陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明

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第三話 「くじら侍と修羅の兄妹」

しくじり

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 酒をあおっていたとしても、権藤伊佐馬の行動は素早い。
 稀に見る巨漢であるため鈍重そうな印象をもたれやすいが、大方の予想をはるかに上回るほどに倢く、しかも頑丈だ。
 町人たちは伊佐馬のことをくじら侍などと呼んでいるが、親しい伯之進などから言わせれば、「権藤さんはもっと悪辣な……海魔のようなサメみたいなものだ」ということになる。
 鯨とサメ、どちらもただの人の手には負えないという点では、たいした違いはない。

「―――くじらの旦那」
 
 欣次が今野屋の対面の暗い路地裏から手招きをした。
 武士に対して手招くとは無礼である、などとは伊佐馬は言わない。
 そんな小さなことを気にする器は生憎と持ち合わせていなかった。
 すでに陽は落ちている。
 気配を殺して隠れている欣次を見つけることは難しいだろうから、むしろ助かったという顔をしていた。

「むう、連中はまだ店の中か」
「へい。ただ、ちょいと前から厠へいくのが増えておりますので、そろそろ動き出すかと」
「省吉とやらは?」
「うちの大親分が旦那方に報せにいってすぐにでていきやした。柳原通を東に行きやしたので、店に戻ったんだと思いやす」
「……今野屋のものに聞いてみたのか」
「へい。なんでもあの浪人たちはたまに店で飲み食いをしていて、金を払うのは別のものだということです。素性については知らねえみてえですが、いつも省吉が払っていたわけじゃなく、毎回違う丁稚か手代らしいのがだしているようでさ」
「どんぴしゃりということだな」

 伊佐馬は少し考えた。

「だが、毎回、金を払うものが違うということは、吉井屋だけが金主という訳ではないのかのお。やがら、もしかするとこの件のような狼藉沙汰をするために集められる面子なのかもしれんな」
「て、いうとどういうことですかい?」
「つまり、厄介ごとがおきたときに解決を金で引き受ける仕事師ということよ。武士としての面目などとうの昔に捨て去って、金で買われるのを生業とする奴らだ。おそらく買うのはうんざりするほど金をもっている豪商あたりだろう」

 この一言はまた別の示唆を含んでいる。
 要するに、荻野喜千郎たちは今回のような汚れ仕事になれた、いわば傭兵であり、一筋縄ではいかない可能性があるということだ。
 欣次は、伯之進だけでなく伊佐馬に声をかけておいて正解だったと思った。
 少なくとも一人の武士だけでも欣次だけでは手に負えないのだから。

「……お奉行所の他の方々にもお知らせした方が……」
「そんな余裕はないだろう。それに、まだ連中はことを起こしていない。捕らえるにしても罪がない」

 そして、事が起きたときには佐吉という手代の命とその妹がどうなっているかはわからない。
 ここで欣次と伊佐馬たちが動くしかないのだ。
 徳一の跡を継いで岡っ引きとなった欣次が、これが初めての大きな事件となるかもしれないという甚七の話を聞いて、伯之進にも知らせずに勝手に探索したのは、若もの特有の功名心からくる焦りだった。
 ことがどうなるかはっきりと予見していなかったこともある。
 最初から伯之進たちに相談していればもっと円滑にことは進められたかもしれない。
 落ち込んだ様子の欣次に声を掛けず、伊佐馬は今野屋を見やる。
 どうやら雌伏の時間は終わったようだ。
 六人の浪人たちがぞろぞろと店を後にする。

「いくぞ、欣次親分」

 伊佐馬は歩き出した。

「へ、へい」

 欣次も従う。
 だが、親分と呼ばれたことで心臓が高く鳴った。
 つい先日までの下っぴき扱いとは違う。
 今の彼は若輩なれど岡っぴきなのだ。
 お上から十手を授かった御用聞きであり、親分と呼ばれ、江戸の町の治安を守り、罪のない町民たちを守ってきた、そんな徳一みたいな男の跡継ぎなのだ。
 そんな欣次を突き動かしたのは伊佐馬の一言だった。

「親分」と。

 これから両国の親分に相応しい男にならなければならない。
 自分の不手際を片づけ、薄汚い浪人に狙われる兄妹を助けるのが欣次の仕事だ。かたりとはまり込むように心の奥底で理解をした。

「ふむ、徳一もまんざら見る目がないわけではないな。欣次、わいつ、海で育っておったらはばしい鯨獲りになれたぞ」

 ものごとを例えるときに常に鯨関連のことしか言わない伊佐馬らしい賞賛だった。
 大親分に恥じぬ親分になれ、と言われたような気がした。
 顔つきまで根本から変わってしまうようだった。

「行きましょうや、旦那」

 二人は浪人たちの尾行を始めた。
 

         ◇◆◇


 しばらく歩くと、欣次はともかく伊佐馬が非常に尾行に不向きなことが確認された。
 すでに陽が落ちて、しかも新月の晩であるから月灯りによる手助けもないが、それでも体格の良すぎる伊佐馬は存在感が強過ぎて、いつ尾行を気取られるかわかったものではなかった。
 しかも、伊佐馬自身、潜んで歩くということの基本ができない。
 一言でいうと、隠密向きではないのである。
 本人もあまり隠れようという意識がないこともあり、欣次が隣で色々と指示を出しても、目立ちすぎて仕方がなかった。
 両国橋だけはなんとかぎりぎり気が付かれずに渡れたが、このままでは確実に荻野たちに見破られる。
 欣次は決断した。

「―――旦那、もうちぃとばかり下がってもらっていいですかい」
「どういうことだ」
「あっしが荻野たちをつけて、そのあっしの背中を旦那がつけるという形でいきましょうや」

 つまり、伊佐馬の視界から浪人たちは外れるということだ。
 現代でいう二重尾行である。
 ただでさえ、暗い夜道のなかをそれだけ離れたら見失う可能性は天井知らずなのに、伊佐馬に単独で尾行をさせるという無茶な話だった。
 ただし、そうでもしないと伊佐馬を伴った下手な尾行はそろそろ確実に対象に悟られることになるだろう。
 一か八かの賭けかもしれないが、うまくやるにはそれしかない。

「わいつ、なにか起きたらすぐにわしを呼べよ」
「へい」

 簡単に打ち合わせをして、欣次が先行する。
 六人の浪人は提灯をもっているため移動を確認しやすいが、欣次は何も持ってない。
 おかげで伊佐馬の野生児ゆえの視力の良さをもってしても中々に厳しい追跡となってしまう。

「……大丈夫でやすかね、旦那は」

 きちんと追ってきてくれているかが心配であったが、一度始めてしまった以上、改めて方針の変更はできない。
 橋を渡り、元町と尾上町の間を抜け、坂を上ると、人気のない一画に出た。
 長屋などはなく、ほとんど人の住んでいない家屋がぽつねんとあるだけだ。
 その中の一つにどうやら浪人たちは向かっている。
 欣次の勘が叫んだ。

「あ、あの家だ!! 旦那に報せねえと……」

 浪人たちが軽く立ち止まって距離が縮まったせいで、その格好がはっきりと識別できた。
 着流しではなく袴をつけた格好だけでなく、袴の股立ちをとり、襷をかけ、鉢巻きを締めている。
 ものものしい身支度がすでになされていた。
 ここに来る道中ですでに準備を終えていたのだ。
 そして、目標の家にまで迷うこともなく達したということは、浪人たちは襲撃するための下調べが十分に出来ていたということに他ならない。
 
(昨日のうちにもう下見をしていやがったんだ!!)

 欣次の予想では、目標の家を探してまわる時間があると思っていた。
 江戸の町は基本的に似通った景色が多く、初めて行った場所では目印がなくて迷うことがよくある。
 だから、荻野たちもそうなるだろうと勝手に高を括っていた。

 またもしくじった!!

 浪人たちは刀の柄に手をかけ、いつでも抜けるように鯉口を切る。
 そのまま音をたてないように一軒の小屋へと向かう。
 わずかだが灯りがついている。
 小屋の住人は行燈の油を買う金はあるぐらいの暮らしができているようだ。
 そして、それは襲撃者にとって都合がいい。
 
(旦那を待っている時間はねえ!!)

 十手一つしかないしがねえ岡っ引きだ。
 だが、命の一つも賭けりゃあ、腹も据わる。襲われる奴は救えなくとも、そいつの妹ぐれえは身体を張れば助けられるだろう。
 時間さえ稼げば、くじらの旦那がきてくれる。

 行くぞ、行くぞ、行くぞ。

 見ていてくだせえ、徳一の大親分。

 バシン

 戸が蹴り倒され、浪人たちが小屋内に躍り込んだ。
 刀を抜いているのは二人。
 あとは素手だ。
 まず考えなしに斬り捨てるという無鉄砲なことはできなかったらしい。
 甚七の盗み聞きした当初の計画では、六人がかりで一人をこらしめるというものであったのだから、真っ先に刀で斬り殺してしまうことはしなかったのだろう。
 なんとか全員が入れるほどの広さはありそうだが、争うとなるとかなり狭くなるだろう。
 戸口の外に一人だけつったっている。
 そいつ目掛けて、欣次は無言で駆け寄った。
 後ろから蹴りをいれてやるつもりだった。

 だが、そいつは欣次が近寄る前にさらに外に目掛けて吹き飛ぶ。
 室内から浪人が一人投げ飛ばされてそのあおりを喰らったせいだった。
 そして、反対側にあった勝手口らしい戸から二人の人間が飛び出てきた。
 男女の二人組だった。


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