おれときみの愛の真理

秋綺-Aki-

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刻愛

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  部屋に一人ぼっちとなったおれは、ごろん、とベッドに寝転がった。 
  まだしっとりと残る侑翔の匂いの中で、静かに深呼吸をする。
  ぼーっとただ、どこにも焦点を合わさず、空気をみつめていると……、透明の、見えない小さなさざ波が生まれ時の流れが変わりはじめ、時間が止まっているのか、動いているのかわからない空間ができあがっていく。

  そうしておれはここからいつも、思考と遊びはじめる──……。

  いま、このおれの素肌を包んでいるぶかぶかのTシャツは侑翔のものだ。一緒に住み始めてすぐのころ、侑翔の衣装ケースから合法的に盗んだ。
  これに包まれていると……、なんか侑翔の所有物になったみたいで、気持ちよくてすき。
  侑翔がそのTシャツを着たおれを「かわいい」と言ってきたから、そのあとでもう一枚盗んでみた。
  いつだったか、なんとなく元の場所に戻してみたら少しさみしそうな表情を見せたから、明後日くらいからまた、着るのをやめてみようかと思ってる。
  くすっと口元が緩んだ。
  ワクワクする。
  今のうちに堪能しておかなきゃな。

  ……視界には、いつのまにか見慣れた景色となっていたクリーム色の天井が広がっている。
  視線を部屋の方に移せば、二人で選び、少しずつ完成されていったインテリアと、侑翔のものばかりで溢れた空間。おれだけのものは二割……もないくらい。
  壁を覆い尽くすような大きな棚は、めちゃくちゃ高かったけど雑多な物を物をいい感じに収めて、まるでドラマに出てくる部屋の小道具感を演出してくれる。
  その中に、星座早見盤があるのが見える。
  裏に侑翔の名前が一部ひらがなで書かれていたから、たぶん小学生のときに配られたやつだ。
  おれは家を出るときの人生一の部屋の整理でクローゼットにあったそれを捨てたけれど、ここで秒で戻ってきて笑った。
  ちなみに使っているところは一回も見たことがない。絶対いらないと思う。
  そう、ここに越してきたとき、ダンボール二箱でやって来たおれに侑翔はものすごく驚いていて、逆におれは侑翔のファミリー並の荷物の多さにビビった。思わず「もしかして家族も一緒に住むの?」って言ったら、「そんなわけないでしょ」って返されたな …………とか、なんとなくのエモさを巡らせながら、ふたたび天井にピントを合わせ、その視線を今度は窓の外の空に移した。
  今日は昨日より雲が多くて、空の青はちょっと薄い。
  ……こんな風に起き抜けに時間の余裕ができるようになって、やっぱりまだ不思議な感じだ。
  侑翔がいなくなるのはすごくさみしいけど、おれの持ち前の移り気な心が影響してか、次第に一人の時間にも慣れてきて、心地よくもなってくる。
  時計に縛られ窮屈な学生だったころはよく、『いつかは一生アラームに左右されずに起きる生活をして、一日中ひたすら適当に生きてみたい……』なんて思ってた気がするけど、結構それに近い感じが今、叶っちゃってんだよな。夢って、こんな風にいつのまにか叶うもんなんだろうか。

  まぁでも、こんな生活ができているのも侑翔のおかげだ。なんか本当に、気づいたらこうなってた。
  付き合ってしばらく経ったころ、侑翔に「卒業したら一緒に住みたい」と言われ、おれは「別にいいよー」と返事をしたけれど、直前でおれの両親が反対しだし、家賃も最初の引越し金も絶対払わないと言い出した。
  一応私立の進学校に通っていたおれが、大学に行かなかったのが突然気に食わなくなったらしい。別に好きにしたらいい、と言っていたはずなのに、『またか』と思った。母親のこういうところに昔から振り回されてきたから、もう慣れていた。
  おれが仕方ないから一旦諦めようと言ったら、侑翔は「実はメタバ関連とかで収益化できてきててそれがまぁまぁのお金になってきているから大丈夫。俺が払う」とか、なんか難しいことを言っててよくわからなかったけどそんなことを言って、本当に全部侑翔が支払い、そして今も払っている。それに加え少し前にも大学の仲間となにかの起業をしたらしく、色々やってるらしい。
  今はもうおれの両親も仕送りをしてくれていて、それを侑翔に渡そうとしたけれど、侑翔は「大丈夫。凪が使えばいい」と言って受け取ろうとしなかった。
  なんか、おれを養うのがうれしいっぽい。 

  おれはベッド脇のサイドテーブルに手を伸ばし、スマホを手に取った。
  ごくたまに閲覧するだけのインスタを久しぶりに開いてみようと、無意識か意識的か微妙な領域の中で、液晶に指を滑らせる。
  幻想的で、どこか妖しく美しい風景写真を載せる、フォロワーもあまりいない外国のカメラマンのアカウントが好きだった。
  アプリアイコンをタップすると、一瞬で望んだ景色が液晶一面に広がる。
  しばらく見ていなかったから、たくさん更新されている。
  独特な感性で撮られた、見たことのない自然風景の写真や映像が、またさらにこの人の感性で独創的に加工されていて……相変わらず綺麗だ。
  そして美しさの中でどこか、ゾクッとするのがたまらない。
  こうして家にいながら動かずにこんな景色が見れるとか、いい時代に生まれたと思う。
  もう地球どころか宇宙の景色もこの液晶の中に収められていて、この中にある景色と、まだ誰にも知られていないような未知の景色、どっちがたくさんあるんだろう……とか考える。

  そのとき、ブルっと通知の振動が伝わった。
  たぶん侑翔だ。
 
  「わ、」

  手がすべり意図しない場所をタップしてしまい、ラインのトップ画面が表示される。

  【友だち 4】

  その高校のときとは打って変わったブランクな画面が目に映ると、妙に心地よく、心臓に風が通った。
  本当は、一人がいいんだけど……、追加されているのは侑翔と、兄ちゃん、両親だ。でも、父とはほとんどやり取りをしない。
  高校を卒業してスマホを変えたのと同時に、おれは侑翔と家族以外の人間を追加することをやめた。なんとなく。
  侑翔はちょっと心配していたけど、一応インスタはあるし、とくに不自由はしていない。まぁ、それも全く更新していないし、通知も切って今日みたいにごくたまに開く程度だけど。
  もっとも、おれは侑翔以外と卒業後まで仲良くするような深い関わりを誰とも持っていない。

  高校卒業後、侑翔は大学へ進み、おれは通信制の芸術分野を幅広く取り扱うゆるそうな専門学校へ進んだ。
  月に数回送られてくる課題も昨日さっさと終わらせたところだ。
  侑翔はギリギリまで同じ大学に行こうとやんわりにだけどせがんできて、担任や進路指導の先生もうるさかったけれど、おれは結局折れなかった。
  だって絶対めんどくさい。
  トーク画面をタップすると、やっぱり侑翔からだった。

【腰痛くない?】
【今大学着いた】
【いい子で待っててね】

  いつもこうして逐一メッセージが入る。
  おれは赤ちゃんか。

【大丈夫だよ】
【うん】
【授業がんばって】

  すると、一瞬で返事が返ってくる。

【よかった】
【頑張る】
【好き】

  思わず笑みがこぼれる。
  ほんと、そればっかり。

【おれも】

  そう返信し、スマホを右手に持ったまま腕をぱたん、と下ろし、すでに本日三度目となる天井を見上げた。
  ……再び、視界をぼやけさせて、思考の海へ潜ると──時計の針が、速度を緩める。
  おれだけの時が流れるこの時空間で一人、ぼーっと脳に身をゆだねてみると、大体週二くらいのペースで、〝今って、本当に現実なんだろうか?  〟……とか考えてしまう。
  今が夢じゃない証拠って、一体どこにあるんだろう。
  ……どこにもないよな、と。
  おれの体温も、この部屋の匂いも、侑翔のぬくもりだって夢の中でも同じように感じることはあるし、こっちじゃ物理的にありえないことが起きても、本当は逆にそっちが普通なのかもしれない。
  〝この今が絶対的に現実である〟って証明なんて、だれにもできないんじゃないだろうか。
  つい昨日の出来ごとも、おれが今まで生きてきた人生も、全部夢だったんじゃないか?  と思い込めば、本当にそうな気がしてくる。
  『この世界は実は全部夢です』なんて、もし誰かすごい人が証明して、今のこの常識が変わろうとしても、『へぇ、やっぱそうなんだ』っておれはすぐ受け入れられてしまうと思う。
  ……人生が実は全部壮大なドッキリで、『キミの人生、覗き見させてもらってました~!』つって突然周りの人が種明かししてきたらどうしよう。
  もしそうなったら、おれの人生ってものは全部嘘になるんだろうか。おれはおれの世界を信じられなくなるのかな。……なんて考えてると、〝おれは本当はこの世界に存在していないんじゃないか?〟 とか思えてきて、全身がなんとも言えない恐怖感にゾクゾクっと包まれ、頭が空へふわっと浮いていくように感じることがある。
  それが、結構楽しい。
 ……てか、まず普通に、生きてる定義ってなんなんだろう。
  いま、おれは本当に生きてんのかな。
  ……生きると死ぬがセットなんだから、じゃあ現実と夢も、ほぼイコールってことなんじゃないか?
  そもそも、なんで人間ってこんな風に生きちゃってんだろう。
  意味なんてあんのかな。
  全然なさそうで、でもありそうな気がしてならないんだよな。
  そう、このあいだも気になって、なんとなくAIに『人ってなんで生きてるの?』と聞いてみたら、なんかよく分からない数字を答えてきた。
  気になって調べたら、なんかのSF小説のオマージュだと書いてあった。
  つまり、わからないってことだ。
  AIでも。
  色々解明されてわかりきっているように思えるこの世界で、おれたちはまだ、その一番知らなきゃいけなさそうな答えにはたどり着けてないっぽい。
  ……まぁ、普通にそりゃそうか。AIも所詮人間が作ったものだしな。

  そんなおれが今生きてるらしいこの世界のどっかには、……いや、たぶんすぐそのへんにも、『死』が一秒先にあるような状況にいる人がいる。
  さっきもラインに、『子どもが親を殺した』ってニュースが表示されていた。一昨日はビルから飛び込み自殺したニュースを目にした気がする。電車も人身事故で毎日のように止まっているし、こんなのもう日常茶飯事だ。
  おれは、同じ市内で起きた殺人事件のニュースも遠い国で起きている戦争のニュースも、なんかすぐそこにあるような感じがしてしまう。
  自分の問題のような。
  ……たぶんずっと、次ここに映るのは自分の家かもな、なんて思いながら生きてきたからだ。
  でも、やっぱり他人事で、ここにはそんなニュースとは無縁と思える空間があって、おれはそこにたゆたっていて…………、なんで、おれはこんな生活ができる運命にあるんだろう、……とか思う。
  とくになにもしていないのに、なぜかこのゆるい環境に生きてて、衣食住が整ってしまっている。
  生まれながらに一生奴隷みたいな環境に生かされてしまう人と、おれの違いってなんなんだろう。
  ……なんて、考えても答えにはたどり着かないんだけど。
  国語ってそうだ。
  おれはめちゃくちゃ文系だったけど、たまたまそうだっただけで、べつに好きだったわけじゃない。
  どっちかっていうと、それなりの点数は取れても決して得意とはなれなかった数学の方が好きだった。
  ピタッと答えがハマり、綺麗にパズルが完成されているような数式を習っては、それを解くことや証明することを結構楽しんでやっていた。
  今でもたまに、高校のときの数学の授業の黒板をスマホで見返すことがある。
  ……人間の問題も、早くこんな風に方程式が見つかればいいのに。
  …………なんて、ひとしきり思想を泳いだあとは、しっかりおそらくの現実、「日常」を生きる。
  明日はごみの日だから、いつもよりしっかりめの掃除をするのと、あとは夕方、一昨日侑翔と近所のスーパーに行ったときに掲示板に知らされていたタイムセールのたまごとトマト缶を買いに行こうと思ってる。 
  帰ってから掃除すんのはだるいから、先に済ませないといけない。
  まずはサッと部屋のほこりを払って掃除機をかけてから洗濯機を回してシャワーを浴びて…………などとあらゆる効率を考えながら上体を起こしたけれど中々動く気にならず、また五分くらいぼーっとしてから、おれはやっと立ち上がった。

  *

  この家の事は、部屋の掃除と洗濯物を畳むこと、そして料理はわりと好きだから、おれがやっている。
  侑翔には無理しなくていいとか言われたけど、本当に好きだからやってるだけだ。
  「料理はする、したい」と伝えたとき、なぜか侑翔は驚いて、再三本当か確認してきて謎だったけど、初めて作ったときには死ぬほど抱きしめてきて笑った。
  それから毎日、幸せそうに食べている。
  おれは本当に作るのが好きってだけだからその後のことは正直どうでもよかったけど、この顔を見るのはなんかいいなと思った。
  「盛り付けはめんどくさい~」と適当にやっていたら侑翔が「もったいない」と言ってきて、作ったものを皿に盛りつけるのは侑翔の担当になった。
  最初は不器用そうにしてたけど、色々調べたみたいで何度か一緒に食器や雑貨を買いに行ったりして、最近はまぁまぁ様になってきたと思う。
  インスタにあげてもいいくらいだ。絶対あげないけど。
  掃除についても、トイレ掃除や排水溝の掃除はなぜかおれにさせたくないみたいで、おれはいつも侑翔がいないときにこっそりやっている。
  侑翔の掃除は、若干甘い。

  こうやって、なんだかんだ色々やって過ごしていると、家にいてもあっという間に時間は過ぎていく。
  そろそろ家を出ないとタイムセールに間に合わない。
  適当に支度して、ついでにそのスーパーで無料で汲めるミネラルウォーターももらおうと別の容器に移し空にしたボトルもエコバッグにいれ、バケハと日傘を手に取り、おれにしてはすばやく家を出た。
  けれどマンションの前で一度立ち止まり、『今日は大丈夫だな』となってから歩き始める。
  たまにここで、『やっぱめんどくせぇな』となり家に戻ることがあるから、一応確認だ。
  足を踏み出すと、パッと日差しが全身に降りかかる。
  もう夕方なはずなのに、太陽が全然眩しい。
  おれはなるべく日陰を探して、スーパーへ向かった。

  *

「凪?」

  買い物を終え、マンションへの近道となる大きな公園を歩いていると、偶然侑翔に会った。
  ……と言ってもこの公園は、侑翔の大学の生徒や、近くの高校、病院に通う人間の駅までの通り道としてもよく使われている。でもめちゃくちゃ広いから、時間帯のせいもあるがいつも人はまばらだ。

「あ、スーパーいってきた」
「え、なんで?  一昨日行ったばっかじゃん」
「そんときタイムセールのチラシ見えたの思い出したから」

  持っていたエコバッグをすっと奪われる。
  汲みたてのミネラルウォーターと、さらにいつも飲むスポーツドリンクもセールしていて何本か買ってしまい予想外の重さになっていたから、腕が一気に軽くなった。

「別に一緒に行く日にまとめて買えばいいのに……」
「はー?  値段が全然違うの」

  なんて言っても、おれがこんな風にスーパーとかで損得を気にするようになったのもわりと最近だ。最初はなにが高くてなにが安いのかもわからず適当に買ってたけど、ようやく色々掴んできて、買い物ゲームを楽しんでる。

「そうなの?」
「そうだよ」

  自然と歩幅を合わせ、並んで歩きはじめる。
  水しぶきが弾ける大きな噴水を横目に、二人だけの同じ帰り先が、脳に共通して浮かんでる。それに合わせ足が勝手に動いてる。
  二人、同期してるみたい。

「だって同じもの高く買ったらバカみたいじゃん」
「でも一人で行ったら危ないだろ」
「……侑翔、おれのこと赤ちゃんだと思ってない?」
「恋人だと思ってるよ」
「えー?」
「これも重いし」
「じゃあ一緒に持とう」
「いいよ」
「なんでよ。半分貸して」
  おれが無理やり片方の取っ手を奪い取る。
「あっ!  いいのに……」
「今日、なに作ろっかな。なに食べたい?」 
「……凪が作りたいもの」
「またそれかぁ」   

  でも、すき。その言葉。 
  横を歩く侑翔の横顔をチラっと盗み見る。   
  トクン、と鼓動の音が少し大きくなり、体からひとつ軽快な音符が外に飛び出していった。
  口角が自然と上がる。

  たのしい。

  しあわせ。

  結局この日はチキンのトマト煮と、たまごをかき入れたみそ汁、コールスローとコーンバターご飯を作り、幸せを刻んだ。



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