紫灰の日時計

二月ほづみ

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兄との思い出-4

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「エリン、まだ起きているかい?」
 翌日、何やら大きな荷物を背負ったセルジュが弟の部屋を訪れたのは、二十二時を過ぎてからのことだった。普段ならとっくに就寝している時間であるが、今日はあらかじめ、しっかり昼寝をさせておいてもらうよう乳母のルツィアに頼んであったのだ。
「はい! ねむくないです」
「いいお返事だ。じゃあ、今日は屋上へ行くよ」
「おくじょう……?」
 弟を抱き上げて、セルジュはニコリと笑った。
「そうだよ、エリン、流れ星を見よう」
「ながれぼし?」
「そうだよ、エリンがいい子にしているおかげで、天気も良いから、きっとよく見える」

 意味の分からないらしいエリンだったが、いい子にしていたと褒めてもらえたようだったし、兄と部屋の外に行けるなんて嬉しい。毛玉のように厚着してコートを着こみ、マフラーもぐるぐる巻きにして、部屋を出る。すぐに降ろしてもらうと、夜の暗い階段を元気に駆け登っていった。
 重たい金属の扉がギシギシと音をたてて開く。走り回って塔から落ちては大変なので、セルジュはしっかり弟の手を握って外に出た。
「わあっ!」
 日頃あまり感じることのない風を受けて、少年が歓声をあげる。塔のてっぺんは、広くはないけれど空を眺めるのに丁度よい場所だった。
「落ちると大変だから、じっとしてるんだよ」
 声をかけておもむろに荷物を下ろす。どうやら、本気で流星を見るつもりらしい、分厚いキャンプ用のマットと寝袋だった。
「ここに入るんだよ」
 エリンは、当然キャンプなどしたことがない。兄が取り出した不思議な寝具に、大喜びで頭から潜りこむ。
「あははは、違う違う、頭はこっち。それじゃ窒息するよ」
 身体の小さいエリンは、寝袋の中に潜り込んで、そのままもぞもぞと動いて方向転換して……それが楽しかったらしい、きゃっきゃとはしゃいで何度もくるくる回って遊んだ。
「子供用の寝袋があったらよかったんだけど……」
 十二月の夜は寒い。マットの上に寝袋を並べて、その上から毛布もかけて、兄弟は二人並んで夜空を仰いだ。
「あにうえ、ほし、いっぱいです」
「そうだね、部屋から見るのとは全然違うだろう。冬の星座の本を読んだの、覚えてる?」
「オリオンざ!」
「どれか分かるかな?」
「ええと……ええと……」
「あそこだよ、ほら、大きな四角形の中に、斜めに並んだ3つ星……」
「ああーっ……ぼく、みつけたのに……」
「そうだった? ごめんごめん」
 苦笑しつつそう言って、セルジュは空を指差す。
「じゃあ、ほら、あのオリオンから、少し左下の……ほら、あのあたり、よく見ててごらん」
「ながれぼし?」
「そうだよ」
「ながれぼし……」
 分からないなりに嬉しそうに目をくりくりさせて空を見つめる弟の幼い横顔を、セルジュはしばらく優しい顔でじっと見つめて、それから、北極星に目を戻した。 エリンが兄を慕うのと同じように、十五歳のセルジュにとっても、幼い頃からずっと欲しかった、はじめての兄弟だったのだ。
 こぐま座流星群は今夜が極大、折よく新月の日であるおかげで、宝石箱をひっくり返したような見事な星空が、ふたりの視界いっぱいに広がっていた。
「よーく見ているんだよ、星が、流れるから」
「ながれる……かわみたいにですか?」
「川とは少し違うなあ……あっ、ほら、流れた!」
「ええっ? どこですか?」
「ちゃんと見てないと……あ、ほらまた」
「えっ、えー、えー!」
「あはは、一瞬だからね。お星様が滑り落ちるのは」
「おほしさま……」
 少年はまだ何も知らない。
 流れ星がどんな風に夜空に輝いて、そして消えていくのかとか、自分の左目がもたらす残酷な運命が、どのように彼の人生を決めていってしまうのかとか。
 幼い心に、世界はただ、今夜の空のように計り知れない広大さをもって横たわっているだけだ。
「あっ!」
「見えた?」
「はい! すうって、ながれて……あっ! わっ!」
 コツを掴むと、次々流れる星たちがどんどん見えるようになったらしい、いちいち歓声をあげる弟を、兄はクスクス笑いながら見守る。また来年、次の流星群が見られる頃には、星と宇宙の話を、今より大きくなったエリンに話し聞かせてやりたいと思った。
 しかし、フリートヘルムが次男を父アドルフの元に連れて行くことを決めたのは、このあとすぐのことであり――仲の良かった兄弟は、さよならも言えぬまま、別れることになった。
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