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金山城にて

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 金山城のある烏ヶ峰を一望できる丘の上に、行者頭巾を被り、数珠をかけて金剛杖を持った山伏が立っていた。
 その数は五人。
 杖のほかに護身用らしい刀を腰に差している。
 山伏たちはじっと金山城とその城下の町を眺め続け、中心にいる若者らしい姿がややあとげない声でぽつりと呟いた。

「活気のあるいい町だね。金山は」
「そうでござるな」
「……あんな風な性格なのにまつりごとに関しては緻密で誠実なんだね。凄いな……」

 感嘆を洩らした若者に対して、別の山伏が言った。

「もともとあの城と町の縄張りを行ったのは、森可成どのでございます。美濃の政に関しては相当難儀することが予想されていましたが、可成どのはそつなくこなされ、信長公の信頼を得たと言われております」
「そんなに難しかったの?」
「ええ。まず、織田勢が美濃を平定したとき、まともにいくさがあったのは井ノ口でのものぐらいで、ほとんどの美濃衆が調略も必要ないぐらいに簡単に降伏いたしました。斎藤龍興はそれだけ人心を掌握できていなかったわけです。それで美濃は信長公のものとなりました。しかし、血は流れませんでしたが、新しい領地は手に入りませんでした」
「美濃衆がそのまま知行を維持したんだね」
「はい。ただし、例外がいました。それが可成どのです。東美濃の支配のための拠点として、斎藤龍興の後見人である長井隼人がいた金山城とその周辺七万石を与えられたのでございます」

 教授役らしい山伏が大袈裟に手を広げて、

「この東美濃の可児・土岐・恵那の三郡は、川沿いの支流にそって多くの盆地が存在します。その盆地ごとに古い豪族たちが犇めき合っている土地なのでした。鎌倉の御家人加藤氏の末裔を名乗る岩村、苗木、明智。同じく御家人である土岐氏の後継を名乗る小里、妻木、久々利などが先祖伝来の領地を守護しておりました。鎌倉の御代からおよそ三百年間」

 三百年。
 人生わずか五十年の時代であることを考えれば気の遠くなるような時の流れである。

「そんな東美濃の国人どもを支配できるのは、やはり強い武力と猛き意志が必要だったのでしょう。信長公は、それに森可成どのを選んだのです。そして、それは正解でした。
武田信玄公が西上の軍を侵攻させ、東美濃の岩村城を囲みます。しかし、援軍は期待できない情勢でした」

 この当時、信長は浅井・朝倉、石山本願寺との戦いに手いっぱいで、俗にいう「信長包囲網」の真っただ中にいた。
 武田信玄を防ごうとした徳川家康が東江三方が原の戦いで完敗したこともあり、信濃防衛の拠点である岩村城を救うための援軍さえ遅れる状況ではなかった。
 籠城もできないほど孤立した岩村城は簡単に降伏し、城主であった遠山景任の未亡人は武田家の武将秋山信友の妻にさせられてしまう。
 景任と妻のもとには子供がいなかったため、信長の坊丸(後の勝長)が養子となっていたのだが、この子は人質となり甲斐へと送られてしまう。
 怒り狂ったのは信長である。
 息子を人質に取られたということもあったが、この景任の妻は信長の実の叔母だったのだ。
 しかも、岩村城を中心にした東美濃十八城の一つ、明智城が武田勝頼に落とされ、すでに岩村城は武田軍のための出城となってしまったことが証明された。
 武田の牙が常に突き付けられている状態ということである。
 信長は仕方なく、その脅威に備えるために池田恒興と河尻秀隆の二人を配置しなければならなくなる。
 だが、それだけでは武田軍への備えはできても美濃国人衆を牽制することはできない。
 そのために尽力したのが森可成である。

「―――嫡男となった長可どのをみれば一目瞭然でございますが、可成どのもまた気性が激しい方で逆らうものは容赦しない性格の持ち主でしたが、同時に抜け目ない策士でもありました。安藤守就、稲葉良通、氏家直元のいわゆる西美濃三人衆を織田家に引き入れたのも可成どのということでおわかりでしょうか」
「浅井・朝倉に攻められた宇佐山城を守って討ち死にされたことは知っているよ」
「では、可成どのが亡くなったのが宇佐山城での最初のいくさであったこともご存知でしょうか」
「いや、知らないな」
「金山でもっとも恐るべきは緒戦で大将を喪っていながら、四日間朝倉軍相手に戦い続けたうえ、なんと一度は撃退さえしてのけた家臣団でしょう。各務元正、肥田直勝らを中心とした家臣団は可成どのの死を秘して籠城をしてのけて、織田信治どのの指揮のもと戦い、なんと最後まで落城を免れたのです」

 山伏はもう一度だけ派手な手ぶりをし、

「しかも、彼ら家臣団はわずか十三歳の嫡男長可どのを当主とするという信長公の命に従い、この金山を完全に外敵からも護りきったのでございます。ここが森家のもっともおそるべき点だと拙者は思いまする」

 と話をまとめきった。
 あまりに講義が長かったからか、五人のうち三人はどっこいしょと地面に腰を下ろして、一人は眠りだしている。
 とはいえ、唯一まともに話を聞いていた若い山伏は納得した顔で頷いていた。
 森家と金山城の歴史に共感するものがあったのだろう。

「烏ヶ峰っていうけど、からすが飛んでねえなあ。弓で狩ってやろうと思っていたのによ、拍子抜けだ」
「兄貴ぃ、烏じゃなくて川の鵜のことじゃねえのか。飛んじゃいねえが」
「どっちみちいねえじゃねえか」
「だから、烏ヶ峰じゃなくて金山って名前にしたんだろ」
「あー、おまえ、賢いなあ」

 座り込んだ二人の兄弟らしい山伏はそんなつまらない会話を始めていた。
 よく顔が似ていたが、片方は右目が、片方は左目が潰れて隻眼である。

「ぐぅー」

 眠り込んでしまった山伏はかなりの高齢である。
 がっちりとした身体つきは歴戦の兵士であることを物語っている。

「爺さん、眠っちまったぞ」
「いい度胸してやがるよな。一応、ここは敵地だぜ」
「まったくだ」

 長々と話をしていた山伏が別のことを口にしようとしたとき、

「若!! 城下町の様子を見てきました!!」

 と、長巻きを背負った若者がやってきた。
 手にはちょっとした食い物をいくつも抱えている。
 金山の町の探索ついでに買ってきたのだろう。
 同じ格好のものたちのところに辿り着くと、手にした串焼きをそれぞれ配って歩いた。

「ご苦労様、重盛。それで、どうだった? お前ひとりに探索を任せてしまって疲れているだろうところにすまないけど」
「いやいやいや、まったく疲れてなどおりません。俺なんぞよりも若の方がお疲れでしょう。馬ではなく徒士での移動でしたから」
「子ども扱いしないでくれ。私だってこう見えてもいっぱしの武士だ。このぐらいの距離でへばったりはしない」
「そうですか。家臣として鼻が高いです。実は……」

 そう言うと、長巻きを背負った若者は町を指さした。

「城下では萩姫さまを見たというものはとんと見当たりませぬ。それどころか、城にいるかどうかさえも知らぬようです」
「まさか、別のところに連れていかれたのかい」
「それはどうでしょう。鬼武蔵もその一党も、まずはこの金山を動くことはないようです。遠出するのは、いくさがあるときだけのようでございます。美濃の情勢はまだまだ不安ですから。それに姫さまは若たちへの人質ですから、外に出して息抜きをさせることはないでしょうし、町民どもが知らなくても不思議はないでしょう」
「そうか」

 すると、寝息を立てていた老人が上半身を起こした。
 さっきまでぐっすりと寝ていたにしては眼光が爛々と輝いている。
 闘志剥き出しとはまさにこのことだろう。

「では、丹羽さま。さっさと討ち入りましょうぞ。あやつらはあの城の中におるのは間違いないというのなら、古来より先手必勝ともうす。奇襲して萩姫さまを奪い返してしまえばいい」
「……今井の爺さん。いくらなんでも無理があるぜ。あの金山の城は尾根に二段の郭があるぐらいなんだぜ。うちの城よりもずっと討ち入りづらい。潜り込むのだって至難の業だ」
「兄貴の言う通りだぜ。おれたちは忍びじゃねえ。ちぃとばかり難しすぎる。そりゃあ、あのときの黒い猿みてえな奴ならわからねえがよ」
「だな」
「須賀兄弟の言う通りです。勝澄どの。いくらなんでも無茶ですよ」

 長巻きを背負った若者も賛成なのかうんうんと頷いている。
 周囲からすぐに反対意見が出たことで、老人は不機嫌に唸りをあげた。
 彼としては本当に今すぐにでも乗り込む気でいたのだ。
 だから、仮眠をとって移動の疲れをとっていたというのに。
 まったく、儂よりも若いくせになんとだらしのない奴らだ。

「四郎右衛門と六蔵の言う通りだよ。金山城あそこに攻め込むのはさすがに難しい。萩を取り戻す前に、私たちが殺されてしまうだろう」
「ですが、丹羽さま。手を拱いていちゃあ……」
「大丈夫。私にも考えがある」

 すると、老人―――元武田家の使番十二人衆の今井勝澄は首をかしげた。

「……考えですか? はて、どんなものでございますかな」

 他の三人も好奇心旺盛な眼差しを向けてきたので、山伏姿の若者―――丹羽次郎助氏重はにこりと微笑んだ。

「あの城の〈鬼〉が望んでいるものを用意してあげればいいだけのことだよ」

 奪われた許嫁を取り戻すために、敵の領地にまでやってきた若者は大胆不敵に言い放つのであった……



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