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成長編

円谷医院にて父・絢治の検査

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 父は相変わらずぴんしゃんと立ち回っているが、何かの拍子に苦しそうだったり貧血を起こしたりすることがあったので、絢音が、涙ながらに丸1日かけて説得し、検査を受ける件を承諾させた。

 
「おや、雨が降ってきましたね、午前中はいい天気だったのに……。社長、今日は検査に行ってらっしゃるんでしょう? 円谷医院に。お迎えに行ってあげて頂けますか」

 清水の言葉に絢音は一も二もなく頷いた。

 そもそも今日は学校を休んで付き添うつもりだったのだ。

 でもそう言ったら、予想はしていたが、やはり頭からいらないと断られたうえ、勉強しなさいと叱り飛ばされてしまった。

 傘を持って円谷医院に行くと、小さいころからお世話になっている小児科の円谷 真吾つぶらや しんごが声を掛けてきた。

 この病院の院長のご子息で、通称「若先生」である。

「おや、成瀬さんとこのあやちゃん。社長のお迎えだね」

「はい、こんにちわ」

 絢音は自然に頬が綻ぶのを感じた。

 当年33歳になるが、とてもそんなふうにはみえない、少年のようにくるくると表情を変える真吾先生は、体の弱かった子供の頃からの主治医だ。

 喘息をもっていたので咳が止まらなくなる度、入院して、忙しい父も継母もいなくて泣いていた時、まだ医学生だった真吾がよく相手をしてくれた。

 今では喘息もなりを潜めているため、あまりここにはこなくなったが、3年ほど前に、研修医と大学病院での勤務を終えて、大好きな真吾先生が戻って来たと聞いたときは、素直に大喜びした。

「今、成瀬さんは検査室だよ。……僕も休憩中だから、お茶にでも付き合って? もちろんごちそうするよ」

 一回り以上年上で、身長も低くはないのに、童顔の顔が乗っかっているというだけで、妙に親近感を覚えさせる笑顔だ。

 真吾の腕が、絢音の華奢な肩にひょい、と置かれ、まるで酔っ払いみたいにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、絢音は「ギブギブ!!」と叫んだ。

 まったく私を弟だとか思ってるのか? すぐプロレス技しかけてくるんだからこの先生は……。

 呆れたけど怒れなくて、結局お茶をおごって頂くことになった。ただし、待合室のカップココアであるが。

 
 絢音の線の細い顔をじっと見て、真吾がしみじみと言った。

「なんかあやちゃん、ますます美人になったねえ」

「はあ? ソレ、私には禁句です」


 ははは――、と真吾は笑った。

「いや。ますます静音さんに似てきたなあと思っただけ。ほら、彼女も、睫長くて綺麗な二重の目しててね、上目遣いで見上げられて、勘違いしたヤローも多かったと思うよ。そう、特に目元が瓜二つだよ、キミは。……美人だっていうのに、男も女もないんだから、素直に誉められておきなさい」

「そうかなあ……身長は中3の頃と変わってないし、顔とスタイルだって人並みだと思うし」

「なんせ、まだまだ成長期だからねぇ……そのうち、きっと目立った変化も現れるさ」

 最後の方は呟きのように小さかった。

 よく聞こえなかったので、聞き返すと、なんでもないよ、といって、頭をクシャッとなでられた。

 くすぐったそうに首をすくめたが、絢音は特にイヤだとも思わなかったので、カップのココアを飲みつつ見上げると、にこりと微笑まれた。 

 手が耳の下の首筋に向かい、手触りを確かめるようにすっと撫でられたのにはさすがに軽く抵抗したが。 

 
 ※※※※※     ※※※※※     ※※※※※
 

 父の検査結果は一週間後らしい。

 傘を差して2人で雨の中を並んで歩く。

 気がつけば、父の身長などとっくに追い越している自分に戸惑い、隣の傘の真ん中の飾りをぼんやりと見下ろしながら、絢音はぽつりといった。

「お父さん。私が嵯峨野書房の編集業務のこと手伝うのって、迷惑? ……あの、もし本当に迷惑だったらさ」

 絢治はちらりと絢音を見て、にこりと微笑った。

「そりゃ迷惑だよ」

「お父さん」

「でも、一生懸命やってるお前見てて、つい嬉しくて涙が出ちゃったのは、もう歳だからなのかね。───認めたくはないんだけどさ」

「……じゃあ、いいの?」

「好きになさい、会社を継ぐのでも、そうでないにしても。中途半端は許さないよ。お前も、大きくなったんだから。……いつの間にかな。未熟児であんなにちっちゃかったお前がなぁ……」

 雨が傘に当たって、ぽつぽつと切ない音楽を奏でる。

 絢音は泣きたくなる気持ちを抑えた。

「私自分なりにがんばるよ、ありがとう。お父さんも体大切にしてよね」

「おバカ。体の弱かったお前なんかより、十年は長生きするぞ、俺は」

 うん、と答えて、あとは黙った。 

 何かしゃべれば、泣きそうだった。

 また泣いたら、父に道端でしっかりなさいと叱り飛ばされてしまうだろうから。
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