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5. アジュール温泉郷

5-1 アジュール温泉郷

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イヲンの街の近くにある精霊の森で、ルキは黒く変色した植物を地に這うようにして観察していた。
円形に地面が窪んだ場所の草が黒く変色し、それが周囲の草に伝染してどんどん広がっていると樹精獣達に知らされて、調査に来たのだ。
ここは以前、魔族と樹精霊が戦った場所で、その際に魔族が使用した「世界樹伐りの斧」の影響を受けた周辺の植物が、本来は聖邪どちらでもないはずが邪性に傾いてしまったのだ。
邪性に傾いた植物は、一代で果てて種を残すことが出来ないのだと、ルキの中の樹精霊が教える。その範囲が広まれば、植物が絶滅してしまう恐れがある。ルキは、影響を受けた範囲の大地を抉り取って焼却するか、「世界樹伐りの斧」を無効化するかを思案していた。
世界樹伐りの斧に憑りつかれたソゴゥを助けた際は、その体からウイルスを血と共に吸い出すことで、影響を取り除くことが出来た、だが、この地を覆う草の一本一本を救うためにカジって、汁をススったら、それだけで草が枯れてしまい本末転倒となる。
ルキの側に控えている四頭の樹精獣達が、その毛に覆われたモフモフの手を波のようにくねらせるジェスチャーをそれぞれがルキに向かって行う。

「確かに、砂塵化すれば、あっという間なのデフが・・・・・・」
ルキは、自分の身体を守るように両腕を抱える。
こちらの次元でも物理干渉を行えるように、樹精霊が長い年月をかけて作った樹木のスイを核として、邪神のルキは樹精獣達を抱っこ出来る体を得ている。
砂に戻ることは、一時的に核から離れ、体を失う事だ。
直ぐに戻れると分かっていても、永い孤独な時間が、ルキの砂塵化を躊躇わせる。
だが、この精霊の森が、これ以上汚染されることをルキも許しておくことは出来ない。
ルキの手のひらから溢れた砂が零れ落ち、地面へと降り注ぐ。
黒い砂の中には、赤いルビーの粉のような光が混じっていて、それが瞬く星のように明滅しながら霧の様に広がっていく。
ルキの体はその像を崩して黒い霧のようになり、核である樹木の粋は、白木が化石となったような球体を露にして地に落ちる前に、樹精獣の一頭が肉球におさめた。
変色した植物の上を、黒い砂がすっかりと覆い尽くす。
しばらくそうして変色した大地に留まっていた砂の中の光の明滅のおさまり、やがて樹精獣の持つ核へと集まるように砂が戻って来る。
黒い霧が晴れた地面には、変色していた植物が本来の色を取り戻していた。
樹精獣達は、健康な色を取り戻した草を見て飛び跳ねて喜び、ルキの元に集まると、肉球でポンポンと労うように叩いたり、ギュッと抱きついてきたり、四頭それぞれの感謝を表現してくる。
その樹精獣の一頭が突然動きを止め、周囲を伺うように耳を立てた。
他の三頭も一頭が見ている方向に顔を向け、警戒しはじめる。一頭が、森の中へと猛然と走って行き、やがて、チャイブに抱かれて戻って来た。

「お久しぶりです、ルキさん」
挨拶をするチャイブを押しのけ、イグドラム警察機関、国家安全局、魔法安全対策課班長のイフェイオンが、毛先が薄紫色の白い髪を乱しながらルキの前に勢いよく滑り込むようにヒザマズく。
「深い森の中に佇む貴女は、今ここに誕生した神のように神秘的で美しい。ああ、このような清らかな女神誕生の光景に立ち会えた私は何と幸運な事でしょう」と、手を広げて、感激を示す。
「ルキは、女神でもなければ、今生まれたわけでもないニョロ。イフェ長は何しに来たニャスか?」
「そうでした、ルキ様に血液の試食をしていただきたく参上いたしました」
吸血鬼であるルキが好むのは女性の血で、男性の血は不味く、また時間を置いた血液では食事の意味がなくなるなどといった問題解決に、イフェイオンが名乗りを上げて取り組んでいたのだ。
イフェイオンは立ち上がると、円形に陥没した地面が、以前は不気味に変色していた草の状態が元に戻っていることに今更ながらに気付いた。
「ここの草が、正常に戻っていますね」
「本当ですね、焼け跡みたいになっていたのが噓みたいです」
ルキが鼻を鳴らし、胸を反らせる。
「もしかして、ルキ様が?」
ルキが頷くと「流石です我が女神!」とイフェイオンが抱きつこうとしてくるのをカワし、樹精獣たちで身を固めて、チャイブとイフェイオンに付いてくるように言う。
「屋敷に寄って、お茶でも飲んでいくノシ」
先程、チャイブとイフェイオンの二人は、この精霊の森に着くと真っ先に精霊の家に向かったのだったが、外から呼びかけても反応がなかったので、思い付く場所を探して、精霊の消失した現場にやって来たのだった。
「それにしても・・・・・・」とイフェイオンが精霊の家を見上げる。
「何か、育ちましたよね、樹が。前は小さな家だったのが、今は小さな宿泊施設くらいになりましたよね。佇まいも、ひっそりとしていたのが、オープンになったと言いますか」
「たしかに、森の中のおしゃれなヴィラのようです。あとプールがあれば完璧ですね」
先を歩く樹精獣たちがルキを振り返り、ニャッ、ニャッとルキに話しかける。
「なるほど、プールは盲点だったニョロ」
何やら軽口が採用されそうで、チャイブは焦った。

精霊の家に入ると、気持ちの良い日が差し込む二階のテラスに案内され、テーブルセットにつくと、樹精獣たちがお茶と御菓子をルキとお客であるチャイブたちに運んできてくれる。
ルキは、青空と太陽の光を満喫しながら、お茶を口にする。
しばらく王都やイヲンの街の様子についてお互いの近況などを話しながら、チャイブはどうしてこの家がここまで大きくなったのかを尋ねた。
「お客さんが増えたからノシ」
「お客さんが来られるのですか?」
「兄とか、父と母とか、王様たちとかもお忍びで来るニャフ。イグドラシルの樹精獣は人目があるのでモフれないから、ここに来て心ゆくまで樹精獣たちをモフっていくニョロ」
「ニトゥリーとかがですか?」
「王様とその妻がニョロ」
チャイブは噴き出しかけた茶を何とか嚥下エンカして、鼻水を拭った。
「もしかして、泊まっていかれるのですか?」
「父と母とかは泊まって帰るニャ、客室のシーツはいつも清潔にして、部屋もピカピカなので、イフェ長やチャイも泊まっていくといいニョロ。森の幸の夕食と、最近ルキがはまっている太鼓のリズムに合わせて樹精獣たちが踊るのを見ていくニャ」
「ありがとうございます、是非拝見させてください!」
イフェイオンが言い、チャイブも警察内のストレスで、樹精獣に癒しを求めての来訪でもあり、断る理由はなかった。
「ところで、加工血液の試作品をお持ちしたので、試食をお願いしたいのですが。もちろん、我々魔法安全対策課全員が試食を重ね、賞味に耐え得るレベルに達した物をお持ちいたしました」
「ありがとう、イフェ長」
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