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しおりを挟む「寄りたいところがある」
断崖絶壁の草原を後にしてディナイが向かった先は墓地だった。
「俺の家族の墓だ」
広葉樹が枝葉を伸ばす墓地の片隅で、ディナイは足を止める。真正面の墓には白バラの花束が置かれていた。シンが持ってきたのだろう。ステュは何となくそう思った。
「悪しき魔物に襲われた。墓は形だけで、ここには誰もいないんだがな」
ディナイの言葉にステュは青ざめる。
(つまり、それは……)
詳細を尋ねるのは憚られた。隣に立つ彼をおずおずと見上げてみれば、勇者の真摯な眼差しは真っ直ぐに墓碑へと注がれていた。
「器の欠片だけでも弔うものがあったらな」
「器……?」
「この地上に魂を留めておく器。体のことだ」
ステュは荒野での埋葬を思い出す。見ず知らずの犠牲者を弔ったディナイの様子が脳裏にはっきりと蘇り、唇をぐっと噛んだ。
バスケットに仕舞っていた、お土産にするはずだった花を取り出し、白バラの花束の隣に並べようとした。
しかし風が吹いて、か細い野の花は呆気なく散らばってしまった。
(これだと散らかしたみたいだ)
ステュはチラリとディナイを見、また謝った。
「ごめんなさい、勇者様」
彼が丁寧に結んでくれた髪を解く。
外したリボンで花を纏め、小さなブーケをつくると、墓に手向けた。
(三人には、また今度、何か別のものを贈ろう)
屈んでいたステュは腰を上げると、ディナイに堂々と強請った。
「ねぇ、勇者様。次のリボンください」
「もう持っていない。それが最後だ」
「じゃあ、新しいリボン、いつか渡しにきてね。俺、待ってるから」
この島へ必ず戻ってきてほしい。
危険な旅に出る勇者が無事でいられるよう、願いを込めて、ステュは次の贈り物を笑顔でおねだりした。
「ステュ」
ディナイにじっと見つめられると、さすがに厚かましかったかと、慌てて笑顔を引っ込める。
「お前は強いな」
思ってもみなかった言葉にステュは呆気にとられた。
「前に荒野で死者を弔ったとき。怖かったはずなのに、必死になって穴を掘って、目を背けず、死と向き合っていた」
「そ、それは勇者様の方でしょ?」
「俺は何回も経験してきた。お前は違うだろ。通常の埋葬とは全く異なる」
静謐な時間が流れる、死者が眠りにつく場所で、ステュは空っぽの墓に再度向き合った。
かつて両親が亡くなったとき。
熱病で寝込んでいたステュは記憶が曖昧で、当時の様子をあまり覚えていなかった。副村長であった祖父や村人が『自業自得だ』だとか『嵐の日に何を血迷ったのか』だとか、残された自分目掛けて吐き捨てていったのはうっすらと覚えていた。
『お母さんが懐に大事に持っていた薬草のおかげで、お前は助かったんだよ、ステュ』
熱病から回復すれば、すでに埋葬は済んでいて、看病してくれた曾祖父に墓まで連れていかれた。皺だらけだった手の温かかさは、今でもよく思い出す……――。
「お前のように一緒に弔う人間もいれば、目を背ける人間もいた。逃げ出す者だっていた」
回想に意識が傾いていたステュは、ディナイの言葉は自分に不相応な気がして、首を左右にブンブン振った。
「俺も勇者様がいなかったら逃げ出してたよ? でも、あの人達の死に寄り添ってた勇者様を見て、自分を頑張らせたっていうか。もしも俺が逆の立場だったら、こうしてほしかったかなぁっ、て……」
ディナイに頭を撫でられてステュは口を閉じる。
「お前はブレない芯を持ってる、ステュ」
リボンを失い、髪が解れてボサボサになった頭を撫でる彼に、くすぐったい気持ちがまたしても滾々と湧いてきた。
(勇者様、シン様の頭もこんな風に撫でてあげたのかな?)
ステュはされるがままでいた。ボサボサだったのを、梳いて整えようとしているのに気づくと「ちゃんと綺麗にしてね」と注文をつけた。
照れ隠しだった。
やはり顔は直視できず、代わりに喉仏を眺めていたのだが、凹凸が豊かな様に無駄に男らしさがアピールされていて、最終的に地面を這う虫を数えたステュなのであった。
娼館が営業中の夜、ランプを点した屋根裏部屋でステュは古い本を読む。
物語だったり、図鑑だったり、伝記だったり。全てディナイにもらったものだ。
便利な古書店扱いされて最初は不貞腐れていたが、ページを捲ってみると、面白い。両親や曾祖父に最低限の教育を受けた程度で、学がなかったステュでも理解できる、絵をベースにした内容ばかりであった。
(簡単な文字の読み書きは、ひいおじいちゃんに教えてもらった)
今はシンに時々勉強を教えてもらっている。毎日の買い出しで暗算も身についた。仕事量は前よりも増え、窓拭きやら床磨きやら、手を抜かずに励んでいる。島の随所に手紙を送り届けたり、逆に取りにいくこともあった。
(もうすぐ十七になるし、身の回りのこと、ちょっとずつでもいいから、できるようになりたい)
シンから支払われるお給金は、将来に備えるため、大切に貯金していた。
ただ、具体的な計画は、ない。
これからどうやって生きていきたいか、ステュには思いつかなかった。
厄介者の烙印を押されて過ごした村での生活。
下働きという役割を与えられ、一生懸命働いて、シンや娼婦の皆とお喋りして、お腹いっぱい食べて、寝台で眠る、島での生活。
余りにも大きな変化であった。
おかげで最初の一年はとにかく満たされていた。
しかし、いつまで娼館で働いていいものか。いずれ成長して女装がちぐはぐになれば、男禁制の場所から出ていかなければならなくなる。その後は、どうしたらいいか。島で何を生業にして生きていくか。
「化粧も女装もすっぱりやめれば、島の人はスーちゃんだってわからないだろうし。似てるとか言われたら、他人の空似だって言い張ればいいし」
旅行者が絶えない島。町には宿がいくつか、店ならたくさんある。果樹園も盛んだし、働き先には事欠かないだろう。
(働くのは好きだ、楽しい)
どこそこで働きたい、これがしたい、という強い望みはなかった。
求めてくれるのなら、どこだっていい、精一杯応えたかった。
「勇者様の荷物持ちとか」
今日、ピクニックの直後にディナイは発ってしまった。
寝台に寝そべって本を読んでいたステュは、半乾きの前髪を引っ張る。
(そっち系は駄目なんだ、どう足掻いても俺がお荷物になるから)
べらぼうに強い勇者に付き従うには、自分も同じくらい強くならなければ、恐らく不十分なのだ。
「とにかく備えよう」
ステュは所々虫食いのある本に集中しようとする。
今の自分と同じ年齢で武者修行へ旅立ったというディナイには遠く遠く及ばないと、しょんぼりしたり、かっこいいと憧れたり、集中力を度々欠かした。
そして今更ながら心臓がバクバクしてきた。
(いきなり肩に担ぐとか、それだけ焦ってたのかな?)
涼しかったはずが、急激に全身がカッカしてきて、読書どころではなくなるのだった。
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