お金は大事だよ〜

二月こまじ

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お金は大事だよ〜2

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 香港へは仕事できた。
 不動産関係の契約と挨拶が終わり、さてなんか美味いもんでも食べて帰るかとタクシーに乗ろうとしたところで突然声をかけられた。

「石井さん」

 異国の地で突然名前を呼ばれ、驚いて振り返る。
 すぐ後ろに黒いマオカラーのジャケットスーツをすっきりと着こなす美青年が立っていた。
 真っ昼間の公園の前に立つには少し浮いた出で立ちだ。だが青年の爽やかな笑顔が、違和感を軽減させた。
 年はずいぶん若く見えるが二十代前半だろうか。長めの前髪を横に流し、気後れしそうなほど整った顔立ちなのに、どこか人懐こく犬のような印象を受ける。
 昼と夜、陰と陽、両方をごちゃまぜにしだような男だ。
 こんな目立つ人物に知り合いがいれば、まず忘れる事はないだろうがどうしても見覚えがない。ただ何となく顔立ちにひっかるものを感じて必死に記憶の糸を探った。

「分かりませんか。ボクのアパートによく来てくれたじゃないですか。正確には兄さんの、かな?」
「君の兄さん……あっ」

 思わず声をあげた。
 あの濃厚な性が香るアパートで、廊下にいつも体育座りしてこちらを睨み付けていた少年。
 そう言われてみれば、少し面影がある。

 それは、若かりし頃恋焦がれた青年にも共通するものだった。
 しかし、なぜ彼が俺にわざわざ声を掛けたのか──。

「随分雰囲気が変わられたから驚きました。香港には仕事で?」
「あ、あぁ。流石に金髪って年でもないよ。あの時は若かったから……。弟…君はどうして?」
「ボクは仕事がこっちなんです。懐かしくて思わず声をかけてしまいました。すいません。意外に日本の方ってこちらでは少ないので、嬉しくなっちゃって」
「そ、そうか」

 これは、言葉通りにとっていいのだろうか?
 俺に対する感情は決して好意的なものではない筈だ。

──実の兄とあんなことをしていたわけだから。

「良かったら、この後食事に行きませんか? 現地の人間しか知らないようなお勧めの料理屋があるんですよ。大抵のものは日本の方が美味しいですが点心はやはりこっちが美味しいです」

 そう言うと、待たせていたタクシーに広東語で何か言う。タクシーの運転手は怯えたように頷くと直ぐに車を発進させ何処かに行ってしまった。
 こうなると、もう断るに断れず、仕方なく弟の後をついて行くことにした。
 何処か得体の知れない弟は、空恐ろしさも感じるが、これは天のお導きかもしれないと、柄にないことも考える。
 ──だって、あの日から、彼のことを忘れたことはないのだから。

 この辺りは昔はスラム街として有名な場所だが、今では綺麗に整備された公園や大きな建物が立ち並ぶ。有名なホテルも何件かあり、いま商談を終えたホテルもそこだった。
 弟は整備された道をどんどん進み、ひょいと裏通りに入っていく。
 するとガラリと雰囲気が変わり、屋台が立ち並ぶ市場が現れた。香辛料と油の香りが漂い、先程と同じ街にいるとはとても思えない。一人では決してくる勇気がない場所だ。
 ここで置いていかれたらと想像すると、急に不安になる。躊躇いなく進んでいく背中に向かって声をかけようとして、俺は彼の名前さえ知らないことに気がついた。

「君は、名前はなんて言うんだい?」

 今更聞くなんて…少し気まずい気持ちになりながらも、必死に背中に向かって呼びかけると、弟が少しだけ歩を緩めて言った。

「こっちでは九龍クーロンって呼ばれてます」
「九龍?」

 からかわれているのではないかと思って眉をあげると、弟が首を振る。

「ここに住んでるんで。あだ名みたいなもんです、ボクの。その方が仕事しやすいから」
「九龍……それじゃあ、日本名は」
「あ、着いた。ここです」

 まるで誤魔化されたようなタイミングに違和感を覚えたが、弟はずんずん店の中に入っていってしまう。仕方なしに後に続くが店の看板には『果物屋』と書かれていた。
 店の中もまるきり上野のアメ横町のような雰囲気で沢山の果物がざっくばらんに並んでいる。客なのか店の人間なのかも分からない四人が上半身裸で麻雀をしていた。
 明らかにここで上等な点心は食べられないだろうと思っていると、弟はその人間達には声もかけずに奥の待合室のようなドアを開ける。
 すると、そこには階段があり弟に続いて降りてみると、突然建物の質が変わった。

 塵一つおちていなさそうな黒の絨毯が一面ひかれ、天井には大きなシャンデリアが吊り下がっている。
 階段の下では待ち構えていたのだろうか。際どいスリットのチャイナドレスを着た女性が無言で個室に案内した。
 白と黒を基調とした部屋の調度類は、先程商談を行った部屋にも引けを取らずに立派なものに見える。

「ここは……なにか秘密の商談用の部屋かなにかか?」

 現地の人間しか来れない、というよりも一般の人間は来れないという方が正しいだろう。
 会員制の秘密クラブのような場所にしか思えない。

「秘密なんて。大げさですね。美味しいものが食べたいけど、人目を気にせず寛ぎたいときに使うんです。堅苦しいのはイマイチ苦手で。さあ、座って下さい。シャンパンが温くなってしまいますよ」

 堅苦しいどころか、蛇に睨まれている気分だ。
 弟が好意的な意味で俺をここに誘ってのではないことはほぼ核心していた。だが、もう今さらだ。逃げようとしたところで、どうなってしまうか分からない。それに、実は俺も弟と話したかった。
 あの、麗しい青年がいまどこで、何をしているのか──。

 俺が生徒会長と関係を持ったのは、高二の夏。
 生徒会長が夜の街で援交をしたのを目撃してからだ。
 同じことを俺にもさせないと皆にバラすと脅し、何度も家に押しかけてセックスした。
 幸い俺の家は裕福だったので、寝るたびに金を渡したが、俺の女になれという脅しには頑なに首を縦に振らなかった。
 俺はその、なけなしの彼のプライドをへし折ってやりたくて、セックスのたびにわざと金を押し付けた。
 生活に困窮している彼は、受け取らざるえないと分かっていたのだ。金で抱かれながら、娼婦のように淫蕩な身体に堕ちていく。
 その姿は酷く淫靡だったが、結局その心を俺に明け渡すことは決してなかった彼。

 卒業と同時に音信不通になり、彼とは疎遠になってしまったが、いまだに心のしこりとなってふとした瞬間に彼を思い出さずにはいられなかった。

干杯ゴンブイ!」
「……ゴンプイ」

 グラスに注がれたシャンパンを一気に煽る。
 高そうなボトルだが味などよくわからない。もう一杯注がれたものも立て続けに飲み干した。
 とても正気で座ってなどいられない。それでも、俺は彼の居場所を聞きたい一心で話しかけた。

「その……お兄さんは、いま……」
「さあ、召し上がってください。日本は残さず食べる、が礼儀ですが、こちらはでは客が食べ切れないほどの量を出す、がマナーなんですよ」

 まるで話を遮るかのようなタイミングで一斉に食事が運ばれてきた。
 積み重ねられたせいろが次々に丸テーブルの上に乗せられていく。

「定番ですけど、ここの蝦餃は美味いですよ。後は牛骨のスープ。一応この後北京ダックもあるのでほどほどにしておいてくださいね。それも是非召し上がって欲しいので」

 快活に笑いながら次々と皿に乗せられ、言われるがまま口に運ぶ。
 恐らくとても美味しいのだろうが、味などよく分からない。
 久しぶりに会った、口を聞くのはほぼ初めての人間に、何故山盛りの点心を食わされているのだろう。
 放っておくと目の前の皿がどんどん増えていく気がして、再度話しかけた。

「その、なんで俺に声を掛けたんだ?」

  日本人が懐かしいとか言うのは明らかに嘘だろう。生徒会長の話題は話を逸らされた。
 だが、向こうから声を掛けてきたのは確かなのだ。
 何か目的があるはずだ。

「何故って、言ったでしょう? 日本人って、こっちは意外に少ないんで嬉しいんですよ」

 肩をすくめて笑う。

「それに、石井さんには感謝しているんです。貴方のおかげでボクらは生きていけたと言っても過言じゃない。正確には、貴方のお金のおかげで」

 どきりと心臓が跳ねた。
 急に本題に入ったのだ。

「……キミには、悪かったと思っている」

 あの時俺は、彼がのぞいているのに気が付いていた。
 自分の兄が不良に組み敷かれ喘ぐ姿を、何度も見せつけられたのだ。
 さぞかし俺のことを恨んでいることだろう。

「なんで謝るんです? 感謝しているって言ってるじゃないですか。そうだ、まだお礼を用意してあるんですよ。取りに行ってくるのでちょっと待っててください」

 そう言うと、弟は止める間もなく部屋を出て行ってしまう。
 残された俺はわけも分からず、目の前の杯を開けるしかない。
 杯が空くと、後ろに控えている美女がすかさず注ぎ足した。
 シャンパンの次に出てきた白酒を飲み干したところで、流石に遅いと思い美女に尋ねる。

「あの……お、、九龍さんはどこに?」
「ただいまお取り込み中です。もう暫くお待ちください」

 流暢な日本語に驚いたが、それよりも待たせておいて取り込み中とはどういうことだ。
 あまり怒れる立場にない事は分かっていたが、やはりヤキモキして席を立った。

「お手洗いはどちらですか?」
「部屋を出て右手にございます」
「ありがとう」

 女性に断って部屋から出る。
 見張られている気がしたが、着いてくることはなかった。
 少し安堵してとりあえず言われた通りに進む。あわよくば外の様子を伺いたかったが、残念ながら廊下には誰もいなかった。
 一面黒色に、金で縁取られた格子型の模様が壁に描かれているだけで、窓のひとつも存在しない。
 どう考えても普通のレストランではない。
 これから自分がどうなるのか、という恐怖は多少あるが、それよりも生徒会長がどうなったか気になった。
 弟の本意は結局分からないが、生徒会長と一緒にいるのは確かなようだ。ということは、この近くにいるのではないだろうか。
 親父に言われるがまま、今の会社に入り不動産の仕事をするのは意外にも楽しくやり甲斐を感じた。
 それでも心はいつも空虚で、ふとした瞬間に思い出すのは彼との濃厚な時間だ。
 憂いを帯びた涼やかな瞳。
 感じると困ったように寄せられる眉。
 少し長めの足の親指。
 しなやかな太腿。
 そして、その更に奥にある──。

 甘やかな追憶は、人の話し声で断ち切られた。
 お手洗いに行く途中の個室から話し声が聞こえる。他にも客がいるらしい。
 こういうところに来るのはどんな客なんだろうという好奇心で、思わず扉の外側から耳をそば立てる。
 すると、中から先程席を立った弟の声が聞こえてきた。

「もう我慢出来ないの? 兄さん」

──いま、兄さんと言ったか?

 じゃあ、この扉の向こうに、生徒会長が?
 俺はいてもたっても居られず、入り口の引き戸を僅かに開ける。
 すると先程よりクリアに、弟の揶揄を含んだ声が聞こえてきた。

「いま大事な話し合いの最中なんだ。もう少し待っててくれないと」
「……でもっ……」

 くぐもった生徒会長の声が聞こえてきた。間違いない。ここにいるんだ。
 声だけではまどろっこしい。
 どうしても姿も確認したくて、引き戸を更に開けて中を覗いた。

 初めに見えたのは、何度も見た白く滑らかな太腿。
 大きく開かされた脚が宙でビクンと小さく跳ねる。
 感じると、キュッと畳まる足の親指。
 驚愕に目を見開いた。
 彼は、中華テーブルの上で大きく脚を開かされていた。それも、スリットが深く入った女性用のチャイナドレスを身に付けてだ。
 開いた脚の中心に、弟が伸ばしている。

「もう、こんなにして……新しい玩具随分気に入ったようだね」
「ひィッ!」

 弟が指を動かす仕草をすると、金属が擦れる音が響いた。ここからは良く見えないが、彼のソコに、何か入っているのは明らかだ。

「こんなに、前も後ろもぐちゃぐちゃにして……なんだか嫉妬してしまうな。玩具でもいいなら、兄さんは、ボクじゃなくても、誰でもいいんじゃない?」
「いゃぁ……っ、助けてェ……ッ」

 むずがる声も、あの日のままで──。
 嫌がっているような、媚びるような、アノ時の声。

「ボクがいいの? ほら、言ってごらん」
「あぁんッ! ヒロがいぃっ、ヒロがいいよぉぉッ」
「兄さん……ッ」

 弟が彼にむしゃぶり付くような口づけをしながら、身体を深く沈める。

「あひぃぃ! あぁぁんッ!」

 パンパンという音が部屋中に響くのを、何処か遠くに感じながら、信じられないことに俺の股間は膨らんでいた。
 彼は、あの日から、何も変わってないように見える。
 変わったのは、組み敷いている相手が俺から弟になっただけ。
 食い入るように見すぎたせいか、一瞬弟と目が合った気がした。
 弟は口の端だけ笑みを浮かべ、より一層深く生徒会長を穿つ。
 あの時──。
 俺も同じようにしていなかったか?
 これが、俺の報いなのか?

 暫く茫然とそこに立ち竦んでいたが、いつの間にか黒服を着た男に肩を叩かれ外に連れ出された。
 ナンバーが書いてないタクシーに乗らされ、ずしりと重い紙袋を渡される。

「コレは、ボスからのお礼だそうです。これで借りは返したと仰ってました。全て洗濯済みなのでご安心ください」

 タクシーの中で中身を確認すると、ざっと三百万以上の日本円が束になって入っていた。
 どんな金なのか分からない。
 だが、弟は軽くこれを俺に渡せるほどの金を手に入れたのだ。
 そして、彼も──。

 この金は恐らく手切金で、金輪際関わるなという脅しなのだろう。
 自分とのセックスの様子を見せたのも、お前は用済みだということを示したかったに違いない。

だが──。

(弟が俺の代わりになれたなら、また、俺が弟の代わりになることも可能なんじゃないか?)


そのためには、
まずは金だな。

と俺は思った。
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