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第3話:三ヶ月の契約、一世一代の商談
しおりを挟む「桜井、ちょっといいか」
放課後の教室。
担任に呼び出された私の机に置かれたのは、一枚の無機質な警告書だった。
『パートナーシップ構築状況:未達成(D評価)』
学業成績は学年トップ。
素行も完璧。
けれど、この翠蘭学園において「独り」であることは、それだけで致命的な欠陥とみなされる。
「君のSランク維持は、今のままでは厳しい。このままだと次期はAに降格だ。そうなれば、学費の免除規定も外れることになるが……分かっているね?」
担任の事務的な声が、後頭部に重く響く。
学力だけでは超えられない、格付けの壁。
もしランクが落ち、学費を父――あのパトロンが直接払うことになれば、母は狂ったように私を責めるだろう。
「正妻」への道が断たれたと嘆き、またあのマンションの床で泣き崩れるのだ。
(……逃げ場なんて、最初からなかったんだわ)
重い足取りで図書室へ向かう。
静まり返った書架の間、窓から差し込む夕日が、私の翠色のリボンを毒々しく照らしていた。
「……ため息をつくと、せっかくの『Sランクの美貌』が台無しだよ」
背後からかけられた声に、心臓が跳ねた。
振り返ると、書架に背を預けた神尾流星が、退屈そうに指先で文庫本の背をなぞっていた。
「……ストーカーでもしてるの? 神尾君。それとも、朝の仕返し?」
「まさか。俺、無駄なことが嫌いだって言っただろ?」
彼は私の方へゆっくりと歩み寄る。
その足音すら、計算されたように優雅で鼻につく。
「君が担任に呼び出された理由なんて、調べなくても分かる。パートナー未設定によるランク落ちの危機。……それと、君が『何としても』Sランクに留まらなきゃいけない理由もね」
「……何が言いたいの」
「桜井茉白。大資産家の『愛人の娘』。母親の悲願を背負わされて、正妻の座を狙うために翠蘭に送り込まれた、健気な商品」
心臓を、氷の指で直接掴まれたような感覚がした。
最も隠しておきたかった、ドロドロとした家庭の事情。
それを彼は、さも今日の天気でも話すかのような軽さで口にした。
「……最低ね。人の家のゴミ溜めを覗き込んで、楽しい?」
「楽しくはないよ。ただの情報の整理だ」
彼は私のすぐ目の前で足を止めた。
清潔な石鹸の香りと、どこか冷ややかで硬質な香水の匂いが、逃げ場を塞ぐように私を包み込む。
「だから、商談に来たんだ。……俺とペア組まない? 三ヶ月限定で」
「……は?」
「俺も、今のペアの依存心には飽きてたところなんだ。君みたいな『俺に興味のない女』が隣にいてくれた方が、他のうるさい連中を黙らせるのに都合がいい。君も、俺と組めばランク落ちの心配はなくなるし、お母さんも喜ぶだろ?」
提案は、あまりにも合理的で、そして救いようがないほど侮辱的だった。
目の前の男は、私の弱みを完璧に理解した上で、最も効率的な解決策を提示している。
「……三ヶ月。それ以上は、一秒だって嫌よ。でも、解消したらペナルティでランクが落ちるじゃない。私にメリットがないわ」
私の指摘に、流星は案の定、退屈そうに鼻で笑った。
「俺を誰だと思ってる? 三ヶ月経ったら、俺が『システム上の不適合』として処理してやるよ。君に傷はつかない。それどころか、俺と組んでいた三ヶ月の『実績ポイント』だけで、君の今年のSランクは確定する」
流星が私の耳元で、甘く、毒を含んだ声で囁く。
「……母親を安心させて、残りの九ヶ月を『誰にも邪魔されない自由時間』として買えるんだ。悪くない商談だろ?」
愛など微塵もない、冷徹な利害の一致。
私は、目の前の傲慢な瞳を真っ直ぐに見返した。
「……いいわ。その商談、乗ってあげる」
「契約成立だ。意外と話が早くて助かるよ、桜井さん」
流星は満足そうに目を細め、私の翠色のリボンに指先で触れた。
こうして私は、学園一の「猛毒」を、自ら迎え入れることを決めた。
翠蘭学園の「ペア」は、単なる名前だけの登録じゃない。
明日から、私のスマホも、座る席も、放課後の予定も――すべてが彼と共有される「地獄」が始まることになる。
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