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春の風が、窓から吹き込んでくる。緩やかな陽射しに、教室のカーテンがふわりと揺れた。
そこは、元の世界——日本。制服姿の生徒たちが、何事もなかったかのように授業を受けている。
異世界も、魔王も、戦争もない。“召喚”など、最初から存在しなかったかのように、世界は穏やかに日常を刻んでいた。
そして——その一角に、ぼんやりと窓の外を眺めている少年の姿があった。一ノ瀬ユウト。
かつて死に戻りを繰り返し、魔王を討ち、世界を救った青年。しかし今は、ただの高校二年生。痩せた体に制服がやや大きく見える。
「……静かだな」
彼はそう呟いた。誰にも届かないほど小さな声で。
教室の空気は柔らかく、どこまでも平和だった。だがその平和の中で、ユウトだけが違う時間を生きていた。
——世界は巻き戻った。
《死王》としての最後の力、《他者の死を巻き戻す》という禁断の権能。その行使によって、アカリの死を無かったことにし、彼自身も力をすべて失った。
それはつまり、自分だけが“全ての記憶を持ったまま”この世界に残されたということ。
もう、《死還》も《死王》もない。だが、あの戦いの記憶だけが、鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。
——499回死んだ感触。
——魔王を倒した剣の重み。
——生き返った仲間たちの笑顔。
そのどれもが、今のこの日常とは交わらない。
「一ノ瀬~。答えられるか?」
教壇からの声に、彼は少し驚いたように振り向いた。
「……すみません。ちょっと、考え事を……」
教室に、くすくすと笑いが起こる。だが、その笑いはどこまでも穏やかだった。
誰も彼を蔑まない。誰も見下さない。ただ、そこには“日常”がある。
その事実に、ユウトはかすかな安堵を覚えた。異世界の戦場で剥き出しだった憎悪や恐怖は、もうどこにもなかった。
——自分は帰ってきたのだ、本当に。
昼休み。屋上。
紙パックのミルクコーヒーを片手に、ユウトは柵にもたれかかっていた。
春の空気が心地よい。桜の匂い、風の音、遠くから聞こえる野球部の掛け声。
全てが懐かしく、けれど、どこか遠い。
「やっぱりここにいた」
その声に、振り向く。
制服のスカートを押さえながら、咲坂アカリがこちらへやってきた。
「あんた、またサボってない?」
「休憩だよ、休憩。今日は……ちょっと疲れただけ」
アカリは彼の隣に腰を下ろし、風に揺れる髪を手で押さえた。
しばし、二人の間に会話はなかった。だが、それは気まずさではなく、穏やかな静寂だった。
「最近、夢を見るの」
ふと、アカリが呟いた。
「夢?」
「うん……よくわからない場所で、誰かと一緒に戦ってる夢。すごく怖いのに、変なの。ぜんぜん苦しくないの」
ユウトは黙って耳を傾けていた。
「その夢の中で、私、誰かに守られてるの。顔は見えないのに、すごく安心できるの。不思議でしょ?」
「……ああ、すごく不思議だ」
アカリは笑う。
「変な話しちゃった。ごめんね」
「……いや、嬉しかった」
ユウトは、小さく呟いた。
「君が生きていてくれて、良かったって、心から思ってる」
アカリは少しだけ首を傾げて、微笑んだ。
「そっか。ありがと」
放課後。夕焼けの校舎を、ユウトは一人で歩いていた。
夕陽が長く伸びた影を作り、床にかつての記憶を映し出す。
死んだ仲間たちの顔。戦場で泣き叫ぶ声。自分の身体が崩れていく感触。
そして——最期の一撃で魔王を打ち倒した瞬間の、あの強烈な光。
あれらは、もう誰の記憶にも残っていない。だがユウトの中だけには、消えずに残っている。
「……全部、俺が背負っていけばいい」
それが彼の選んだ運命。
誰かを救う代わりに、たった一人で記憶を抱えて生きるという決断だった。
——その重さを知っているのは、世界で彼だけだ。
夜。帰り道。
川沿いの桜並木を歩く。街灯が花びらを照らし、川面に柔らかな模様を描いていた。
川の向こうから、小さな子供の笑い声が聞こえる。親子が一緒に歩いている。
命の音。誰かの日常。それらすべてが、今ここにある。
ユウトは、携帯の画面を見た。
——通知はない。
それでも、胸の奥があたたかかった。
「……俺は、もう“特別”じゃない」
それが、どれほど幸福なことか。彼はようやく理解していた。
何度死に戻っても得られなかった“平凡な今日”が、今、確かにここにある。
ユウトは、そっと歩き出す。風が髪を揺らす。
過去は、消えない。
だが、未来は——いくらでも変えられる。
そこは、元の世界——日本。制服姿の生徒たちが、何事もなかったかのように授業を受けている。
異世界も、魔王も、戦争もない。“召喚”など、最初から存在しなかったかのように、世界は穏やかに日常を刻んでいた。
そして——その一角に、ぼんやりと窓の外を眺めている少年の姿があった。一ノ瀬ユウト。
かつて死に戻りを繰り返し、魔王を討ち、世界を救った青年。しかし今は、ただの高校二年生。痩せた体に制服がやや大きく見える。
「……静かだな」
彼はそう呟いた。誰にも届かないほど小さな声で。
教室の空気は柔らかく、どこまでも平和だった。だがその平和の中で、ユウトだけが違う時間を生きていた。
——世界は巻き戻った。
《死王》としての最後の力、《他者の死を巻き戻す》という禁断の権能。その行使によって、アカリの死を無かったことにし、彼自身も力をすべて失った。
それはつまり、自分だけが“全ての記憶を持ったまま”この世界に残されたということ。
もう、《死還》も《死王》もない。だが、あの戦いの記憶だけが、鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。
——499回死んだ感触。
——魔王を倒した剣の重み。
——生き返った仲間たちの笑顔。
そのどれもが、今のこの日常とは交わらない。
「一ノ瀬~。答えられるか?」
教壇からの声に、彼は少し驚いたように振り向いた。
「……すみません。ちょっと、考え事を……」
教室に、くすくすと笑いが起こる。だが、その笑いはどこまでも穏やかだった。
誰も彼を蔑まない。誰も見下さない。ただ、そこには“日常”がある。
その事実に、ユウトはかすかな安堵を覚えた。異世界の戦場で剥き出しだった憎悪や恐怖は、もうどこにもなかった。
——自分は帰ってきたのだ、本当に。
昼休み。屋上。
紙パックのミルクコーヒーを片手に、ユウトは柵にもたれかかっていた。
春の空気が心地よい。桜の匂い、風の音、遠くから聞こえる野球部の掛け声。
全てが懐かしく、けれど、どこか遠い。
「やっぱりここにいた」
その声に、振り向く。
制服のスカートを押さえながら、咲坂アカリがこちらへやってきた。
「あんた、またサボってない?」
「休憩だよ、休憩。今日は……ちょっと疲れただけ」
アカリは彼の隣に腰を下ろし、風に揺れる髪を手で押さえた。
しばし、二人の間に会話はなかった。だが、それは気まずさではなく、穏やかな静寂だった。
「最近、夢を見るの」
ふと、アカリが呟いた。
「夢?」
「うん……よくわからない場所で、誰かと一緒に戦ってる夢。すごく怖いのに、変なの。ぜんぜん苦しくないの」
ユウトは黙って耳を傾けていた。
「その夢の中で、私、誰かに守られてるの。顔は見えないのに、すごく安心できるの。不思議でしょ?」
「……ああ、すごく不思議だ」
アカリは笑う。
「変な話しちゃった。ごめんね」
「……いや、嬉しかった」
ユウトは、小さく呟いた。
「君が生きていてくれて、良かったって、心から思ってる」
アカリは少しだけ首を傾げて、微笑んだ。
「そっか。ありがと」
放課後。夕焼けの校舎を、ユウトは一人で歩いていた。
夕陽が長く伸びた影を作り、床にかつての記憶を映し出す。
死んだ仲間たちの顔。戦場で泣き叫ぶ声。自分の身体が崩れていく感触。
そして——最期の一撃で魔王を打ち倒した瞬間の、あの強烈な光。
あれらは、もう誰の記憶にも残っていない。だがユウトの中だけには、消えずに残っている。
「……全部、俺が背負っていけばいい」
それが彼の選んだ運命。
誰かを救う代わりに、たった一人で記憶を抱えて生きるという決断だった。
——その重さを知っているのは、世界で彼だけだ。
夜。帰り道。
川沿いの桜並木を歩く。街灯が花びらを照らし、川面に柔らかな模様を描いていた。
川の向こうから、小さな子供の笑い声が聞こえる。親子が一緒に歩いている。
命の音。誰かの日常。それらすべてが、今ここにある。
ユウトは、携帯の画面を見た。
——通知はない。
それでも、胸の奥があたたかかった。
「……俺は、もう“特別”じゃない」
それが、どれほど幸福なことか。彼はようやく理解していた。
何度死に戻っても得られなかった“平凡な今日”が、今、確かにここにある。
ユウトは、そっと歩き出す。風が髪を揺らす。
過去は、消えない。
だが、未来は——いくらでも変えられる。
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