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門の外の敵

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 小城であるといえど、岩崎城は尾張と三河の境界線上にある重要な戦略拠点である。
 正門は敵軍を完全に足止めできる程度にはしっかりと築かれている。
 普段ならばともかく先ほど帰ってきた城主である丹羽氏次の命を受けて完全に締め切られた正門の前に、先ほどの五騎が辿り着いたのはすぐのことだった。
 須賀六蔵が城主の丹羽兄弟を呼びにくるよりも速く、恐ろしいほどの馬術でやってきたのである。
 誰が疾風を止められようか。
 人よりも獣よりも風は迅く、しかも鬼の乗る魔風であった。

「開門しろ!! わしは羽柴秀吉と織田信雄の使いだ。開けねば、城内のものを悉く皆殺しにするぞ!!」

 とても使者とは思えぬ恫喝を、狼の吠え声のように叫ぶ男に門の内側は静まり返った。

「……いったいどんな馬鹿だ。たった五騎でこの城を陥せると思っているのか」

 城兵たちはみなそう思った。
 あまりにも無茶苦茶である。
 現在、いくさの準備をしていないとはいえ岩崎城には百を超える兵士がつめている。
 その彼らをたった五人で根切できるはずもない。

「でもよお、俺はちらっと見たが、あれは確かに笹の才蔵だったぜ」

 兵士の一人が呟いた。
 氏次とともに織田信忠の陣営で戦っていたものだった。
 甲斐攻めにおける陣中で確かに笹の才蔵―――可児才蔵を身近で目撃したことのあるものの証言であった。

 可児才蔵吉長。

 天文二十三年(1554年)、美濃国可児郡に生まれた槍の名人である。
 可児郡の地名を名字とする豪族可児氏の出身で、斎藤龍興にまずは仕えたが折り合いが悪く、それから柴田・明智・前田と織田軍団の武将の元を渡り歩いた経歴の持ち主である。
 それほど仕官先を転々とできたのは、その槍の腕前がまさに織田軍団においても一二を争う程だと謳われていたからであろう。
 事実、「芸州誌」では、「先陣を進み、槍を合わすこと二十八、敵の首を捕る事二十騎、言語道断古今無し」と記載され、同時代においても抜きんでた強さを賞賛されていたほどである。
 その可児才蔵が槍をもって殺気をぷんぷんと醸し出しながら、門の前に陣取っている。
 岩崎のものたちも畏怖を覚えずにはいられなかった。

「本物なのかよ」
「ああ、笹の指物はしていなかったが、大袖から笹の葉がでる飾り物をつけて、宝蔵院の穂先が三本ある三日月槍を抱えたものなど、笹の才蔵以外にはいねえって!!」
「あのとんでもなくでかい槍か……」

 門が閉まる寸前に見た光景を思い出して身震いするものもいた。
 柄の直径が一寸五分あり、石突は穂先と同じ長さの槍をさらに改良して作りだした三日月槍。
 中央の穂先の断面は平三角形をしていて甲冑をなんなく貫き、両方から二本の穂がせりだし、それが厚手の鎌となっていたのだ。そのうちの一方を長くし刃は外側、反対側を短くし刃は内側という斜めの三日月を思わす奇妙な造りになっている。
 それはなぜかという、ただの槍としてだけでなく、突いた敵が間一髪で躱しても左右の穂で切り裂くことができ、敵の刃は三叉で受け止めるためである。
 また、長い穂は薙刀のように使え、短い穂は刀で押し切るのと同じ効用をだせる。
 手首の回転によってそれらの左右の穂を使いこなせば、まさに玄妙の術のさえで敵を惑わすことも可能なのだ。
 さらに、もともとこの三日月槍を考案したのは宝蔵院覚禅坊法印胤栄であることから、当然宝蔵院流槍術の神髄ともいえる石突を使って前後左右を竜巻のように暴れることができる。
 まさに無敵の槍術使いのために胤英が考案した武器なのであった。
 可児才蔵はその宝蔵院胤栄の弟子である。
 当たり前のように三日月槍を振るう。
 具足に笹の飾り物をつけ、三日月槍を振るうという特徴を持つものは世間広といえども笹の才蔵以外にはいないであろう。

「なんでそんな化け物が……」
「いや、才蔵だけじゃねえ。真っ赤な穂先のついた槍を持った奴がいただろう。あれは赤錆の槍っていってわざと刃を錆びつかせておいて使っているんだ」
「そんなんじゃ切れねえだろう?」
「斬れなくてもいいんだよ!! ちっちえ傷をつけられただけで錆びの毒が回って半年もしたらおっ死んじまうんだから!!」
「……なんて恐ろしいものを使う奴がいるんだ」

 城兵たちがそんなことを言い合っていると、いつのまにか背後に現われた老人がすたすたとやってきて門を開けようとする。
 事態に気がついた周囲のものたちが慌てて止めた。
 そんなことをしたら、外の五騎を招き入れてしまうことになりかねない。
 絶対にしてはならない。

「放せ、おまえたち!!」

 老人―――今井勝澄であった。
 背中にいつもの百足の旗指物をつけていた。
 
「何する気だよ、爺さん!! 老いぼれたか!!」
「放せ、放さんか!! ぐぬぬ」

 六十近い年寄りの癖にとんでもない力で若者たちを引き剥がそうとする。

「待てって!! いいから待てよ!! 氏次さまたちが来られてからだ!!」
「おかしいぞ、爺さん、気でも狂ったのかよ!!」
「狂ってなどおらん!!」

 だが、さすがの勝澄も若者五人がかりに押さえつけられれば身動きが取れなくなる。
 若者たちもただの乱心ではないと思ったのか、殴りつけたりはしなかったのでそのうちに抵抗も納まった。
 若者の一人、氏重つきの家臣である鈴木重盛が羽交い絞めにしながら問うた。

「何があったんだよ、今井どの!! あんたらしくもない!!」
「わしらしい、だと。ふん、笑止。わしらしいからこそ、討ちに行こうと決めたのだ。なのに寄ってたかって邪魔しやがって……」
「なにを討つって!?」
「決まっておる」

 勝澄は門の外を透視しているかのような鋭い眼光で睨みつけた。

「鬼武蔵を、じゃ」

 城兵たちにどよめきが走った。
 たった今、勝澄はなんといったのか。
 鬼武蔵―――森長可だと?
 聞き間違いだと誰もが思った。
 しかし、その言葉にうなずくものもいた。

「確かに勝澄どのの言う通りです。さっきの騎馬の真ん中にいたのは―――間違いなく、あの鬼武蔵でした」
「坂見、おぬし……」
「拙者は設楽原で間近であの鬼を見ております。見間違えるはずがない。この城中でも氏次さまが信忠公の旗下にいたときに目撃している人がいるはずです。いないなんてことはないでしょう」

 坂見但馬は、設楽原の戦いで敗戦した武田から抜けて、この岩崎に逃げ出した男だ。
 読み書き算盤ができるので寺子屋の師匠という役職についているが、多くの武士からはいくさから逃げ出した男と一段低くみられている。
 もっとも、あの歴史的大敗までは武田家の中でもそれなりに勇猛果敢な若い武士だったのである。
 それなりに腕はたつ。

「あれが鬼武蔵だからといって、なんで今井の爺さんがそんなに怒り狂ってんだよ!!」

 これに応えたのは当の勝澄ではなく、又も但馬であった。

「信忠公のもとで伊那の高遠を落としたのが森長可だからでしょう。高遠城の本丸に押し込んだ彼によって信玄公のお子である仁科盛信さまが深い手傷を負い、結局城を枕に自害せざるを得なくなりました。……武田勢の中でも盛信さまだけが、亡くなられた御父上と主君である兄上のために命を懸けて最期まで戦い抜きました。武田の旧家臣からすれば、盛信さまの仇は彼なのです。……あと」
「それ以上、余計なことをいうな、負け犬が!! 貴様は黙っておれ!! これ以上、わしの恥を晒せばまず貴様からぶち殺すぞ」

 すでに血走った眼をしている勝澄は泥のように濁った殺気を但馬にあてた。
 それだけで精神的に脆弱になっている但馬は押し黙る。
 本当に殺されてはたまらないからだ。
 事実、但馬がそれ以上口を開けば勝澄の抜き打ちで斬り殺されていただろう。

「森長可っていうと、あれだろ。上諏訪で氏次さまに喧嘩を売ったっていう……」
「ああ、殿にだぜ」
「まさか、何も知らないというわけはないだろ。知っていてやったっていうのなら、とんでもない気狂いだぞ」

 奥で城兵たちが騒がしく話だした。
 正門の外にいる鬼武蔵らしい五騎が入ってくるはずがないと高を括っていたからだ。
 だが、

「まて、やめろ!!」

 門の上から下を見張っていた兵が叫んだ。
 次の瞬間、五メートルの高さはある門を越えて何かが降ってきた。
 ごろんと地面に転がる。
 最初はみな、岩の類いかと思った。
 しかし、違っていた。
 それは人の生首であった。
 見覚えのある岩崎城の正門を当番制で護る門番の首であった。
 何が起きたかわからないような凍りついた表情で固まっていた。
 首は鋭利な刃物で切り裂かれ、地面に転がって少ししてから血が噴きだし始めた。
 あまりに速い斬撃のため細胞が死んだのに気が付かなかったのだろう。
 この門番殺害の下手人はとんでもない凄腕であった。

「はよう、開門せいっ!! わしを怒らせるつもりか!!」

 またも門の外から声が聞こえてきた。
 今度こそ、城兵たちも目を丸くする。
 門番を殺したとなると明らかな敵対行動だ。
 たった五人で城攻めでもするつもりなのか、あの連中は!!

「ど、どうする?」
 
 通常の事態ではない。
 信じ難いが、門の外の連中は本気なのだ。
 本気だからこそ、おそらく事情を問おうと近づいた門番を会話もせずに屠り去ったのだろう。
 すると、城兵ではなく後ろから声が聞こえてきた。
 
「―――あの声は確かに森勝蔵だ」
「はい、兄上」

 丹羽氏次と氏重の兄弟が並んでやってきた。
 氏次の手には愛用の岩突きの槍が、氏重は刃長が三尺(約90cm)ある陣太刀を握っていた。
 通常ならばこれほど長い太刀は使いづらいだけなのだが、氏重はまだ筋肉が出来上がっていない年齢にも関わらずこの大重武具を楽々と振り回す。
 兄弟揃って比類なき怪力の持ち主なのであった。

「殿さま!!」
「若!!」

 二人を見て城兵たちが声をあげる。
 正門に隠れて見えない敵に威圧されていたことの裏返しのように、二人の登場で気分が高揚しだしたのだ。
 敵に鬼武蔵が、笹の才蔵がいようとどうということはない。
 こちらにはこの無双の兄弟がいるのだから。

「―――開けてやれ、森勝蔵が羽柴の使いなのは間違いない。信雄さまの陣営にはいないはずだがな」
「ですが、兄上。鬼武蔵どのは確か東美濃の平定にかかりきりだと聞いています。この岩崎まで単独でこられるとは思えません」
「いや、賤ヶ岳で柴田どのが敗れたことで、秀吉どのが美濃を池田勝入斎に与えたのだ。信孝さまの岐阜城と一緒にな。勝蔵は池田の婿にあたる。しばらくは安心して美濃の経営を舅に任せてこかんなところまでやってくるぐらいはするだろう」

 池田勝入斎恒興は摂津有岡の城主であったが、秀吉によってもともと織田家のものであ美濃と岐阜の国主に任命された。
 これは摂津に大阪城を築城し、自分の本拠にしようとしていた秀吉によって追い払われたともいえる。
 もっとも池田恒興としても戦力としては無類の婿が傍にいるということを素直に喜んだらしく、特に不平も言わずに国主になったと言われている。
 さらにいえば、秀吉と距離をとりたかったというのもあったと思われる。

「―――では、やはり本物なのですか」

 上諏訪でのたった一度の対面の記憶が甦る。
 確かにこのような狂った真似をしでかしそうな人格の持ち主だった。
 人の形をした嵐でもやってきたかのようだ。

「氏重。何が起きてもすぐに動けるように用心は怠るな。あの、狼はなにをしでかすか、まったくわからんのだから」

 丹羽兄弟が強く武器を握りしめると、城主の指示に従うように、ゆっくりと正門が開いていった……





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