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11章 お菓子の家(後編)

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 らいむが読んでいた本の序盤に書いてあった通り、ましろたちは父親に森の中に置き去りにされそうになった。
 ましろは本の内容を思い出し、予め自分の昼食用のパンを小さくちぎって家の位置を見失わないように地面に落として進んだ。
 しかし。

 「……食べられてますわね。カラスに」
 「本に書いてあった通りだね」

 自分は月影ましろであり、ヘンゼルではない。だから『ヘンゼルのようにパンを道標にしても、カラスには食べられたりしない』と、考えて実行したことだったが、どうやら予想が外れてしまったようだ。この本の世界では『ヘンゼル≠月影ましろ』になっているらしい。
 (ヘンゼルには特殊な力とか、魔法とかは使えなかったよね……)
 どうせなら不思議な力が使える主人公であれば「こんな原始的なことをしなくても問題を解決できるのに」とましろは心の中で落胆する。
 日が暮れてきた。深い森の中の夕暮れは薄暗い。我慢をしていたが道標にパンを使ってしまった為、ましろはお腹も空いている。らいむが昼食にパンを分けようとしてくれていたが、こんな状況で女の子に甘えるわけにはいかない、と思い断った。お腹が鳴らないのは幸いである。
 「……甘い匂いがする」
 お腹が空きすぎた為の幻覚かと思ったが、ヘンゼルとグレーテルの内容を思い出した。確か2人は森で道に迷った末にビスケットやクッキーなどで作られたお菓子を見つける。
 「ーー本当にありましたわ!お菓子だけで作られた家!」
 らいむの驚き様を見る限り、お菓子の家を見つけた展開になったのは初めてのようだ。
 (でも、ここからのストーリーが問題なんだよ)
 らいむがループから抜け出せたのは良いことだが、本当に危険なのはお菓子の家を見つけた後からだった。
 「……少しだけなら、いいよね?」
 「ましろさん?」
 食べてはいけない。食べたらヘンゼルとグレーテルの展開をなぞってしまう。そう思ってもお菓子の家を目の前にした途端、歯止めが効かなくなったかのように、ましろはお菓子の家からビスケットをひとつまみする。壁としてクリームで付けられていた部分。
 ひとかじりするとビスケットの香ばしさとクリームの甘さが混ざり合い、口に広がる。
 「ちょっと、ましろさん!食べたらダメだったのではなくて!?」
 らいむがましろの腕を掴むが、すぐに振り払われて効果がなかった。細い体型とはいえ、育ち盛りの男の子であるには変わりない。力の差でらいむはましろがお菓子の家の一部を美味しそうに食べ続けるのを眺めることしか出来なかった。
 らいむはそんなましろを見続けても、一緒にお菓子を食べる気にはなれない。
 現状、本の内容をなぞる通りに動いてしまっている。自分はこれから、本の内容とは何か違うことをしたほうが良いのだろうか。らいむが声をかけてもましろは何かに取り憑かれたようにお菓子を食べることに夢中で、聞こえていないようだ。
 らいむが後退りしてお菓子の家の前から逃げ去ろうとした、その時。

 「あれ?私のお菓子の家を食べてるのは誰でしょうか?」
 「!?」

 背後で誰かにぶつかった感覚に、らいむが思わず振り向くと本の内容に描かれていた魔女ーーにしては若い、三つ編みの魔法使い風の女性が立っていた。
 「ーーむぐっ」
 「しっ、静かに。私の言う通りにしてくれると、助かるかな」
 叫ぼうとしたらいむの口を掌で優しく塞いで、女性は優しく微笑んだ。
 「こら、そこの男の子!私のお菓子の家を勝手に食べるなぁ!」
 全く怖くない怒り方をする女性のほうを振り向いたましろは、丁度ドアとして付けられていた板チョコをどうにかして食べようとしている最中だった。
 「3時でもないのにお菓子を勝手に食べる悪い子は牢屋に入れてしまわないと!」
 若干芝居がかった風に言うなり、女性はらいむとましろの襟首を掴んでお菓子の家の中へ入る。中も想像通りビスケットやクッキー、板チョコなどをメインにお菓子で出来ていた。2人は薄暗い空間に放り込まれる。ポッキーで作られている牢屋だ。
 「暫くそこで盗み食いしたことを反省するように」
 「まっ、待って!」
 らいむは女性に説明を求めたが、女性はチョコレートで作られた錠をかけると2人を置いて何処かに行ってしまった。
 「うーん……、どう見てもポッキーやチョコなのに、ここだけ硬く作られてて食べれないや」
 ましろが手に力を入れても壊れないポッキーの牢屋の中で2人はへたれ込んだ。らいむは気を張っていた疲れによる疲労感に襲われる。
 「どうしましょう……!本の内容通りなら、わたくしはこれから魔女の仕事のお手伝い……」
 「ぼくは何日かあとに、魔女に食べられちゃうんだっけ」
 痩せの大食いって言われたことがあるから太らない自信があるんだけどな。なんて冗談を言うましろの様に、らいむは状況を楽観的に見れなかった。自分もましろも、本の中に迷い込んだ、魔法も特殊な力も持っていないただの何も出来ない小学生だからだ。
 「わたくしのせいですわ……。わたくしのせいであなたが」
 「キミのせいじゃないよ」
 どうしてこの男の子は自分より落ち着きがある上に、自分の気が楽になれることばかりを言ってくれるのだろうか。
 「この先、ぼくは不思議な力が使えるようになるかもしれないし、もうしばらく様子見しようよ。まぁ、そのくらいしかできないんだけどね」
 らいむには今の状況でもましろが充分魔法使いに思えてくる。自分の心を落ち着かせてくれる魔法使い。
 「とりあえず、今は食べる物に困らなくなったからしばらくの間は大丈夫」
 ポッキーで作られた牢屋の中にあるお皿やティーカップなどのものも、お菓子で作られているものだった。ましろは置かれていたカップの中の紅茶を飲み干すとカップの縁をかじってみせる。これらは普通に食べられるようだ。
 「ひとつ気がかりなのは、キミに見せてもらった本に出てきたおばあさんの魔女じゃない、若い魔女さんだってこと」
 「そ、そういえば、先程「私の言う通りにして」と……」
 「うん。じゃあそうしよう。悪い人じゃ無さそうな雰囲気だし」
 「そんな簡単に……!」
 「ーーじゃあ、キミは他に何かいい案でもある?」
 森の中を歩き疲れて呑気に欠伸をし始めたましろに、聞き返されてらいむは言葉に詰まる。現状、時間経過でましろか自分が不思議な力に目覚めることを祈る、あの魔女のような女性を信じることの二つしか出来ないもどかしさをらいむは抑えた。
 「お菓子の家で寝れるなんて経験、滅多に出来ないよ」
 「……」
 しかし、シーツもお菓子で食べられると思ってかじったましろが眉を顰め、そのまま寝てしまった。
 らいむも後から真似してかじったが、シーツはクッキングシートで出来ていたことがわかった。

◇◇◇

 「ここを出るまで理由は話せないの。怪しいと思われるのはわかってるけど、今は私を信じてほしいな」
 本の中で過ごした次の日、ましろが女性に尋ねると、女性は丁寧に返してくれた。話したいのは山々だが話せない。そんな雰囲気をましろは読み取った。どうやら女性も本の内容に沿って動いているらしい。
 女性はらいむを牢屋から出して、掃除やお菓子以外の食事作りなど、自分の身の回りのことを手伝わせた。ましろはらいむが用意した食事を食べることになったのだがーー
「……?」
 コーンスープを一口飲んでも味がしない。肉を食べても、魚を食べても味がしない。
 流石にこれはおかしいと思い、ましろは女性に食事の味がしないことを告げた。女性は複雑な表情をしてましろに告げる。
 「ごめんなさい。一足遅かったみたい。その症状は元居た筈の魔女の呪いかもしれないの。私には治せない」
 他に変わったことはないかと尋ねられ、ましろはお菓子を目の前にすると異様な感覚に襲われることを話した。お腹がいっぱいになるまで食べればそれは治る。お菓子の味はちゃんとわかることを女性に話した。
 「ましろくん……、じゃなかったヘンゼル、ちゃんと食べて大きくなってね」
 女性は芝居がかった態度に戻って去ってしまう。まさか魔法や特殊な力に目覚めるどころか、呪いを授かってしまうとは。
 「……でも、普段とそんなに変わらない、かも?」
 事情を話すと女性はケーキとお菓子で出来たアンティークを追加で持って来てくれた。お菓子じゃないものの味がわからなくなっても、食べれないわけではない。
 それよりも、ここから2人で無事に出られるかどうかの方が重要だ。

◇◇◇

 一週間ほど経ち、女性はましろをポッキーで作られた牢屋から出した。
 ましろがらいむから借りて読んだ本の最後はーーヘンゼルとグレーテルが魔女にかまどに入れられて食べられてしまうという結末。
 「ヘンゼル」
 らいむのように鍋で食事を作る手伝いをさせ始めたましろに、女性は小さく囁いた。
 「私をかまどに突き落として」



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