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第2章 Pray for Visit

14. ある罪人の記憶

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 いったいどこに連れて来られたのかは分からないけど、辺りが「良くないもの」で満ちているのはわかる。
 気を抜けば、意識が塗り替えられそうになって、「あたし」が遠くなってしまう。

「オリーヴ、大丈夫かい?」

 ポールが名前を呼んでくれるから、そのたびに我に返ることができた。

「ポールは? 肉体がないなら、余計に大変じゃない……?」
「えっ、そうなのかい?」
「そうなのかい? って……」

 呑気だなぁ、この人……。

「そういえば、ちょっと前まで黒い霧の中にいた気がするし、ぼくが何者かもいまいち分かってなかったなぁ」
「……そ、そっかぁ」

 反応に困ることを言われてしまった。

「どうして……その、はっきり形を持てるようになったの?」

 今のポールは魂の状態らしいけど、肉体が存在しないことはこの空間では大きなハンデになる……はず。
 だけど、ポールは自我を保ち、姿すらハッキリさせている。
 私の問いに、ポールは少し考え込んで、どこからか木彫りの人形を取り出した。

「この人形を見つけてからかな」

 ……木彫り、の……人形……?
 ロデリックの本に書いてなかったっけ、それ……?

「ハッキリ声が聞こえたとかじゃないんだけど……名前は『我が友Mon ami』だったかな。ぼくの助けになりたいって言ってくれたんだ」
「……なるほどね」
  
 ある芸術家につくられ魂を宿し、次世代の芸術家を探し続ける人形……だったかな。今回はポールの支えになろうとしてるのかも。

「オリーヴ。ここから無事に出れたら、ぼくの芸術を広めてくれるかい? そのために、ぼくはここに立っているんだ」

薄い緑色の瞳が、しっかりと私を見つめる。

「任せておいて。その代わり、いい作品を期待してるから!」

 私が胸を張ると、ポールは「ありがとう」と嬉しそうに頷く。
 なんだ。魂だとか死者だとか言うけど、全然怖くないじゃん。

 果ての見えない暗闇の中を、二人で歩いていく。
 また、誰かの記憶が意識に滑り込む……



 ***



 嫌いで、憎くて、妬ましくて、邪魔で、頭がおかしくなりそうだった。
 とにかく鬱陶うっとうしくて、存在そのものを消したかった。

 脚立に細工さいくをすれば、あいつはなんの疑いもなく上に乗って作業を始めた。
 派手に倒れる音がして、成功したかと駆けつける。

「う……」

 ……が、あいつは動いていた。頭を押さえ、呻いている。
 ハサミを握り締め、忍び寄る。胸に思い切り突き立てれば、確かに肉を貫いた感覚があった。

「え……?」

 驚愕きょうがくと恐怖の入り交じった声。
 知らなかっただろう。私がこんなにも、あんたを消したがっていたのだと。

「そん、な……まさか……」

 血の海の中、呆然とした声が次第に小さくなっていく。……私が、殺した。
 胸がズキズキと痛む。刺したのは、私の方だと言うのに。

 そこからの記憶は曖昧だ。
 森の奥に死体を埋め、遠くへ逃げ、名前を変えて日々を過ごした。

 ポール・トマが死んだことすら、知る者は少ない。
 私は裁かれることもなく、ひっそりと息を潜めるように穏やかな時間を過ごしていた。

 ……それなのに……

『出して、くれないかい?』

 どうして、死んだあいつの声がするんだ……?



 ***

  

「オリーヴ?」

 名前を呼ばれて、ハッと我に返る。……冷や汗が止まらない。

「どうしたんだい?」

 ポールはきょとんとした表情で私を見ている。
 ねぇ……確か、事故死したって言ってたよね?
 でも、今の記憶は……?

「……何を見たんだ」

 私が黙り込んだことで何かを察したのか、ポールの声が少しだけ低くなる。

「ポール……私、あなたのこと……」

 ドクン、ドクンと心臓が鳴り響く。
 芸術のため? 本当に?
 だって、彼はまた嘘をついてた。……どこまでが、本当なの?

「信じて、いいんだよね?」

 顔を上げるのが怖い。
 ……返事を聞くのも、怖い。

「……」

 ポールは黙り込んだまま、何も言わない。

「いや……」

 どれほどの時間が経ったのかわからない。たった数秒だったようにも思うし、何時間も経っていたような気もする。

「信じないでくれ」
「え……?」

 予想外の返事に、思わず顔を上げる。
 笑顔は消え失せ、苦しそうな……それでいて、悲しそうな表情が目の前にある。

「ぼくにも……わからないことだらけなんだ……」

 まるで置き去りにされた子供のように、不安そうで、辛そうな表情がそこにある。

「……ポール……」

 もしかして、彼もそれなりに怯えていたのかな。
 呑気そうに見えたし、ポジティブに振舞ってもいたけど、本当は彼だって怖くて仕方なかったのかもしれない。

「あなた、殺されたの?」

 思い切って、踏み込んでみる。
 聞かなければ始まらない。彼が嘘をついているとしたって、何か、事情があるのかもしれない。

「……うん」

 私の質問に、ポールはこくりと頷いた。

「ぼく……」

 つう、と、透明な雫が頬を伝う。

「救いたかったのになぁ……」

 たらたらと、赤い血があごから滴る。無理やりにでも持ち上げられた口角が、逆に痛々しい。
 赤いシャツの胸元が、濡れているようにも見える。

 思わず手を握る。冷たい手のひらが、怯えるように跳ねたのがわかる。……なんだか、放っておけなかった。

「信じるよ、私」

 真っ直ぐ、薄い緑の視線を射抜く。

「あなたは悪い人じゃない……って」

 見開かれた瞳が、ぱちくりと瞬いた。

「……それは、ずるいな……」
「えっ、なにが?」
「いや、何でもない。何でもないんだ」

 ポールは狼狽うろたえつつも、そっと私の手を握り返した。

「やっぱり、きみは素敵な人だね」

 満面の笑みが……なんというのか、かっこよくもあるけど可愛らしくもあって、ちょっと胸の奥がキュンとした。
 いやいやいや、さっき自分で言ったじゃん。「そんなに早く切り替えられない」って! しかもポールだって死者だし!!

「どうしたんだい?」
「な、何でもない。探索続けよ!」
「う、うん」

 ……色々と聞きそびれてしまったけど、まあ、今はいいや。この直感が間違ってたって、真実が遠ざかってたって、別にいい。これからいくらでも挽回ばんかいできるし。

「ありがとう」

 安心したような声が聞こえる。
 ……名前も、顔も、声も忘れてしまった「誰か」の存在が頭を掠める。

「お礼なんていいって」

「誰か」の記憶はしつこく浮かんで来るくせに、ぽっかりと空いた穴は埋まらない。……もう……忘れてしまった方が、楽なのかな。忘れたくないのにな。
 ……あれ? 今……何か、視界に映った気が……?

「……! 危ない!」

 ポールが私を突き飛ばす。過去の記憶に気を取られていたからか、反応が遅れてしまった。
 暗闇を転がり、どうにか起き上がる。ドス黒い「何か」に羽交い締めにされたポールが目に入って、息を飲んだ。

「う……ッ」

 苦しそうにもがくポールの顔に、ぴしり、ぴしりとヒビが入っていく。

「に、逃げ……て……オリーヴ……!」

 助けなきゃ。
 ……そう、思っているのに、足が動かない。

「……っ、あぁあッ」

 黒い塊はポールの胸を深々と貫き、大きさを増したように見えた。
 瞬間、つんざくような破裂音が響き、暗闇ががらがらと崩れ落ちていく。塊はポールを離し、うなり声を上げながら逃げていった。

「……やっぱり、混乱が起こってるな」

 暗闇が崩れ去り、コンクリート造りの建物が見える。冷たい色の廊下に、ポールがぐったりと横たわっている。

「とにかく、間に合ったみたいで良かった」

 金髪の青年が目の前に立ち、私達を見下ろしていた。
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