優しい檻に閉じ込めて

石月煤子

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2-7

蓋を閉じ、剥がしかけたシールを丁寧に貼り直していたら、外で雨が降り出した。
前奏もなしに唐突に始まった本降りの雨音。
屈んでいた式は背筋を伸ばして玄関ドアをしばし見つめた。

隹は傘を持っていなかった。
今日も車で来たんだろう。
この辺にコインパーキングなんてあっただろうか。
車に乗らないし、気にも留めてこなかったから、よくわからない。

(近くのコンビニに停めているなら、そんなに濡れないはず……でも、ひどい雨だ……)

ふぅ、と重たげな息を吐き出し、荷物の整理を始めようとした矢先に。
オートロック機能もなければテレビドアホンも備わっていない部屋にチャイムが鳴り響いた。

(まさか)

一つの予感が式の脳裏をさっと掠めた。
何故だか足音に気を配って気配を押し殺し、玄関ドアの前に立つ。
息を潜めてドアスコープから来訪者を怖々と確認してみれば。

「式。俺だ」

やはりそこには隹が立っていた。

「雨宿りさせてくれ」

これ以上、同じ時間を過ごすのは限界だと思い知らされたばかりの式はぐっと眉根を寄せた。

「すみません、部屋の中が散らかっていて、今はちょっと……」

わざわざ誕生日プレゼントを届けてくれた相手に対して非情にも程がある。
式自身、十分に自覚していた。
それでも断らざるをえなかった。

「顔に見合わず非情なんだな」

式は赤面した。
言われなくたってわかっていた。

(大体、顔に見合わずって、どういう意味だ)

「俺が片付けてやる」
「そんなこと……妹の恋人にさせられません」
「じゃあここでいい」
「え?」
「雨が止むまでいさせろ。セールスが来たら追っ払ってやる。まぁ、こんな雨の日に来る奴なんていないか」

もう一度ドアスコープを覗くと隹の後ろ姿が見えた。
ざあざあ降りの雨は止みそうにもない。
濡れているようだし、このままだと体が冷えてしまう。

そうか。
傘を貸したらいい。
いや、もういっそのこと差し出そう。

今度は長めの息を吐き出して、招かれざる客人に動じていた気持ちを整えて、式は玄関ドアのロックを解除した。
キィ、と一先ずドアを細く開く。
二階外廊下の真下にあたる共用スペースで雨露を凌いでいた隹は肩越しに振り返った。
前髪の先から滴る雫。
猛禽類じみた鋭い眼に見据えられ、たじろいだ切れ長な双眸は斜め下に視線を泳がせた。

「傘、使ってください。差し上げます」

ビニール傘を差し出すと「俺には小さい」とあっさり断られた。

「……向こうにあるコンビニにはもう少し大きいのが売ってますから、そこまで我慢してください」
「そんなに部屋に入れたくないのか」
「……」
「ああ……そういうことか」

傘を受け取ろうとしない隹に困り果てていた式は、何やら含んだ彼の物言いにどきっとした。

「今、恋人がいるんだろ」

予想外の言葉をかけられて思わず拍子抜けした。

「そうか、それなら確かに断るな」
「……いません」
「気が利かなくて悪かった」
「だから、いません」
「この雨なら余程のボリュームでもない限り他の部屋には聞こえないだろ。俺のことも気にしなくていい。好きなだけ楽しんでくれ」
「何言ってるんですか?」

飄々と笑う隹は差し出された傘を無視し続ける。

式はスリッポンスニーカーを突っかけて外へ出てきていた。
アパートの他の住人が知り合いを連れて帰宅し、興味深そうにこちらを眺めつつ階段を上っていくのが視界に入って、無性に罰が悪くなった。

(俺は隹を部屋に上げたくないわけじゃない。二人きりになるのが嫌なんだ)

隹にはここで雨宿りしてもらって、俺が外に出ていけば済む話だ……。

「中へどうぞ」
「お邪魔だろ」
「だから、部屋には誰もいません。急用を思い出したので俺は出かけてきます」
「この雨の中わざわざ?」

式はもう何も言わなかった。
隹のためにドアを大きく開け放し、傘を差してざあざあ降りの屋外へ飛び出そうとする。
だが、不意に伸びてきた手に阻まれた。
片腕を掴まれ、傘を開く前に有無を言わさず部屋の中へと引き摺り込まれた。

「なぁ、式」

閉ざされたドアに背中をへばりつかせて式は凍りつく。

「怖いのか?」

出会い頭に図書館で放った問いかけを隹は再び口にする。
式は今回も答えられない。
これまでの逢瀬において最も距離を狭めて近くにいる隹を、ただ見上げることしかできなかった。

隹の前髪から滴る雨滴が式の頬に落ちる。
それくらい二人の距離は、今、近かった。

棒立ち状態の式に小さく笑って、隹は、さらに近づいた。

無に帰した隔たり。
触れ合った唇。

微かな熱が直に伝わってきて、我に返った式は、思い切り顔を逸らした。

「やめてください」
「嫌なのか」

(何を言ってるんだろう、この人)

最低だ。
最悪だ。

「貴方は妹の恋人で、雛未のものなのに」
「あんたのものになってやろうか?」

大きな両手が頬に添えられて式の心臓はブルリと震え上がった。

「すまないな、式」
「早く離れてください、こんなの嫌だ」
「俺は雛未の恋人じゃない」

式は耳を疑う。
聞き間違いかとさえ思った。

「俺は雛未の教師だ」
「こんなときに冗談やめてください」
「冗談なんかじゃない。雛未が通う学校の理科教員をやってる」

(この人も先生だっていうのか)

「ッ……意味が分からない、学校の先生なのに、なんでこんなこと、もう、いい加減に……!」

上背ある体を押し返そうとしていた式は隹に抱きしめられた。
突然告げられた真実に混乱していた式は、濡れているのに熱く感じられる両腕に捕らわれて、ほんの一瞬、呼吸を忘れた。

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