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第一章 巴里の憂鬱
第7話「ラザール・セルヴェの愛」
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「俺が、気が付かないとでも思ったのか」
「貴族」として振舞っていたドミニクが、一転して生身の「ドミニク」として言葉を発する。
瞳が隠された状態でも、その表情の悲痛さはよく伝わった。
「ラザール・セルヴェ。……いや……」
首のない影が、おれの身体に重なる。
「ジャン……!!」
再び、ドミニクはおれを「ジャン=バティスト」として呼んだ。
違う。
……おれは……
おれは、もう、ジャン=バティストじゃない。
***
ドミニクの手記を読んだのは、少年期だった。
父が古書店で手に入れた本に、偶然、その手記が載っていた。言葉の意味もわからない頃から、不思議と心が惹き付けられ、おれは迷わず詩人の道を志した。
どこかで、確信していたのもある。
……自分が「芸術家」だと。
成長し、いつもの如く頁を捲っていたある日、唐突に思い出した。
おれが、かつてドミニクの恋人、ジャン=バティストであったことを。
そこからは後悔の日々が続いた。
革命後、おれは恐怖政治に心を痛めたドミニクのため、新政権を批判する絵を描いた。
当時のおれは……画家ジャン=バティストは、自らの絵筆で横暴と闘うことができると無邪気に信じていた。
たとえこの命が断頭台によって絶たれたとしても、ドミニクやシリルが泣かずに済む世界に近付けばと──
けれど、ドミニクの手記に記されていたのは、果てしのない絶望だった。
ジャン=バティストは、致命的な間違いをした。
愛する人を救うつもりが、逆に、深い絶望の淵へと叩き落としてしまった。
おれはもう、画家ジャン=バティストじゃない。
ジャン=バティストの記憶を受け継いだとはいえ、あんな、バカな男と同一人物であっていいものか。
おれは、ジャン=バティストとは違う。……愛する人を苦しめた男じゃない。
「……貴方は、死すらも選ばなかった」
ひび割れた手を握る。
陶磁器のように白く、冷たい手が、おれの体温に包まれてびくりと震えた。
「愛する恋人と、死後に再び巡り会うことすら拒否した」
おれの頬を、温い液体が伝う。
「ジャン=バティストの愛では、貴方を救えない」
おれはラザールだ。ジャン=バティストじゃない。
……貴方を絶望に叩き落とした男と、同一であっていいものか。
「貴族」として振舞っていたドミニクが、一転して生身の「ドミニク」として言葉を発する。
瞳が隠された状態でも、その表情の悲痛さはよく伝わった。
「ラザール・セルヴェ。……いや……」
首のない影が、おれの身体に重なる。
「ジャン……!!」
再び、ドミニクはおれを「ジャン=バティスト」として呼んだ。
違う。
……おれは……
おれは、もう、ジャン=バティストじゃない。
***
ドミニクの手記を読んだのは、少年期だった。
父が古書店で手に入れた本に、偶然、その手記が載っていた。言葉の意味もわからない頃から、不思議と心が惹き付けられ、おれは迷わず詩人の道を志した。
どこかで、確信していたのもある。
……自分が「芸術家」だと。
成長し、いつもの如く頁を捲っていたある日、唐突に思い出した。
おれが、かつてドミニクの恋人、ジャン=バティストであったことを。
そこからは後悔の日々が続いた。
革命後、おれは恐怖政治に心を痛めたドミニクのため、新政権を批判する絵を描いた。
当時のおれは……画家ジャン=バティストは、自らの絵筆で横暴と闘うことができると無邪気に信じていた。
たとえこの命が断頭台によって絶たれたとしても、ドミニクやシリルが泣かずに済む世界に近付けばと──
けれど、ドミニクの手記に記されていたのは、果てしのない絶望だった。
ジャン=バティストは、致命的な間違いをした。
愛する人を救うつもりが、逆に、深い絶望の淵へと叩き落としてしまった。
おれはもう、画家ジャン=バティストじゃない。
ジャン=バティストの記憶を受け継いだとはいえ、あんな、バカな男と同一人物であっていいものか。
おれは、ジャン=バティストとは違う。……愛する人を苦しめた男じゃない。
「……貴方は、死すらも選ばなかった」
ひび割れた手を握る。
陶磁器のように白く、冷たい手が、おれの体温に包まれてびくりと震えた。
「愛する恋人と、死後に再び巡り会うことすら拒否した」
おれの頬を、温い液体が伝う。
「ジャン=バティストの愛では、貴方を救えない」
おれはラザールだ。ジャン=バティストじゃない。
……貴方を絶望に叩き落とした男と、同一であっていいものか。
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