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5月
第5話 dieu
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「我らは神に見放されたのだ。……だが、この手で荒地を切り開いてきた」
栗毛の男は、正座する女の前でそう語った。
周りをぐるりと囲み、ぎろりと睨めつける視線のさなか、堂々たる「威圧」を放って。
「……戯けたこと。神は必ずしも人を守るものではありますまい。我ら「大神」が守るは土地。この血も、ヒトのかたちがそれに相応しいと認めたまで」
女は背筋を伸ばし、迷いなく言い放った。
結わえた黒髪にしっかりと着付けられた着物、剣呑な眼差し……覚悟と信念を持ち、彼女はそこに座っていた。
「貴方がた「吸血鬼」がこの土地に災禍をもたらさぬのであらば、我らは興味も脅威も覚えることはないでしょう」
「……ほう」
男はニィ、と笑った。
侮蔑、嘲笑……そういった類のものだと、傍観していた幼い双子にも分かった。
「なるほど。自らの立場を、随分と高く見積もっておられる」
「……何と?」
空気が凍る。
「いつまでも、神の立場にいられるとでも?」
挑発する声音に、刃の抜かれる音。「無礼な」と叫ぶ怒号……。
しかし、女は座したまま、金の瞳を輝かせていた。
「無論、思うてはおりませぬ。ゆえに、一族を、ひいてはこの土地を……民草を守り抜くことこそ、わたくしが負うた役目にございます」
夫を失ったばかりの女は、少しも動じることなく、凛とそこに座していた。
……その日、母の姿に太郎右近は感銘を受け、……次郎左近は、恐怖を抱いたのだ。
***
「全ては誇り高き人類のために!」
集会の最後を締めくくる言葉が、会場に響きわたる。隅の方で肩を竦め、晃一は踵を返した。
「おい、まだ祈りの時間が残されているぞ」
会場を埋めつくした「信者」と揃いのローブを羽織り、壮年の女……須藤早苗が立ち塞がるよう前に立つ。
「早苗ちゃん、あっちの仕事でちょーっと用事あるから、抜けるの許してくんない?」
「今日は日曜だが」
「京じい……あー……陸上部の顧問がぎっくり腰でね?代わりに試合見に行かないとなの。お願い!」
早苗は訝しげに目を細めたが、「……そうか」と頷き、渋々扉を開けた。
「そういった理由ならば、神はお許しになるだろう」
「そうそう、それくらいじゃ矢嶋の爺さんも怒らないよ」
「何を勘違いしている。矢嶋源三郎さまはあくまで伝道者。神の声を聞かれるものだ」
「……分かってるよ。言い間違えただけだっての……」
ガチで言ってるのが怖いんだよな……と、口には出さず、晃一は地下の「祭場」を後にした。
ローブをサッと脱げば、既に下はジャージに着替え済みだ。早苗にバレれば「捕獲用」の銃を突きつけられかねないが、楽であることに変わりはない。
「暁十字の会本部」と書かれた門をくぐり抜け、そそくさと市民グラウンドに向かう。……この時間なら、集合時間にも間に合いそうだ。
ピストルの音が響き、並んだ少女達が弾け飛ぶように走り出す。
飛び抜けたままゴールテープを切った少女は、観客席の美和、シャルロットに向けて「どうだー!!見たかー!!」と声を張り上げた。
「すごい……!奈緒ちゃん、風みたいだった!」
麦わら帽子と日焼け止めとサンバイザーという完全防備スタイルで、シャルロットはパチパチと拍手を送る。
「そうね……。そもそも、奈緒に勝てる同年代の女子なんているのかしら」
流れる汗をタオルで拭いながら、美和は友人の晴れ姿を眺めていた。……隣で、顧問代理の晃一は爆睡中だ。
「……東郷先生、よく寝てるわね……」
「朝、早かったんだよね……。起きた時にはもう家出てて……」
「……そういえばシャルちゃん、一緒に暮らしてるんだったわね。何かあったらすぐ警察に言うのよ」
「な、何もないよ!そういうことする人じゃな……いよ……ね? たぶん……」
後半から自信がなくなってきたのか、シャルロットの声が細くなる。
「心配だわ……」と、美和も眉間を押さえた。
ちらりと、シャルロットは控え席の部員に視線をやる。そそくさと目を逸らされ、「能力」は生きているのだと再確認した。
奈緒が意気揚々と帰ってきたところで、晃一は初めて目を覚ました。
「ふわぁ、よく寝た……。光川、予選一位だってな、おめっとさん」
そして、あくび混じりに、テキトーな賛辞を送る。
「センセーそれはなくない!?そこはあたしの勇姿を見とくとこじゃん!?」
「みんなのブルマ姿はちゃんと目に焼き付けてるから、安心しなさい」
ギャンギャンと吠えたてる奈緒と、ひらひらと手を振る晃一。
シャルロットはどう諫めれば良いのか分からずおろおろと狼狽えるが、
「先生、通報しますよ」
「ゴメンナサイ」
美和の一言で全ては鎮まった。
「次は決勝があるの?」
「そうそう~。あたしが陽岬イチのスピードウーマンだって分かるハズ」
他の部員も大方解散した帰り道、晃一にたかった棒アイスにかぶりつきながら、奈緒は晴れやかに語る。
傾いた夕陽が赤々と道路を染めあげ、シャルロットは思わず目を細めた。
「奈緒、どうせなら神社にお参りに行かない?」
石段に差し掛かったところで、美和は外れたアイスの棒で上を指し示す。
シャルロットが見あげれば、光を受けて輝く鳥居がそこにあった。
「いいねぇ。神様にお願いして、パワーアップしちゃおっか」
「……わたしは……」
既に体力は消耗している。登る余力があるとは、とても思えない。
……それでも、断る勇気がなかった。
「えー、先生はもう疲れちゃったなー」
晃一がわざとらしく不満を漏らす。
シャルロットのためか、それとも本当にかったるいのか……おそらくは、両方だろう。
「えー!でもでも、せっかく通りがかったんだしぃ……」
「光川と花野で行ってきたら?俺と久住は買い物して帰るから」
「……それもいいかもしれないわね。シャルちゃん、少し顔色悪いもの」
美和が顔を覗き込み、「大丈夫?」と聞いてくる。
……申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちで溢れそうになる涙を懸命に隠し、シャルロットは「大丈夫」と頷いた。
「……じゃ、帰ろっか」
「は、はい」
背の高い晃一の隣を歩きながら、シャルロットは、うるさく鳴り響く鼓動を抑えるのに必死だった。
***
「市大会で優勝できますように!ついでに県大会も!!もっと言えば日本選手権も!!」
「……強欲すぎないかしら」
手を合わせて祈る奈緒の横で、美和は呆れたように呟く。
「……この神社、大神神社って言うんですって。知ってる?」
「知ってる知ってる。パワースポットだしー、怪物出るって噂もあるしー」
くるりと踵を返し、石畳を通り、帰りの石段に差しかかる。
「怪物?」
「そうそう、逢魔が刻……夕方になると、「出る」んだって」
「夕方……?」
それは、ちょうど今頃の時刻。陽は先程よりも傾き、あたりは闇に沈みつつある。
「吸血鬼。人の血に取り憑かれた哀れな怪物」
どこか愉しげに、奈緒は語る。
会ってみたいのか、話してみたいのか、……それとも。
「……オヤジさぁ、どんな気持ちで闘ったんだろうね?」
「……奈緒?」
1歩、1歩と石段を降りていく脚は軽やかで、勇ましい。
きらりと輝く八重歯。……彼女は確かに、「小鳥遊組の戦神」の血を引いている。
──風が、吹き抜けた。
「……へぇ、面白いこと言うね。お姉さん」
石段の下、その少年は足音も立てず現れた。流れるような金髪が沈みかけた陽を照り返し、輝く。
「……いつの間に……?」
ごくりと息を呑む美和。へぇ、と、歓喜のため息を漏らす奈緒。
少年の瞳は、真っ赤に煌めいていた。
「人間ごときが偉そうに……。まさか、本当に僕らヴァンパイアに勝てるとでも?」
にやりと笑った口元から、鋭い牙が覗く。
「……さぁ? やってみないと分かんなくない?」
ポキポキと指の関節を鳴らし、少女は、修羅を解き放つ。
「奈緒、何!?何するつもり!?」
「そんだけ煽るんならさァ、強いんだね?楽しませてくれるんだよねぇ?坊や!!」
奈緒は助走をつけ、石段から飛び降りる。……その先で待つ、異形の少年目がけて体当たりするように。
少年は待ち構えるように佇み、その両手を広げ、誘う。
……かくして、彼らも出会いを果たした。
栗毛の男は、正座する女の前でそう語った。
周りをぐるりと囲み、ぎろりと睨めつける視線のさなか、堂々たる「威圧」を放って。
「……戯けたこと。神は必ずしも人を守るものではありますまい。我ら「大神」が守るは土地。この血も、ヒトのかたちがそれに相応しいと認めたまで」
女は背筋を伸ばし、迷いなく言い放った。
結わえた黒髪にしっかりと着付けられた着物、剣呑な眼差し……覚悟と信念を持ち、彼女はそこに座っていた。
「貴方がた「吸血鬼」がこの土地に災禍をもたらさぬのであらば、我らは興味も脅威も覚えることはないでしょう」
「……ほう」
男はニィ、と笑った。
侮蔑、嘲笑……そういった類のものだと、傍観していた幼い双子にも分かった。
「なるほど。自らの立場を、随分と高く見積もっておられる」
「……何と?」
空気が凍る。
「いつまでも、神の立場にいられるとでも?」
挑発する声音に、刃の抜かれる音。「無礼な」と叫ぶ怒号……。
しかし、女は座したまま、金の瞳を輝かせていた。
「無論、思うてはおりませぬ。ゆえに、一族を、ひいてはこの土地を……民草を守り抜くことこそ、わたくしが負うた役目にございます」
夫を失ったばかりの女は、少しも動じることなく、凛とそこに座していた。
……その日、母の姿に太郎右近は感銘を受け、……次郎左近は、恐怖を抱いたのだ。
***
「全ては誇り高き人類のために!」
集会の最後を締めくくる言葉が、会場に響きわたる。隅の方で肩を竦め、晃一は踵を返した。
「おい、まだ祈りの時間が残されているぞ」
会場を埋めつくした「信者」と揃いのローブを羽織り、壮年の女……須藤早苗が立ち塞がるよう前に立つ。
「早苗ちゃん、あっちの仕事でちょーっと用事あるから、抜けるの許してくんない?」
「今日は日曜だが」
「京じい……あー……陸上部の顧問がぎっくり腰でね?代わりに試合見に行かないとなの。お願い!」
早苗は訝しげに目を細めたが、「……そうか」と頷き、渋々扉を開けた。
「そういった理由ならば、神はお許しになるだろう」
「そうそう、それくらいじゃ矢嶋の爺さんも怒らないよ」
「何を勘違いしている。矢嶋源三郎さまはあくまで伝道者。神の声を聞かれるものだ」
「……分かってるよ。言い間違えただけだっての……」
ガチで言ってるのが怖いんだよな……と、口には出さず、晃一は地下の「祭場」を後にした。
ローブをサッと脱げば、既に下はジャージに着替え済みだ。早苗にバレれば「捕獲用」の銃を突きつけられかねないが、楽であることに変わりはない。
「暁十字の会本部」と書かれた門をくぐり抜け、そそくさと市民グラウンドに向かう。……この時間なら、集合時間にも間に合いそうだ。
ピストルの音が響き、並んだ少女達が弾け飛ぶように走り出す。
飛び抜けたままゴールテープを切った少女は、観客席の美和、シャルロットに向けて「どうだー!!見たかー!!」と声を張り上げた。
「すごい……!奈緒ちゃん、風みたいだった!」
麦わら帽子と日焼け止めとサンバイザーという完全防備スタイルで、シャルロットはパチパチと拍手を送る。
「そうね……。そもそも、奈緒に勝てる同年代の女子なんているのかしら」
流れる汗をタオルで拭いながら、美和は友人の晴れ姿を眺めていた。……隣で、顧問代理の晃一は爆睡中だ。
「……東郷先生、よく寝てるわね……」
「朝、早かったんだよね……。起きた時にはもう家出てて……」
「……そういえばシャルちゃん、一緒に暮らしてるんだったわね。何かあったらすぐ警察に言うのよ」
「な、何もないよ!そういうことする人じゃな……いよ……ね? たぶん……」
後半から自信がなくなってきたのか、シャルロットの声が細くなる。
「心配だわ……」と、美和も眉間を押さえた。
ちらりと、シャルロットは控え席の部員に視線をやる。そそくさと目を逸らされ、「能力」は生きているのだと再確認した。
奈緒が意気揚々と帰ってきたところで、晃一は初めて目を覚ました。
「ふわぁ、よく寝た……。光川、予選一位だってな、おめっとさん」
そして、あくび混じりに、テキトーな賛辞を送る。
「センセーそれはなくない!?そこはあたしの勇姿を見とくとこじゃん!?」
「みんなのブルマ姿はちゃんと目に焼き付けてるから、安心しなさい」
ギャンギャンと吠えたてる奈緒と、ひらひらと手を振る晃一。
シャルロットはどう諫めれば良いのか分からずおろおろと狼狽えるが、
「先生、通報しますよ」
「ゴメンナサイ」
美和の一言で全ては鎮まった。
「次は決勝があるの?」
「そうそう~。あたしが陽岬イチのスピードウーマンだって分かるハズ」
他の部員も大方解散した帰り道、晃一にたかった棒アイスにかぶりつきながら、奈緒は晴れやかに語る。
傾いた夕陽が赤々と道路を染めあげ、シャルロットは思わず目を細めた。
「奈緒、どうせなら神社にお参りに行かない?」
石段に差し掛かったところで、美和は外れたアイスの棒で上を指し示す。
シャルロットが見あげれば、光を受けて輝く鳥居がそこにあった。
「いいねぇ。神様にお願いして、パワーアップしちゃおっか」
「……わたしは……」
既に体力は消耗している。登る余力があるとは、とても思えない。
……それでも、断る勇気がなかった。
「えー、先生はもう疲れちゃったなー」
晃一がわざとらしく不満を漏らす。
シャルロットのためか、それとも本当にかったるいのか……おそらくは、両方だろう。
「えー!でもでも、せっかく通りがかったんだしぃ……」
「光川と花野で行ってきたら?俺と久住は買い物して帰るから」
「……それもいいかもしれないわね。シャルちゃん、少し顔色悪いもの」
美和が顔を覗き込み、「大丈夫?」と聞いてくる。
……申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちで溢れそうになる涙を懸命に隠し、シャルロットは「大丈夫」と頷いた。
「……じゃ、帰ろっか」
「は、はい」
背の高い晃一の隣を歩きながら、シャルロットは、うるさく鳴り響く鼓動を抑えるのに必死だった。
***
「市大会で優勝できますように!ついでに県大会も!!もっと言えば日本選手権も!!」
「……強欲すぎないかしら」
手を合わせて祈る奈緒の横で、美和は呆れたように呟く。
「……この神社、大神神社って言うんですって。知ってる?」
「知ってる知ってる。パワースポットだしー、怪物出るって噂もあるしー」
くるりと踵を返し、石畳を通り、帰りの石段に差しかかる。
「怪物?」
「そうそう、逢魔が刻……夕方になると、「出る」んだって」
「夕方……?」
それは、ちょうど今頃の時刻。陽は先程よりも傾き、あたりは闇に沈みつつある。
「吸血鬼。人の血に取り憑かれた哀れな怪物」
どこか愉しげに、奈緒は語る。
会ってみたいのか、話してみたいのか、……それとも。
「……オヤジさぁ、どんな気持ちで闘ったんだろうね?」
「……奈緒?」
1歩、1歩と石段を降りていく脚は軽やかで、勇ましい。
きらりと輝く八重歯。……彼女は確かに、「小鳥遊組の戦神」の血を引いている。
──風が、吹き抜けた。
「……へぇ、面白いこと言うね。お姉さん」
石段の下、その少年は足音も立てず現れた。流れるような金髪が沈みかけた陽を照り返し、輝く。
「……いつの間に……?」
ごくりと息を呑む美和。へぇ、と、歓喜のため息を漏らす奈緒。
少年の瞳は、真っ赤に煌めいていた。
「人間ごときが偉そうに……。まさか、本当に僕らヴァンパイアに勝てるとでも?」
にやりと笑った口元から、鋭い牙が覗く。
「……さぁ? やってみないと分かんなくない?」
ポキポキと指の関節を鳴らし、少女は、修羅を解き放つ。
「奈緒、何!?何するつもり!?」
「そんだけ煽るんならさァ、強いんだね?楽しませてくれるんだよねぇ?坊や!!」
奈緒は助走をつけ、石段から飛び降りる。……その先で待つ、異形の少年目がけて体当たりするように。
少年は待ち構えるように佇み、その両手を広げ、誘う。
……かくして、彼らも出会いを果たした。
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