優しい檻に閉じ込めて

石月煤子

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「一昨年の春に妹が産まれたのか」
「そうです。偶然にも雛未の誕生日に」

大学から十分程歩いたところにある路地裏の喫茶店、中二階。
ステンドグラスがはめ込まれた壁際の四人掛け席で、式は砂糖とミルクの両方を入れたアイスコーヒーを飲んでいた。

「妹二人揃って同じ誕生日か。祝う手間が省ける。バースデーケーキも一つで済む」
「去年はちゃんと二つ用意されていました」

式と雛未の継母は有名なパティシエが考案したというホールケーキを取り寄せた。
年齢の数のロウソクを立て、イタリアンレストランでテイクアウトした完璧なオードブル、自分で揃えたブランド食器をテーブルに並べて写真を撮り、SNSに何枚も上げていた。

前々から継母は兄妹の誕生日を同様に祝ってくれていた。
決して悪い人ではなかった。
ただ二人と波長が合わないだけだった。

「誕生日のとき、亡くなったお母さんはどうしていたんだ?」

向かい側でブラックコーヒーを飲んでいた隹の問いかけに式は「毎回、カレーとシチューを作ってくれました」と即答した。

「カレーとシチューか。こどもからしたら夢みたいな組み合わせだ」
「エビフライつきで、カレーは甘口。今は潰れてなくなったケーキ屋さんのレアチーズケーキが前日に買ってきてありました。雛未のときも俺のときも。よく覚えています」
「この店にもレアチーズケーキが置いてある。食べるか?」
「ここのはヨーグルトの酸味が強めですよね」
「なんだ。来たことあるんじゃないか。やっぱりお気に入りなんだろ」

瀟洒なシャンデリアが橙の明かりを灯すフロア。
読書に耽る一人客がちらほら、カップルと思しき男女が囁きに近い声色で会話を楽しんでいる。
BGMはピアノ演奏のCDであり、今はヘンデルのアリアが物悲しげに流れていた。

「俺の読みは間違ってなかった」
「そう言われると思って言いたくありませんでした」

癖のない長めの前髪に式の切れ長な目元が見え隠れする。
憂いを含んだ厭世的な眼差し、薄く色づく唇は扇情的ですらあって、時に自分の意思とは裏腹に他者の下心を誘(おび)き寄せることがあった。

「バイトが忙しくて夏休みは帰れなかったのか」
「……雛未の話を聞きたいんですよね。俺の話はどうでもよくないですか」
「雛未が寂しがってた」
「妹は高校に、俺は大学に進んで、距離は近いけれど頻繁に会う必要はないと思っています」
「兄の自分に依存するのはよくない?」
「そうですね」
「式、恋人は?」
「それこそどうでもいい話です」
「モテそうだ」
「もう帰ってもいいですか」
「まだここにいてくれ」

まだ半分近くアイスコーヒーが残っていて、飲み干すまでは留まろうかと、式は銅製のマグカップを掴み直した。

「明る過ぎない場所が好きなんだ」

隹はステンドグラスの窓に視線を向けた。

「強い光は苦手だ」

日の光を苦にしているのは青い目が原因だろう。
虹彩の色が薄い場合、光線をより多く吸収して眩しく感じやすいと聞き知っていた式は「吸血鬼みたいですね」と呟いた。

捕食性の雰囲気を身に纏う、シャープに精悍に整った姿形は夜を渡り歩く特別な不死者(ノスフェラトゥ)感がなくもなく、あながち間違っていないような気さえしてくる。

「昼は黒い日傘を差して夜は棺桶で眠るか」

隹は小さく笑った。

「棺桶か。密着度が増して刺激的な夜が過ごせそうだな」
「……」
「式、帰るなよ、悪かった。お前の機嫌を損なわせないようにするのは至難の業だな」
「雛未のこと、誑かしてるわけじゃないですよね、やっぱりどう考えてもしっくりこない」
「家族だからって妹の全てを知ってるわけじゃあないだろ」
「……」
「証拠の写真、また見せようか」
「もういいです……」

十六歳と二十八歳。
高校一年生と職業不詳の男。
雛未と距離をおくつもりでいたはずが、二人の関係を放置していいものか、兄の式は迷う。

先程、キャンパスで目にした隹の蝶の扱い方は細やかで丁寧なものだった。
捕食者さながらに難なく捕まえて慈悲深く愛でる。
優れた容姿と独特の佇まいで人々の視線を誘い、ふとした拍子に周囲の関心をさらにぐっと引きつける。

「あんな蝶が中庭にいるなんて知りませんでした」

冷えた銅食器の中で角氷が回転した。

「図書館で勉強して本を読むのもいいが。たまの息抜きに中庭の探検でもしてみろ。いろんな生物が学生と変わらず動き回ってる」
「でも、秋になって涼しくなって、夏よりも活発じゃなくなりそうですね」
「まぁな。気温が下がるにつれて越冬の準備に入る。植物は成長を止めて動物の生息数も減る。人間と同じように動植物も四季の移ろいをその身でもって感じ取る。さっき見たアオスジアゲハ、成虫は寿命二週間くらいだったか。そんな短い間に恋を知って、命を紡いで、死を知る」

ステンドグラスを見つめる隹の横顔を、中庭のシロツメクサを吸蜜していた蝶の黒翅が青模様をひけらかして過ぎった白昼夢に、式は意識を攫われかけた。

「――久し振りじゃないか、隹」

だから、いつの間にテーブルのそばへ歩み寄って声をかけてきた男に必要以上に驚いてしまった。

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