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【外伝】Episode-α 氷華の女王 第4章 オレゴンの雨
4-1.ポートランドの霧に消えた本性
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2012年、アメリカ・オレゴン州立大学。
針葉樹の香りが漂う広大なキャンパスは、その日、霧雨に煙っていた。
新学期の喧騒の中、1人の女子学生が困惑した様子で地図を広げ、キョロキョロと周囲を見渡していた。
金髪のボブヘアーに、少し知的に見える黒縁メガネ。
青い瞳には、慣れない土地への一抹の不安が滲んでいる。
「……次の教室、迷ったのかい?」
声をかけたのは、黒崎だった。
彼女、コナミが見せてきたスケジュール表は、奇しくも黒崎の次に向かう講義と同じだった。
「僕もそこへ行くところだ。一緒に行こう」
並んで歩き、隣り合わせで座ったMBAの講義。食堂でのランチ。
「私はロシアの海洋研究所から派遣されたの」
と、彼女は少し硬い英語で話した。黒崎はオーストラリアの銀行員だと答えた。
(知り合いもいないし、仲良くなっておけばノートを見せてもらえるかもしれないな)
そんな打算的な、軽い気持ちから始まった恋だった。
2人の距離を縮めたのは、互いの窮乏だった。
黒崎の銀行からの手当も、コナミの研究所からの奨学金も、オレゴンの物価の前ではあまりに心もとなかった。
秋が終わる頃には、2人は自然な流れで、ポートランド郊外にある家賃わずか400ドルの安アパートで同居を始めていた。
「この部屋、窓を閉めても風が鳴くのね」
「ああ。だが、2人いれば1人よりは温かいだろう」
生活は質素を極めた。
暖房費を節約するため、夜は厚手の毛布に2人でくるまり、1つの青いマグカップを共有して熱いココアを回し飲みした。
あの独特の、深みのある藍色のマグカップ。
ある朝、寝ぼけた黒崎がキッチンでうっかりそれを落とし、持ち手の付け根に小さな欠けを作ってしまった。
「あ……すまない、壊した」
「いいのよ、エドワード。形あるものはいつか壊れるわ。でも、この欠けは世界に1つだけの私たちの印よ」
コナミはそう言って、欠けた部分を愛おしそうに指でなぞりながら微笑んだ。
貧しさは2人にとって障害ではなく、絆を深めるための触媒だった。
大学の図書館で遅くまで共に学び、帰りにスーパーで値引きされたベーグルを買って帰る。
そんな何気ない日常の中で、黒崎の打算はいつしか、彼女を守りたいという純粋な独占欲へと変質していった。
1年間、あの狭いアパートで愛を育み、2人の貯金がようやく目標額に達したとき、黒崎は彼女の手を引いて言った。
「今年の夏は、ハワイへ行こう。この冷たい雨の代わりに、本物の太陽を見せてやる」
針葉樹の香りが漂う広大なキャンパスは、その日、霧雨に煙っていた。
新学期の喧騒の中、1人の女子学生が困惑した様子で地図を広げ、キョロキョロと周囲を見渡していた。
金髪のボブヘアーに、少し知的に見える黒縁メガネ。
青い瞳には、慣れない土地への一抹の不安が滲んでいる。
「……次の教室、迷ったのかい?」
声をかけたのは、黒崎だった。
彼女、コナミが見せてきたスケジュール表は、奇しくも黒崎の次に向かう講義と同じだった。
「僕もそこへ行くところだ。一緒に行こう」
並んで歩き、隣り合わせで座ったMBAの講義。食堂でのランチ。
「私はロシアの海洋研究所から派遣されたの」
と、彼女は少し硬い英語で話した。黒崎はオーストラリアの銀行員だと答えた。
(知り合いもいないし、仲良くなっておけばノートを見せてもらえるかもしれないな)
そんな打算的な、軽い気持ちから始まった恋だった。
2人の距離を縮めたのは、互いの窮乏だった。
黒崎の銀行からの手当も、コナミの研究所からの奨学金も、オレゴンの物価の前ではあまりに心もとなかった。
秋が終わる頃には、2人は自然な流れで、ポートランド郊外にある家賃わずか400ドルの安アパートで同居を始めていた。
「この部屋、窓を閉めても風が鳴くのね」
「ああ。だが、2人いれば1人よりは温かいだろう」
生活は質素を極めた。
暖房費を節約するため、夜は厚手の毛布に2人でくるまり、1つの青いマグカップを共有して熱いココアを回し飲みした。
あの独特の、深みのある藍色のマグカップ。
ある朝、寝ぼけた黒崎がキッチンでうっかりそれを落とし、持ち手の付け根に小さな欠けを作ってしまった。
「あ……すまない、壊した」
「いいのよ、エドワード。形あるものはいつか壊れるわ。でも、この欠けは世界に1つだけの私たちの印よ」
コナミはそう言って、欠けた部分を愛おしそうに指でなぞりながら微笑んだ。
貧しさは2人にとって障害ではなく、絆を深めるための触媒だった。
大学の図書館で遅くまで共に学び、帰りにスーパーで値引きされたベーグルを買って帰る。
そんな何気ない日常の中で、黒崎の打算はいつしか、彼女を守りたいという純粋な独占欲へと変質していった。
1年間、あの狭いアパートで愛を育み、2人の貯金がようやく目標額に達したとき、黒崎は彼女の手を引いて言った。
「今年の夏は、ハワイへ行こう。この冷たい雨の代わりに、本物の太陽を見せてやる」
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