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第一章
リラ
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「あっ、あの、私っ。勝手に家にお邪魔してしまって……あの、もう誰も住んでいないと思っていて……その……っ」
「うん、わかっているよ。こんな森の中にぽつりと家が建っていたら誰だって気になるよね」
ましてやどの部屋もカーテンで見えないとなるとね、と苦笑いまじりにリラがティーカップを二つ、グランドピアノの天板の上に置いた。ピアノの近くにあったソファーに腰かけていても、甘い香りがふんわりと漂ってくる。
「それと……聞こえてきたんです。音楽が」
たどたどしいしゃべりで言い訳をすると、リラは興味を持ったのか、ピアノスチールに座るなり前のめりになった。
私は、蓄音機に目線を向けながら、声を抑えるようにして話しはじめた。
「そのレコードの曲、私の母が好きだったんです。幼い頃はよく、家にあったピアノで母がその曲を弾いていて……。隣で教えてもらいながら、一緒に弾いたりもしました。私は母の弾くピアノが好きで、この曲も大好きだったんです。だから、懐かしいなって」
「そっか。それはいい思い出だね」
「でも……」
この先を言ってもいいものかと悩んで、ちらりとリラの顔を見る。リラは淡い空色の瞳を私に向け、続きを待っているようだった。
私は、結末を話そうと口を開いた。
「でも、母は私が10歳のときにこの世を去ってしまいました。それ以来、その曲も全然聞かなくなってしまって」
「……そうか」
今でもときどき思い出す。お母さんがまだ生きていてくれたら、と。
姉さんやお父さんが嫌なわけではない。むしろ、自慢できる良い家族だと思っている。
でも、辛いこと、悲しいことがあったとき、一番の相談相手になってくれたのはお母さんだった。だから、今日みたいな日は会いたくなってしまう。
しばらくの沈黙のあと、沈んだ空気を変えるように、リラは立ち上がるなりティーカップを両手に持ち、私の隣へ腰を下ろした。そして、一方のカップを私にそっと差し出した。
「カモミールティーだよ。もしよければ、飲んで」
こくり、と頷き、カップを口元へ運んだ。
薬のような、独特な風味のあと、優しく甘い香りが口の中いっぱいに広がる。
ごくり、と飲みこむと、その香りはノドをすっと通り、ほんの少しの爽やかさを残したまま、どこかへ行ってしまった。
「うまっ! 」
うっかり口を滑らしてしまった。顔が熱くなっていくのがわかる。リラは、小さく笑い声を立てると、面白そうに私の顔を覗きこんできた。
「よかった」
リラがカップを両手に持ち、フーッと息を吹きかける。
また会話が途絶えた。カーテンの向こうで、風が窓を軽く叩く。
そういえば、今って何時くらいなんだろう。この家に来てからどのくらい時間が経ったのだろうか。
部屋をぐるりと見回してみるが、時計らしきものは見当たらない。
日が落ちてから森に入るのは嫌だな、不審者以外のものも出てきそうだし。お化けとか。
私はティーカップを天板に戻すと、リラに今が何時かと尋ねた。
「今? 今は15時38分57秒、だよ」
早口で事務的な返答の後、あ、こう話しているうちに39分だね、とリラは柔らかい口調でつけ加えた。
「時計もないのに、よくそんなに詳しくわかる……わかりますね」
「ああ、時計ならあるよ? 」
「え? あるんですか? 」
「うん。ここに」
そう言って、リラは自分の胸元に手を当てた。
「そこ、心臓ですよね」
「うん。そうだね」
にっこりと笑うリラ。
「そこに、あるんですか? 」
「そうだよ。というか、心臓のかわりに時計が入っているんだよ」
「……冗談ですよね? 」
「いや? そんなつまらない嘘はつかないよ」
きょとんとした顔を向けられて、私は困惑した。
リラの表情をみるに、嘘をついているようにはみえない。でも、だとしても。
「じゃ、じゃあ、あんたの心臓は、時計みたいに規則正しく動いているっていうこと? 」
「うん」
おかしい。絶対に、絶対におかしい!
「いや、いやいやいや! ありえないでしょう、普通! 心臓が時計の人間なんて聞いたことないし、そもそも心臓なしでどうやって生きてんのよあんた! 」
完全に素に戻っていたが、気にしているどころではない。
私の嘘を見抜く力が低すぎるのならまだしも、これでからかってないとしたらこの子、頭がいかれてる……!
リラは腕を組み、少し考えるようなしぐさをすると、なにかひらめいたように私に顔を向けた。
「そういえば、まだいなかったね」
こほん、とひとつ咳払いをすると、突然、リラの表情が変わった。
無表情でも、睨んでいるわけでもない。怖い顔どころか、どんな人にも好かれそうな模範的な笑顔だった。
だからこそ、端正な顔立ちとあいまって作り物のように見える。
そして、私には、そのいかにも人間らしくないのに人間っぽい笑顔には心当たりがあった。
「改めて、自己紹介をさせてください」
改まった彼女の声は、明るいはずなのにどこか淡々としていた。
「私の名前はリラ。正式名称は、ライラック型機械人形です」
「うん、わかっているよ。こんな森の中にぽつりと家が建っていたら誰だって気になるよね」
ましてやどの部屋もカーテンで見えないとなるとね、と苦笑いまじりにリラがティーカップを二つ、グランドピアノの天板の上に置いた。ピアノの近くにあったソファーに腰かけていても、甘い香りがふんわりと漂ってくる。
「それと……聞こえてきたんです。音楽が」
たどたどしいしゃべりで言い訳をすると、リラは興味を持ったのか、ピアノスチールに座るなり前のめりになった。
私は、蓄音機に目線を向けながら、声を抑えるようにして話しはじめた。
「そのレコードの曲、私の母が好きだったんです。幼い頃はよく、家にあったピアノで母がその曲を弾いていて……。隣で教えてもらいながら、一緒に弾いたりもしました。私は母の弾くピアノが好きで、この曲も大好きだったんです。だから、懐かしいなって」
「そっか。それはいい思い出だね」
「でも……」
この先を言ってもいいものかと悩んで、ちらりとリラの顔を見る。リラは淡い空色の瞳を私に向け、続きを待っているようだった。
私は、結末を話そうと口を開いた。
「でも、母は私が10歳のときにこの世を去ってしまいました。それ以来、その曲も全然聞かなくなってしまって」
「……そうか」
今でもときどき思い出す。お母さんがまだ生きていてくれたら、と。
姉さんやお父さんが嫌なわけではない。むしろ、自慢できる良い家族だと思っている。
でも、辛いこと、悲しいことがあったとき、一番の相談相手になってくれたのはお母さんだった。だから、今日みたいな日は会いたくなってしまう。
しばらくの沈黙のあと、沈んだ空気を変えるように、リラは立ち上がるなりティーカップを両手に持ち、私の隣へ腰を下ろした。そして、一方のカップを私にそっと差し出した。
「カモミールティーだよ。もしよければ、飲んで」
こくり、と頷き、カップを口元へ運んだ。
薬のような、独特な風味のあと、優しく甘い香りが口の中いっぱいに広がる。
ごくり、と飲みこむと、その香りはノドをすっと通り、ほんの少しの爽やかさを残したまま、どこかへ行ってしまった。
「うまっ! 」
うっかり口を滑らしてしまった。顔が熱くなっていくのがわかる。リラは、小さく笑い声を立てると、面白そうに私の顔を覗きこんできた。
「よかった」
リラがカップを両手に持ち、フーッと息を吹きかける。
また会話が途絶えた。カーテンの向こうで、風が窓を軽く叩く。
そういえば、今って何時くらいなんだろう。この家に来てからどのくらい時間が経ったのだろうか。
部屋をぐるりと見回してみるが、時計らしきものは見当たらない。
日が落ちてから森に入るのは嫌だな、不審者以外のものも出てきそうだし。お化けとか。
私はティーカップを天板に戻すと、リラに今が何時かと尋ねた。
「今? 今は15時38分57秒、だよ」
早口で事務的な返答の後、あ、こう話しているうちに39分だね、とリラは柔らかい口調でつけ加えた。
「時計もないのに、よくそんなに詳しくわかる……わかりますね」
「ああ、時計ならあるよ? 」
「え? あるんですか? 」
「うん。ここに」
そう言って、リラは自分の胸元に手を当てた。
「そこ、心臓ですよね」
「うん。そうだね」
にっこりと笑うリラ。
「そこに、あるんですか? 」
「そうだよ。というか、心臓のかわりに時計が入っているんだよ」
「……冗談ですよね? 」
「いや? そんなつまらない嘘はつかないよ」
きょとんとした顔を向けられて、私は困惑した。
リラの表情をみるに、嘘をついているようにはみえない。でも、だとしても。
「じゃ、じゃあ、あんたの心臓は、時計みたいに規則正しく動いているっていうこと? 」
「うん」
おかしい。絶対に、絶対におかしい!
「いや、いやいやいや! ありえないでしょう、普通! 心臓が時計の人間なんて聞いたことないし、そもそも心臓なしでどうやって生きてんのよあんた! 」
完全に素に戻っていたが、気にしているどころではない。
私の嘘を見抜く力が低すぎるのならまだしも、これでからかってないとしたらこの子、頭がいかれてる……!
リラは腕を組み、少し考えるようなしぐさをすると、なにかひらめいたように私に顔を向けた。
「そういえば、まだいなかったね」
こほん、とひとつ咳払いをすると、突然、リラの表情が変わった。
無表情でも、睨んでいるわけでもない。怖い顔どころか、どんな人にも好かれそうな模範的な笑顔だった。
だからこそ、端正な顔立ちとあいまって作り物のように見える。
そして、私には、そのいかにも人間らしくないのに人間っぽい笑顔には心当たりがあった。
「改めて、自己紹介をさせてください」
改まった彼女の声は、明るいはずなのにどこか淡々としていた。
「私の名前はリラ。正式名称は、ライラック型機械人形です」
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