猿の血

陸 理明

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 豊臣秀保が、自らに異常を感じたのは、肥前国にあった名護屋城であった。
 名護屋城は太閤秀吉が文禄の役を始める前に築かせた城で、文禄二年(一五九三年)九月二五日まで、藤堂高虎とともに滞在した。
 初めは、長らく続く朝鮮出兵のために九州まで出向いたことによる環境の変化によるものかと軽く考えていた。まだ、十四歳の少年であったため、肥後の国の独特の風土に馴染めなかったのだろうと高虎からも言われた。
 ただ、秀保の異常というのは、時折人間のものとは思えない甲高い悲鳴をあげたくなり、あまつさえ何度か実践してしまったことや、寝起きに同い年の小姓を両手でつかんで押し倒し、そっ首を締め上げたりという、予想もつかないものだったのである。
 彼自身の意思に基づくものではなく、発作めいた突然の行動であったが、これが何度も続くため秀保本人が深く落ち込んでしまった。
 そのため、藤堂高虎を名代として、秀保配下の諸将、桑山元晴、杉若氏宗、堀内氏善らが朝鮮半島南岸に出陣すると、いったん大阪にまで引き返すことにした。
 秀吉は彼を朝鮮もしくは明の支配者として送り込む予定であったため、この時点で無理はさせられないと、病気療養のための帰還を許可した。
 いったん領地である大和国に戻り、そこで療養をすることになる。
 肉体の成長によって症状も改善されるであろうと秀吉は考えていたものと思われる。
 実際、翌年二月には、吉野の花見で秀吉、秀次、菊亭晴季らと五首ほど和歌を詠んでおり、回復はしていたのである。
 ただ、それ以降、秀保の状況がよくなることはなかった。
 すでに病気というものではないと思われた。
 なんとも普段から意味もなく気が昂り、わけのわからない衝動に支配されて、してはならないことをするようになっていっただけなのである。

「おんなと見れば抱いてみたくなる」

 秀保は叔父にあたる秀長の娘おみやを正室としていたが、彼女との間にまだ性交渉はなかった。とはいえ、女を知らない子供でもなく、療養のための館に次々と女を招き寄せた。
 たかだか十五歳の子供とは思えぬ絶倫さでもって女をものにしていった。
 そうせねばならなかったのだ。

「わしはふんどしが男根の先にあたるだけで精を放つほどにいつももてあましておった」

 女でも抱いていなければ、涸れ果ててしんでしまうかもしれないと思うほどであった。
 ただ、しばらくすると女がいなくても良くなった。
 別の衝動が秀保を包み始めたからである。
 それは染みのように広がる暴力への渇望であった。
 名護屋で小姓の首を絞めたように、秀保は周囲のものたちへの湧き上がる加虐心が抑えられなくなっていったのである。
 気晴らしに散歩をしてみれば、通りすがりの罪のない百姓を殴りつけてみたり、吉野川上流の上西川の滝の辺りを散策している時、数十丈はある断崖から、小姓に飛び降りろと命じたりした。その小姓が躊躇すると、いきなり腰のあたりを蹴りつけて深流に放り込ませ、そのまま溺死させるという真似もした。
 そんなことをした理由は分からない。
 ただ、こらえ切れない衝動のままに動いたとしか言いようがなかったのだ。
 猿沢池や法隆寺の池など殺生禁止の場所で網を投げて漁をさせるなどという禁忌をあえて冒して、冒涜の限りを尽くすということもしたが、中でも特に悪逆として語られているのは妊婦の腹を裂いたことである。
 吉野の花見をした直後、とある池の端を歩いていたとき、自分が慰み者にしていた女の一人の腹が大きくなっているのに気づいた。秀保は、その臨月の妊婦を引き立てるように命じ、「おぬしの腹の中にいるのはわしの子か」と尋ねる。
 女は自分が中納言のおつきであることを十分に理解していて、戯れであっても別の男に抱かれることはしなかったため、秀保の子であると答えた。
 それを聞いた秀保は、「腹を割いて胎児を見せよ」と命じたのである。
 妊婦は驚いた。
 彼女の意識では、秀保の子でしかありえない胎児を生きたまま腹から出せば当然死んでしまうからだ。
 まだ子供のいない秀保にとっては嫡男になるかもしれないのに、なんと恐ろしいことをいうのだと、必死になり、自分は尼となるのでこの子だけはと助命嘆願をしたが、秀保は決して許さなかった。女の腹は割かれ、取り出された胎児を検死したのち、秀保は目の前の池に投げ捨てたという。これが後の尼ケ池の由来である。
 それらがすべて、秀保が自分の領地で犯した悪行である。
 この悪行がのちに主体を変え、秀次の逸話へと切り替えられていくのはまさに豊臣家にこめられた呪いのようであった。

「だがな、半介。わしは自分がだんだんとおかしくなっていくのを、まるで空の上から見下ろす禽のようにわかっていたのだ。―――見よ」

 秀保は自分の顔を指した。
 眼窩がへこみ、ぎょろりとした眼球がとびだしたような顔つき。どのような病に侵されればこのような凄惨な見た目に変貌するというのか。不吉な呪いの塊のようであった。
 ただ、吉隆は不思議とこの秀保に懐かしさを覚えてしまった。

「この餓鬼のような有様を。今年を迎えてから、ますます酷くなっていく。やつれ、衰え、まるで飢え死にしそうな百姓どものようじゃ。とはいってもものを食うておらぬ訳ではないないぞ。太閤殿下が見舞いにと送ってくださった朝鮮の虎の肉をはじめとして、食うことだけは忘れておらぬ。ただ、肉にならぬだけよ」

 それから、秀保は布団から小姓の手を借りて右腕を出した。
 枯れ枝のように筋肉が失われ、骨と皮だけになった手である。
 まともに拳を握り込むことすらできそうにない。
 しかも、皮膚には黒々とした毛が生え繁っていた。
 細い手には似合わない量で、まるで獣の毛皮のようですらある。
 
「代わりに、これよ。わかるか、半介。名護屋に参ったときから、徐々に生えてきおった。剃っても剃っても生えてくる。ここだけではない。脚にも、背にも、胸にも、これまで生えたことのない毛がすぐに生え揃うのだ。朝のたびにこやつらに刃をもって剃らせて執務に入るのは厄介じゃったぞ。高虎のような小狡い男に悟られぬように振る舞うのは胃が痛むことじゃった。もっとも、顔だけには生えてこなかったのは僥倖であったがな」

 あまり人目にさらしたくないのか、そそくさと布団にしまい込む。

「まさか、その毛が名護屋から戻られたお病なのでありますか」
「……わしがおかしくなっていったのは、この毛がわが身を覆い始めたことがはじまりだ。たんに大人のからだになっていくのだろうと思うておったら、このようになるとは、はは、まるで獣のようじゃ。自分の腕を見るたびに叫び声をあげてしまう始末よ。そのうえ、この手を見た小姓の首を絞めて、拳で叩きたくなる衝動に常に駆られておった。今、どいつにも手を挙げていないのは、まともに起き上がることも叶わなくなったからよ。動けなければ、家臣を打擲することもできぬ。情けないことだ」
「それは―――仕方のないことでございましょう。心に何か黒いものがわだかまっているとそのような粗野な真似をしてしまうもの。お病が治りさえすれば、もとの溌溂とした中納言様にお戻りになられましょうや」

 心を込めた慰めも、秀保には届かなかった。
 むしろ、憎しみさえも籠っているかのような目つきで睨まれた。

「……わしはもう元には戻らぬ。いや、元に戻るだけなのかもしれぬがな」

 と、謎かけのようなことを口にした。
 秀保も吉隆には意味が通じぬとわかっている。かさかさの唇を歪め、口角を釣り上げた。

「……半介、おぬし、母上にいわれたから見舞いに来ただけではあるまい」
「いえ、そのような」
「隠すな! わしには見えておる! おぬしは、わしが称名寺から借り受けたものを追ってここに来たのだろう! どうじゃ、半介!」

 その言葉はまさに的を射ていた。
 彼の本来の目的はそれにあったのだ。
 狼狽する吉隆に対して、秀保は笑いの形に口を動かした。嘲笑であった。誰にでもわかる軽侮が込められている。
 例えるのならば、無知なるものをせせら笑う悪鬼のものに似ていたかもしれない。

「いいだろう、おぬしには見る権利がある。おい、半介を案内してやれ。あれのところに」

 小姓の顔に脅えが走ったのを吉隆は見逃さない。
 秀保のいうあれとは、小姓とはいえ、武士が怯えるようなものなのだ。

「そういえば、おぬしはわしの縁でもあったのぅ」

「……瑞龍院様からの流れでございますが」

 けひ、と呼吸なのか笑いなのかわからぬ音が秀保の喉からした。

「母上の一族か……それはそれはよかったのぅ」

 狂気に満ちた瞳から逃げるように、吉隆は小姓のあとについていった。
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