霊犬 早太郎伝説

多那可勝名利

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『むっ、微かに悲鳴が』

 園内に入ってすぐ早太郎が云った。

「ほんとか。急ぐぞ、きっと事務所だ」
 洋介が先に行こうとすると、

『そっちにはおらん。もっと奥のほうだ』
 と云って早太郎はまたスピードを上げた。マロから伸びる早太郎の煙の帯が今にもきれそうな具合であった。

「おいおいっ、待てって。早えよ、真っ暗で何も見えねえよお」

『ちっ、面倒な奴じゃ』
 そう云うと早太郎の身体が一段と発光し、周囲が明るく照らされた。

「何でもアリだな、おい」

 遠くで薄っすらと灯りが見えた。一番奥の辺りだ。

『むっ、あやつは』
 焼却炉と思われる建物の手前で、急に早太郎の動きが止まった。

 すると焼却炉の扉がゆっくりと開き、中から何かが出てこようとしていた。かなり大きな扉であるのに、身体がどこかにつかえているのか、這い出ようとして苦労している。四つん這いになったその姿は、全身毛むくじゃらであった。

「うわっ、ク、クマだ。しかもシロクマじゃあねえか。きっとこの動物園の生き残りに違いねえ! やべえぞ」
 洋介が咄嗟にそう叫んだ。

 するとその大きな影のすぐ後ろで、聞き慣れた声が返ってきた。

「アンタ、ばっかじゃないの! んな訳ないでしょっ」

「えっ、みゆき?」

 四つん這いになっていた大きな影が、やっと全部外に出てきたかと思うと、のっそりと立ち上がった。

「おっ、おおおお?」
 洋介は思わず見上げた。

ゆうに三メートルはありそうな大きな毛むくじゃらは、どうみてもシロクマなどではなく、どちらかといえば……。

「ゴ、ゴリラじゃあねえか。しかもキングコング級だ……」

 なんとなく嬉しい気持ちになる洋介であった。

 が、しかし案の定、

『ぬううう! 貴様もゴリラとぬかすか! 皆まとめて喰うてやるわあ』
 化け物は両手を高くあげ、一段と興奮して吠えた。

「今よ!」

 みゆきの声がして、その化け物の横をすり抜けるようにしてこちらに向かってきた。

「何だ、沙織ちゃんも一緒じゃねえか」

「洋介さん! お久しぶりですぅ」
 いち早く沙織が洋介の胸に飛び込んだ。

「ちょっとアンタたち! そんな場合じゃないでしょっ」

 みゆきはかなり苛ついたような表情で、洋介の胸ぐらを掴んできた。


『お主たち、少しばかり離れておるが良い』
 早太郎がそう云って、化け物と洋介たちの間に立ち塞がった。

『ほう、おのれが〈早太郎〉とかいう山犬の化身か』

『早太郎? 貴様までもが……』

 早太郎がなぜか不満気にそう云いかけた時、洋介の目の前にいた沙織の目が輝いた。

「きゃあ、これがあの伝説の早太郎ね! きゃあ! かっこいい」
 そう黄色い声を上げたかと思うと洋介を押しのけるようにして早太郎に近付こうとした。

「あっ、ばか」
 洋介も思わず声を上げる。

早太郎もそのやり取りが気に掛かったのか、一瞬こちらを振り返った。


 ――その刹那。わずか一瞬であった。


「いやあああ」
 みゆきの悲鳴が響き渡る。

 化け物の丸太のような腕が、その長く伸びた斧のような爪が、早太郎を無残にも切り裂いたのである。

「あっ、マロ!」

 次の瞬間、洋介が抱きかかえていたマロの小さな身体がびくんと波打った。



 我とそやつは云わば一心同体なのじゃ・・・




 脳裏に早太郎の言葉が蘇った。

「おいっマロ! マロ!」
 洋介が必死に揺すってもマロは最早固まったように微動だにしない。

『ふはははっ、何とも日本の犬の化身とやらは呆気ないものよ』
 化け物の高笑いだけが不気味に響き渡った。

 切り裂かれた早太郎は形がなくなり霧のようにあたり一面を覆った。

「いっやああ、早太郎があ、早太郎様があああアぁぁ」
 沙織の甲高い叫び声が上がった時だった。

 洋介の腕に抱かれたマロがぴくっと微かに動いた気がした。

 続いて声が聞こえた。

『お主ら、いつもいつも早太郎、早太郎と何を云うておる』
 確かに霧の中から早太郎がそう云った。

「早太郎!」
 みゆきも叫んだ。

 化け物に切り裂かれた霧がゆっくりと晴れてくる。

 そして中からは、これまでの煙のように白い姿ではない早太郎がゆっくりと姿を見せ始めた。

 それは白と云うよりも光を帯びた金色に近い色であった。

 しかもその姿は、首の周りにたてがみを纏い犬と云うよりは最早ライオンとも云える姿形であった。
 まさしく黄金のライオンである。

「お、おめぇ犬じゃなくって、ラ、ライオ……」
 洋介が思わずそう口にしようとした時だ。

となりの沙織が被せて云った。

「ああっ、〈東方神犬〉だあ!」

「はあっ? 何云ってやがる。どうみても韓国アイドルじゃねえだろがっ」

 洋介が思わず呆れて吐き捨てると、すかさずみゆきが云った。

「ばかっ。神起じゃなくて神犬。またの名を〈チベタン・マスティフ〉って犬種よ」

「そう。虎よりも強いって云われてるんだから」

 沙織もなぜか自慢気にそう云ったが、明らかに狼狽えたのは、白猿の化け物だった。

『ま、まさか。お前はああああ……』

 黄金に輝くたてがみをなびかせて、早太郎……いや東方神犬が口を開いた。

『我こそは古の王、チン・ギスハーン様が主、三万匹からなる東方神犬軍団の長なるぞ。大陸の白猿よ、よもや知らぬわけではあるまい。よくぞ、我に傷をつけてくれたわ。存分に礼をしてくれようぞ』

 確かに東方神犬の胸あたりに大きく三本の爪痕が刻まれていた。気になった洋介はまた軽くマロを揺すってみたが、何の反応もない。

『くくっ、まさかこのような島国で東方神犬の化身と相対するとは……こうなれば仕方がない。我とて白猿の王、甘くみるなあああぁぁぁぁ』

 白猿はそう叫びながら、もの凄い勢いで向かってきた。

『馬鹿が……』

 東方神犬は落ち着き払った様子でそう呟くと、また一層光り輝いた。


 僅か数秒のことだったーー。


 閃光の如く東方神犬が駆け抜けたかと思うと、次の瞬間白猿の首が勢いよく飛んだ。

「すげえええぇ。めちゃめちゃ強えじゃねえか、韓国アイドル犬の奴……」

「ばか! 聞こえたらどうすんのよ」

 みゆきにたしなめられて、洋介は首をすくめた。

 それにしてもやはりマロが身動きひとつしないのが気がかりだった。

「おいっ東方神犬! お前こいつと一心同体っていったよな。どうなってんだよ。こいつが全然動かねえじゃねえか」

「ちょっ、ちょっとアンタ助けて貰ったんだから、口の利き方に気をつけなさいよ」

「馬鹿野郎。助けて貰ったのはおめえ達じゃねえか。こいつとオレは云わばパートナーみてえなもんだ。なあ、そうだよな」

 苛立った洋介は足元に転がる白猿の頭をサッカーボールのように蹴り上げた。

『むっ、確かに、お主と我は……高級ビーフジャーキーの……』

「えっ? 何、どう云うこと、は? ビーフジャーキーって」

 しどろもどろになる東方神犬に対してみゆきがかなり不信感を抱いているようであった。

「いや、まあそんなことよりマロの奴だよ。どうなっちまったんだよ」

『むう……おそらく、先ほどの白猿の一撃が相当堪えたと見える。その小さな身体ゆえ、もしかすると……』

「な、何だそれ。お前一心同体っていっただろ。おめえはピンピンしてるじゃねえか。そんなの不公平じゃねえかよ」

 洋介は一向に動きそうにないマロを抱え、段々と心配になってきた。

 同時に適当に聞いていたはずのみゆきの〈早太郎伝説〉が脳裏を掠める……。

〈早太郎は光前寺までなんとか帰り着くと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高く吠えて息をひきとってしまいました。〉

『確かに、一心同体と申したのは間違いない。我が傷つけば守護するそやつも傷つくのは道理。しかしそやつが死んでも、我が消滅するわけではなく、また別のものを守護するだけであるからして……』

 洋介はどうにも納得出来なかった。

「とにかく、なんとかしろって! てめえ大層に神ってついてんだから、どうにか出来るだろうがよ! なあ、頼むよ、おめえの好物のこれを毎日喰わせてやっからよぉ」

ゴソゴソとポケットをまさぐりビーフジャーキーを差し出した洋介は、いつのまにか、目頭が熱くなるのを感じた。

「洋介、アンタ、マロのことそんなに……、あっ!」
 みゆきが突然、ガバッと洋介に近付いた。

「なっ、何だよ。オレだって情くらいあんだよ」

「ばかっ、違うわよ、マロがっ」

 そう云われて覗き込むと、マロの小さな鼻がヒクヒクと動いていた。

 洋介は手に持ったビーフジャーキーをそっと顔に近づけた。


「ワン!」

 次の瞬間、マロが嘘のように飛び起きて、ひと声吠えたかと思うとすぐさまビーフジャーキーにかぶりついた。

「いってえええぇ。てめえ、オレの手までかじるんじゃねえ」

 洋介の叫び声のあと、またマロがタイミングよく吠えた。

「ワン! ワン」


                     了

             

      参考文献

『日本と中国の書歴史』     (社団法人)日本書作家協会

『霊犬 早太郎伝説』              光前寺発行

 

 

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