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第1章 Really of Other
2. 2019年 夏
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ロデリック・アンダーソン著『City of Loser』の発売から半年が経過した。
限られた部数で発行されたのは自費出版であったから、問題作であったから……などと、多くの噂がある。
同氏が別の名義で出している児童文学とは作風がまったく違い、怪奇要素を加えつつ現代社会を風刺したサスペンス小説であることに驚いた読者は少なくない。
そんな中、ひとつの誤植が話題となった。
登場人物……しかも主人公の一人とも言える人物の名前が、一箇所のみアンダーソン氏本人となっていたのだ。
また、こんな噂もある。
プライバシーに関わる作品を出版するのはリスクが高いと判断されたため、登場人物の名前は出版に際して変更されたが、『City of Loser』に書かれていることは実際に起こった物語だ……と。
インターネットの片隅、どこかのホームページでは登場人物名を修正する前の原稿を読むこともできる……という噂もある。
本人はそのことについて口を閉ざしており、どの媒体のインタビューにおいてもはぐらかしたような答えしか返さない。
……だが、本当にこの作品が「実話」であったとするならば、霊魂や呪いが実在することに──
***
「なるほど、ジョークセンスはなかなかいいね」
最後まで読むことなく、編集長はテキストファイルを閉じた。私の血と涙の結晶……渾身の記事はパソコンの「ゴミ箱」フォルダに消えていく。
「さて、ウチはいつから三流ゴシップ誌になったんだったか」
「あ、アンダーソン氏の名誉を傷つけることは書いていませんし、むしろ宣伝になるやも……」
「途中までは悪くなかった。だけど、霊魂や呪いについて書かれた話が実話だって言うなら、君には別途研修を受けてもらう必要が出てくる」
「……ぐぅ……」
私だって、記者の端くれだ。いくら所属が大衆向けの雑誌とはいえ、事実と虚構の区別ぐらいはつく。ついでに言えば、ウチの雑誌が三流ではなく二流程度の格はあるということも。
「とにかく、やり直しだ。いいね?」
「……わかりました」
「オリーヴ・サンダース。君の実力はそんなものじゃないはずだ。……次の記事を期待しているよ」
こういうフォローを忘れないところは、いい上司だと思わなくもない。
……まあ、この人の場合、私以外の部下にも判で押したように同じことを言うんだろうけれど。
記事に書こうとしたロデリック・アンダーソンと私は、ちょっとした昔馴染みだ。
数ヶ月前に取材を申し込んだことでようやくネットから現実の友人になったぐらいの関係で、仲良くはしているけれど顔を知ったのは最近、ということになる。
あいつは辛気臭いし陰鬱だし卑屈だけど、いわゆる「いいやつ」だってことはよく分かっている。……だからこそ、「こいつなら取材してもイケる」なんて思ってる私は、我ながら結構ずるいやつかもしれない。
「ハーイ、ロデリック。元気ー?」
『……オリーヴか。あれ以上のネタは出せねぇぞ』
「それがさぁ、案の時点でボツになっちゃった」
『おう、そうか。まともな雑誌社に勤められてて良かったよ』
「……ぐぅ」
ロデリックに電話してみると、気だるげにあしらわれてしまった。
私が彼とインターネットで知り合ったのは10年くらい前。当時の私は酷く落ち込んでいて、彼とSkipeチャットをすることが生きがいのひとつだった。
7年くらい前だったかな。話の流れでこのまま付き合うのはどう? なんて、ノリで送ってみたら、なんと真剣に数日間悩まれた。結果、「どうしてもそういう目で見れない」と言われたけど、特に気まずくもならず現在も友人として接している。
本音を言うと、その方が私もありがたかった。……今でもまだ、過去の恋を割り切れてるわけじゃないし。
まあ、ロデリック相手なら傷を舐めあって新たな恋に……なんてのも、悪くはなかったけど。
「ところで、奥さん元気?」
『てめぇのイタズラに誤解してキレるくらいには元気だよ』
「ご、ごめん……いや、でもさ、お前が婚約してるって知ってたら流石にやらなかったって」
『恋人いる想定ぐらいしろよ……』
「……そうだね、うっかりしてた」
ロデリックと私はかつて、同じ痛みを抱いていた。
……だからこそ、考えもしなかった。ロデリックが新たな恋に進むことも……失われたはずの愛が戻ってくることも。
とはいえ、かき乱したことを申し訳ないとは思っている。新作の販促に協力しようと思ったのも、そういう流れ。
「ねぇねぇ、今度会わせてよ」
『あ? てめぇ……まさかアンに気があんのか』
「なんでそうなるの!? っていうか私女ぁ!!」
『バカにしてんのか。アンは男女問わず魅力的に見えるに決まってんだよ』
「なんか、奥さん絡んだ時のロデリック……怖いね……」
『……うるせぇ』
この時の私は知らなかった。
私たちの現在が、どれほど薄氷の上に成り立っているのかを。
「敗者の街」が、すぐそこでぽっかりと口を開けていることも……何一つ、知らずにいた。
今から語ることは、私が見た事実で、現実だ。
そのつもりで、受け止めて欲しい。
限られた部数で発行されたのは自費出版であったから、問題作であったから……などと、多くの噂がある。
同氏が別の名義で出している児童文学とは作風がまったく違い、怪奇要素を加えつつ現代社会を風刺したサスペンス小説であることに驚いた読者は少なくない。
そんな中、ひとつの誤植が話題となった。
登場人物……しかも主人公の一人とも言える人物の名前が、一箇所のみアンダーソン氏本人となっていたのだ。
また、こんな噂もある。
プライバシーに関わる作品を出版するのはリスクが高いと判断されたため、登場人物の名前は出版に際して変更されたが、『City of Loser』に書かれていることは実際に起こった物語だ……と。
インターネットの片隅、どこかのホームページでは登場人物名を修正する前の原稿を読むこともできる……という噂もある。
本人はそのことについて口を閉ざしており、どの媒体のインタビューにおいてもはぐらかしたような答えしか返さない。
……だが、本当にこの作品が「実話」であったとするならば、霊魂や呪いが実在することに──
***
「なるほど、ジョークセンスはなかなかいいね」
最後まで読むことなく、編集長はテキストファイルを閉じた。私の血と涙の結晶……渾身の記事はパソコンの「ゴミ箱」フォルダに消えていく。
「さて、ウチはいつから三流ゴシップ誌になったんだったか」
「あ、アンダーソン氏の名誉を傷つけることは書いていませんし、むしろ宣伝になるやも……」
「途中までは悪くなかった。だけど、霊魂や呪いについて書かれた話が実話だって言うなら、君には別途研修を受けてもらう必要が出てくる」
「……ぐぅ……」
私だって、記者の端くれだ。いくら所属が大衆向けの雑誌とはいえ、事実と虚構の区別ぐらいはつく。ついでに言えば、ウチの雑誌が三流ではなく二流程度の格はあるということも。
「とにかく、やり直しだ。いいね?」
「……わかりました」
「オリーヴ・サンダース。君の実力はそんなものじゃないはずだ。……次の記事を期待しているよ」
こういうフォローを忘れないところは、いい上司だと思わなくもない。
……まあ、この人の場合、私以外の部下にも判で押したように同じことを言うんだろうけれど。
記事に書こうとしたロデリック・アンダーソンと私は、ちょっとした昔馴染みだ。
数ヶ月前に取材を申し込んだことでようやくネットから現実の友人になったぐらいの関係で、仲良くはしているけれど顔を知ったのは最近、ということになる。
あいつは辛気臭いし陰鬱だし卑屈だけど、いわゆる「いいやつ」だってことはよく分かっている。……だからこそ、「こいつなら取材してもイケる」なんて思ってる私は、我ながら結構ずるいやつかもしれない。
「ハーイ、ロデリック。元気ー?」
『……オリーヴか。あれ以上のネタは出せねぇぞ』
「それがさぁ、案の時点でボツになっちゃった」
『おう、そうか。まともな雑誌社に勤められてて良かったよ』
「……ぐぅ」
ロデリックに電話してみると、気だるげにあしらわれてしまった。
私が彼とインターネットで知り合ったのは10年くらい前。当時の私は酷く落ち込んでいて、彼とSkipeチャットをすることが生きがいのひとつだった。
7年くらい前だったかな。話の流れでこのまま付き合うのはどう? なんて、ノリで送ってみたら、なんと真剣に数日間悩まれた。結果、「どうしてもそういう目で見れない」と言われたけど、特に気まずくもならず現在も友人として接している。
本音を言うと、その方が私もありがたかった。……今でもまだ、過去の恋を割り切れてるわけじゃないし。
まあ、ロデリック相手なら傷を舐めあって新たな恋に……なんてのも、悪くはなかったけど。
「ところで、奥さん元気?」
『てめぇのイタズラに誤解してキレるくらいには元気だよ』
「ご、ごめん……いや、でもさ、お前が婚約してるって知ってたら流石にやらなかったって」
『恋人いる想定ぐらいしろよ……』
「……そうだね、うっかりしてた」
ロデリックと私はかつて、同じ痛みを抱いていた。
……だからこそ、考えもしなかった。ロデリックが新たな恋に進むことも……失われたはずの愛が戻ってくることも。
とはいえ、かき乱したことを申し訳ないとは思っている。新作の販促に協力しようと思ったのも、そういう流れ。
「ねぇねぇ、今度会わせてよ」
『あ? てめぇ……まさかアンに気があんのか』
「なんでそうなるの!? っていうか私女ぁ!!」
『バカにしてんのか。アンは男女問わず魅力的に見えるに決まってんだよ』
「なんか、奥さん絡んだ時のロデリック……怖いね……」
『……うるせぇ』
この時の私は知らなかった。
私たちの現在が、どれほど薄氷の上に成り立っているのかを。
「敗者の街」が、すぐそこでぽっかりと口を開けていることも……何一つ、知らずにいた。
今から語ることは、私が見た事実で、現実だ。
そのつもりで、受け止めて欲しい。
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