炎へ堕ちる〜王女と男爵令嬢の国崩し〜 【彼女の絶望、私の炎・長編版】

ゆりんちゃん

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第十九章「炎へ堕ちる」

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 教会の屋上。古びて錆びついた鐘を背に、セレスティアは眼下に広がる城下を見下ろしていた。

 闇に沈む王都。城の方角から、幾筋もの松明の明かりが長い蛇のように這い、こちらへ向かってくる。

「……予定通りね」

 セレスティアは小さく呟く。
 ふと、別の方向――貴族街の方角からも、同じように揺らめく松明の列が迫っているのが見えた。

「あちらは……公爵家かしら。彼らまで動き出すとは、少々計算外ね」

 王家と公爵家。この国を牛耳る二つの巨大な権力が、今まさにこの場所へ集結しようとしている。

「けれど、やることは何も変わらないわ」

 セレスティアは夜風にドレスを翻すと、迷うことなく屋上から続く梯子を降りていった。

 ◇

 礼拝堂に戻ると、鼻を突く強烈な揮発臭が充満していた。
「……酷い匂いね」
 セレスティアが顔をしかめる。

「兵がこちらに向かっているわ。王城からと、公爵邸からも」

 その報告に、礼拝堂で待っていたイリスは「公爵家が…」と呟き、驚いたような表情を浮かべたが、すぐに冷徹な笑みへと戻る。

「王家の動きを察知し、先に私たちを確保しようと動いたのでしょう。王家を貶める材料にするか、あるいはエレオノーラ嬢が真相に気付き、全てを白日の下に晒そうとしているか……」
「どちらにせよ、私たちにとっては好都合よ」
「ええ。この教会を取り囲む兵の数が多ければ多いほど、与える影響は大きくなりますから」

 イリスは足元に転がる空の油壺を、カラン、と軽く蹴った。
「ちょうど、全ての準備が整ったところです」
 あたり一帯、床も、信者席も、祭壇も。全てが黒ずんだ油に濡れ、月明かりを浴びて鈍く光っている。
 二人は並んで、汚れた祭壇を見上げた。

「私たちの計画は、これで終わりです」
 イリスが静かに語り出す。
「やってきた兵たちの目の前で、この教会が燃え盛る。……民衆には、その光景がどんなふうに見えるでしょうね」

 聖なる場所が、権力者たちの手によって焼かれる。
 その事実は、既に燻り始めた民衆の怒りを爆発させる、決定的な引き金となるだろう。

「全てが終わった後……王家と貴族が、自分たちの欲と保身を捨てて手を結べれば、この先の破滅を防げるかもしれない。しかしそうでなければ……」
 セレスティアが楽しげに言葉を継いだ。
「最後の選択を、彼ら自身に委ねるのよね」

 それにイリスは深く頷く。
「ええ。内なる化け物を制御できるのか、それとも解き放つのか。この国に救われるだけの価値があるのか――彼ら自身がその審判を下すことになります」

 セレスティアの抑えきれない笑い声が、静寂な堂内に響いた。
「……答えはわかりきっているくせに。実に私たちらしい、素晴らしく趣味のいい計画よね」

 ひとしきり笑うと、セレスティアは真剣な眼差しでイリスを見つめた。
 イリスもまた、セレスティアをまっすぐに見つめ返す。
「……本当によろしいですね?」
 最後の確認。
 それにセレスティアは首を振り、迷いのない瞳で微笑んだ。

「これは必要な儀式なのよ。私たちを含む全てを焼き尽くす、浄化の炎を作り出すためのね」
 そして、熱っぽい声で続ける。
「それに後戻りなんて考えたこともないわ。むしろ今まで抱いたことのない悦びに満ちている。……あなたも、そうでしょう?」

 問いかけに、イリスもまた、憑き物が落ちたような穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ……そうですね」

 二人は、祭壇の上に鎮座する神の像へと視線を移す。
「私たち二人を引き合わせてくれた神様に感謝しないとね」
 セレスティアの言葉に、イリスが答える。
「その神の家を、私たちがこれから焼くことになるのですが」
 その言葉に、二人はほのかな笑みを浮かべる。

 しばらくの静寂ののち、イリスが口を開く。
「……時間です。そろそろ彼らが、この教会の扉を叩く頃でしょう」

 イリスの言葉に、セレスティアは無言で頷く。
 二人は、一台の燭台を共に手にした。
 そして、ゆっくりと傾ける。

 ポトリ。

 小さな火種が、油の海へと落ちた。

 ボッ!!

 爆ぜるような音と共に、炎は生き物のように床を走り、壁を駆け上がり、瞬く間に教会全体を紅蓮に染め上げた。
 肌を焼くごうごうとした熱気と、建材が爆ぜる轟音。
 炎の中心、祭壇の前で、二人は向き合った。

「イリス」
 セレスティアが、熱と煙に揺らぐ視界の中で、イリスの手を取る。
「あなたと出会えてよかった。……そうでなければ、私はただ何もできない、無力な人形として生き続けることになっていたわ」
 イリスもまた、強くその手を握り返す。
「私も……あなたと出会えてよかった。そうでなければ、私はここまで復讐を果たせなかった」

 二人は両手を前に出し、恋人のように指を絡めた。
 迫り来る炎の壁。崩れ落ちる柱。
 けれど、二人の心にあるのは恐怖ではなく、安らぎと達成感だけだった。

(願わくば、この炎が国を燃やし尽くさんことを)

 二人の願いに応えるように、燃え盛る天井が轟音を立てて崩落した。
 赤い炎と黒い煙の中に、二人の少女の姿は消えていった。

 後に残ったのは、ただ空高く立ち上る、国崩しの狼煙だけだった。
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