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一刻も早くこの家から出たかったが、このご時世に無計画で飛び出して生きていける保証などない。市民のほとんどが今日の飯さえもありつけるかどうかと言う現状で外に出れば誰かが助けてくれるなんて希望を持つのは脳が停止している奴がやる事だ。

地下倉庫は湿気でカビ臭く日の光は一切当たらない。この家に来てから3年、日々のほとんどをこの地下で過ごしている。唯一良いことと言えば夏でも苦しむほど暑くはならない事だろう。逆にいえば冬は地獄だ。暖炉もなくコートもない。それでも3度目の冬もこうしてまだ生きている。

「遅い!!お前は何年やれば普通の人間になれる?!」

パシン!と乾いた音がして椅子から転げ落ちようやく自分が叩かれたのだと気がつく。あれほど冷たかった頬が次第にヒリヒリと熱を持った。

俺を叩いた女は罵声を幾度とあげ息を荒げると最後には大きく息を吐き出して消えていった。細い身体で何故あんなに力が出るのか分からない。自分がしている仕事は遅いかどうかなんて正直他を知らないから分からない。でも3年もしていれば自分の速度が上がったことはよくわかるし、目標としている枚数ももうすぐ終わるのだから今日だって問題はないはずだ。

「あのヒステリック女……また浮気でもされたのか?」

倒れた椅子を戻しながらようやく立ち上がる。
今の女には旦那がいる。その旦那は女の前では良い顔をするが重度の浮気癖がある。
俺がこの地下から一階に行く事はまれにあるのだがどれも全て旦那が他所で引っ掛けてきた女を腕に絡ませて俺に朝まで地下から出て行けと命令した時だ。

その時だけは上の階で暖炉をつけて寝れるのだ。俺にとっては良いことだらけだ。下から女の喉から漏れ出た甘い鳴き声さえ無ければ。

そして決まって普段上で生活していたヒステリック女はその日は必ず留守にしているのだ。

鬼の居ぬ間に、なのかは知らないがとにかく旦那はそう言う人間だった。そしてそれを女は知っている、だから適度に家を空けるのだろう。

なぜあんなクソ男のためにそんな事をするのかは憶測だが、自分に対しての良い態度が嫌いになれないのだろう。恋は盲目というが愛は見て見ぬふりで出来ているのかもしれない。俺ならあんな男素っ裸で外に捨てる。


「絶対……この家を出てやる」


ごわついた布は保温効果などないが何もかけないよりは100倍いい。寒さで体が震えても心の灯火が消えることはなかった。

まだだ、チャンスは必ず来る。神なんて信じてないが、俺がそう信じる限り未来はそう動くのだと。




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