炎へ堕ちる〜王女と男爵令嬢の国崩し〜 【彼女の絶望、私の炎・長編版】

ゆりんちゃん

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第七章「崩壊序曲・前編」

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 数日後の夜。

 王家の晩餐会は、いつも通りの静寂と、彼ら特有の尊大な空気に包まれていた。銀食器が触れ合う軽やかな音だけが響く中、セレスティアは優雅にワイングラスを傾け、両親に話しかけた。

「……あの男爵令嬢に関してですが、何かの勢力と繋がっている痕跡は、尋問の結果、見当たりませんでしたわ」

 彼女の報告に、国王テオバルトと王妃イザベラが視線を向ける。

「そうか。では、ただの個人的な怨恨か」

「ええ。ですが、驚きましたわ。尋問の受け答えを聞く限り、彼女はかなり聡明です。国政や経済への理解も深く、高級文官にも匹敵する知恵を持っています」

 セレスティアは、いかにも惜しそうに溜息をついてみせた。

「ほう、にわかには信じられんが……」

「セレスティアがそこまで言うのなら、本当なのでしょうね。もしそうなら、ただ処刑したり引き渡したりするのは惜しいですわ」

 王はナプキンで口を拭い、思案顔になる。

「しかし、公爵家からの引き渡し要請は無視できん。どうやってかわすか……」

 その時だった。

「ガハッ……ッ!」

 唐突に、セレスティアが苦悶の声を漏らした。

 彼女は胸を掻きむしるようにして前かがみになり、その拍子にテーブルクロスを強く掴んだ。

「セレスティア!?」

 王が叫ぶのと同時に、王女の体が傾く。

 ガシャーン! ガラガラッ!

 激しい破砕音を立てて、テーブルの上の高価な食器やグラス、料理が床に散乱した。王女の体もまた、汚れた床へと崩れ落ちる。

「おい! どうした!?」

「セレスティア! しっかりなさい!」

 事態を飲み込めず、狼狽して立ち上がる王と王妃。周りにいた侍従たちが顔色を変えて駆け寄る。

「ぐ……っ、あ……」

 セレスティアは苦しげに喉を鳴らし、白目を剥いて痙攣すると、そのまま意識を失った。

 騒然となる食堂。

 すぐにセレスティアは私室へと運ばれた。

 しばらくして、部屋から出てきた主治医ハインリヒが、青ざめた顔で待機していた王と王妃に告げた。

「……毒です。毒を盛られました」

「なっ……!?」

「幸い、口にした量が極めて微量だったことと、吐き出したのが早かったため、命に別状はありません。安静にしていれば、すぐに良くなられるでしょう」

 主治医の言葉に安堵の空気が流れたのも束の間、一人の侍従が血相を変えて走ってきた。

「へ、陛下! ご報告申し上げます!」

 侍従は震える手で、銀のナイフを差し出した。

「床に散らばった食事やワインに、銀食器を当ててみたところ……ご覧ください。ワインの掛かった部分が、黒く変色しております」

 紛れもない毒物の反応。

 王の顔が怒りで赤黒く染まる。

「おのれ……! 王家を狙った暗殺か!」

 彼は怒号を飛ばした。

「関わった者を徹底的に調べろ! 今日、厨房に入った者、配膳した者、一人残らずだ!」

 その横で、王妃イザベラがハッと何かに気づいたように呟いた。

「そういえば……セレスティアの側仕えのメイドを見ませんわね。食事の席にはいつも控えているはずなのに、どうしたのかしら?」

 その後、城内は大捜索となった。

 結果、件の側仕えメイドは、忽然と姿を消していることが発覚した。

 そして、メイドの控え室にある私物入れから、一冊の日記が見つかった。

 そこには、震える筆跡で、公爵家の人間から指示を受け、毒物を調達しワインに混入した旨が記されていた。しかし、具体的な指示者や受け渡し方法については、曖昧にぼかされていた。

 あからさまな証拠。あまりに都合の良い失踪。

 だが、娘を害された王の怒りと、状況証拠の一致は、冷静な判断力を奪うには十分だった。

 王城の夜は、疑心と混乱の渦に飲み込まれていった。

 ◇

 謹慎を命じられた自室で、第一王子アレクシオスは荒れ狂っていた。

 ガシャーン!

 高価な壺が壁に叩きつけられ、砕け散る。

「くそ、どうして誰もわかってくれない!」

 彼は髪を振り乱し、誰もいない部屋で叫んだ。

「公爵家は長い時をかけて十三貴族会議を支配したのだぞ! 今回の婚約だって、無理やり順番を飛ばしてきたのも王家を手に入れるために違いない。何が『蓋』の役割だ。そんな悠長なことを言っている段階ではないのは明らかじゃないか!」

 父も母も、奴らを甘く見すぎている。自分たちが支配者だという幻想に浸り、足元が崩されていることに気づいていない。

 そして妹のセレスティア。彼女はあまりに政治に無関心で、事の重大さを理解していない。

「私が……私がやらなければ、誰が王家を守れるというのだ!」

 肩で息をしながら、怒りと焦燥に身を焦がす。

 その時、部屋の外が慌ただしくなるのが聞こえた。大勢の足音が遠ざかっていく。

「何事だ?」

 アレクシオスが扉に近づいた瞬間、隙間から一枚の手紙が音もなく差し込まれた。

 彼は眉をひそめ、その紙片を拾い上げる。

『イリス・アッシュの奪還を望む同志より』

 その書き出しを見た瞬間、アレクシオスは目を見開いた。震える手で続きを読む。

『我々は革命勢力の一員である。だが、我々の志を汚す事態が起きている。アルテンフェルス公爵家が我らの一部と接触し、資金援助をちらつかせて裏から操ろうとしているのだ。金に目が眩んだ幹部たちがそれを受け入れようとしている』
『我々と貴殿の利害は、公爵家の排除という点で一致している』
『我らが同胞である男爵令嬢イリス・アッシュの解放と引き換えに、公爵家と革命勢力が繋がっている決定的な証拠を貴殿に渡す準備がある』
『彼女は離れの別荘に隔離されている。今こそ決断を』

「……やはりか!」

 アレクシオスは歓喜に声を震わせた。

「やはり私の考えは正しかった! 公爵家は裏で国を転覆させようとしている! これで父も母も考えを改めてくれる。そして私は、国を救った次期王として堂々と振る舞える!」

 どうやって革命勢力の者が、厳重な警備をかいくぐって王子の部屋まで手紙を出せたのか。なぜ彼らがイリスの居場所を知っているのか。

 冷静な時であれば抱いたはずの疑問は、追い詰められ、承認欲求に飢えた彼の脳裏には浮かばなかった。「これで公爵家を倒せる」という甘美な確信だけが、彼を支配していた。

 彼は扉に駆け寄り、ノックをする。

「おい! 誰かいるか!」

 ……何の反応もない。

 恐る恐るノブを回すと、鍵はかかっていたが、扉の向こうの気配は完全に消えていた。

 ちょうどその頃、王女セレスティアの毒殺未遂騒ぎにより、王の命令で城中の徹底捜索が行われており、王子の見張りさえも厨房や倉庫の捜索に駆り出されていたのだ。

「好機だ……神が私に味方している」

 アレクシオスは何が起こっているのか疑問を抱きながらも、これを天啓と受け取った。

 彼は部屋の隅にある飾り甲冑へと歩み寄る。甲冑の籠手部分を特定の順番で操作すると――ゴゴゴ、と低い音を立てて壁が回転し、暗い隠し通路の入り口が現れた。

 アレクシオスは躊躇いなく、その闇の中へと身を投じた。

 埃っぽい通路を抜け、アレクシオスが這い出したのは、城の庭園の端にある枯れた古井戸だった。

 新鮮な空気を吸い込み、彼は目的の場所――離れの別荘へと視線を向ける。

「待っていろ、イリス。そして証拠よ」

 だが、彼の足が止まった。

 夜の闇の中、離れの方角が、不自然なほど明るく輝いていた。

 ゆらゆらと揺れる、紅蓮の光。

「まさか……」

 嫌な予感が背筋を駆け上がる。彼は転がるようにして別荘へと走った。

 辿り着いた先で彼が見たのは、轟々と音を立てて燃え盛る別荘の姿だった。

「な……なんだ、これは……」

 呆然と立ち尽くすアレクシオス。熱風が頬を打ち、火の粉が舞う。

 そこへ、遠くから火災に気づいた衛兵やメイドたちが駆けつけてきた。

「火事だ! 水を持て!」
「中にまだ人が!」

 その混乱の中、煤で汚れ、髪が乱れた一人のメイドが、ふらふらとアレクシオスの前に歩み出た。彼女は長い髪で顔を隠すように俯いていたが、その震える声は響き渡った。

「あ、あなた様は……アレクシオス殿下!?」
「え……?」
「どうして……どうしてこんな酷いことを! まさか、あなたが火をつけたのですか!?」

 どこかで聞いたことのある声だった。しかし、パニックと炎の音で判別できない。

 アレクシオスは突如かけられた疑惑に慌てて手を振る。

「ち、違う! 私がやったんじゃない! 私は今来たばかりだ!」

 しかし、駆けつけた人々の視線が、一斉に彼に突き刺さる。

 謹慎中のはずの王子が、なぜ夜中に、火災現場の目の前にいるのか。
 そして、彼が以前から男爵令嬢と懇意にしていたこと、直前に公爵家を告発しようとして失敗したことを、城の者は知っている。

「まさか、口封じに……?」
「ご乱心なさったのか……」

 さざ波のように広がる疑惑の声。

「違う! 誤解だ! 私は助けに……!」

 アレクシオスは必死に否定し続けたが、その声は燃え盛る炎の音にかき消されていった。

 翌朝、鎮火した焼け跡から、見張りの兵士二人と、一人の女性の焼死体が発見された。

 それは、第一王子の「失脚」を決定づける、動かぬ証拠となった。
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