闇を纏う王子と滅びの星の墜ちる庭

森野結森

文字の大きさ
11 / 21

5 -01

しおりを挟む




 ――その瞬間、誰の名を呼ぼうとしたのかなんて、考えるまでもない。

(ルーンハルト)

 アイゼンは声を放つ代わり、奥歯をきつく噛み締めた。さらには息すら継がず、一息に剣を抜く。
 それと同時、どうっと赤紫色の魔力が放たれ、火炎のごとき勢いを持って、魔獣へと向かっていった。巻き込まれた森の木々が、乾いた音を立てて薙ぎ倒される。

「殿下……!」
「下がれ。俺の剣であれば、多少は持ちこたえる」

 雪深い針葉樹の森に、満足な陽は差し込まない。それでも、闇色の毛並みを持つ魔獣の輪郭を捉えられるのだ。……あまりにも、距離が近い。

 これでは、防護結界を張ることなど不可能だった。

「俺がやつの攻撃を凌いでいる間に、おまえたちは退却しろ」

 アイゼンは魔獣の赤く光る眼――先んじてこちらを捉えている凶暴な視線を正面に据えたまま、部下達へと命令を下す。いかに剣技に長けた騎士と言えど、その強さを決めるのは、最終的には魔力の量と質だ。

 王族の血は伊達ではない。

 だからこそ、王の血を持たねば、魔獣の歯牙にたった一度でも掛かることは死と同じなのだ。

「防護結界を森の外に張れ。総員、そこで待機を命じる」
「ですが……っそれでは、殿下が!」
「俺の心配をするのは、自分たちの身の安全を確保してからだ。――来るぞ」
「!」

 ざらりと不快な感触で、夜の帳が引き下ろされる。そんな錯覚を覚えた。ただ一瞬の間に、小山ほどもある魔獣がこちらへ飛びかかって来ている。
 落雷のごとく重い爪を剣で受け止めたアイゼンは、吐く息に短い詠唱を加える。銀色にきらめく魔法陣とともに、魔法のシールドが現れた。それは魔獣の鼻先を強く弾いて、ぎゃうっと悲鳴を上げさせ、わずかながら後退せしめた――が。

(まあ)
(焼け石に水だよな)

 シールドはシールドだ。相手に傷を負わせるほどの威力はなく、むしろ半端に叩いた分、かえってあちらの闘争心は煽られたことだろう。

 魔獣の眼はらんらんと光り、いまはアイゼン一人をその獲物と定め、慎重に間合いを探るような仕種をする。……それならそれで、こちらにも都合は良かった。

(俺だけなら、戦える)

 魔獣の攻撃を受けた際、互いの魔力同士がぶつかって発生する衝撃波に煽られ、騎士達は森の木々よろしく吹っ飛ばされている。多少の怪我を負った可能性はあれど、魔獣の興味からは外れ、充分な距離も取れたはずだ。

 王城騎士団がつくる防護結界は、王国一の強度を誇る。それさえ張っていてくれれば、部下たちに心配はなかった。

 だが、この先は消耗戦だ。
 こちらは魔獣の攻撃を凌ぐことは出来る。けれど、それだけだった。負け戦なのは確定している。なにせ、三年前とまったく状況が変わらない。

 三年前――士官学校の最終学年。

 当時の王城騎士団とともに、学生の身としては最初で最後の実戦に出た。対象は、ごく小規模な魔物の群れ。魔物たちは、「魔物の吹きだまり」と呼ばれる地点から自然発生し、始めは意思も体もない影のような形でたゆたう。それらが次第に寄り集まり、動物に似た姿を成して移動し出すと、人々の生活を脅かすようになるのだ。
 とはいえ、発生したばかりの状態であれば、さほど危険なものでもない。

 そういった「生まれたて」を始末する、というだけの――あの日は、卒業資格を得るための最終試験日だった。
 学生らで組む隊の傍らには、「吹きだまり」の処置など何百とこなしてきた王城騎士団が付き添っている。万が一にも、リスクなどありはしなかったのだ。

 けれど、――数十年ぶりに姿を現した魔獣と、遭遇してしまった。

(ルーンハルト)
(おまえが)

 もう二度と、血の海を見ることがないように。

 アイゼンは薄く吐き出す呼気にシールドの呪文を混ぜながら、より一層しっかりと剣の柄を握り締める。

 三年前の自分は、別隊から駆け付けて来るルーンハルトの到着を待てなかった。

 あの日、いまと同じようにほかの者たちを逃がし、一人魔獣に立ち向かった自分は、わずかな間でも決定的に怯ませられれば――その隙に逃げ出せれば、と思い、魔獣の眼に剣をくれてやった。
 決死の攻撃は見事通ったが、それ以上の効果はない。
 魔獣は煩わしげに首を振るった後、こちらの腹を難なく食いちぎった。肉を味わうためですらない。殺すためだ。単なる獲物として地面へと放り落とされた時、ルーンハルトの気配をもう近くにまで感じていた。

 だが魔獣はまだ、そこにいる。
 だから「来るな」と叫ぼうとして、……声など微かにも、出なかった。気付けば視界もない。指先一つすら、自分の意思では動かせずに――ただひどく静かな諦観だけが、そらの果てをここに連れて来る。

 自分は、そこで息絶えたのだ。

 三年前のあの日、死の闇に包まれている間に、アイゼン、と泣き叫ぶルーンハルトの声を聞いた記憶がある。彼をまた、あんなふうに泣かせたくはなかった。

 自分が剣を取る理由なんて、それだけでいい。

(ルー)

 ――もう二度と、おまえを待たずに死にはしない。俺は。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

無愛想な氷の貴公子は臆病な僕だけを逃さない~十年の片想いが溶かされるまで~

たら昆布
BL
執着ヤンデレ攻め×一途受け

路地裏の王子様と秘密のカフェ ―10年ぶりに再会した親友はトップアイドルでした―

たら昆布
BL
大学生の千秋がバイト帰りの路地裏で助けたのは、今をときめくアイドル『GALAXY』のセンター、レオだった。 以来、レオは変装して千秋の働くカフェへ毎日通い詰めるようになる。 ​「千秋に会うと疲れなんて全部消えちゃうんだ」 トップアイドルとは思えないほど素直に懐いてくるレオに、千秋は戸惑いながらも多忙な彼を支えたいと願うようになる。 ​しかし、千秋はまだ知らない。 レオが10年前に「また絶対会おう」と約束して別れた泣き虫な親友の玲央本人だということに。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

一度は逃がしてあげたが、次は無いよ

BL
獣人もの。 今でも、昔付き合っていた狼獣人への恋慕が隠せない健気なリス獣人。 振られたのはリス獣人なのに、医師で狼の男は別れた後から何故か遊び方が派手になり、リス獣人に優しくしたり…突き放したり……。 狼獣人×リス獣人

青龍将軍の新婚生活

蒼井あざらし
BL
犬猿の仲だった青辰国と涼白国は長年の争いに終止符を打ち、友好を結ぶこととなった。その友好の証として、それぞれの国を代表する二人の将軍――青龍将軍と白虎将軍の婚姻話が持ち上がる。 武勇名高い二人の将軍の婚姻は政略結婚であることが火を見るより明らかで、国民の誰もが「国境沿いで睨み合いをしていた将軍同士の結婚など上手くいくはずがない」と心の中では思っていた。 そんな国民たちの心配と期待を背負い、青辰の青龍将軍・星燐は家族に高らかに宣言し母国を旅立った。 「私は……良き伴侶となり幸せな家庭を築いて参ります!」 幼少期から伴侶となる人に尽くしたいという願望を持っていた星燐の願いは叶うのか。 中華風政略結婚ラブコメ。 ※他のサイトにも投稿しています。

姫を拐ったはずが勇者を拐ってしまった魔王

ミクリ21
BL
姫が拐われた! ……と思って慌てた皆は、姫が無事なのをみて安心する。 しかし、魔王は確かに誰かを拐っていった。 誰が拐われたのかを調べる皆。 一方魔王は? 「姫じゃなくて勇者なんだが」 「え?」 姫を拐ったはずが、勇者を拐ったのだった!?

処理中です...