『Mon ami』

譚月遊生季

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Mon ami (我が友)

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 指先に鋭い痛みが走った。
 口元に持っていき、含んでから深く切りつけたことに気が付く。

 赤い血を垂れ流す傷口は、ぼやけて具合が分からない。
 ……彫りかけの作品も、ぼやけて形が分からない。

 この目が光を失おうと、指先だけで形を知ることができたのならば、ここまで失意に沈むこともなかったのだろうか。
 再び彫刻刀を掴もうとし、取り落としてしまう。

 かん、と、床に金属がぶつかる音が、耳に刺さった。

 私は、彫刻家を長年の生業としてきた。
 飢えに苦しんだ時も、妻を、子を失った時も、自らの腕前だけは、自らの作品だけは、いつでも心の支えとなってくれた。

 ……だと言うのに。
 それすらも奪い去っていくと言うのですか、主よ。



 息子の柩に作品を収めた時には、もう、自分の手元すらよく見えない有様だった。



 嗚呼、創りたい。
 我が魂の叫びを形にしたい。
 私はもはや、それだけのために生きている。

 また、近いうちに革命が起こるだろう。
 幾度大衆が血を流し、幾度ギロチンが首をはね、幾度支配者が移り変われば、この騒乱に終わりが来るのだろうか。多くの民が夢に見た輝かしい未来は、本当に訪れるのだろうか。

 創りたい。
 傷つき、荒んだ心を癒せるほどの何かを生み出したい。
 たとえこの手が無力でも、運命に苛まれるだけの小さき存在だとしても、このまま朽ち果ててなるものか。

 床に転がった彫刻刀をどうにか探り当て、拾い上げる。
 この目から光が失われる前に、
 この手が彫刻刀を握れなくなる前に、
 せめて、せめて、この魂だけは形にせねばなるまい。

 まだ見ぬ作品が、私の手の内で完成を待っている。誕生の時を待っている。
 待っていておくれ。私の懊悩を、切望を、咆哮を、かたどってみせよう。
 光は失われていく。希望も潰えていく。祈りは届かず、刻一刻と彫刻家としての私は死んでいく。
 せめて、生きた証を、足掻いた爪痕を、遺さねばなるまい。
 最後になろうとも、そして最期になろうとも、私の……彫刻家セルジュ・グリューベルの生きた証を、刻みつけねばなるまい……!



 やがて、確かな手応えが指先から伝わった。



 ぼやけた視界が、優しく微笑む人形を映す。
 柔らかな微笑みは、私の心を失意の淵からそっと掬いあげ、光を灯した。

 創りたい。
 ……ならば、創ればいい。
 目が見えなくとも、彫刻刀を握れなくとも、創ることはできる。
 まだ耳がある、鼻がある、口がある、手足がある。……何より、心がある。

 視界が闇に沈んでいく。
 人形の微笑みも、次第に見えなくなっていく。
 けれど、光は失われていない。
 私の心で、確かに燃えている。

 そうだ。名前をつけなくては。
 『遺作』? ……いいや、私は生き延びた。
 『子ども』? ……いいや、それはどの作品も同じだ。
 ならば、『天啓』? ……いいや、天の主よりも、もっと近しいところに「彼」はいる。

 傷ついた指先で、穏やかな表情をなぞる。
 私の懊悩も、切望も、咆哮もすべて傍らで見てきた「彼」に、相応しい名──

「アナタは『我が友Mon ami』……私の、友人です」

 今までも。そして、も。
 共に歩もう。『我が友』よ。



 私は、セルジュ・グリューベルは、ここに生きている。
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