忠臣蔵の兄弟

多那可勝名利

文字の大きさ
2 / 4

文彦の刻2

しおりを挟む
その日は僕の中学生活最後となる夏休みで、朝早くから父の工場でアルバイトをしていた。

時給は三百円とかなり安いような気もするが、それでも好きな本を買えるのは有難いことだった。

ペットボトルの工場というのは色々と作業が多い。

まず原料であるプリフォームがぎっしりと詰まった巨大な段ボール箱を小分けにしていく作業から始まる。

一本一本のそれは丁度試験管のような形状で軽いものだが、一つの段ボールにはそれが何万本とぎっちりに詰められていて、およそ二百キロほどの重量にもなる。搬入されてきたトラックからは、とてもじゃないが人力で降ろせる代物ではなかった。

この巨大な物体を降ろす役目は斎藤のじっちゃんだった。もう七十に手が届きそうな年齢にも拘わらず、達者なリフト裁きで次々と箱を降ろしていった。

「おい文彦! そないなとこにおったらあかんがな。万が一これが落ちたら、ぺしゃんこになってまうやろうが」

「おおっと、ごめんごめん。じっちゃん」

じっちゃんはリフトの上から大声で怒鳴ったあと、すぐにニッと少なくなった歯を見せた。口調はいつも荒いが、絶えず僕や兄を気にかけてくれる根は優しい職人気質の人だ。

 僕の仕事は、そうやって工場の搬入口に並べられた巨大な箱に入った原料を、一本ずつチェックしながら、ちょうど人が一人でも運べる程度のプラスチック製のボックスに移し替えるのが主だった。

普段は近所のパートさんたちがやっている仕事で、はっきりいって極めて単純作業の繰り返しなので面白くもなんともない。出来れば、生産ラインのプログラムなんかを覚えたいのが本音なのだが、中学生の僕にやらせて貰えるはずもなく、やっぱり僕は黙々とプリフォームを検品しながら移し替えていた。

「どうや。今日のはアラブ産のやから、ええのんが多いやろ」

 振り向くと兄が汗まみれで、僕の肩越しに材料を覗き込んでいた。

「うん、せやな。ほんま試験管みたいで綺麗なもんやわ」

「試験管? そうやな、まあ確かに知らん人間が見たらそう見える
かもしれんけどな」

 材料であるプリフォームは、それこそ試験管のように真っ直ぐと延びた筒状になっていて、その大きさも二リットル用の大きなものでは、少し大き目な試験管そのものだった。

柔らかく、ふにゃふにゃしたイメージしかない製品化されたペットボトルとは違って、かなり固いものでもあり、最初、これがどうやったらあのペットボトルに変化するのか、想像すらつかなかったものだ。

「なあ兄ちゃん。今回のも状態がええみたいやし、何本か貰てもええやろ」

「ん? ああかめへんよ。しかしお前は、ほんまにそんなもんが好きやなあ」

兄は額の汗を拭いながら、半ば呆れたような顔をしていた。

プリフォームは成型する製品によって、その大きさも様々で、僕はそれらをこっそりとコレクションしていた。

母を亡くしてから覚えた料理にすっかりと嵌った僕は、それをまさしく試験管代わりにして、色んな調味料やスパイスを合わせる時に、随分と重宝していたし、何より新しい製品が生まれてくる度に仕入れるその原料が、この父の工場の歴史を表しているようにも思えていたので、やはり何本かは使わずに保管していた。

不思議と完成されたペットボトル自体には、それほど執着することはなかった。

「それにしても、兄ちゃん。えらい汗やんか。どないしたん、工場ん中はクーラー効いて涼しいのに」

「ああ、昨日からコンプレッサーのメンテナンスなんや。今度こそは完璧に覚えたろうと思ぅてな。エンジニアに張り付いとんねんけど、こない暑かったらかなわんわ」

「ほんまに覚える気ィなんや。でけるようになったら凄いやんか」

「まあ、見とってみィ。親父もびっくりさせたるわ」

ペットボトルの製造に於いて一番重要なのは他ならぬ圧縮空気を作り出すコンプレッサーだった。

ボトル成型を簡単に云えば、材料のプリフォームを巨大なオーブンで熱して、柔らかい状態となったところに一気に空気を送り込み膨らませる。つまり硝子職人が、真っ赤に焼けた硝子に、口で息を吹き込み膨らませるのと同じ要領となる。それと違う点と云えば、こちらの場合は金型により、完成品の形状が一定していることだった。

流れ作業で、次々にエアーを作り出してゆくコンプレッサーは、かなり巨大なもので、工場とは別棟に置かれている。

二階建てのちょっとした塔のような建屋に収まっているのだが、このメンテナンスが非常に手間と金が掛かるのだ。

なんでも、このコンプレッサーは潜水艦などに使われているものと同じもので、ちゃんとしたメンテナンスが出来るエンジニアは、世界に数えるほどしかいないのが現状らしい。

だからその費用も莫大なもので、一回のメンテナンスに数百万円も掛るのが当たり前ともなっていた。

その中には、エンジニアの滞在費や食費なども含まれる訳だが、この特殊なエンジニアたちも又、曲者だった。世界各国を渡り歩いているのが常で、なかなか捕まえることができないのだ。

僕は最初にその話を聞かされた時、すぐ頭に『ゴルゴ13』を思い浮かべたりした。

実際、変わり者のエンジニアも中にはいて、一度など兄のお供で空港まで出迎えに行ったのだが、その時のエンジニアの風貌が凄かった。

真夏という時季でもあり、黒のタンクトップ姿で現れたのはいいとして、全身にタトウーを纏い、今流行りのターミネーターばりのサングラス、おまけに全身いたるところにピアスをしていたのだ。

さすがの兄も

「なんやアレ? みんな見とるがな」と呆れていたほどだった。

「もしかして、今回きとるんも、ターミネーター?」

「ターミネーターって……、お前、しばかれんぞ。そうや。トミーのやっちゃ」

「やった! じゃあ、仕事が終わったら、メシ行こうよ」

僕は今回のエンジニアも、全身タトウーのトミーと聞いて、小躍りした。

基本的にエンジニアの滞在中の希望は、叶えてやらねばならない。特に食べ物だ。

色々な国のエンジニアが来るので、毎回レストラン探しに苦労するのだが、トミーの好物は肉だった。

毎回、ステーキか焼肉しか食べないのだ。僕の好物ももちろん肉。お供すれば、まんまとありつけるって訳だった。

「わかった、わかった。お前も呼んだるわ」

兄も察したようで、苦笑いを向けた。

食事もそうだが、僕がトミーを気に入っている理由は他にもあった。まず、その見かけとは裏腹に、仕事は真面目で腕も確かであるという点だ。

前回、トミーがメンテナンスしてから小さなトラブルは全くなくなったと、父も感心していた。

ペットボトルの製造に於いて、コンプレッサーは正に命とも云える。止まってしまえば、動くまで一切の製造は出来なくなるからだ。加えて、修理するエンジニアが捕まらなければ、何日も製造が止まる事態ともなりかねない。

「やっぱり、人は見かけじゃ判断できんな」と父が云うのも、素直に頷けた。

もう一つの理由は、僕は世界中を周って仕事をしてきたトミーの話を聞くのが大好きだった。

派手な出立ちのせいもあって若く見えるのだが、もう五十になろうとしているトミーの話は、他の日本人の大人たちがするそれや考え方とは全く違ったものだった。

「なあ、フミヒコ、彼等はいくつなんだ?」

トミーは前回、搬入作業をする斎藤のじいちゃんたちを見て、驚いたようにそう尋ねてきた。

僕が「そろそろ六十五かな」と中学英語で答えると、彼は心底、驚いた表情で顔を顰めた。

続けて、日本人は皆そうなのかとの問いに、色々だけど大体は六十くらいまでは働くものだ、と答えると、トミーはすぐに「ばからしい」と云った。

続けて、何のために生まれてきたのだ? 人生の残りが少なくなってから引退したのでは意味がない、というふうな言葉を吐き捨てた。

「俺は、五十で仕事を辞めて、オーストラリアで暮らす。好きなサーフィンをしてのんびり暮らすのさ。そのために、今は我慢して、世界中を飛び回って稼いでいるんだ」

その時トミーは、はっきりとした口調でそう断言していた。

僕はその話を聞いてから、日本だけを見て人生を終えるような生き方はしたくない、とはっきりと思えるようになった。

この先、ありきたりの受験勉強をして、あわよくば、一流と呼ばれる学校を卒業し、また、あわよくば、一流企業に就職が決まったとする。

その会社で定年を迎えるまで勤め上げ、それなりの退職金を手にして老後を静かに不自由なく暮らす。

それが、一番の成功者であり、幸福な人生の歩みだと、教えられて育ってきた。

だが、果たして、それが本当に一番の選択肢かどうか――。

僕はトミーの言葉によって疑問を感じるようにもなった。

少なくとも、僕にはトミーのような生き方が良いと感じられたし、何よりもそっちのほうが断然楽しそうだった。

この頃から僕は、はっきりと世界中を旅してみたいと思うようになった。

株式投資をしながら世界中を見て周りたいと、真剣に考えた。

だから僕は他の同級生がゲームに夢中になる中、ひたすらに株式投資の勉強と研究を重ねていたのだ。

      

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...