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第五章「彼女の絶望」
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その言葉を聞いた瞬間、セレスティアは立ち上がり、イリスの座る椅子へと歩み寄った。
そして躊躇いもなく、男爵令嬢の手を取る。
「……っ!」
思わず身を反らし、手を引こうとするイリスを、セレスティアは許さない。無理やりに引き寄せ、その顔を近づけさせる。
互いの吐息がかかるほどの距離で、ガラスのような瞳がイリスを射抜いた。
「私と、手を組まない?」
「……は?」
あまりのことに、イリスの思考が停止する。意味がわからず、戸惑いの表情で王女を見返すことしかできない。
セレスティアは、イリスの手を握る力を強めた。
「復讐に身を焼かれながらも、自身の置かれた立場を冷静に見極める目。自分ができる最大限の策略を築くことができる、その冷徹な頭脳。……それに、私の『王女』としての権力を組み合わせれば、あなたの望みは叶えられる」
イリスは信じられないものを見る目でセレスティアを見た。
「……贖罪のつもりですか?」
そう囁くイリスに、セレスティアは首を振り、ゆっくりと立ち上がった。
彼女は、この殺風景な部屋を見渡すように、そしてこの国の未来を予見するかのように告げた。
「いいえ。私も、この国を――自分自身を含めて、燃やし尽くしたいの」
イリスは息を呑んだ。目の前の王女は、狂気とも正気ともつかない静けさを纏っている。
「……どうして、あなたが」
「私も昔は、物語の中の英雄や姫君に憧れていたわ」
セレスティアは遠くを見るように目を細めた。
「両親や兄と共に物語を読み、悪を挫き、弱きを助けることこそが正義だと、そう信じて語り合っていた」
彼女は自嘲気味に笑う。
「でも、ある日気づいてしまったの。私たちが毎夜開く晩餐会で語られる『武勇伝』が、何であるかを」
領民からいかに効率よく税を搾り取ったか。反抗する者をいかに残酷に踏み潰したか。彼らにとって民はただの数字、領地は私腹を肥やすための資産でしかなかった。
「両親も、兄も、それを咎めるどころか、ワインを片手に高らかに笑い合っていたわ。彼らにとっての正義とは、己の利益を飾るための安っぽい装飾に過ぎなかった」
セレスティアは、自らの腕を抱くように震えた。
「あの日、逃げ出した廊下で見た、初代当主の甲冑を覚えているわ。磨き上げられたそれが、まるで骸骨のように私を見下ろしていた。……そして鏡に映った私の顔もまた、あの怪物たちと同じ『血』でできているのだと、絶望したの」
「……」
「私は訴えたわ。これは間違っていると。物語の英雄たちはこんなことはしないと。けれど彼らは笑って言った。『いい加減に現実を見ろ、あれはただの物語だ』と」
「誰にも理解されず、刃向かう力もなかった。私は心を殺し、都合の良い「人形」として生きるしかなかった」
「私は、あなたと同じよ。イリス・アッシュ」
セレスティアは再び、イリスの方を向いた。
「あなたと私なら、とても良い『お友達』になれると思うの」
「……」
「私はあなたの頭脳を利用する。だからあなたは、私の王族としての権力を利用しなさい。そうすれば、あなたが諦めていた復讐という夢を、最後まで見ることができる」
それは、悪魔の契約にも等しい誘いだった。
イリスは警戒心を解かないまま、しかしその瞳の奥に、微かな、だが確かな共鳴の色を宿して王女を見つめた。
「……あなたのことを信用するわけではありません。ですが、その『絶望』だけは本物のようですわね」
イリスは、躊躇いながらもゆっくりと右手を差し出した。
「いいでしょう。手を組んで差し上げます」
「ええ、ありがとう」
セレスティアは満面の、しかしどこか壊れた人形のような笑みを浮かべ、両手でその手を包み込んだ。その手は、死人のように冷たかった。
「これで、同盟成立ね」
二人の手が結ばれたその瞬間、部屋の空気が変わった。もはや囚人と看守ではない。国を崩落させる共犯者たちの密会所となった。
「さて、友好の証として、一つ重要な秘密を教えてあげる」
セレスティアは声を潜めた。
「兄が、公爵家の不評を買うことを恐れずに行動できた、もう一つの理由について」
「……理由?」
「表向き、十三貴族は全会一致で王の罷免が可能とされているわ。けれど、それは実質的に不可能なの」
イリスが怪訝な顔をする。王女は悪戯っぽく、しかし残酷な事実を告げるように微笑んだ。
「貧民街で蔓延する薬物。あれの出所を知っていて?」
「……まさか」
「ええ、十三貴族のある一家が裏でばら撒いているの。他の貴族たちはそれを知らない。けれど王家はそれを知っていて、その秘密を守ることを条件に、その家から王家への絶対的な忠誠を誓わせている」
セレスティアは不快そうに顔を歪めた。
「父上は言っていたわ。『あれで貧民たちも立派な納税者だ』と。……この密約がある限り、全会一致などあり得ない。王家が罷免されることは絶対にないの」
それを聞いたイリスは、一瞬言葉を失い、やがて乾いた笑いを漏らした。
「……どこまでも、腐りきっていますのね」
彼女は思考を巡らせるように顎に手を当てた。その瞳に、かつての冷徹な輝きが戻ってくる。
「……しかし、計画の方向性が見えてきました」
「聞かせてちょうだい」
セレスティアの期待に満ちた問いかけに、イリスは頷いて口を開いた。
「王家と公爵家の対立を決定的なものにするのです。そうすれば王令は議会の過半数で否決され、国政は停滞する。しかし、その『密約』がある家が反対するため、王を罷免して挿げ替えることもできない」
イリスの声に熱が帯びる。
「機能不全に陥った中央。それを、革命勢力や中央に不満を持つ辺境貴族たちが見逃すはずもありません。彼らは必ず動き出す」
完全な手詰まりを作り出し、その腐敗の熱で国そのものを内側から発火させる。
セレスティアは、想像するだけで胸がすくようなその光景を思い描き、うっとりと目を細めた。
「ええ……きっと、盛大に燃え盛ることになるでしょうね」
王城の離れ、装飾のない空虚な部屋で、二人の令嬢は静かに嗤った。
ーー二つの絶望が今、一つに重なったのだった。
そして躊躇いもなく、男爵令嬢の手を取る。
「……っ!」
思わず身を反らし、手を引こうとするイリスを、セレスティアは許さない。無理やりに引き寄せ、その顔を近づけさせる。
互いの吐息がかかるほどの距離で、ガラスのような瞳がイリスを射抜いた。
「私と、手を組まない?」
「……は?」
あまりのことに、イリスの思考が停止する。意味がわからず、戸惑いの表情で王女を見返すことしかできない。
セレスティアは、イリスの手を握る力を強めた。
「復讐に身を焼かれながらも、自身の置かれた立場を冷静に見極める目。自分ができる最大限の策略を築くことができる、その冷徹な頭脳。……それに、私の『王女』としての権力を組み合わせれば、あなたの望みは叶えられる」
イリスは信じられないものを見る目でセレスティアを見た。
「……贖罪のつもりですか?」
そう囁くイリスに、セレスティアは首を振り、ゆっくりと立ち上がった。
彼女は、この殺風景な部屋を見渡すように、そしてこの国の未来を予見するかのように告げた。
「いいえ。私も、この国を――自分自身を含めて、燃やし尽くしたいの」
イリスは息を呑んだ。目の前の王女は、狂気とも正気ともつかない静けさを纏っている。
「……どうして、あなたが」
「私も昔は、物語の中の英雄や姫君に憧れていたわ」
セレスティアは遠くを見るように目を細めた。
「両親や兄と共に物語を読み、悪を挫き、弱きを助けることこそが正義だと、そう信じて語り合っていた」
彼女は自嘲気味に笑う。
「でも、ある日気づいてしまったの。私たちが毎夜開く晩餐会で語られる『武勇伝』が、何であるかを」
領民からいかに効率よく税を搾り取ったか。反抗する者をいかに残酷に踏み潰したか。彼らにとって民はただの数字、領地は私腹を肥やすための資産でしかなかった。
「両親も、兄も、それを咎めるどころか、ワインを片手に高らかに笑い合っていたわ。彼らにとっての正義とは、己の利益を飾るための安っぽい装飾に過ぎなかった」
セレスティアは、自らの腕を抱くように震えた。
「あの日、逃げ出した廊下で見た、初代当主の甲冑を覚えているわ。磨き上げられたそれが、まるで骸骨のように私を見下ろしていた。……そして鏡に映った私の顔もまた、あの怪物たちと同じ『血』でできているのだと、絶望したの」
「……」
「私は訴えたわ。これは間違っていると。物語の英雄たちはこんなことはしないと。けれど彼らは笑って言った。『いい加減に現実を見ろ、あれはただの物語だ』と」
「誰にも理解されず、刃向かう力もなかった。私は心を殺し、都合の良い「人形」として生きるしかなかった」
「私は、あなたと同じよ。イリス・アッシュ」
セレスティアは再び、イリスの方を向いた。
「あなたと私なら、とても良い『お友達』になれると思うの」
「……」
「私はあなたの頭脳を利用する。だからあなたは、私の王族としての権力を利用しなさい。そうすれば、あなたが諦めていた復讐という夢を、最後まで見ることができる」
それは、悪魔の契約にも等しい誘いだった。
イリスは警戒心を解かないまま、しかしその瞳の奥に、微かな、だが確かな共鳴の色を宿して王女を見つめた。
「……あなたのことを信用するわけではありません。ですが、その『絶望』だけは本物のようですわね」
イリスは、躊躇いながらもゆっくりと右手を差し出した。
「いいでしょう。手を組んで差し上げます」
「ええ、ありがとう」
セレスティアは満面の、しかしどこか壊れた人形のような笑みを浮かべ、両手でその手を包み込んだ。その手は、死人のように冷たかった。
「これで、同盟成立ね」
二人の手が結ばれたその瞬間、部屋の空気が変わった。もはや囚人と看守ではない。国を崩落させる共犯者たちの密会所となった。
「さて、友好の証として、一つ重要な秘密を教えてあげる」
セレスティアは声を潜めた。
「兄が、公爵家の不評を買うことを恐れずに行動できた、もう一つの理由について」
「……理由?」
「表向き、十三貴族は全会一致で王の罷免が可能とされているわ。けれど、それは実質的に不可能なの」
イリスが怪訝な顔をする。王女は悪戯っぽく、しかし残酷な事実を告げるように微笑んだ。
「貧民街で蔓延する薬物。あれの出所を知っていて?」
「……まさか」
「ええ、十三貴族のある一家が裏でばら撒いているの。他の貴族たちはそれを知らない。けれど王家はそれを知っていて、その秘密を守ることを条件に、その家から王家への絶対的な忠誠を誓わせている」
セレスティアは不快そうに顔を歪めた。
「父上は言っていたわ。『あれで貧民たちも立派な納税者だ』と。……この密約がある限り、全会一致などあり得ない。王家が罷免されることは絶対にないの」
それを聞いたイリスは、一瞬言葉を失い、やがて乾いた笑いを漏らした。
「……どこまでも、腐りきっていますのね」
彼女は思考を巡らせるように顎に手を当てた。その瞳に、かつての冷徹な輝きが戻ってくる。
「……しかし、計画の方向性が見えてきました」
「聞かせてちょうだい」
セレスティアの期待に満ちた問いかけに、イリスは頷いて口を開いた。
「王家と公爵家の対立を決定的なものにするのです。そうすれば王令は議会の過半数で否決され、国政は停滞する。しかし、その『密約』がある家が反対するため、王を罷免して挿げ替えることもできない」
イリスの声に熱が帯びる。
「機能不全に陥った中央。それを、革命勢力や中央に不満を持つ辺境貴族たちが見逃すはずもありません。彼らは必ず動き出す」
完全な手詰まりを作り出し、その腐敗の熱で国そのものを内側から発火させる。
セレスティアは、想像するだけで胸がすくようなその光景を思い描き、うっとりと目を細めた。
「ええ……きっと、盛大に燃え盛ることになるでしょうね」
王城の離れ、装飾のない空虚な部屋で、二人の令嬢は静かに嗤った。
ーー二つの絶望が今、一つに重なったのだった。
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