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5. アジュール温泉郷

5-5 アジュール温泉郷

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「では、太陽の石が魔族に盗まれたというのは、事実ではないとお考えなのですね」
「そうだ。イグドラム国王の覚悟は、其方を失うかもしれないという事だけに向いているようだった。もし太陽の石が本当に魔族の手に渡ったのであれば、王城の様相は一変していたはずだ。余が飛来した際、魔族の襲撃に備えていたのであれば、対魔用の重火器が火を吹いてもおかしくなかったはずである」
リンドレイアナは、尊敬を持ってスラジ王の金色に閃く瞳を見つめた。
この思慮深い竜神王が、最期という事態とは何を指すのか、リンドレイアナは重たい気持ちでその答えを問う。
「もう余と神樹には、邪気を封じる力が残っておらん。この神竜浮島群を守るためにも余の心臓を用いて、神樹に後を託すより他ない」
「そんな・・・・・・」
スラジは今にも泣きだしそうなリンドレイアナの顔をみて、ぎょっとした。
「せっかくお会いできたのに、嫌です」
「リンドレイアナ姫」
「私は、私達を助けてくれた、あの金色の竜が好きでした。私は絶望の中を、暗雲を切り裂いて降臨したあの強くて優しい竜が、あの圧倒的な光が忘れられませんでした。まるで奇跡の様に、私の呼びかけに応じ、押し寄せる何千何万もの魔物を切り裂いて、船上にある、我が国の者達を救ってくれました。願わくば、恩返しがしたいのです。スラジ王をお助けすることは出来ないのでしょうか?」
スラジは、握ったままだったリンドレイアナの手を、両手で包んだ。
そして、思い出したように笑う。
「其方の兄とともに来た侍女が、其方に触れるのは、其方が許可し、さらに三度確認した後に、手指にのみ触れることを許すと申しておったのを思い出した」
「まあ」
「勝手に触れて済まぬ」
「ここへ上がるために、手を引いてくださったのです、構いません」
「その後も、名残惜しくてずっと触れていた」
「スラジ王は、私の事が好きなのですね」とリンドレイアナは冗談めかして微笑む。
「そうだ」
「え?」
「つまらぬことを言った。其方をここへ呼んだのは、其方に頼みがあるからなのだ。この神域の奥に残る神樹の一柱に、余の心臓を捧げることで、余は理性無き邪竜へとなるだろう。災いと化した余が、浮島群を破壊して回らぬよう、其方には余をうち滅ぼすものを、「王家の書」で召喚してほしいのだ」
「スラジ王」
「それと、この神竜浮島群の次なる王を早急に決め、帝国の侵略を退けるよう、民に言伝を預かってくれぬか。何千年と竜神が王を務めてきたが、それも余の代で叶わなくなった。ニンフは気まぐれで、自由を阻害する要因には恐ろしく攻撃的であるから、次期王は竜人族から選ぶとよいだろう。竜人は己の痛みより、多くの痛みを嫌う、類稀なる福祉の精神を持った民だ、きっとエルフの良い隣人となるであろう」
「スラジ王」
リンドレイアナの両目から涙が落ちる。
「すまぬな、どうしても最期に其方と過ごしたかったのだ。あの荒れ狂う海の上で、その船首に立ち、自分の命を差し出して家臣を助けよと言う、あの凛とした声が、あの王族としてのタタズまいが、まだ若いエルフがどうしてここまでの覚悟が持てるのかと、尊敬に近い感動を覚え、ずっと忘れられなかったのだ」
「私も、私もずっとあの竜を想っていました。『王家の書』は起死回生の一手、王族が直面した危機を打開する『何か』を呼び出すことが出来る、王家の至宝。ただ、その場に何が呼び出されるのかは、王家の書を使用した者にも分からないのです。あの時、スラジ王が私の呼びかけに応えてくれたのは、この先の未来を、ともに生きる切っ掛けであったのだと、私はそう信じたいのです」
スラジは恐る恐るリンドレイアナの涙を拭う。
その慣れないが優しい手つきに、リンドレイアナは微笑んだ。
「私は、涙を堪えるのが得意なのですよ。感情を抑え、微笑むことも王家の仕事なのですから。でも、今は泣かせてください」
「ああ、余のために泣いてくれているのだと思うと辛いが、余は其方の隣にこうしていられることが、何よりも嬉しい」
スラジは神樹に差し出す前に心臓が持たないのではと、早鐘をうつ鼓動を片手で抑え、今まで見た中で一番美しい、この場から見える天空域を眺めた。

「ソゴゥどうした? 眉間に皴が寄っているぞ」
「いや、男四人でリゾートホテルはキツイな。チェックインの時に、クソカップルに憐れみの目で見られたぞ、ちょっと戻って野郎の方を埋めて来るわ」
「おい、他人の幸せを妬むなよ」
「うるせえ、俺だって普通に『お幸せに』って思うよ、俺だって。ただ、見せつけてくる輩が生理的に受け付けないんだよ」
「ああ、まあ、それは俺もわかるけど」
「いやしかし、あの竜人族の女性は、そこのイセトゥアンやヨルに目が釘付けで、むしろ男の方が嫉妬心を剝き出しにして、こちらを睨んでいたようだぞ」
「よくあるんですよ、イセ兄とヨルと出かけると」
「ソゴゥも苦労しているのだな」
「そうなんですよ。ああ、ちょっと待ってください、ここの部屋ですね。この水晶の細長い円柱のカギを、ここに挿すらしいです、あ、開いた」
ソゴゥはフロントで受け取ったカギを、宿泊する部屋を見つけドアに挿した。
カギはドアに吸い込まれ、ドアがニュッと上方へ捲れ上がった。
「うわっ、想定外の仕様」
「中はどうなっているんだろう」
足を踏み入れて先ず飛び込んでくるのは、正面の天井まである弧を描く大きな窓で、そこから見える山々と湖の大自然が、迫ってくるように広がっている。
「素晴らしいな」
贅沢には慣れ切っているだろうロブスタスが、感嘆する。
部屋は円形をしていて、入り口から直ぐ横に荷物を置けるチェストとクローゼット、反対側に洗面化粧台やトイレがあり、奥に進むとドアから部屋の中央までは真っ直ぐな通路で、通路と部屋の中央の円形のテーブル以外はドーナツ状に、膝くらいの高さの白い雲のようなものが部屋を一周している。
「なんだこれ」とイセトゥアンが手で感触を確かめる。
窓や部屋の壁ぎわが、この幅二メートルほどのフワフワでぐるりと覆われている。
「これ、ソファーやベッドなのかもしれないぞ、寝るには丁度いい硬さだ」とイセトゥアンがフワフワに倒れ込む。
荷物を置いて、部屋の中央にやって来たソゴゥも、嬉々としてフワフワの上に乗っかり、ゴロゴロと転がる。
「布団はないのかな」
ヨルが、フワフワを千切って持ち上げる。
「これが、掛け布団も兼ねておるのではないか? 丸めれば枕にもなる」
「なるほど、すごいね! イセ兄が飛び跳ねても、振動がこっちに伝わってこないし、大勢で寝ても、誰かの寝返りに煩わされずに済む。すごいソファーベッドだ。しかもめちゃくちゃ広いから、各々好きなところで眠れるし」
イセトゥアンがトランポリンの様にフワフワの上を飛び跳ねているのを横目に、ロブスタスは中央付近のフワフワに優雅に腰掛け、中央のテーブルにあるポットで、中の水をお湯にする魔法石に魔力を送った。
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