紫灰の日時計

二月ほづみ

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分かれゆく道-1

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 ベネディクトがその男――バシリオ・コルティスと出会ったのは、アーシュラがゲオルグと出会ったのと、まさに同じ日の出来事であった。
 コルティスは皇女の誕生日を祝うお祭り騒ぎに駆り出された商人の一人で、南エウロを代表する豪商である。広間に姉の姿を探しに来て、慣れない大騒ぎのせいで不安げにしていた皇子に、コルティスが声をかけたのだ。
 当時、ベネディクトがアドルフの不興をかっているというのは、帝室の事情に通じる者の間では公然の秘密で、皇子に近づけば立場が危うくなると考える者はとても多かった。
 だから、わざわざベネディクトに声をかけてくるような者は、貴族の中には誰一人いなかったのだ。

「殿下、このような所にお運び下さり、光栄の極みにございます」
 その夜、白大理石を敷き詰めた、広々とした玄関ホールで、バシリオは跪いてベネディクトを出迎えた。背が高く、体格の良い彼は、商人というよりは騎士のような風体の男であった。
「いっ、いいえ……お招き、う、嬉しく思います。コルティス殿……」
 ベネディクトは、不安げな面持ちで微笑んでみせる。
 まことに哀れなことに、この時の少年は、ごく親しい使用人を除いて、大人に対し怯えた表情を向けるようになっていた。
 ベネディクトは、大きく、力の強い男が怖かった。礼儀作法もきちんと身につけているにも関わらず、会話にもぎこちない吃音が混じってしまう。それが、祖父から今も継続して受けている暴力のせいであることは、疑いようもないことであった。
 ベネディクトの緊張した面持ちに気付いたらしいバシリオは、おもむろに顔を上げ、彼と目線を合わせると、ニカリと歯を見せて笑った。
「皇子、そのような過分のお気遣いを頂かなくとも、ここは一介の商人のあばら家でございます。ですが、料理だけはどこの大貴族のお抱えシェフよりも素晴らしいものをお出しできると自負しておりますゆえ、本日はお招きさせて頂きました」
 ジュネーヴの市街地にある、貴族の屋敷にも引けをとらない立派な邸宅は、コルティス家の別宅だ。晩餐に招かれたベネディクトは、祖父の許しを得て、双子を伴って訪問していた。
「そちらのお二人は?」
「えっ? ええと……こ、この子たちは……」
 口ごもる少年に、バシリオはパッと表情を変えて手を叩く。
「さすがでございます。このバシリオ、感動いたしました。かつて、帝室の剣は皆すべからく見目麗しいのだと伺ったことがあります。殿下の御剣、なんと美しい双剣でしょうか!」
「あ……」
 剣は皇帝と、帝位を継ぐことを約束された者にしか持つことの許されないものであり、ベネディクトがアヴァロンの片隅で育てているこの双子は、決してそのような存在ではない。けれど、その言葉は少年にとって、この上なく心地よく響いた。
 広い城で、両親にはあまり会えない。祖父は自分を憎んでいる。けれど――きっと、自分にも剣が居てくれれば寂しくないのだ。ツヴァイや、エリンのように。双子が自分の守護者になってくれればいいと、少年は密かに願っていた。

 バシリオの言葉は、それをあっさりと肯定してくれるものだった。
「は……はい。カラスと、クロエと言います。偶然、僕が助けて……えと、シノニア人で……」
 アヴァロンでは、二人に興味を示す者はいなかった。だから、双子の名を人に教えたのは初めてだった。
 たどたどしく二人の友を紹介するベネディクトの話を、バシリオはゆっくりと聞いて、感心したように深く頷く。
「皇家の剣と主は、この世の主従のうち、最も美しい絆を育むとか。陛下ですら一本しかお持ちでないものを、対でお持ちになるなんて、殿下はたいそう、幸運の持ち主でいらっしゃるようだ」
「は、はい……!」
 紫を持たぬ自分が剣など、決して、アドルフは認めないだろう。自分のそのような願望を知ったら、きっとまたひどく打たれるに違いない。心の隅で知りつつも、ベネディクトはその夜、久しぶりに彼本来の、優しくあどけない笑顔をみせたのだった。
「さて、と。あまり私などと長く話をしていても、殿下を退屈させてしまいますな。クーロ、こちらに来てご挨拶を」
「はい」
 バシリオの声と共に、ホールの奥から、子供が姿をみせる。くるくると良く動く大きな瞳が印象的な少年だった。
 一見した感じ、ベネディクトよりも少し年下なくらいだろうか。皇子の前におずおずと進み出て、きっと慣れていないのだろう、ぎこちなく跪いた。
 少年のお辞儀を見届けて、バシリオが口を開く。
「息子のクーロでございます。食事の支度が調うまで、クーロに屋敷を案内させますので、どうぞ、お心のままにおくつろぎください」
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