しんべえ -京洛異妖変-

陸 理明

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第一話 犬の頭と語る少年

親兵衛と宗矩

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 柳生宗矩はなりゆきがよくわからなかった。
 父親を狙う根来の忍び僧に襲われていることまではわかる。
 だが、突然、その根来僧のうちの一人が昏倒し、それをおこなったのがどう見ても彼よりも年少の少年であるということ、そして、その少年がかつて見たこともないほどに美しい貌をしているということの二点だけはどうしても呑み込めない。
 いったい、なにが起きたのだ。
 無形の位にとった刀の柄の感触だけが生々しい。
 
「貴様―――いったい、なにものだ!」

 むしろ、さらに激しく困惑していたのは残った根来僧の二人である。
 彼らは自分たちの忍びの術に絶対的な自信を有していた。
 得意とする幻妖たる道具を用いた秘術以外にも、先ほどの宗矩の全力の逃走をなんなく追跡できたようにただの遁甲の術においても鍛え抜かれた忍びなのだ。
 不意を突かれたとはいえ、ただの一撃で倒されるなどということはありえるはずがない。
 しかも、相手はどう見ても子供だ。
 柳生宗厳に斬られるならばともかく無手の子供にやられることなどあってはならない。
 困惑のあまり、叫ぶ声にも芸がない。

「だから、わんは親兵衛だと言っているだろう」

 この少年のいう、「わん」というのがどうも自分を指す言葉らしかった。
 宗矩の聞いたことのない方言のようである。
 最初、犬の鳴き声だと思ったのはどうもこの少年の声だったようである。
 宗矩は一つ決断した。

「親兵衛というのか」
「そうだ、うぬは覚えがいいみたいだな」
「おれに手を貸してくれ。こいつらを叩きのめしたら、おまえを京の都に案内するし、当座の宿も用意しよう。どうだ」

 すると、美貌の少年―――親兵衛はにこりと破顔した。

「のった!」

 そのまま、一番近くにいた何処まで伸びるかわからない〈如意槍〉を使う根来僧にむけて、獣のような殺気を放った。
 根来僧は思わず〈如意槍〉をふるってしまう。
 この忍び僧の武器は、初めて見たもの相手ならばまず躱しきれないという必殺の一撃であったが、親兵衛はこれを目にしていたのだろう。
 軌道を見切って、一気に間合いを詰める。
 よく鍛えぬかれた忍びならば、敵が辿りつくまでのわずかな時間に迎撃の準備を整えられる。
 この根来僧もまた熟練した達者であった。
 だが、瞬きを一つしていただけで、親兵衛の美貌からこぼれる息が眉間にぶつかるぐらいの間近にきた。
 常人離れした身体能力を誇る忍びでさえ予想もできない跳躍力をもって、懐に飛び込まんできたのだと気が付くことはできなかった。
 反射的に手をふるって払いのけようとしたが、空を切った。
 それどころか、ふるった手首を掴まれた。
 掴んだのは勿論親兵衛である。
 親兵衛は、しゃがんだ姿勢から背筋を伸ばした。
 ただ、それだけの動作をしただけで、根来僧は掴まれた手首を支点にくるりと一回転する。
 投げられた、のだとすらわからない電光石火の出来事である。
 丈の長い草が生い茂った野原ということもあり、背中から叩きつけられても呼吸が止まるだけですんだ。
 ただし、簡単に投げられて無様に横になった根来僧がそのまますまされるはずもない。
 握っていた〈如意槍〉をもぎとられた。

「貴様、なにを!!」
「面白いおもちゃだな。くれ」
 
 大事な武器をとりかえそうと上体を起こそうとするが、掴まれたままの手首のせいでそんな簡単なこともままならない。

「西の忍びとはこの程度なの? 風魔の方がまだ張り合いがあった」

 そうつまらなそうにつぶやくと、親兵衛は捕まえた腕をくるりと横に跨いで、ずいっと膝を落とした。
 何気ない動作であったのに、根来僧の肘と肩の二つの関節が反対側にねじ曲がり、ボキボキと耳障りな音をたてて砕け散った。
 今でいう関節技である。
 根来僧にとっては何が何やらわからないうちに、左腕を完全に破壊され、あまりの激痛に悶絶した挙句気絶させられることになった
 まさにあっという間の出来事であり、もう一人の根来僧ですら救助に向かうこともできない早業である。
 とはいっても反応できたとしても救助が成功できていたとは言いがたい。
 なぜなら、多量の鎖を手にさげて岩場に陣取っていた根来僧は、柳生宗矩による下から土を舐めるような斬撃が送られていたからである。
 宗矩の年齢には見合わない苛烈な一撃を、高さの利と距離があったことで辛くも避けることができたが、咄嗟に反撃するまではかなわなかった。
 そもそも躱すことができただけで僥倖といっていいかもしれない。
 この青年は、まだ若いとはいえ、当代の剣聖・上泉伊勢守から一国一人の印可状を相伝された柳生宗厳の五男なのである。
 それでも声なき一喝とともに送られた一振りは墨塗りの僧衣を切り裂いていた。

「……うむ!」

 根来僧は手にした鎖―――〈無限網〉をかざした。
 これは根来の忍び僧が目標を捕まえるための道具で、要するに金属製の投網である。ただし、〈如意槍〉同様に忍術による工夫が加えられており、敵に投げつければ吸い付くように飛んでいき、蜘蛛の巣のように張り付くというものである。
 ゆえに、投げてしまいさえすれば宗矩を容易に捕獲できたはずなのである。
 だが、ここまで剣士に間合いを詰められてしまうと……
 根来僧たちは、それぞれ遠目から獲物―――宗矩を捕まえるための道具しか用意してこなかったことが仇になった。
 まさかの助っ人の登場で計画が狂ってしまったのだ。
 なんとか忍びしての本能でこの場を乗り切ろうとするが―――それを許す宗矩ではない。

「でりゃあ!!」

 自分目掛けて、口に含んだ墨を吹くように飛んでくる〈無限網〉を逆袈裟に斬り上げて両断し、返す刀で宗矩は縦に刀身を振り降ろした。
 手応えはあった。
 根来僧のやや肥えた腹が充分に斬られた。
 内臓にこそいたっていなかったが、傷口から腹圧によって吹き出してしまう致命傷であった。
 血とともにまろびでようとする腸を両手で抑える。
 だが、そうなるとあとは無抵抗に等しい。
 宗矩によって喉を刺され、あえなく絶命した。


◇◆◇


「――さっきの連中はなんなんだい?」

 京の都へと続く街道を並んで歩いていた親兵衛が尋ねてきた。
 宗矩からしてみれば、ようやく、というぐらいに時間が経ってからである。
 三人の根来の忍び僧を撃退し、なんとか街道までたどり着き、結果としては幾分近道ができたことになった。
 とはいえ、今日中に都までたどり着きそうにはない。
 忍び仕込みの健脚の持ち主である宗矩だけならば不可能ではないが、旅の道連れとなった相手が嫌がるのだ。
 宗矩についてこられないわけではない。
 ついさっき出会ったばかりだが、実のところ、単純な体術だけならば自分を上回っているだろうということは見抜いていた。
 おそらく有無を言わさず走り出せば余裕でついてくるだろう。
 だが、この道連れは急いで旅を終わらせるよりも、のんびりと景色を眺めながら、虫や鳥を追いつつ、いつかは目的地にたどり着ければいい程度の速さでしか進んでくれないのだ。
 宗矩がいなければ、またも道端でごろんと横になって昼寝を始めだしそうな少年だった。
 わざわざ宗矩が歩調を合わせなければ十中八九そうなっていたかもしれない。
 命を助けられた恩人を放っておいて、さっさと行ってしまうなどという不義理ができないのは、宗矩が少身ながらも大名家の子息だからだ。
 柳生家は大和国柳生谷の豪族の一族で、平安の昔から続く名家である。
 領国が小さいゆえに、時代時代の権力者との関係でさまざまな辛酸を舐めてきた家柄だが、しぶとくも消えずに同じ領地を守ってきた骨の堅い一族である。
 特に、当代の領主柳生宗厳は、筒井氏によって国を滅ぼされながら、のちに新興の松永弾正について回復するというしたたかな城主であった。
 それだけでなく、剣聖上泉伊勢守に新陰流の印可を授かった名の知れた剣豪でもある。
 その武名は近畿一円に広がっていた。
 宗矩はその五男。
 幼き頃から父の薫陶を受けて剣士として修業していたおかげで、剣術については故郷の柳生の庄でも一、二の腕前と目されている。

(……新次郎兄上が怪我をしたとしても、まあ、印可は順当に兄上のものになるだろう。ならば、宗章兄者のようにおれも早く庄を出て、どこかで仕官の道を探る方が出世もしやすいはずだ)

 宗矩が故郷にこもっていられず、立身出世の道を求めて京へと旅立ったのは、そもそも父親から新陰流の道統を継げぬことがわかっていたからだ。
 直情径行型の一つ上の兄宗章とはまた別の意味で、彼は後継者の候補にさえ選ばれることがなかった。
 なぜなら、宗矩は母に似て線が細く、がっしりとした父とは明らかに体つきが異なっていたからだ。
 宗厳の剣を継ぐためには、やはり比較的似た体格のものが好ましい。
 今のところ、兄弟の中でもっとも父に近いのは長男の新次郎利勝だった。
 すると、あとの子供たちはさほど重要視されなくなる。
 彼よりも父寄りの四男五郎衛門宗章でさえお眼鏡にかなわなかったのだから、宗矩に機会があるはずもない。
 だから、宗矩は十六になったときに故郷を飛び出した。
 目指すは京。
 織田信長の後継者となった元足軽の支配する都であった。
 宗矩はそこで仕官先を見つけ、剣の力で出世をしようという野心に燃えていた。
 その途中、故郷を出て半日も経たぬうちに厄介ごとに巻き込まれ、出鼻をくじかれた形になってしまったのではあるが……

「紀州根来寺の忍び僧だ。なんでも、父上に恨みがあったようだが、おれの預かり知らんことだ」
「それは駄目だ」
「なんだと?」
「相手が打ち返しにきたというのなら、どんな恨みがあるのか充分に聞き取ったうえで、悔いが残らないようにやりあわないと後々まで祟ることになる。わんはそういうのは逆に面倒くさい」

 ほとんど元服も済ませていなさそうな年齢のくせに生意気なことをいう小僧だ、とこれまた小僧の部類に含まれる宗矩は思った。
 とはいえ、三対一の窮地を救ってもらった恩はあるし、見た目とは裏腹にとんでもない体術の持ち主であることはよくわかっている。

「わんの親戚にも忍びの達者はいるが、そいつは性根以外が腐っているといっていいほどしつこくてうっとおしい女々しい奴だったぞ。忍びというものは、それほど執念深く面倒な輩らしい。で、きゃつらも忍びだというのならば、里の親父殿だけでなくて、今度はうぬも狙われることになるな」

 あっけらかんとした口調で恐ろしいことを言う。
 十三、四ほどの子供が。
 しかも、女童のような美しい貌をして。
 宗矩がじっと自分の顔を見ているので、親兵衛は不思議そうに言った。

「どうした? わんの顔に何かついているのかよ」
「―――ついてはおらん。しいていうのならば、おなごのような貌じゃなと思うただけだ」

 これは宗矩にとって精いっぱいの嫌味であったのだが、当の親兵衛は女子呼ばわりされたのに口を大きく開いて笑い出した。
この時代、男女の身分的な差は現代とは比べられないぐらいに広く、女のようなもの、と例えられたらすぐさま斬り合いに発展してもおかしくない侮蔑表現である。
 口にした瞬間、しまったと宗矩がこぶしを握りこむぐらいに。
 だが、美少年は逆に笑い出した。
 まったく考えられない反応であった。

「なぜ、笑う?」
 
 宗矩が問うと、

「いや、わんが夢に見られるほど麗しい美少年であるのはわかっているからなあ。うぬはもっとこう、華々しく、そう、おなごよりもおなごらしいと言わんといかんぞ」

 と、親兵衛は、ふざけているのか本気なのかわからない口調で、呵々大笑するのであった。


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