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5. アジュール温泉郷

5-3 アジュール温泉郷

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イセトゥアンの場合は、ノディマー姓を名乗るようになってからも、家督は四男が継いで、他の兄弟達も現職を優先している。エルフは合理的に物事を判断するため、必ずしも長子が家督を継がなくてもよく、また、家督を持つ親の生死関係なく、子に家督を譲ることが出来る。さらに、家督継承は男女どちらでも構わないことになっている。
その家で、最もふさわしいエルフが継ぐべきものと捉えられ、往々にしてそのために育てられた長子が、その役を担う事が多いというだけの話だ。
王宮騎士特務隊は、特に特殊魔法の能力が高い十三貴族が揃っている。強力な雷魔法を操る第九領のサジタリアス家、優雅を好み古くから国を支えてきた、風や空気操作魔法の得意な第二領のトーラス家、神秘的な力を持つ者が多い第八領のスコーピオ家の子息達が、第十三領の化け物揃いの一家、イセトゥアン・ノディマーの命で、ロブスタスの作戦に乗って動いていたようだ。

「ライフ、貴方は兄が戻って来るまで、兄の振りをしているのかしら?」
「いえ、ロブスタス殿下は所用で城を離れるということにして、私は今日にも元の姿に戻るつもりです。もともと、隊長がいないとこの魔法は三日しか持たないとの事でしたので、そうなる前に、出立した振りをいたします。その前に、リンドレイアナ殿下に事情の説明をと思い、参上した次第でございます」
「兄が迷惑をかけましたね、この私のためだという事は分かっているのだけれど、本当に兄の思惑通り事が運ぶかどうか、私は心配でなりませんの」
「殿下と隊長たちなら大丈夫ですよ、もし竜神王様に正体がばれても、きっと逃げ帰って来ます」
トーラス家のヴィントが言う。
金色の巻き毛を騎士特有の編み込みにした短い髪ではあるが、鮮やかなブルーの瞳と花のある雰囲気はトーラス家の血縁によく顕れる特徴を有している。
「それに、向こうには心強い・・・・・・いえ、失礼いたしました。とにかく、あと今日を含め5日を乗り切りましょう」
ブロンが言い掛けたことを制するように、ヴィントの風がブロンの首を掠めた。
ブロンは無表情のまま首を撫でている。こちらは、サジタリアス家の特徴の砂色の髪の短髪で、アイスブルーの瞳が鋭い精悍な顔つきをしており、戦士らしい体格をしている。
騎士一人一人の顔と名前は一致するが、ツブサに観察をした事がないため多くの騎士は、何となくでしか覚えていなかったが、この特務隊は親友の話題にもよく出てくるため、物語の登場人物のように何となく親しみがあった。
「それでは殿下、我々はこれで失礼致します。ああ、そうでした、苦情はロブスタス殿下が戻った際に、ロブスタス殿下にお願いしますね。我々と隊長は殿下の命に従っているのに過ぎませんので」
「ライフ! リンドレイアナ殿下に失礼な事を言うんじゃない」
「そう言うとことだぞ」
ヴィントとブロンに襟首を掴まれ、下げられているのが兄の姿なので複雑だが、ライフは毒を吐くことで、他人との距離をとりたがると、その妹、親友であるサルビア・スコーピオから聞いていた。
あまり関わることはないが、サルビアに似た緋色の髪と、緋色の瞳をした、神経質そうな雰囲気のあるエルフだったと記憶している。
サルビアの話では、ライフはサルビア以上の人見知りのため、早く親友と呼べるような友達か、理解のある彼女を見つけて欲しいものだという事だった。
そんな三人が部屋から退出していくのを、リンドレイアナは生温かい目で見送り、やがて押し寄せるどうしようもない不安から、部屋の隅にブランケットを被ってウズクマった。
こうして一人になると、自分は途端に王女ではなくなってしまう。
殺して来た自分が、公を蝕む。
寧ろヘスペリデスに行った自分自身のことの方が、想像しやすかった。捕らわれた先ではきっと、自分は王女以外にはならないだろうと、分かっていたからだ。
こうして、部屋の隅で自分を甘やかすことが出来る時間を作ってくれたのは、ロブスタス兄さんだ。この先何があっても、自分は誰を恨むことなく、王女であろう。
リンドレイアナは、ブランケットから顔を出し、ふと、王城でも最も美しいとされる自分の部屋の、巨大な飾り窓に目を向けた。
リンドレイアナは声にならない声を上げ、逃げ場を探すように辺りを見回したが、直ぐに逃げてどうするのかという、公の声が聞こえた。
自分の部屋の窓を覗いていたのは、金色の巨大な竜だった。
金色の龍眼が、焦点を合わせるようにこちらを伺っている。だが直ぐに、竜は体をヨジって窓から遠ざかった。庭園の上空へと退く竜を、王宮騎士達が攻撃しているのだ。
「いけない!」
リンドレイアナは部屋を飛び出すと、城の上方へ続く階段を上がって走る。
城の屋上へと飛び出し、ありったけの声で、竜の名を呼ぶ。
金色の竜はリンドレイアナに気付くと、城の屋上に飛来した。

「私はここです、城の者を傷つけないでください。貴方と共にヘスペリデスへ参ります!」
竜が手を開き、屋上に差し出す。リンドレイアナはその大きな竜の手のひらに乗った。
竜はもう片方の手で、大事な物を包むようにして、リンドレイアナを隠し、その場を飛び上がろうとして、蹈鞴タタラを踏んだ。その場に拘束され、身動きが取れなくなったのだ。
見ると全方位にオレンジ色の魔法円が出現し、炎の様な光を纏った紐が竜の全身を絡め捕っていた。
「私の友を離せ、竜神王よ!!」
上空より屋上に降り立ち、泣き腫らし真っ赤な目をしたサルビアが、今だに涙を流し続けたまま、血を吐くように怒鳴った。

サルビアが、リンドレイアナ姫がヘスペリデスに行くと知らされたのは、その神輿が空に舞い上がるまさにその時だった。
中庭に駆け付け、神輿と竜人族の一行が空の島に行くのを、我を忘れて飛行魔法で追いかけた。水の中に落ちるように一行が消えていった所から、空間が閉じられて向こう側へ渡れないことに絶望し、以来ずっと泣き続けていたのだ。

「サルビア、駄目よ!」
リンドレイアナは竜の指に掴まり、屋上に立つサルビアを見下ろした。
「アナを、お前の様な邪竜に渡しはしない!」
サルビアの魔力が可視できるほどに上昇し、魔法円の量が増え続けている。
その指には、自分の髪で作った拘束糸がアヤトリのように絡まり、指先から投網を広げるように自在に魔法円を介して竜の体を更に拘束していく。
「サルビア、聞きなさい!」
「アナを離せ!!」
竜神王の両手首を切り落とさんと、拘束が深まるが、竜神王は中にいるリンドレイアナを振り落とさないために、腕を動かせずにいるようだ。
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