零ちた詩人に永久の愛を

譚月遊生季

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第二章 懺悔録

第1話「身分違いの愛」

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 ジャン=バティストは庶民の生まれだった。

 いや、庶民とくくるのはさすがに大雑把だろうか。
 少なくとも貴族ノーブルではなかったが、食うに困るほどの労働者プロレタリアートでもなかった。
 とはいえ資産階級ブルジョワジーと呼ぶのはいささか抵抗がある。後世に言葉の意味が変遷したせいで、その呼称ではさも裕福だったかのような誤解を与えてしまうだろう。

 そこそこの商家の息子として生まれたが早くに親を失い、特技の絵によってどうにか後援者パトロンを得た、幸運なのか不運なのか、恵まれているのか飢えているのかよくわからない男。それが、ジャン=バティストだ。

 そして、そのパトロンこそが、ドミニクだった。

「お恥ずかしながら、あまり芸術に造詣が深いとは言えなくてな。芸術家アルティストである貴殿の方が、よほど詳しいはずだ」

 そう自嘲じちょう気味に微笑みながらも、彼の視線はおれの絵に真っ直ぐ注がれていた。

「このように、魂のこもった作品を創り上げられるのだから」

 彼はおれの絵に惹かれ、おれは彼の立ち居振る舞いに惹かれた。
 ドミニクは美しかった。
 端正な顔の造形だとか、均整の取れた肉体だとか、少し掠れた落ち着いた声だとか、そういった外見も勿論美しい。
 だが、何より惹かれたのは気高く、慈愛と包容力に満ちた魂だ。
 性別は違えど、おそらくは聖母マリアもこのような気質を持っていたに違いない。魂そのものがたっとく、さりとて冷たくはなく、むしろ心地の良い温もりすら感じさせる……

 ともかくだ。
 ジャン=バティスト・ボンヌフォワは、ひと目見た時からドミニク・ド=シャトーエルヴェのとりこだった。

「ジャン、そんなに熱い視線で見つめるな。さすがに気になってしまう」
「えっ、あっ、す……すみません!」
「……一つ、聞いていいか」
「は、はい……?」
「抱きたいのか、抱かれたいのか。どっちだ」
「……!? そ、それは……貴方を、抱いても良いと……?」
「好きなようにするといい」

 偶然にもドミニクは同性愛者だった。
 おれは……ドミニクが男であろうが女であろうが、それがドミニクであれば、心惹かれたのだろう。

 惹かれあった二人は密かに恋仲となり、おれは彼に絵とともにいくつもの愛の言葉を贈った。

 肉体関係も……まあ、ないわけではなかったし、ベッドの上のドミニクの魅力は筆舌に尽くし難いものがある。……が、二人は心の結びつきの方を強く求めた。

「性別も、身分も、おれ達の前には関係ない。……それを、証明していこう」
「……ああ」
「貴族でも、庶民でもない。。……愛してる。ドミニク」
「良いことを言うな。お前はお前で、俺は、俺だ」
「……! そうかい? 思いついたことを言ってみただけなんだけれど」
「……ああ、本当に、良いことを言ってくれた。お前には、詩人の才能もあるらしい」
「君が望むなら、これから、何度だって愛を語るよ」
「そうか。それなら、月に数度でいい」
「……意外と少ないんだね……」

 この愛さえあれば、どんな苦難も乗り越えていける。
 この想いさえあれば、どんなことでも耐えられる。

 少なくとも、おれは、そう信じていた。
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