほら。いつもは才木さんが電話を掛けて『社長からですよ~』と相手に伝えてから俺に代わるという流れなもんでさ、名乗ることをすっかり忘れていたよ。

「オホン、羽柴だ」
「オカァシマダ?!えっ『お菓子まだ』ってどういう意味ですか?」

 つ、疲れる。ヒソヒソ話しているせいで、声が口篭もって伝わるのは仕方ない。だが、どうすればそこまで豪快に間違えられるのか??ど、どうしよう。電話の向こうが何やら大騒ぎになっている。

 >どうした、田島?

 >あっ、清水さん。
 >なんか秋山が変な電話を受けてるみたいで、
 >さっきから意味不明なことを言われ続けてる
 >みたいなんですよお。

 >なんだと?!何なら俺に転送しろ。

 >でも、電話のディスプレイを見てくださいよ。
 >発番1111って、なんか見覚えあるような。
 >って、ああッ、社長じゃん!!

 …そうじゃん。

 静かに頷いていると、心なしか電話の向こうがワタワタし出した。

「う、あのっ、もしかして羽柴社長ですか?!」
「うん、そうだよ。あのさあ、秋山さん」

「はいっ!!」
「その軍隊に入りたての新兵みたいな声を、もっとボリューム落としてくれないかな?」

「はいっ!!…じゃなくて、はぃ」
「で、悪いんだけど人払いして、電話の内容を周囲の人々に聞かれないようにして欲しいんだ」

「はぃ」
「さあ、このまま待つから早くやって」

 保留音が流れ出し、数秒も経たないうちに息切れした秋山さんの声がする。

「お、お待たせしました。もう大丈夫です」
「うん、ありがとう。じゃあさ、本題に入るよ。富樫がね、キミに冷たくされてショック受けたらしくてさ。俺の大事な秘書である才木さんを慰み者にしようとしているんだよね」

「……」
「才木さんは富樫のことが本気で好きらしくて、自分からセフレでも構わないと迫ったらしい。でも、そんなの断固阻止しないとダメだよね。だってもしそれで才木さんの方が本命になっちゃったら、秋山さんのことは忘れちゃうんだよ。…そんなのイヤだろう?」

 あれ?黙り込んじゃったぞ。そっか、さすがにショック受けてるんだな。それにしても沈黙が長過ぎないか?ま、まさか泣いているんじゃ?

「えと、秋山さん?だ、大丈夫かな」

 シーン…。

 おやおや?社長なのに無視されているぞ、俺。しかし、その心情も分かる気がしたので悠長に問い掛けを繰り返すことにした。

「おーい、秋山さーん。無事かーい。秋山さんってばー、何か返事しておくれよー」

 バン!!

 いきなり社長室のドアが開き、そこにゼエハア言いながら未来ちゃんが立っていた。

「おっ、お待たせしました、秋山でございます」
「え、ええっ?!呼んでないよ~」

 さすが富樫が惚れた女…このコもやはり変人だ。

「でも、あのっ。実は人払いしようとしたのに諸先輩方がその場を動こうとしませんでして。いえ、その、私を心配した挙句の行為だったのですが、とっ、とにかく社長からの電話がダダ漏れだったものですから、こうして馳せ参じた次第でございます」
「あー、そうなんだ」

 コンコン。

 まずい、才木さんに気付かれたに違いない。慌てた俺は口元に人差し指を1本だけ当てて、未来ちゃんに黙るよう指示する。

「社長?私どもを通さず来客がございましたか」
「え、ああ、才木さん。待って、開けないで。えっと取り込み中なんだよ!見られるとマズイ状況だから、事態が落ち着くまで放っておいて」

 マズイ状況って何ですか?…そう問われれば、全ては終わってしまうはずだったが、さすがは才木さん。『かしこまりました』と去って行く。ホッと胸を撫で下ろして俺は続けた。

「さっきも言ったと思うけど、富樫がトチ狂っちゃってサ~。性欲解消のために俺の才木さんを利用するとか言い出したんだよね」
「…俺の才木さん??あのう、もしかして社長と才木さんは既にそういう関係なのでしょうか」

「いや、まさか。確かに俺は女関係が激しいが、社内の女に手を出すほど飢えて無いよ」
「それは副社長が飢えているという意味ですか」

「そうじゃなくて、ああ、どう言えばいいかな、とにかく本題はそこじゃない。秋山さん…じゃなくてもう未来ちゃんと呼んでもいいかい?」
「いやです」

 即答??
 何なのこのコ、俺もう泣いちゃうぞ。

「あのさあ、先程も伝えたようにこのまま富樫と才木さんがイイ仲になったら、キミなんてきっとどうでも良くなっちゃうよ?アイツ仕事が忙しいし、恋愛に割いている時間なんて微々たるものだからさ。それを自分探ししてますみたいな面倒臭い理由で距離を置いちゃって挙句の果てに他の女を見つけてくださいとか言ったんだって?それ、本心なワケ??

 だいたいね、他の男に言い寄られてる姿を見せつけたり、過去に好きだった男とコッソリ連絡を毎日取り合ってるとか、ほんと有り得ないよ。もし自分がそれをやられたら、どういう気持ちになるか考えてみたこと有る?富樫は神じゃないんだ。何でも笑って許すと思ったら大間違いだし、全てが終わってから後悔しても遅いんだよ」

 突然、未来ちゃんは目を見開く。

「あの…、副社長は私が御門さんと毎日連絡を取り合っていることを知っていたのですか?」
「うん。でもまあ、静観してたみたいだけどね。それでも俺にはよく愚痴ってた。人の心は止められないから、気が済むまでやらせてやるって。それで自分が選ばれなくても、仕方ないってさ」

「そう…だったのですか…」
「アイツ強がって見せてるけど結構傷ついてた。好きだと伝えているのに、それで未来ちゃんも自分と付き合うと答えたはずなのに、他の男と仲良くしてんだもん。誰にでもイイ顔して見せるのはあまり褒められたモンじゃないなあ。富樫はさ、未来ちゃんと付き合ったこの2年間、他の誰とも付き合ってないんだ。女関係が激しそうに見えるけどね、そういうところは意外とシッカリしてるんだよ。その富樫が未来ちゃんに別れを切り出されて、自暴自棄になっても責められないでしょ?でもココが正念場だよ。未来ちゃんが本気で富樫と向き合うと言うなら、明日の晩、一緒に密会の場へ乗り込まないか?本当にこれがラストチャンスだと俺は思うよ」
 
 
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