紫灰の日時計

二月ほづみ

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エピローグ

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 彼女が去ったアヴァロン城は、まるで太陽を失った日時計のように、時を刻まなくなった。城で暮らす者は皆思った。弱く、城からほとんど外に出ることのできなかったあの美しくて強い少女が、やはりこの城を照らす太陽であったのだと。

 アーシュラが死んでからの時間のことを、エリンはおぼろげにしか思い出せない。
 毎朝どんな風に起きて、何をして時間を過ごしたのか、全てがあやふやで、まるで深い霧の中で生きているように不確かだった。
 顔を合わせること自体少なくなっていたが、ゲオルグも似たようなもののようで、幼い娘の存在と、自らに残された使命とをかろうじて頼りのない支えとし、彼が正式に摂政として担うことになった皇帝の執務をこなしていたように思う。

 悲しみは心臓を止めてくれない。彼女の命に背いても、師のように主の後を追おうと思ったこともある。けれど、それができなくなったのには、理由があった。
 マーゴットが、三度、その命を狙われたのだ。
 誰の差金かは疑うまでもないことだ。しかし、大勢の近衛兵や使用人のうちの一体誰が、皇弟ベネディクトにつながりがあるのか、突き止めることはできなかった。
 エリンは、自分とアーシュラが生み出してしまった憎しみの炎が、未だ消えることなく、この幼い姫を殺そうとしているのだと思い知った。
 絡まったままの、運命の糸が彼を縛る。まだ――死ねなかった。

 皇女マーゴットは、はからずも祖父の意向に沿い、高貴なる菫色High Born Violetを両目に宿していた。それはまだ乳飲み子の彼女が、正統な皇太子であることの証であり――その事実が、当時議会でにわかに持ち上がりつつあった、『瞳の色を継承権の順位選定の最優先事項から削除する』という議案を棚上げさせることになった。
 しかし、立て続けに二人の皇帝を失ったアヴァロン家の力は、アドルフが健在であった頃とは比べようも無いほどに弱体化していた。帝室の旗色が悪くなったと見るや否やアヴァロンと距離を置き、勢力を拡大する皇弟一派に肩入れする貴族も後を絶たず――エウロ議会はその意向を受ける形で、幼い姫を帝位継承者と認めない決議を行い、帝室と対立した。
 信頼できる人間がどこに居るのか、どうすれば幼い姫を守り切ることができるのか。判断のつかない状況の中で、二人が選んだのは――生まれたばかりの皇女を、決してベネディクトに見つからない場所へ隠し、秘密裏に育てるということだった。






 ――そして、それは未だ喪の明けぬ、肌寒く暗い夏の深夜。
 エリンは一人、皇女の部屋の扉を叩いた。返事はない。そのまま静かにドアを開け部屋に入り、そして注意深く閉める。
「……準備が整いました。大公殿下」
「ああ……」
 わかっている、と、ゲオルグはエリンを見ずに言う。小さなベッドに、姫が眠っていた。
「今……寝たところなんだよ」
 名残惜しそうに、柔らかい手のひらに指で触れる。父の指を知らずに握る手は、信じ難いほどに小さく、まるで精巧に作られた芸術品のようだ。
「寝てるとさ、本当に彼女にそっくりなんだ」
「はい……」
「可愛いね」
「……殿下」
「分かってる」
 まだ、ひとかけらの言葉も覚えない、幼いマーゴット。アーシュラが二人のために残した最後の贈り物。
 光の見えぬ、終わらない夜の中で、二人は決断をしたのだ。
 死んでしまった彼女アーシュラと、生まれてきた彼女マーゴットのために。
「僕のマロゥ……」 
 エリンは城を出ることを。
 ゲオルグは城に残ることを。
「……大きくなるんだよ。待っているから」
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