優しい檻に閉じ込めて

石月煤子

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4-式と隹-



夜の帳がすっかり下りて常夜灯の明かりが家路を照らす頃。

「ちゃんと来れたんだな。迷子になってないか心配だった」

式は隹の部屋を訪れた。

「もしかしてわざわざ手土産なんか用意したのか?」
「誕生日にケーキも頂きましたし、食事にも連れていってもらってるので」

駅から徒歩十分、集合住宅が立ち並ぶ、真夜中でも人通りのちらほらある住宅街の一角。
タイル張りのデザインで落ち着いた外観の五階建てマンションに隹は住んでいた。
三階の角部屋で間取りはワンルーム、大理石貼りの玄関から廊下を直進して仕切りのドアを開くと、すぐ手前に対面式キッチンがあった。

「帰ってきてから作ったんですか?」

キッチン正面にはダイニングテーブル代わりの立派なカウンターが設けられ、すでに盛り付けが完了していた料理の数々に式は驚いた。

「まぁな。あんた用のミルクかアイスココアを買っておくべきだった」

手土産に渡した白ワインを冷蔵庫に仕舞っている隹にそう言われて「水道水でいいです」と式は素っ気なく返す。

快適そうな広い室内。
天井のスポットライト照明は消され、シンプルなフロアスタンドがオレンジ色の明かりを点している。
木目調のフロアにクリーム色の壁、ゆったりとしたチャコールグレーの三人掛けソファ、ノートパソコンが置かれたローテーブル、沈黙するテレビ、書籍の詰まった本棚が深い陰影で彩られていた。

角部屋で窓は二面、一つはベランダに通じ、もう一つの中窓側に設置されたダブルベッドに視線がぶつかると、式は反射的に目を逸らした。

「俺の部屋を物色中か?」

いつの間に真後ろに隹が立っていた。

「……すごく手際がいいんですね、打ち上げから帰って料理をあれだけ作って、シャワーも浴びれるなんて」
「正確にはシャワーを浴びてから作った」

隹の髪は満遍なく濡れていた。
Tシャツにルームパンツ、やはりどちらも黒一色で、肩に引っ掛けたタオルまで黒だった。

「腹が空いた。早く食おう」

隹の手料理はどれもおいしかった。

スキレットで作られた鯛の切り身のアクアパッツァ、トーストに乗せて食べた自家製レバーペースト、ホウレンソウとベーコンのペンネ、今まで共にした食事の中で一番のご馳走だった。

「オヤジが料理上手なんだ」
「そうなんですね。このレバーペーストも今日作ったんですか?」
「それは作り置きだ。好きなだけ食べていい」

ダイニングチェアに座ってカウンターで横並びになって食べる。

テーブルで向かい合う食事しかしてこなかった式は、最初は慣れずに固くなっていたが、熱心に食べている内に緊張は自然と解けていった。

「暗かったら明かりを増やすが」
「大丈夫です。俺もこれくらいで丁度いいです」

時折、ドアの開閉音や街中を横切るサイレンが部屋に満ちる静寂を震わせた。

「夏休みは九月いっぱいまでだったか」
「はい。バイト、延長をお願いされて、どうしようか考えてます。後期の講義がみっちり入ってるので」
「俺と会う時間が減るからやめとけ」

隹は炭酸水を注いだタンブラーグラスをぐっと傾けた。
すべての料理を食べ終えて皿が空になり、忘れていた緊張が舞い戻ってきて式はこっそり周章する。

急に静寂が怖くなる。
安定しない気持ちを紛らわせるため、後片付けしようと立ち上がった。

「ご馳走様でした。食器、片付けます。もうすぐ十時になるし、電車の時間もあるので、後片付けが終わったら帰ります」

両手にお皿を一枚ずつ持ってキッチンに回る。
一度では運びきれずに戻ろうとすれば、隹も腰を上げ、カウンター越しにシンク横に食器を置いた。

「俺がやりますから座っていてください」

置かれた食器を一つずつシンクに移していたら、炭酸水を飲み干し、空になったグラス片手に隹がキッチンにやってきた。

「今日はここに泊まっていけばいい」

グレーのパーカーを腕捲りして洗い物を始めようとしていた式は、グラスを下ろした隹に背後から抱きしめられ、危うく皿を落としそうになった。

「皿洗いは俺がしておく。あんたはシャワーを浴びてこい」
「……むりです」
「無理じゃない」

隹の体温にのぼせた式は項垂れる。

「むりです」
「無理じゃない」

不毛な会話にひたすら困り果てる式のうなじで隹は密やかに笑った。



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