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第1章 Really of Other

11. ある死者の追憶

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「引き離される前に、素性すじょうについて聞けるだけ聞いておくぜ。教えてくれるかい?」

 レニーの問いに、各々頷く。向こうも原因を調べなきゃいけないみたいだし、大変そう。できる限り協力しないとね。

「んじゃ、名前と住んでるトコからササッと聞いておくかね」
「メモとか大丈夫?」

 あたしが聞くと、レニーはにしし、と笑い、自分の頭を指さした。

「気遣いあんがとよ。だが、ココで充分だ」
「つか、メモした方が忘れんだっけか」
「……ったく、余計なことばっか覚えてんだなてめぇはよ」

 あー……記憶方法ってそれぞれだもんね。脳の作りも違うし……。
 ……。幽霊に脳の作りとか、関係あるのかな? まあいいか。

「私はマノン・クラメール。住んでるのはアヴィニョン辺り」
「マノン、ね。マノン・レスコーと同じ綴りかい?」
「そう。クラメールは数学者のクラメールと同じ」
「はいよ」

 マノンに続いて、私が話そうとしたら、

「……と、お前さんのことはロデリックから聞いてるぜ。植物のオリーヴ、雷鳴のサンダーにsでサンダースだろ? んで、ケンブリッジ在住」

 と、返されたので、頷いておく。そうそう、私、ケンブリッジに住んでるんだった。ロデリック、覚えててくれてありがとう……!
 いつ引き離されるか分からないなら、全員の情報をなるべく素早く、満遍なく集められた方がいいよね。
 ちら、とポールの方を見る。

「ポール・トマだよ。住んでたのは確か、パリ郊外かな」
「シンプルだな。覚えやすくて助かるぜ」

 レニーの言葉に、ポールは「あ、でも」と素早く制止した。

「ポールの綴りがね、間違われやすいんだ」
「へぇ? ポール・シニャックと同じじゃねぇのかい?」
「違う違う。ぼくの場合、語尾にeがつくんだよ」
「えっ、そうなの? あれ、誤植ごしょくじゃなかったんだ」

 話に割り込むように、マノンが頓狂とんきょうな声を上げた。

「それ……女性名じゃ?」

 私が突っ込むと、ポールは「うん」と頷く。

「ぼく、男じゃないからね」
「知らなかった……」

 マノンは心底びっくりしているっぽいけど……まあ、そうだよね。見た目じゃ分からないことも多いよね。

 ふと、周りの空間に違和感を覚えた。
 今……闇が渦巻いたような……?

「エレーヌと付き合ってたんでしょう?」
「すぐ飽きられちゃったけどね」
「エレーヌは知ってたの?」
「さあ……?」

 マノンとポールの会話をしり目に、レオナルドが話し出す。

「やっべ。ビアッツィの綴り忘れちまった」
「安心しな兄弟。俺のがよく覚えてら」

 どろりと、足元になにかが絡みつく感覚に思考を持っていかれる。
 ……何、これ?

「……と……おいでなすったか」

 レニーが呟く。

「良いか。これから先どうなるか分からねぇ。だが……」

 足元から闇がせり上がる。視界が明滅めいめつし、何も見えなくなっていく。

「自分が何者か……それだけは忘れんなよ。どんなことがあろうが、それが指標になるんでね」

 意識が闇に飲み込まれていく間際、

「んじゃ、また会おうや」

 レニーの声だけが、鮮明に聞こえていた。



 ***



「私」でない、誰かの記憶が流れ込む。



 ***



 暗闇はあまり好きじゃない。
 あの、狭い部屋を思い出すからね。

「……ヴァンサン」

 弟の名前を呼ぶ。
 母に殴られ、ボロボロになった身体を起こすこともできず、ヴァンサンはすすり泣いていた。

「大丈夫かい」

 声をかけると、弟は苦しげにぼやいた。

「うるさい……」

 痣だらけの手で、ヴァンサンは自分の顔を覆う。

「あんたが羨ましい……」
「お母さんに、愛してもらえて……」

 途切れ途切れの言葉が、ぼくを責める。

「ごめんね、ヴァンサン」

 同じことをしたとしても、ぼくは母さんに褒められ、ヴァンサンは罵られる。理不尽だね。ぼく達に流れているのは、同じ血のはずなのに。
 でも、ぼくは今日もきみを守ったんだよ。
 殴られるきみを庇って、盾になったじゃないか。
 ……なんて言ったところで、きみはぼくを認めやしないのだろうけど。

「冷蔵庫にチーズを見つけたよ。きっと、まだ食べられる」

 チーズの欠片をちぎって、唇の切れた口元に運ぶ。
 飢えたようにがっつきながら、ヴァンサンはじろりとぼくを睨んだ。

 ぼくと同じ、ペリドット色の瞳。
 ぼくと同じ、漆黒の髪。

「……消えてよ……」

 頭を掻きむしりながら、ヴァンサンは言う。

「あんたさえ……あんたさえ、いなかったら……!!」

 ぼくの胸に拳を叩きつけ、ヴァンサンは叫ぶ。
 ぼく達はどこまでも孤独で、ぼく達の気持ちはどこまでも重ならない。

「大丈夫だよ、ヴァンサン。ぼくが、守ってあげるから」

 傷ついた身体を抱きしめる。
 ぼくは、きみを救いたかった。



 ***



「弟」の幻影が遠ざかる。
 押し潰されるような痛みの中、私の意識は暗闇へと溶けていった。
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