失恋令嬢エメリーヌの甘くない恋の後

栗皮ゆくり

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失恋令嬢エメリーヌの甘くない恋の後

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  やっと長年の初恋が実を結び、浮かれるように絡めた手が振り解かれる。

 「ごめん、エメリーヌ。やっぱり無理みたい」

 マルセルからいつもの明るい笑顔が消え、申し訳なさそうな表情で薄情な言葉を吐いた。

 「急にどうしたの?」

 私の背中にゾワッとした気持ち悪さが背筋を這い、全身の力が抜けるような感覚に包まれる。

 これは女の勘――こういう時はだいたい悪い事が起こる前触れなのだ。

 案の定、マルセルが答えを躊躇っている。

 「ねぇ、揶揄うのはやめて、マルセル。そんな顔をされると嫌な予感がしてしまうの」

 「ぼ、僕たち……長い間、友達だったよね?」

 「そうよ。私たちは長い間、友達だった。でも、昨日あなたが私に告白して関係は変わったばっかりじゃない」

 そう、私たちは幼馴染で、ずっと一番近い異性の友人だった。

 伯爵家の令息マルセルは、甘いマスクに穏やかな性格。

 おまけに、ウィットに跳んだ会話もお手のものだから令嬢たちが放っておくはずもない。

 私はいつもマルセルの隣で恋心を隠しつつ、何でもない顔を装い令嬢たちの警戒心をかわしていた。

 「やっぱり、エメリーヌのこと異性として見られないんだ。本当にごめん……」

 「なんですって! それなら……」

 『どうして告白したの?』と罵倒したい気持ちを抑え、怒りに震える背中を翻して無言で立ち去った。

 ◇

 「お嬢様、お帰りなさいませ」

 「エマ、今日の食事はいらないわ。お父様とお母様には、少し疲れているとだけ伝えてちょうだい」

 昨日とは打って変わって元気のない私に、侍女のエマは怪訝な顔をしていたが、ハッと何かに気づいたように部屋を出て行った。

 部屋で一人きりになって、初めて大粒の涙が次から次へと溢れ出る。

 「私の何がいけなかったの? ううん、そもそも私は悪くないわ……グスッグスッ、だいたい告白してきたのはマルセルじゃない! ウウッ、ウッ、ヒクッ、たった一日で心変わりするなら告白しなきゃ良かったのよ……」

 悔しくて、悲しくて、それでもマルセルのことが諦められない自分に腹が立った。

 だからこそ、静寂を引き裂くような泣き声をあげるものか――そう私を奮い立たせ、自分の耳にさえも届かないよう枕に顔をうずめ、声を殺して一晩中泣き続けた。
 
 翌朝、なんとか腫れた目を冷やし、両親の待つ食堂へ向かう。

 「おはよう、エメ……リーヌ」

 お父様は私の泣きはらして腫れた目を見て、明らかに動揺している。

 「おはよう、エメリーヌ。今日の無花果とクリームチーズのタルトは絶品よ。ねぇ、あなた」

 お母様は私を気遣ってか、そう言いながら涼しい顔をしてテーブルの下のお父様の足を蹴ったようだ。

 お父様のバツの悪そうな表情でなんとなく気づいた。

 「ところでエメリーヌ、あなたマルセルとお付き合いしているの?」

 唐突な質問に、思わず口に運んだ紅茶を吹き出しそうになる。

 (そのことは誰にも話していないのに。まさか! エマ?)

 マルセルに告白された日、帰りが少し遅くなったのを心配したエマが屋敷の外まで探しに来た。

 その時に運悪くその場を見られてしまったのだ。

 賢いエマは目を伏せて屋敷へ引き返し、その後も詮索するようなマネはしなかった。

 私がエマをチラッと見ると、エマは小さく首を振る。

 (そうよね……という事は、勘の良いお母様が私を試しているのね)

 「お母様、どこでそんな話を? マルセルとは幼馴染なのよ、そんな事にはならないわ」

 お父様は、お母様と私のやり取りを固唾をのんで見守っている。

 「そう。じゃあ、あなた構わないわね? エメリーヌに来た縁談をお受けしても?」

 「私に縁談!?」

 「そんなに驚かなくても……エメリーヌももう19歳なのだから、縁談の一つや二つ来ないとおかしいでしょう」

 「でも、今まで一度も縁談なんて無かったじゃない!」

 「エメリーヌ、そんなにムキにならなくても……嫌ならお父様が断ってやってもいいんだぞ」

 甘い言葉で私を庇うお父様を、お母様がテーブルの下でまた足を蹴っている。(……と思われる)

 「あなた……そんなことでは、このヴァロワ伯爵家は途絶えてしまいますわ。それにエメリーヌには早く愛される喜びを知って欲しいと思っているのよ」

 「そんなの貴族の結婚なんて政略結婚じゃない。愛されるだなんて……外に愛人を作られてお終いよ」

 「エメリーヌ、そんな事はないぞ。お母様とは政略結婚だが、心から愛しているよ」

 「そうかもしれないけど……」

 ふっと、頭にマルセルの顔が浮かぶ。

 「まぁ、まずは会ってみたらいいじゃない。今まではエメリーヌがマルセルのことを慕っていると思って、お父様が縁談をお断りしていただけよ。でも、違うんでしょう? エメリーヌ」

 『違う』と口にするだけのことなのに、心がそれを拒否している。

 「エメリーヌ、本当はマルセルのこと……もしそれならお父様からオブリー家に縁談を申し込んでもいいんだぞ?」

 お父様が心配そうに私の様子を窺っている。

 もうフラれただなんて、言えるわけない。

 また泣き出しそうになるのを堪え小さく首を振る。

 お父様がお母様と顔を見合わせ、何かを確認するようにエマの方へ視線を送った後、溜息混じりに口を開いた。

「縁談がいくつか来ている。お母様と候補の令息を何名か選んでおいたから、後で部屋でゆっくり見るといい」

 ◇

 部屋に戻ると、お父様が話していた縁談の釣書がいくつかテーブルに置いてあった。

 ソファに腰掛けパラパラといくつかの釣書を確認する。

 縁談――こうやって紙切れ一枚で有象無象の他の候補者と比較され、本当の私を知らないのに選ばれることに拒否感があった。

 だから、ずっと恋愛結婚に憧れていた。

 できれば、マルセルと恋愛して結婚したかった。

 だけど、もう叶わない……。

 ◇

 今日は縁談の日。

 昼餐を共にするために、お父様とお母様とお相手のカスティーユ侯爵家を訪れた。

 カスティーユ家の三男リュカ様が私の縁談相手。

 食事の後、二人きりで話すように別室へ案内された。

「どうぞ、気楽にして下さい。自己紹介は済みましたが……改めてリュカ・カスティーユです」

「あっ、エメリーヌ・ヴァロワです」

 何を話していいのやら沈黙が続く。

 しばらくして、リュカ様が上着を脱ぎタイを緩めたかと思うと大きな伸びをした。

「あー、やめやめ、やはり俺はこういう場は性に合わないな」

 昼餐の時と同じ人物とは思えない粗野な物言いに、私は目をパチクリして驚いた。

「ん? 結婚相手に兄上たちのような人を望んでいるなら、悪いが破談にした方が良いぞ。俺は兄上たちみたいに出来た息子じゃないからな」

 リュカ様の綺麗なプラチナブロンドに長い睫毛、吸い込まれそうな青い瞳をじっと見つめた。

「ああ、もう、俺の顔に騙されるなよ。何度も言うが、俺は兄上たちのように上品でも親切でもないぞ」

 確かに聞いたことがある――美形揃いのカスティーユ家は三人の令息がおり、社交界でも憧れている令嬢は多いと。

 マルセル以外の令息に興味は無かったし、人見知りの私はあまり積極的に社交活動をしていなかった。

 だから、カスティーユ家の令息たちの情報はそれくらいしか持ち合わせていない。

「あの、では、どうして今回の縁談をお受け下さったのですか?」

「長兄は結婚して数年経つ。次兄も結婚が決まっている……となれば、両親が躍起になるのも無理はないだろ? 半ば強制的と言ったところだ」

 悪びれず正直に答えるところが、逆に新鮮に映った。

 リュカ様は、私を見下したり誤魔化しているわけではない――そう感じた、からだろうか。

「分かりましたわ。率直に言って、今日の縁談は『気乗りしない』ということですね」

 私が怒るでも悲しむでもなく、ただ淡々と物分かりの良い答えをしたことに、リュカ様は少し面食らっているようだった。

「分かってもらえたなら、いいんだ。俺は騎士の仕事が好きだし、無理をしてどこかの家に収まろうとも思わない。ただ好きに生きたいだけだ」

「爵位はよろしいんですの?」

「爵位? 今は皇室騎士団で平騎士だが、努力次第で男爵くらいにはなれるだろう。もちろん、もっと上を目指しているけどね」

 窓の外には、青い空へ枝葉をのびやかに広げる大きな木が見える。

 「綺麗な空……」

 「ゴホンッ、少し差し出がましいが、エメリーヌ嬢は何か気詰まりなことでもあるのかい?」

 「えっ?」

 「いやー、心のどこかに窮屈さを抱えている時、人は空を見上げることが多い……。まぁ、俺もそういう時があったというだけで、違ったなら、すまない」

 (そんなこと言われても、今の自分の気持ちさえも言葉にできないのに。でも――)

 「リュカ様の言う通りかもしれませんわ。私、ずっと好きだった男性に振られたばかりですの」

 少しの間、静かになったかと思えば、リュカ様が突然お腹を抱えて大笑いし始めた。

 「アハハハ! 面白い人だ! 縁談でそんなことを聞かされるとは思わなかったよ。こんなに魅力的なのにどうして振られたんだい?」

 初対面の人にこんなに失恋を笑われた挙句、なぜ振られたのか? などと不躾な質問をされたら普通は腹が立つはず。

 でも、不思議と怒る気にはならなかった。

 「幼馴染を異性として見ることができないらしいですわ」

 「幼馴染? エメリーヌ嬢から、その……幼馴染に告白したとか?」

 「いいえ、マル……彼から告白してきました。でも、その次の日には振られましたわ」

 「えっ? その彼は何がしたかったんだ? ちょっと理解できないな。それでエメリーヌ嬢は、傷心のやけっぱちで俺との縁談を受けたとか?」

 「それもあるかもしれませんが、リュカ様と同じですわ。私は一人娘ですから、いずれは家門を継いでくれる方と結婚しなければいけませんし、ちょうど今が良いタイミングかと割り切りましたの」

 こんなに明け透けに過去の恋愛話を披露すれば、きっと断られるだろうことは分かっていたが、自分の心を隠すことに疲れていた。

 その後は、他愛ない世間話をしてそれなりに楽しい時間を過ごした。

 ◇

 「てっきり断られるものとばかり……」

 「何を言っているの、エメリーヌ。先方のリュカ様はとてもエメリーヌのことを気に入って下さったそうよ。とってもハンサムだし、皇室騎士団のエースで家門も申し分ないなんて、こんな良縁なかなかないわよ」

 「良かったな、エメリーヌ」

 私が失恋の話をしたことで、もうこの縁談は流れただろうと思っていたのに。

 改めて、カスティーユ家から婚約の申し込みが来たことは意外だった。

 心から喜んでくれている両親を前にして、結局、私は婚約をお受けすることにした。

 それに言葉は悪いが、明らかにリュカ様はマルセルより――好物件、私がまだマルセルへの想いがくすぶっているという以外、問題はない。

 ◇

 トントン拍子に婚約式を終え、正式にリュカ様の婚約者となった。

 しばらくして――婚約してから初めての夜会、私たちの婚約をそれとなく周囲に知らせる目的もあり、リュカ様のエスコートで出席することにした。

 ドレスはリュカ様の瞳の色に合わせて、ロイヤルブルーのドレスを選んだ。

 背中の開き具合は少し気になるけど、ふんわりした後ろの大きなリボンが美しく見えるデザインだと、ブティックのマダムが強くすすめたドレスだ。

 ドレスに合わせて髪は少し緩めに編み、白い薔薇に小さなダイヤをちりばめた髪飾りを着けた。

「お嬢様、まるで妖精国の王女様のようですわ!」

 朝から準備に張り切っていたエマが感嘆したように声を上げる。

「エマ、大げさよ。でも、確かにいつもより可愛い感じがするわね」

 マルセルは大人っぽいレディが好みと知って、今まではそんな雰囲気を纏うようにしていたから。

「お嬢様、リュカ様がいらっしゃいました」

 執事の声に慌てて階下に降りた。

 ◇

 夜会へ向かう馬車の中でも、リュカ様はマルセルのように優しく私を褒めることはしなかった。

 ただ、じっと私を見つめている。

「あの……リュカ様、そのように見つめられると」

 リュカ様はハッとしたような顔をして、照れ臭さそうに頭を掻いた。

「すまない。レディをそんな風に見るとは、礼儀に欠いてしまったな」

 馬車の中での会話はそれだけ。

 リュカ様はプイッと窓の外へ視線をやり、頬杖をついて長い足を組んだまま黙ってしまった。

 おどけて私を笑わせようとするマルセルとの違いに少し戸惑ったが、異性と二人きりで馬車に乗ることもなかったし、こんなものなのだろうと気にも留めなかった。

 (寡黙だけどリュカ様の雰囲気がそうさせるのかしら……何となく気持ちが落ち着くわね)

 馬車の窓から差し込む柔らか日差しが、彫刻のようなリュカ様の顔を包んでいる。

 (まるで美しい天使ね)

 ようやく馬車が夜会の開かれる公爵家の屋敷に着いた。

 リュカ様のエスコートで大広間に入ると、煌めくシャンデリアの下で着飾った貴族たちが談笑している。

「招待客がかなり多いですわね」

 高位貴族らしく随分大きな大広間であるにもかかわらず、招待された貴族たちでごった返し、ドレスを捌きながら歩くのもやっとだった。

「そうだな。今日はドット公爵家の婚約披露も兼ねているからだろう。皆、公爵家というだけで取り入ろうと必死だからな。エメリーヌ、ちょっと失礼するぞ」

 そう言いながら、私が他の方とぶつからないように手を腰に回し、上手に庇ってくれた。

 令嬢たちがその様子を目ざとく見ている。

「あちらはカスティーユ家のリュカ様だわ」

「どなたか令嬢をエスコートされているわ! 今まで頑なに断られる方なのに」

 興味津々に近づいて来た令嬢が、わざと私の前を横切る。

「エメリーヌ様!?」

「えっ、エメリーヌ様ですって? まさか、いつもマルセル様とご一緒でしたでしょう?」

「てっきりマルセル様とご婚約されるかと思っていましたわ。ほら、マルセル様の隣を独り占めされていましたもの」

「あら、マルセル様の視線はいつも他の方に向けられていたじゃない。ずっと横を陣取っておられたから、ご存じないのよ」

 私に聞こえるように令嬢たちは悪意のある笑い声を立てた。

「気にするな、エメリーヌ」

 リュカ様は令嬢たちに冷ややかな視線を向けながら、一言で私に勇気をくれた。

「ええ、ありがとうございます。きっと……リュカ様と婚約した私が羨ましいのでしょう。こんなに素敵な方ですもの、仕方ありませんわ」

 私の言葉に令嬢たちがざわつき始める。

 その令嬢たちの間を割って入るようにして、人懐っこい笑顔で友人のソフィーが近づいてきた。

 「エメリーヌ! 遠くから見ていたけど、とても目立っていたわよ」

 「こんばんわ。レディはエメリーヌの友人ですね? 私は婚約者のリュカ・カスティーユです」

 「は、はい! ト、トレト子爵家が娘ソ、ソフィーと申します」

 ソフィーが素っ頓狂な声で挨拶をした。

 視線がルディに奪われ、緊張でドギマギしているのが私には分かる。
 
 「エメリーヌに聞いていたより、ずーっと素敵な方ね! マルセル様よりエメリーヌにはお似合いだわ」

 私の失恋と婚約の話をした友人はソフィーだけ。

 ずっと落ち込む私を心配してくれていたソフィーは、鼻息荒くそう小さな声で呟いた。

 「もうっ、ソフィーったら。でも、ありがとう」

 「エメリーヌ、今日のあなたは、遠目からでも目立つほど可憐で……」

 「美しいでしょう? エメリーヌは元々美しいが、どうも今までは似合わない格好をして魅力を半減させていたようです」

 済ました顔で言ってのけるリュカ様の顔を、唖然と二人して見つめた。

 「あら~、愛されているわね、エメリーヌ。それなら、今日の発表も大丈夫ね」

 「えっ? 発表?」

 「ちょ、ちょっと、あなた何も知らずに来たの? まさかマルセル様から聞いていないの? ……幼馴染をどこまで傷つけるつもりかしら」

 公爵家の執事がベルの合図とともに今日の主役の登場を告げ、公爵夫妻がゆっくりと大広間に入場する。

 「今宵はお集まりいただき、ありがとうございます。事業の節目に加え、娘キャロラインの婚約を皆さまにご報告いたします。さぁ、キャロライン、マルセル卿こちらへ」

 ドット公爵の挨拶とともに大きな拍手が沸き起こった。

 (なんですって……マルセルがキャロライン公爵令嬢と婚約? それなら……私が振られた理由は――)

 リュカ様が私の腰に手を回したまま、もう片方の手で私の顔を覆った。

 「……リュカ様、手をどけて下さい」

 黙ったままのリュカ様の手を退け、しっかりとマルセルの姿を目に焼き付けた。

 マルセルはキャロライン嬢としっかり腕を組み、満面の笑みを浮かべている。

 そして、マルセルとキャロライン嬢のダンスを合図に、貴族たちは音楽に合わせて踊り始めた。

 「エメリーヌ、大丈夫か? あいつを一発殴ってこようか?」

 マルセルたちとダンスですれ違わないように、リュカ様は巧みに私をリードしてくれる。

 「私はリュカ様の婚約者ですよ。それに……私は長い夢から覚めただけですわ」

 涙のひとつでも出るのかと思ったが、湧き出てくるのは悔しさと怒り。

 でも、ただそれだけ。

 もうとっくに心はリュカ様の方を向いていたのだ。

 「しかし、マルセル卿は褒めた男ではないが慕っていたのだろう? いや――あいつがエメリーヌに相応しい男ではなかっただけだ」

 一生懸命、リュカ様は私を慰めようとしてくれている。

 「私はリュカ様と出会えて幸せですわ」

 「そうか……エメリーヌ。その言葉を守れるように頑張らないとな」

 ダンスの後、リュカ様が他の令息たちと歓談している間、私もソフィーと簡単な軽食をつまんでいた。

 「ごきげんよう、エメリーヌ様、ソフィー様。楽しまれているかしら?」

 キャロライン嬢が勝ち誇ったような表情をして声を掛けてきた。

 案の定、マルセルは気まずそうに視線を逸らしている。

 (思い返せば、マルセルを見ていたキャロライン様の視線は、恋そのものだったわ。私のことは疎ましく感じていたでしょうね)

 マルセルは、令嬢たちの集まりに幼馴染だという理由で、よくエメリーヌを迎えに来ていた。

 傍から見れば、まるで恋人同士のような二人に映っただろうが、エメリーヌとマルセルは幼馴染を公言していた。

 もしかしたらマルセルは、より多くの令嬢たちに自分の存在をアピールしたかっただけなのかもしれない。

 今となっては全て憶測だ。

 幼馴染のエメリーヌでさえ、マルセルの野心家で強かな一面を知らなかったのだから。

 「ええ。キャロライン様、マルセル……様、ご婚約おめでとうございます」

 「ありがとう。エメリーヌ様はマルセルとは幼馴染でしたわね。エメリーヌ様が寂しく思われないか心配ですわ」

 私の隣でソフィーが苛立っている。

 (ありがとう、ソフィー。でも、相手は公爵令嬢ですもの。黙ってやり過ごす方が良さそうね)

 「キャロライン嬢、なぜエメリーヌが寂しくなるのですか? 私という婚約者がいるのに?」

 後ろを振り返るとリュカ様がすぐそばに立っていた。

 キャロライン嬢とマルセルは驚いていたが、その表情はそれぞれ違う感情を宿しているようだった。

 社交界に殆ど参加しなかったリュカ様の姿を見て、明らかにキャロライン嬢はリュカ様に強い興味を持ち始めているのが分かった。

 マルセルはそんなキャロライン嬢を気にしながらも、私が婚約した事実を受け入れられないように見えた。

 「まぁ、初耳ですわ! 久しくお姿を見なかったリュカ様とお会いしたばかりですのに残念ですわ。あら、私ったら……」

 そう言いながらも、恥じらうことなくキャロライン嬢はリュカ様を誘うようなそぶりをする。

 (本当に恥を知らない人たちね。ある意味、お似合いの二人だわ)

 私はそんなことを思っていたが、キャロライン嬢は再び畳みかけるようにリュカ様にアプローチをしている。

 「そうだわ! エメリーヌ様とマルセルは幼馴染でしょう? お二人で少しお話しするといいわ。ほら、これからはお互いお会いする機会も減るでしょうし」

 キャロライン嬢はこじつけたような理由で私にマルセルを押し付けると、自分はサッサと強引にリュカ様を連れて行った。

 「エメリーヌ……リュカ卿と婚約したんだね。僕と別れてすぐじゃないか。しかも、人の婚約者と消える男のどこがいいんだよ!」

 マルセルの言葉に私は自分の耳を疑った。

 扇を勢いよく広げると、口元を隠しマルセルにだけに聞こえるように言い放つ。

 「あら、私を責めているの? それとも忠告かしら。マルセル、あなたこそ自分の胸に手を当てて考えると良いわ。もうお互いを自分の一部のように考えるのはやめましょう」

 そしてパチンと扇を閉じると、マルセルの方を振り返ることもなくソフィーとその場を立ち去った。
 

 ――ソフィーも先に帰ってしまい、徐々に帰る貴族も出始めた頃、ようやくリュカ様が戻って来た。

 (遅かったけど、キャロライン様とどこにいらしたのかしら? リュカ様に限って何も無いと思うけど……)

 私の不安そうな顔に気づいたリュカ様は、慌てたように私の手を握った。

 「その……少し、キャロライン嬢をかわすのに時間が掛かったが、エメリーヌ、誓ってやましいことは無いからな!」

 出会ってまだ間もないけど、リュカ様がいつも私を労り守ってくれていると感じる。

 どこにいても、何をしていても、リュカ様の振る舞いは『私を大切にしてくれている』と、最後はちゃんと辻褄が合う――それが私に安心感を与えるのだった。

 「リュカ様、もちろん信じていますわ」

 「それならいいのだが……。それからエメリーヌ、いや、何でもない。俺たちが幸せになればいいだけだ」

 リュカ様の言葉に首を傾げながら帰路についた。

 ◇

 しばらくして、社交界を揺るがす衝撃が走った。

 ドット公爵家が突然没落したのだ。

 あまりにもの急展開に驚いたが、リュカ様のお話ではドット公爵家が巨額な脱税をしており、皇帝陛下の逆鱗に触れたという事だった。

 そして、脱税の理由は、実は事業を広げ過ぎて失敗し、抱えた大きな負債の穴埋めだったそう。

 先日の夜会で、ドット公爵がさも事業に成功しているように見せかけていたが、すべて嘘っぱちだった。

 公爵家という看板を使って、融資してくれそうな貴族を取り込むつもりだったらしい。

 マルセルは、公爵位の継承でもチラつかせられたのだろう。

 きっと、オブリー家も少なくない出資をしてしまっているはず。

 その後、もちろんマルセルの婚約も破談となった。

 「エメリーヌ、幼馴染が心配か?」

 「幼馴染としては心配ですが、逞しく強かなマルセルのことです。きっと自分で道を切り開いて行くでしょう」

 
 ――エメリーヌ、君は知らないだろうが、カスティーユ家は代々皇帝の番犬だ。

 財務監である一番上の兄上から情報が入り、先日の夜会はドット公爵邸の中に保管されている二重帳簿の在処を探す目的があった。

 あいにく、美形好きのキャロライン嬢が上手く俺に引っ掛かってくれて助かった。

 公爵邸にあった証拠を簡単に見つけられたんだからな。

 しかし、あの夜会でエメリーヌを傷つけていないか、それだけが心配だ。

 まったく、元はと言えば、兄上が俺をこういう使い方ばかりするから女性嫌いになったんだぞ。

 それで縁談を避けていたが、今ではエメリーヌとの出会いは運命だったと思える。

 マルセル卿――お前は本当に馬鹿だ。

 あんなに聡明で美しいレディはそうそういない。

 だが、お前は一生気づかないだろう。

 爵位に目がくらんで愛を捨てるほどのクズだからな。
 

「リュカ様、リュカ様?」

「ああ、すまない。少し考え事をしていた」

「結婚式の衣装合わせが、こんなにも大変だとは思いませんでしたわ。お疲れでしょう?」

 ――私は、正直もうマルセルのことはどうでも良かった。

 かなり盛大であろう結婚式に向けて、毎日、準備に追われているせいもあるだろうけど。

 でも、それだけじゃないわ。

 私は最後の慈悲、いえ、過去の私と完全に決別するため、マルセルへ手紙を送った。

 ◇

 ――マルセル、大変でしょうけど、元気にしているかしら?

 どんな時でも、しっかり食事はするのよ。

 それから、私は元気だから、この手紙の返事は必要ないわ。

 今、私はとても幸せなの。

 もし、私を振ったことを気にしていたら、忘れてちょうだい。

 だって幸せなのに、あの告白を思い出して心が乱されるわけないでしょう?

 むしろ、気の毒に思っているの。

 私……振られた時はとても傷ついたわ。

 冷静になってからも、『私が至らなかったの?』『マルセルを追い詰めたのかも』って、自分を責めて苦しんだのよ。
 
 あなたが自分のことしか考えていないなんて思いもしなかったから。

 爵位? 権力? 名誉? もちろん大切よ。

 だけど、私の愛している人は自分の力でそれらを手にして、私を守ろうとしてくれているの。
 

 もう会うこともないでしょう。

 ああ、私の大切な幼友達だった人――マルセル。

 さようなら。

 ◇

 私はリュカ様と結婚し、幸せな毎日を送っている。

 運命とは不思議なもの。
 
 それに、前に進む努力をした私を褒めたいわ。

 だって――。

「愛しているよ、エメリーヌ」

「リュカ様、私も愛していますわ」

 心から愛し合える人と出会えたのだから。

 Fin
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