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夏だ!山だ!ロック祭だ!
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五月のテストと体育祭を乗り越えて早二ヶ月、文化祭に向け、今まで以上に練習に熱を入れていた俺たちは、発表予定のカバー曲をほぼ完璧というところまで仕上げていたのだが……。
「大変だよ!」
いつもの放課後の部室、早めに来ていた俺と菜月が一息ついていると、どたばたと血相を変
えた恵が、ガラッと引き戸を開けて飛び込んで来た。
「お、メグお疲れー」
「なんだよ騒がしい」
「はぁ、はぁ……ふたりとも聞いて! 夏休み前に期末テストがあるんだって!」
そう言い終えた恵の後ろから、息を切らした彩乃が現れた。制服が夏服になっている以外は、二ヶ月前とほとんど同じ光景だ。
「……うん、知ってる」
俺と菜月が同時に答えると、恵はきょとんとした顔のままその場で固まってしまった。その姿を見る限り、おそらく、もうすぐ始まる楽しい夏休みのことしか頭になく、今日あらためて何かしらの話しを聞くまで、期末テストなんて他所の国の出来事くらいにしか思っていなかったのだろう。
「……って嘘、メグ知らなかったの⁉ もう来週だよ⁉」
「うぅ…………」
よほどショックだったのか、恵はうつむいたまま唸るだけだ。
「はぁ……何も言わないから変だとは思ってたけど、どうせまた勉強してねぇんだろ?」
「うぅーん、だすげでぇー」
泣きじゃくりながらすがって来る恵の姿に、一同は「やれやれ」といった表情を浮かべた。
「あーもうわかったから鼻水拭け!」
その後、またもや彩乃の家での勉強会が計画され、夏休み前にもうひと頑張りすることとなった。
そして、今回の修羅場も無事に乗り越えることができた俺たちは、快く夏休みを迎えた。
「とうとう来たよマー君! 夏だ! 山だ! ロックフェスだー!」
夏休み一週目の週末、実際のバンドライブを観て勉強したいという話になり、ワゴン車を持っているうちの父に頼み、俺たちは町外れの山奥に開催されるロックフェスに来ていた。
ライブが開始されるのは午後一時の予定で、まだ一時間近く余裕があったが、他県の名物料理の屋台などが数多く出ており、会場は既に大勢の人で賑わっていた。
「どうせなら海が良かったよねー、メグははしゃいでるけど」
「だな。俺らの町じゃ窓開けりゃすぐ山見えるもんなぁ、田舎だし」
「私は山も新鮮だよ? うちは窓開けても建物しか見えないし」
「くそぅ、アヤだけ都会っ子だったか!」
ハイテンションでひとりはしゃぐ恵を眺めながらそんな雑談をしていると、いつの間にか屋台の食べ物を買いに行っていた父が、大量の袋を提げて帰って来た。
「おーいみんなー、お腹空いてないかい?」
「父さんいつの間に⁉ てかどんだけ買ってんだよ⁉」
父が提げて来た袋には、牛串やケバブ、温泉玉子揚げなど、普段は見かけない珍しい食べ物ばかり入っており、その中から好きな物を俺たちに選ばせて分けてくれた。
「おじさんありがとう! いっただっきまーす!」
「あははっ、相変わらず元気だなぁ恵ちゃんは。君たちも遠慮しないで好きなの取りなよ?」
串に刺さったままの大きなシュラスコに飛び付いた恵の後に、菜月と彩乃も食べ物を選んだ。
「それじゃあ、遠慮なくいただきます! あー迷う、どれも美味しそー」
「わ、私もいただきます。あ、メキシカンタコス、一度食べてみたかったの」
「ほら、真人はこういうの好きだろ?」
みんなが選び終わった後、父さんは大きなご当地ハンバーガーや、甘辛いタレで焼いた骨付きチキンなどを俺に分けてくれた。
「それじゃあ、母さんが拗ねる前にこれ持って帰るよ」
「はは、それがいいかもな。折角の休みなのにごめん、助かったよ」
「これくらいお安い御用さ、俺も連休で暇だったしちょうど良かったよ。迎えは明日の夜だったね?」
「ああ、八時ごろには終わるらしいからよろしく頼むわ」
「了解。あと、みんなの荷物はキャンプ場の受付に預けておくからね」
「わかった、ありがとう」
今日と明日、土日の二日間で開催されるこのフェスでは、会場の空きスペースに自由にテントを張って寝泊りできるようになっているのだが、なんだか不安だと言う彩乃の意見を尊重して、俺たちは会場のすぐ近くのキャンプ場を借りていた。
しばらく飲食コーナーのテーブルで貰ったものを食べていると、会場の正面にある大きなステージの裏から、三人のバンドメンバーらしき人たちが現れた。
「おっ、アリゲーツだ!」
「きゃー、アリゲーツー!」
その三人の姿を見た会場は一気に盛り上がった。それもそのはず、彼らアリゲーツの三人は、俺たちの住んでいる熊本の小さな町の出身で、今や世界で羽ばたく超人気のパンクバンドグループなのだ。
「へぇー、アリゲーツなんてよく呼べたねぇ」
「ほんと、地元じゃなきゃ無理だろうな」
俺と菜月が感心していると、目の前の席に座っていた恵が、手に持っていた焼きそばを一気に平らげて立ち上がった。
「なっちゃんアヤちゃんマー君! ぐずぐずしてないで早く観に行くよ……ワニさんズ!」
「メグちゃんそれ違う、ワニはワニだけど……」
彩乃の的確な突っ込みもよく聞かないまま、ひとりで駆け出して行ってしまった。
「仕方ねぇ、残りは後にして観に行くか。あいつひとりにしとくと絶対迷子になる」
「あはは、だね」
「うん、メグちゃん絶対迷子になる」
急いで残っている食べ物を片付け、駆け出して行った恵を追いかけた。
なんとか人混みに駆け込んで行った恵と合流することができ、荒くなった息を整えていると、アリゲーツのメンバーのひとりがマイクを手に取った。
「皆さんこんにちわぁっ! ついにやって来ました地元ライブっ!」
メンバーのひと言ひと言に会場は大きく沸いている。
「いやぁー本当にお待たせしましたー。つい先日全国ツアーを達成して絶賛のぼせ中のアリゲーツです! 全国ツアー以上に盛り上げていくので、怪我しないように楽しんでくださーい! あ、熱中症にも気を付けてくださいね? おっ、そこの僕の水筒いいねぇー、ちょい見て? おおっ、ロケットの形してるじゃん……あはははー、はい! というわけで、会場から早く始めろオーラを感じ始めたので、そろそろ始めちゃいましょうか! 最初の曲は『Dive』だ! いくぞっ!」
小話で会場とのコミュニケーションを取った後、かけ声を合図に騒がしい演奏が始まった。
「凄い! これが本物のライブなんだ! テレビなんかと全然違う!」
初めて生のライブを観た恵は、興奮気味で目を輝かせた。ライブが初めてなのは俺を含むほか三人も同じで、恵ほど表には出してはいないが、菜月も彩乃も、ステージから伝わる熱気に圧倒され、おとぎ話を聞く子供のように目を輝かせていた。俺に至っては、全身にぞくぞくと鳥肌が立つほど感動していた。
かなり激しいリズムなうえ、見た目もかなりチャラついているが、彼らの歌う歌詞はとても優しく、どの曲も元気が貰えるような内容で、老若男女問わず会場全体を虜にしていた。
「みんなありがとーう! 明日も歌っちゃうのでぜひ観に来てくださーい! さぁて、続いてのグループは【GUM釈迦力】よろしくぅ!」
途中、小まめに休憩を挟みながら約十曲を歌いきった彼らは、次のグループへとバトンを渡してステージを後にした。
こんな調子で、多数のグループが入れ替わりながら次々と曲を披露していき、とうとう本日最後に登場した、女性ボーカルバンドの最後の曲が始まろうとしていた。
「えー、次が本日最後の曲になります。ここまで付いて来てくれてありがとうございました! 夕暮れ時のちょうどいい時間なんで、この雰囲気にぴったりな歌で締めくくりたいと思います。それでは聴いてください。『明日また』」
午後七時過ぎで辺りは薄暗くなり始めていたにも関わらず、会場は変わらない熱気に包まれていたが、彼女の枯れたような独特の声で歌われる優しいロックバラードが始まると、会場はどこかしっとりとした雰囲気に包まれた。以前どこかで『音楽には見えない力がある』と聞いたことがあるが、今起きた雰囲気の変化も含め、今日一日でそれを何度も体感した。
「ありがとうございまーす、スパイクグレムリンでしたー! 明日も楽しんでいってくださーい。お休みなさーい」
彼女たちがステージから下りて行くと、会場に一日目の終わりを知らせるアナウンスが流れ、ステージの片付けや店仕舞いが始まった。
「はぁー楽しかったねー! 私もスパイクグレムリンのルミさんみたいな声でかっこ良く歌えたらなぁ……ふふ」
会場を出る途中、格好良く歌う未来の自分を想像しているのか、恵は夕日が沈む遠くの空を見ながらにこにこして楽しげにしている。
「メグにあの声はちょっーと無理かなぁ」
「んんー、マー君、どうしたらあんな声出せるようになれる?」
「まぁ、生まれ変わるか、きっつい洋酒でも飲み続けりゃそのうち出るかもな」
「ええー、どっちも無理ぃ。お酒なんて臭いだけで駄目だもん……」
「うふふ、そんなことしなくても、メグちゃんの歌はそのままでも十分かっこいいよ? ね、真人君」
「あ、ああ、まぁ……」
俺が伝えたかったことを察してくれたのは、恵ではなく彩乃だった。
「アヤの言うとおり、歌ってるときのメグってすっごくかっこ良くて好きだよ。だからバンドに誘ったんだし、誰かの真似なんてしなくても、メグらしい歌でいいんじゃない?」
ふたりの褒め言葉を聞いた恵は、だらしのないにやけ顔を隠しきれずにいた。
「うん、そうだよね! ふふん、そんなに褒められると照れちゃうなぁ」
「ま、歌ってるときだけの話だけどな」
そろそろ調子に乗り始めそうだったので釘を刺してやった。
「ちょ、それどういう意味⁉」
ライブの余韻に浸りながら、いつもの調子で騒がしく、宿泊することになっている近くの
キャンプ場へ向かった。
キャンプ場に到着してすぐ、受付で父が預けていてくれた俺たちの荷物と薪を受け取り、早々とふたつのテントを組み立て、完全に陽が落ちてしまう前に火を起こした。
「へぇ、真人ずいぶん手慣れてるじゃん」
「ほんと、キャンプの達人みたい。こういうの初めて見た」
手早く火を起こして薪をくべていると、いつの間にかテントに荷物を置いて来た菜月と彩乃が、後ろで興味津々にその光景を見ていた。
「まぁ、小さいころよくキャンプ行ってたからなぁ。たまに恵も連れて行ったりして」
「へぇー、そういう幼馴染で行くのっていいなぁ。ってことはメグもこういうことできるの?」
「いや、あいつは遊ぶのと食べるの専門だった」
「ふふ、メグちゃんらしい」
そんな話をしていると、話の渦中の恵が、父がキャンプ場の保冷庫に預けてくれていたクーラーバッグを持って帰って来た。
「ねぇマー君、今日使う材料ってこれでいいの?」
「おう、サンキュー。カレーにするから、みんな材料切るの手伝ってくれ」
俺以外の三人は一応調理部ということもあって、みんなで手際よくカレーを作ることができた。ちなみにカレーライスの必須アイテムのご飯は、時間の都合上、パックのものを湯煎して手早く使用した。
一時間近くかけて人数分よりも多目に作ったのだが、食べ終えるのはあっと言う間だった。
「ごちそうさまでした! 久々のマー君のカレー美味しかったー、腕上げたねぇ」
「へへっ、まぁな」
昔からカレーが好きだった俺は、今では自らスパイスを調合するまでになっており、今回のカレーの味にもそれなりの自信があった。
「ふぅ……綺麗な星空だねぇ……なんかこうやって自然の中で星を眺めてると、いい歌詞ができるような気がしてくるよ」
食後にホットココアを飲みながら一息ついていると、ふと恵がそう呟いた。
「お前歌詞なんて書けるのか?」
俺の言葉にみんなが恵に注目した。
「書ける……かはわからないけど書いてみるよ。最初はマー君にお願いするつもりだったけど、ギターで忙しそうだし、自分でも書いてみたくなっちゃったから。実は夏休み前からずっと考えてるんだ」
おそらく、恵が時折見せていた一休さんのような仕草はこれだったのだろう。
「お前が書きたいって言うなら止めはしないけど、ひとりで無理すんなよ? 前も言ったけど歌詞なら俺もそれなりに書けるからな」
「おぉ、さすがはマー君。でも私、頑張ってみるよ。中途半端に終わりたくないからさ」
「そっか、楽しみにしてるぜ」
ほっと一息ついたところで火の始末をし、明日に備えて早めに寝ることにした。
恵、菜月、彩乃の三人は、四人用の大きいテントを一緒に使い、俺はその横に立てたふたり用のテントでひとり眠りに就いた。あの三人のことなので、しばらくは騒いで寝ないと思っていたが、疲れていたのか、数分話し声が聞こえた後は大人しく眠ったようだった。
眠りに就いてから数時間が経ったころ、寝ぼけ眼で意識ははっきりしていなかったが、何やら近くでガサガサと物音がしているのがわかった。しかし、熊や猪といった気配ではなかったので、わざわざ目を覚ましてまで確かめようという気にはなれず、そのまま再び眠りに就くことにした。おそらく誰かがトイレにでも起きたのだろう。
翌朝目が覚めると、横を向いて寝ている俺の背中に、寝袋の生地とは違う温もりを感じた。しかも、ゆったり眠れるように大きめサイズの寝袋を使っていたはずなのに、なぜか昨日よりもかなり窮屈に思える。
「はっ……ぬわぁー⁉」
恐る恐る振り返り、薄暗い月明かりで正体を確認した俺は、驚愕して寝袋から飛び出した。
「んー? うるさいなぁ……もう朝?」
どういうわけか、俺の寝袋からむくりと起き上がったのは菜月だった。しかも身に着けているのはパンツ一枚だけという、アニメや漫画では謎の光が入っているであろう衝撃的な姿をしている。俺は慌てて後ろを向いて目まで閉じた。
「お前なんで俺の寝袋に入ってんだよ!」
「ふぁー……ごめんごめん、服脱いで寝てたら意外と寒くなって…………ええっ⁉ まま、真人⁉ なんで居るの⁉」
ようやくこの状況を理解した菜月は、とっさに寝袋で体を隠した。
「そりゃこっちの台詞だ! なんで俺のテントに居るんだよ!」
「えっ、真人のテント? あー! たぶんトイレ行った後だ! えっ、じゃじゃ、じゃあ私、真人と一緒に⁉ しかもこんな格好で、同じ寝袋で……やっばぁ……」
「と、とにかく早く服を着てくれ!」
様々な事実が発覚して混乱している菜月にそう伝えた俺は、ひとまずテントから出て外で待機することにした。
外はまだ星が見えるほど薄暗く、幸い恵たちは眠っているようだった。もしこのことを知られたら、あのふたりに何を言われるやら……。
起こりうる危機を想像していると、着替えを済ませた菜月が静かにテントから出て来た。
「お、お騒がせしましたー」
「お、おう……」
気まずそうに視線をそらしたまま小声で俺に謝ると、小走りで自分のテントに帰って行った。
菜月が帰った後に俺もテントに戻り、枕元に置いていたスマホの時計を見てみると、時刻はまだ午前四時過ぎだった。起床の予定は六時だったので、もうひと眠りしようと思ったのだが、目を閉じると先ほどの光景が脳裏によみがえり、とうとう一睡もできないまま起床予定時刻が近付いていた。
落ち着かずに、一足先に起きて朝食の準備を始めていると、大音量の目覚ましの音で目を覚ました三人が、着替えを済ませてぼちぼちとテントから出て来た。
「ふあぁー、マー君おはよう。朝ごはん何ぃ? お腹空いたー」
「作っとくから顔くらい洗ってこい。髪凄いことになってるぞ」
「ふあーい……」
恵はぼさぼさの髪で、眠そうな目を擦りながら近くの洗面台に向かった。
「真人君おはよう」
「おはよう、ゆっくり眠れたか?」
「あ、うん。お陰様で安心して眠れたよ。私も顔洗ってくるね」
彩乃が洗面台に向かった後、何事もいつも一番乗りの菜月が珍しく遅れて出て来た。
「お、おはよー……」
「おう、おはよう……」
菜月の顔を見ると、また早朝起きたあの光景を思い出してしまい、気まずくなってしまう。表情を見るからに菜月も同じなのだろう。
「その……今朝はごめんね。私、寝てる間に服脱いじゃう変な癖あってさ……しかも寝ぼけてテントまで間違えちゃって、あははぁ……」
数秒流れた気まずい空気を打破してくれたのは菜月のほうだった。
「ま、まあ気にするな。あれで外出歩いたりしてないなら……セーフだ……」
「うぅ、今思い出したでしょ……エッチ」
「す、すまん」
「まぁ、真人だから良かったけどさ……」
「ああもうこの話はやめだ! あ、あれだ、お互い気を付けような!」
「そ、そうだね!」
俺たちが赤面して話ているところに、顔を洗ってすっきりした恵が帰って来た。
「ふぅー、さっぱりしてきたよーって、ふたりとも顔赤くしてどうしたの?」
恵がすぐに異変に気付いた。
「あ、ああ、火の近くに居たら熱くなってきてなぁ」
「う、うん、やっぱ夏なだけあるよねぇー。あ、私も顔洗ってくる」
菜月は逃げるように洗面台のほうに駆けて行った。
「そっか、暑い中ご苦労だったねぇ」
苦し紛れに出た言葉だったが、恵に怪しむ様子はなかった。
「で、朝ご飯何?」
特に怪しまれなかったのは、俺たちのことより、朝食のことで頭がいっぱいだったからだと悟った……。
「ほら、ベーコンエッグトーストだ。お前のはおまけ付きな」
「やったー! マー君のこれ美味しいんだよねー」
「腹減ってるなら先に食ってていいぞ」
「うん、お先にいただきまーす!」
皿に乗せたトーストを手渡すと、すぐに折り畳み式の椅子に座って無邪気な子供のように食べ始めた。
今朝の朝食は、予めフライパンで軽く焼いた二、三枚のベーコンの上に、真ん中を丸くくり抜いた厚めの食パンを乗せ、くり抜いた部分に卵を落として両面を焼いたシンプルなものだ。ちなみに、恵に渡した〝おまけ〟というのは、食パンのくり抜かれた部分のことだ。
「ん? どうしたの?」
「いや、変わんねぇなぁと思って、ふふっ」
小さいころ恵とキャンプに行っていたころは、全員分のくり抜いた部分の丸いパンを、恵が料理する横で食べるというのが定番だった。久々に見るそんな光景に俺はひとりくすくすと思い出し笑いをしていた。
「わぁ、いい匂い。これがキャンプ飯っていうやつ?」
顔を洗って戻って来た彩乃が、興味津々にフライパンを覗き込んだ。
「ああ。女子にはちょっと重いかもしれないけど大丈夫そうか? サンドウィッチとかの別メニューもできるけど」
「ううん、私もこれがいいな」
「そっか。それじゃあ仕上げにぱぱっとかけて……よっしゃ、いっちょ上がり」
「わぁ、ありがとう! いただきます」
彩乃は大丈夫だとは言っていたが、念のため、小瓶に入った粉末状のオレガノやバジルなどのすっきりする香辛料を仕上げに振りかけておいた。
「真人君、これすごく美味しいよ! こんなの初めて!」
「へへっ、気に入ってくれて良かったぜ」
まれに見る彩乃の大げさな反応だ。都会っ子の彩乃にはよほど新鮮な味だったのだろう。
「あっ、もう食べてる! ふたりだけずるーい!」
帰ってくるなり先に食べているふたりを指差し、非難の声を飛ばす菜月。
「お前のももうできるからちょっと待ってろ…………ほら」
「うはぁー美味しそう! ありがとっ、いただきまーす」
さっき使って出ているついでに、菜月のトーストにも香辛料を振りかけて渡した。
「マー君お代わりお願ーい、今度は私のもスパイスありで!」
その元気な声が届いたのは、三人の分を作り終え、ようやく自分の分を作り始めた直後だった。なんとなくこうなる気はしていた。
「はいはい。てか、お前ハーブ系苦手じゃなかったか?」
「うーん……たぶんもう平気?」
「疑問形かよ。まあちょっと待ってろ」
小さいころ「変な味がする!」と、専らハーブ系の香辛料が食べられなかった恵だが、おそらく他所の芝生が綺麗に見えるのと同じで、恵もふたりが食べている少し見た目の違うトーストが美味しそうに見えたのだろう。
俺も空腹だったので少し面倒にも思えたが、美味しいと言って食べてくれるうえ、お代わりまで要求されると悪い気はしなかった。
「んーデリシャス! なんで今までこんな美味しいの食べれなかったんだろう」
もしものときは今作っている自分の分と交換してやろうと、スパイス付きの二枚目を食べる様子を見ていたが、どうやら本当に恵のハーブ嫌いは治っているようだった。
恵のお代わり分を作った後にあらためて自分の分を作り、ようやく朝食に有り付いた。
「ねぇ、なっちゃん。寝ぼけ眼だったからはっきりは覚えてないんだけど、夜中になんかばたばたしてなかった?」
朝食の最中、彩乃の不意打ちな質問に、俺と菜月は思わず食べる手を止めてしまった。
「そ、その話を聞いてしまうのかアヤ……」
「えっ、何? もしかして怖い話なの?」
深刻な顔で答えた菜月を見て、彩乃の顔がだんだん青ざめてきた。
「それは、まだ陽が昇りきらない朝方のことだった……」
「ちょ、待って待って! もういいよなっちゃん」
「私も怖いのパス!」
菜月が怪談話のように語り始めると、彩乃に続き恵まで、食べかけのトーストを膝の上に乗せている皿に置いて耳を塞いだ。
「えぇー、ここからが面白いとこなのにぃ」
ふたりには悪いが、菜月がピンチを上手く回避してくれて内心ほっとしていた。
その後は、いつもどおりわいわい楽しくやりながら朝食を済ませ、火の始末やテントの片付けを終え、大まかな荷物をフロントに預けてキャンプ場を後にした。預けた荷物は父が迎えに来る前に取りに行ってくれる予定だ。
会場に着いたのは午前八時を少し過ぎたころで、今日のライブが始まる時間まで一時間ほどあったが、昨日から泊まり込みで来ている客に合わせ、今日新たに来場したであろう大勢の人たちが居合わせており、会場は昨日以上にごった返していた。
動画サイトでの配信を中心に活動している、女子中高生に絶大な人気を誇る仮面で素顔を明かさない男性バンドグループ【神様の落とし物】それが今日新たに来場している人たちの目的だろう。新たな客層だとすぐにわかったのも、昨日よりも明らかに女子の割合が増えており、そのほとんどが彼らのバンドのロゴの入ったシャツやタオルを身に付けていたからだ。
「うわぁー、昨日よりも人多いねー! みんな、逸れないように気を付けようね」
「お前が一番危ういわ。逸れたら恥ずかしい迷子のお呼び出しかけてやるからなー」
「えっ、それやだ!」
まるで他人事のように言う恵に一喝してやった。それ聞いて『うんうん』とうなずく二人も同感だったようだ。
ライブ開始までの間、出店でも見て時間を潰そうと思っていたが、既にステージ前に集まり、場所取りをしている人たちが多く見られたので、俺たちも早めにステージ前に移動して場所をキープしておいた。
何もない芝の上でただ座って待っているのはあまりにも退屈だったので、交代で店を見て回って時間を潰していると、『ジャーン!』というエレキギターのひずんだ音が会場に鳴り響いた。
それから間もなく、ステージ裏から、上下黒の革に鋲が付いた衣装を着た、ロングヘアーで色白のワイルドな外国人男性が登場し、しんと張り詰めた無音のステージの上で、抱えている艶のない黒く渋いエレキギターを激しく掻き鳴らし始めた。
高度なテクニックで力強く紡がれていく音色は、ステージから遠く離れた場所にいる来場者すらもあっと言う間に引き付けてしまった。
彼の奏でる音色にただただ圧倒されているうちに演奏は終わってしまった。そして彼は、マイクを使わずに大きな声で会場にこう言い放った。
「皆さーん! やかましいアニソン、楽しんでってねー!」
予想外に飛び出した流ちょうな日本語で、一部驚きの反応も見受けられたが、会場は大いに沸き上がった。
会場から拍手喝采が飛び交う中、徐々にステージ裏から他のメンバーたちも登場した。
先ほどの流ちょうな日本語をしゃべるギタリスト、マーティーが率いる【アニロック】は、様々なアニメソングをロック調にアレンジしてカバーしている世界的に人気のあるグループで、ギター、ベース、ドラムの三人の男性に、女性がボーカルを務める四人で構成されている。
「それじゃあ早速、朝から元気の出る一曲目いくよー! 『疾風の軌跡』」
黒の奇抜なデザインのドレスを着たボーカルの女性のかけ声で、彩乃も大好きな人気アニメ【疾風忍者コガラシ君】の主題歌をカバーした騒がしい演奏が始まった。
一気に密集地帯となった会場で人酔いしそうになっていた彩乃も、大好きなアニメの主題歌が流れ始めると、次第に元気を取り戻した。
途中、アニメオタクでないと知らないようなマニアックな曲も登場したが、知っている人も知らない人も、最初から最後まで彼らのステージを楽しんでいた。
アニソンをカバーしながらオリジナルの曲も持っている彼らとは、グループの構成的にも趣旨的にも俺たちのバンドと近いものを感じた。
憧れの誰かのようになりたいという考えは、本来の自分らしさを捨てるようで個人的に好きではないが、彼らのように、どんな人でも楽しんでくれるライブができるようなバンドグループになりたいという、密かな目標が俺の中で芽生えていた。
昨日からここまでで、自分たちに最も近いタイプのグループを目の当たりにし、ほかの三人はどう捉えただろうか? ふと左隣に立っている三人の表情を見てみると…………恵と菜月はこれまでと変わらずハイテンションで曲に乗っており、アニメファンの彩乃に至っては熱い涙を流していた。三人とも、今はただライブを楽しんでいるという様子だ。
それもそうだ。これほど熱気の溢れるライブの最中に、ごちゃごちゃと別のことを考えているのは、気を抜けない照明や音響などの演出の担当者か、よほど頭の固い変人くらいだろう……そう、俺のような。今〝だけ〟は恵たちを見習って、俺もライブを楽しむとしよう。
ひとグループ約一時間ほどの持ち時間で、途中休憩を挟みながらも、足早にライブは進行して行った。
そんな中、昨日に引き続き登場したアリゲーツは、お昼休憩中に写真撮影をしてくれたり、こっそり観客の中に紛れてみたり、頻繁にステージに上がり様々なグループとのコラボ曲を披露して会場を楽しませてくれた。こういった茶目っ気のあるファンサービスも、彼らの人気の秘訣なのだろう。
そして、いよいよ本日の大取り【神様の落とし物】がステージに姿を現した。
黒いおそろいの衣装に、目と鼻の部分だけを覆う白い狐の仮面を付けた怪しげな四人組だったが、その姿を見た会場からは黄色い声援が多く飛び交っていた。
スポットライトの光できらきらと白く輝くエレキギターを抱えた、白に近い薄い金髪のメンバーがスタンドに立てられたマイクに歩み寄る。
「会場の皆さん、こんばんわー!」
背の高い怪しげな姿とは裏腹に、その声は、キーの高い澄んだ少年のような声だった。
「いよいよ僕たちで最後となりました。もう疲れちゃってるかもしれませんが、どうぞ最後まで付いてきてくれると嬉しいです!」
長丁場で疲れているはずの会場が、彼の言葉で疲れを忘れたかのように沸き上がった。
「ありがとう! それじゃあ行ってみましょうか、『迷い星』」
彼の澄んだハイトーンボイスで奏でられる曲は、アップテンポでありながらしっとりと切なく、曲が終わるころには元気が貰えるような不思議な感覚だった。
「さて、名残惜しいですが次の曲でラストとなってしまいました。暑い夏、楽しい夏、切ない夏。みんなそれぞれ目に映る景色は違うと思いますが、今しかない夏を精一杯楽しんで、後から思い出して笑えるようないい思い出を作っていってください。それではラスト、皆さんがいい夏を過ごせるよう願いを込めて『夏の色』」
ロックバラード調のその曲はまるで会場を包み込むように沁み渡り、気が付けば頬に涙が伝っていた。
その現象は俺だけだはなかったようで、老若男女問わずグスグスと鼻をすする人や、涙を拭う仕草をしている人が多く見受けられた。もちろんあの三人も例外ではなかった。
最後の曲が終わると、会場からは今日一番の歓声が贈られた。
「ありがとう! これからも僕たち【神様の落とし物】をよろしくお願いします。それでは皆さん、またどこかで会いましょう!」
歓声がやまぬ中、メンバーは大きく手を振りながら名残惜しそうにステージを去って行った。
『これを以ちまして、第二十八回サマーロックフェスを――』
「アンコール! アンコール!」
イベントの終了を知らせる場内アナウンスが流れ始めたのだが、会場からの歓声や拍手は未だ鳴りやまず、とうとう誰かがアンコールを叫び始めた。
アンコールの声はどんどん会場に広がり、場内アナウンスを流していた女性は、それに圧倒されてアナウンスを中断してしまった。
それから一、二分が過ぎたころ、鳴りやまぬアンコールが大きな歓声に変わった。
「アンコールありがとう!」
盛大なアンコールに応え、再び怪しげな四人がステージに登場した。
「折角こんな怪しい僕たちのためにアンコールして頂けたので、今日は特別に、まだネット動画でも出してない新曲をお披露目させていただこうと思います!」
予想外の宣言で会場は大きく沸き上がった。
「但し! 但しですよ皆さん。これで今日は本当に最後なので、この曲が終わったら会場のお姉さんのアナウンスに従って、良い子でおうちに帰ってくださいね? 僕たちと約束してくれますか?」
会場からは『イェーイ!』や『はーい!』と元気な返事が飛び交った。
「それじゃあ、お約束していただけたところで、聴いてください『約束の空』」
先ほどの曲よりも激しいロック調の曲だったが、またもや響き渡った彼の澄んだ声は、変わらずに会場を虜にしていた。
「本当にありがとうございましたー! 皆さん気を付けて帰ってくださいねー」
最後のアンコール曲が終わると、観客たちは彼らとの約束をしっかり守り、会場からは見る見るうちに人が減り、少し前の騒がしさが嘘のように静かになっていった。
なんだか名残惜しくもあったが、俺たちも長居はせず、父が迎えに来てくれている駐車場に向かった。
「ううっぐ……涙が止まらないよぉ」
帰りの車の中、会場を出てもうかなりの距離を走っているのだが、ライブの熱が冷めない恵は、後ろの席で菜月と彩乃に慰められながら未だに泣き続けていた。
「はいはいメグ、もう家に着くから泣き止もうねー」
「よしよし」
菜月も彩乃もかなり手を焼いていたのだが、慰める二人の様子は、まるで酔っ払いの相手をしているようで少し笑えてしまった。
「ごめん父さん、次のコンビニ寄ってくれないか」
「あははっ、了解」
泣き止みそうにないので最後の手段に出た。父さんも察してくれたようだ。
「恵、コンビニで美味いもん買ってやるからいい加減泣き止め。店員さんに笑われるぞ?」
「わかった」
今の今まで号泣していたのがまるで嘘だったかのようにぴたっと泣き止んだ。幼いころから、恵が泣き止まないときにはいつもこの手を使っていた。まだ通用するとは……。
「切り替え早っ⁉ さすが真人、メグの扱い慣れてるねぇー」
「ふふっ、真人君お母さんみたい」
コンビニに着くと、大食いの恵の分に合わせ、ちゃっかり菜月と彩乃、そして父さんの分までおごらされ、なかなかの出費になってしまった……。
「おごるとは言ったけど……お前たち高いもんばっか買い過ぎだろ! ハーゲンいくつ買ってんだよ⁉」
呆れる俺のことは気にもかけず、後ろの席ではプチお菓子パーティが開かれている。
「まぁいいじゃないか。『未来に懸けてきた』と思えば」
「池澤さんの声!」
後ろの席はわいわいと騒がしかったが、アニメ好きの彩乃は、父が渋い声の声優を完璧なクオリティで真似て言った、人気アニメの有名な台詞を聞き逃さなかった。
「お、彩乃ちゃん詳しいねぇー」
「アニメも声優さんも大好きなんです!」
父の買った地酒とご当地限定のおつまみが一番高かったのだが、その話を出す前に上手く逃げられてしまった。まあ、ここ数日、何かと世話になったお礼ということにしておこう。
コンビニに旅立った諭吉さんは、ひとりの英世さんへと姿を変えてしまったのだが、これもいつか、夏のいい思い出となることだろう……と信じたい。
「大変だよ!」
いつもの放課後の部室、早めに来ていた俺と菜月が一息ついていると、どたばたと血相を変
えた恵が、ガラッと引き戸を開けて飛び込んで来た。
「お、メグお疲れー」
「なんだよ騒がしい」
「はぁ、はぁ……ふたりとも聞いて! 夏休み前に期末テストがあるんだって!」
そう言い終えた恵の後ろから、息を切らした彩乃が現れた。制服が夏服になっている以外は、二ヶ月前とほとんど同じ光景だ。
「……うん、知ってる」
俺と菜月が同時に答えると、恵はきょとんとした顔のままその場で固まってしまった。その姿を見る限り、おそらく、もうすぐ始まる楽しい夏休みのことしか頭になく、今日あらためて何かしらの話しを聞くまで、期末テストなんて他所の国の出来事くらいにしか思っていなかったのだろう。
「……って嘘、メグ知らなかったの⁉ もう来週だよ⁉」
「うぅ…………」
よほどショックだったのか、恵はうつむいたまま唸るだけだ。
「はぁ……何も言わないから変だとは思ってたけど、どうせまた勉強してねぇんだろ?」
「うぅーん、だすげでぇー」
泣きじゃくりながらすがって来る恵の姿に、一同は「やれやれ」といった表情を浮かべた。
「あーもうわかったから鼻水拭け!」
その後、またもや彩乃の家での勉強会が計画され、夏休み前にもうひと頑張りすることとなった。
そして、今回の修羅場も無事に乗り越えることができた俺たちは、快く夏休みを迎えた。
「とうとう来たよマー君! 夏だ! 山だ! ロックフェスだー!」
夏休み一週目の週末、実際のバンドライブを観て勉強したいという話になり、ワゴン車を持っているうちの父に頼み、俺たちは町外れの山奥に開催されるロックフェスに来ていた。
ライブが開始されるのは午後一時の予定で、まだ一時間近く余裕があったが、他県の名物料理の屋台などが数多く出ており、会場は既に大勢の人で賑わっていた。
「どうせなら海が良かったよねー、メグははしゃいでるけど」
「だな。俺らの町じゃ窓開けりゃすぐ山見えるもんなぁ、田舎だし」
「私は山も新鮮だよ? うちは窓開けても建物しか見えないし」
「くそぅ、アヤだけ都会っ子だったか!」
ハイテンションでひとりはしゃぐ恵を眺めながらそんな雑談をしていると、いつの間にか屋台の食べ物を買いに行っていた父が、大量の袋を提げて帰って来た。
「おーいみんなー、お腹空いてないかい?」
「父さんいつの間に⁉ てかどんだけ買ってんだよ⁉」
父が提げて来た袋には、牛串やケバブ、温泉玉子揚げなど、普段は見かけない珍しい食べ物ばかり入っており、その中から好きな物を俺たちに選ばせて分けてくれた。
「おじさんありがとう! いっただっきまーす!」
「あははっ、相変わらず元気だなぁ恵ちゃんは。君たちも遠慮しないで好きなの取りなよ?」
串に刺さったままの大きなシュラスコに飛び付いた恵の後に、菜月と彩乃も食べ物を選んだ。
「それじゃあ、遠慮なくいただきます! あー迷う、どれも美味しそー」
「わ、私もいただきます。あ、メキシカンタコス、一度食べてみたかったの」
「ほら、真人はこういうの好きだろ?」
みんなが選び終わった後、父さんは大きなご当地ハンバーガーや、甘辛いタレで焼いた骨付きチキンなどを俺に分けてくれた。
「それじゃあ、母さんが拗ねる前にこれ持って帰るよ」
「はは、それがいいかもな。折角の休みなのにごめん、助かったよ」
「これくらいお安い御用さ、俺も連休で暇だったしちょうど良かったよ。迎えは明日の夜だったね?」
「ああ、八時ごろには終わるらしいからよろしく頼むわ」
「了解。あと、みんなの荷物はキャンプ場の受付に預けておくからね」
「わかった、ありがとう」
今日と明日、土日の二日間で開催されるこのフェスでは、会場の空きスペースに自由にテントを張って寝泊りできるようになっているのだが、なんだか不安だと言う彩乃の意見を尊重して、俺たちは会場のすぐ近くのキャンプ場を借りていた。
しばらく飲食コーナーのテーブルで貰ったものを食べていると、会場の正面にある大きなステージの裏から、三人のバンドメンバーらしき人たちが現れた。
「おっ、アリゲーツだ!」
「きゃー、アリゲーツー!」
その三人の姿を見た会場は一気に盛り上がった。それもそのはず、彼らアリゲーツの三人は、俺たちの住んでいる熊本の小さな町の出身で、今や世界で羽ばたく超人気のパンクバンドグループなのだ。
「へぇー、アリゲーツなんてよく呼べたねぇ」
「ほんと、地元じゃなきゃ無理だろうな」
俺と菜月が感心していると、目の前の席に座っていた恵が、手に持っていた焼きそばを一気に平らげて立ち上がった。
「なっちゃんアヤちゃんマー君! ぐずぐずしてないで早く観に行くよ……ワニさんズ!」
「メグちゃんそれ違う、ワニはワニだけど……」
彩乃の的確な突っ込みもよく聞かないまま、ひとりで駆け出して行ってしまった。
「仕方ねぇ、残りは後にして観に行くか。あいつひとりにしとくと絶対迷子になる」
「あはは、だね」
「うん、メグちゃん絶対迷子になる」
急いで残っている食べ物を片付け、駆け出して行った恵を追いかけた。
なんとか人混みに駆け込んで行った恵と合流することができ、荒くなった息を整えていると、アリゲーツのメンバーのひとりがマイクを手に取った。
「皆さんこんにちわぁっ! ついにやって来ました地元ライブっ!」
メンバーのひと言ひと言に会場は大きく沸いている。
「いやぁー本当にお待たせしましたー。つい先日全国ツアーを達成して絶賛のぼせ中のアリゲーツです! 全国ツアー以上に盛り上げていくので、怪我しないように楽しんでくださーい! あ、熱中症にも気を付けてくださいね? おっ、そこの僕の水筒いいねぇー、ちょい見て? おおっ、ロケットの形してるじゃん……あはははー、はい! というわけで、会場から早く始めろオーラを感じ始めたので、そろそろ始めちゃいましょうか! 最初の曲は『Dive』だ! いくぞっ!」
小話で会場とのコミュニケーションを取った後、かけ声を合図に騒がしい演奏が始まった。
「凄い! これが本物のライブなんだ! テレビなんかと全然違う!」
初めて生のライブを観た恵は、興奮気味で目を輝かせた。ライブが初めてなのは俺を含むほか三人も同じで、恵ほど表には出してはいないが、菜月も彩乃も、ステージから伝わる熱気に圧倒され、おとぎ話を聞く子供のように目を輝かせていた。俺に至っては、全身にぞくぞくと鳥肌が立つほど感動していた。
かなり激しいリズムなうえ、見た目もかなりチャラついているが、彼らの歌う歌詞はとても優しく、どの曲も元気が貰えるような内容で、老若男女問わず会場全体を虜にしていた。
「みんなありがとーう! 明日も歌っちゃうのでぜひ観に来てくださーい! さぁて、続いてのグループは【GUM釈迦力】よろしくぅ!」
途中、小まめに休憩を挟みながら約十曲を歌いきった彼らは、次のグループへとバトンを渡してステージを後にした。
こんな調子で、多数のグループが入れ替わりながら次々と曲を披露していき、とうとう本日最後に登場した、女性ボーカルバンドの最後の曲が始まろうとしていた。
「えー、次が本日最後の曲になります。ここまで付いて来てくれてありがとうございました! 夕暮れ時のちょうどいい時間なんで、この雰囲気にぴったりな歌で締めくくりたいと思います。それでは聴いてください。『明日また』」
午後七時過ぎで辺りは薄暗くなり始めていたにも関わらず、会場は変わらない熱気に包まれていたが、彼女の枯れたような独特の声で歌われる優しいロックバラードが始まると、会場はどこかしっとりとした雰囲気に包まれた。以前どこかで『音楽には見えない力がある』と聞いたことがあるが、今起きた雰囲気の変化も含め、今日一日でそれを何度も体感した。
「ありがとうございまーす、スパイクグレムリンでしたー! 明日も楽しんでいってくださーい。お休みなさーい」
彼女たちがステージから下りて行くと、会場に一日目の終わりを知らせるアナウンスが流れ、ステージの片付けや店仕舞いが始まった。
「はぁー楽しかったねー! 私もスパイクグレムリンのルミさんみたいな声でかっこ良く歌えたらなぁ……ふふ」
会場を出る途中、格好良く歌う未来の自分を想像しているのか、恵は夕日が沈む遠くの空を見ながらにこにこして楽しげにしている。
「メグにあの声はちょっーと無理かなぁ」
「んんー、マー君、どうしたらあんな声出せるようになれる?」
「まぁ、生まれ変わるか、きっつい洋酒でも飲み続けりゃそのうち出るかもな」
「ええー、どっちも無理ぃ。お酒なんて臭いだけで駄目だもん……」
「うふふ、そんなことしなくても、メグちゃんの歌はそのままでも十分かっこいいよ? ね、真人君」
「あ、ああ、まぁ……」
俺が伝えたかったことを察してくれたのは、恵ではなく彩乃だった。
「アヤの言うとおり、歌ってるときのメグってすっごくかっこ良くて好きだよ。だからバンドに誘ったんだし、誰かの真似なんてしなくても、メグらしい歌でいいんじゃない?」
ふたりの褒め言葉を聞いた恵は、だらしのないにやけ顔を隠しきれずにいた。
「うん、そうだよね! ふふん、そんなに褒められると照れちゃうなぁ」
「ま、歌ってるときだけの話だけどな」
そろそろ調子に乗り始めそうだったので釘を刺してやった。
「ちょ、それどういう意味⁉」
ライブの余韻に浸りながら、いつもの調子で騒がしく、宿泊することになっている近くの
キャンプ場へ向かった。
キャンプ場に到着してすぐ、受付で父が預けていてくれた俺たちの荷物と薪を受け取り、早々とふたつのテントを組み立て、完全に陽が落ちてしまう前に火を起こした。
「へぇ、真人ずいぶん手慣れてるじゃん」
「ほんと、キャンプの達人みたい。こういうの初めて見た」
手早く火を起こして薪をくべていると、いつの間にかテントに荷物を置いて来た菜月と彩乃が、後ろで興味津々にその光景を見ていた。
「まぁ、小さいころよくキャンプ行ってたからなぁ。たまに恵も連れて行ったりして」
「へぇー、そういう幼馴染で行くのっていいなぁ。ってことはメグもこういうことできるの?」
「いや、あいつは遊ぶのと食べるの専門だった」
「ふふ、メグちゃんらしい」
そんな話をしていると、話の渦中の恵が、父がキャンプ場の保冷庫に預けてくれていたクーラーバッグを持って帰って来た。
「ねぇマー君、今日使う材料ってこれでいいの?」
「おう、サンキュー。カレーにするから、みんな材料切るの手伝ってくれ」
俺以外の三人は一応調理部ということもあって、みんなで手際よくカレーを作ることができた。ちなみにカレーライスの必須アイテムのご飯は、時間の都合上、パックのものを湯煎して手早く使用した。
一時間近くかけて人数分よりも多目に作ったのだが、食べ終えるのはあっと言う間だった。
「ごちそうさまでした! 久々のマー君のカレー美味しかったー、腕上げたねぇ」
「へへっ、まぁな」
昔からカレーが好きだった俺は、今では自らスパイスを調合するまでになっており、今回のカレーの味にもそれなりの自信があった。
「ふぅ……綺麗な星空だねぇ……なんかこうやって自然の中で星を眺めてると、いい歌詞ができるような気がしてくるよ」
食後にホットココアを飲みながら一息ついていると、ふと恵がそう呟いた。
「お前歌詞なんて書けるのか?」
俺の言葉にみんなが恵に注目した。
「書ける……かはわからないけど書いてみるよ。最初はマー君にお願いするつもりだったけど、ギターで忙しそうだし、自分でも書いてみたくなっちゃったから。実は夏休み前からずっと考えてるんだ」
おそらく、恵が時折見せていた一休さんのような仕草はこれだったのだろう。
「お前が書きたいって言うなら止めはしないけど、ひとりで無理すんなよ? 前も言ったけど歌詞なら俺もそれなりに書けるからな」
「おぉ、さすがはマー君。でも私、頑張ってみるよ。中途半端に終わりたくないからさ」
「そっか、楽しみにしてるぜ」
ほっと一息ついたところで火の始末をし、明日に備えて早めに寝ることにした。
恵、菜月、彩乃の三人は、四人用の大きいテントを一緒に使い、俺はその横に立てたふたり用のテントでひとり眠りに就いた。あの三人のことなので、しばらくは騒いで寝ないと思っていたが、疲れていたのか、数分話し声が聞こえた後は大人しく眠ったようだった。
眠りに就いてから数時間が経ったころ、寝ぼけ眼で意識ははっきりしていなかったが、何やら近くでガサガサと物音がしているのがわかった。しかし、熊や猪といった気配ではなかったので、わざわざ目を覚ましてまで確かめようという気にはなれず、そのまま再び眠りに就くことにした。おそらく誰かがトイレにでも起きたのだろう。
翌朝目が覚めると、横を向いて寝ている俺の背中に、寝袋の生地とは違う温もりを感じた。しかも、ゆったり眠れるように大きめサイズの寝袋を使っていたはずなのに、なぜか昨日よりもかなり窮屈に思える。
「はっ……ぬわぁー⁉」
恐る恐る振り返り、薄暗い月明かりで正体を確認した俺は、驚愕して寝袋から飛び出した。
「んー? うるさいなぁ……もう朝?」
どういうわけか、俺の寝袋からむくりと起き上がったのは菜月だった。しかも身に着けているのはパンツ一枚だけという、アニメや漫画では謎の光が入っているであろう衝撃的な姿をしている。俺は慌てて後ろを向いて目まで閉じた。
「お前なんで俺の寝袋に入ってんだよ!」
「ふぁー……ごめんごめん、服脱いで寝てたら意外と寒くなって…………ええっ⁉ まま、真人⁉ なんで居るの⁉」
ようやくこの状況を理解した菜月は、とっさに寝袋で体を隠した。
「そりゃこっちの台詞だ! なんで俺のテントに居るんだよ!」
「えっ、真人のテント? あー! たぶんトイレ行った後だ! えっ、じゃじゃ、じゃあ私、真人と一緒に⁉ しかもこんな格好で、同じ寝袋で……やっばぁ……」
「と、とにかく早く服を着てくれ!」
様々な事実が発覚して混乱している菜月にそう伝えた俺は、ひとまずテントから出て外で待機することにした。
外はまだ星が見えるほど薄暗く、幸い恵たちは眠っているようだった。もしこのことを知られたら、あのふたりに何を言われるやら……。
起こりうる危機を想像していると、着替えを済ませた菜月が静かにテントから出て来た。
「お、お騒がせしましたー」
「お、おう……」
気まずそうに視線をそらしたまま小声で俺に謝ると、小走りで自分のテントに帰って行った。
菜月が帰った後に俺もテントに戻り、枕元に置いていたスマホの時計を見てみると、時刻はまだ午前四時過ぎだった。起床の予定は六時だったので、もうひと眠りしようと思ったのだが、目を閉じると先ほどの光景が脳裏によみがえり、とうとう一睡もできないまま起床予定時刻が近付いていた。
落ち着かずに、一足先に起きて朝食の準備を始めていると、大音量の目覚ましの音で目を覚ました三人が、着替えを済ませてぼちぼちとテントから出て来た。
「ふあぁー、マー君おはよう。朝ごはん何ぃ? お腹空いたー」
「作っとくから顔くらい洗ってこい。髪凄いことになってるぞ」
「ふあーい……」
恵はぼさぼさの髪で、眠そうな目を擦りながら近くの洗面台に向かった。
「真人君おはよう」
「おはよう、ゆっくり眠れたか?」
「あ、うん。お陰様で安心して眠れたよ。私も顔洗ってくるね」
彩乃が洗面台に向かった後、何事もいつも一番乗りの菜月が珍しく遅れて出て来た。
「お、おはよー……」
「おう、おはよう……」
菜月の顔を見ると、また早朝起きたあの光景を思い出してしまい、気まずくなってしまう。表情を見るからに菜月も同じなのだろう。
「その……今朝はごめんね。私、寝てる間に服脱いじゃう変な癖あってさ……しかも寝ぼけてテントまで間違えちゃって、あははぁ……」
数秒流れた気まずい空気を打破してくれたのは菜月のほうだった。
「ま、まあ気にするな。あれで外出歩いたりしてないなら……セーフだ……」
「うぅ、今思い出したでしょ……エッチ」
「す、すまん」
「まぁ、真人だから良かったけどさ……」
「ああもうこの話はやめだ! あ、あれだ、お互い気を付けような!」
「そ、そうだね!」
俺たちが赤面して話ているところに、顔を洗ってすっきりした恵が帰って来た。
「ふぅー、さっぱりしてきたよーって、ふたりとも顔赤くしてどうしたの?」
恵がすぐに異変に気付いた。
「あ、ああ、火の近くに居たら熱くなってきてなぁ」
「う、うん、やっぱ夏なだけあるよねぇー。あ、私も顔洗ってくる」
菜月は逃げるように洗面台のほうに駆けて行った。
「そっか、暑い中ご苦労だったねぇ」
苦し紛れに出た言葉だったが、恵に怪しむ様子はなかった。
「で、朝ご飯何?」
特に怪しまれなかったのは、俺たちのことより、朝食のことで頭がいっぱいだったからだと悟った……。
「ほら、ベーコンエッグトーストだ。お前のはおまけ付きな」
「やったー! マー君のこれ美味しいんだよねー」
「腹減ってるなら先に食ってていいぞ」
「うん、お先にいただきまーす!」
皿に乗せたトーストを手渡すと、すぐに折り畳み式の椅子に座って無邪気な子供のように食べ始めた。
今朝の朝食は、予めフライパンで軽く焼いた二、三枚のベーコンの上に、真ん中を丸くくり抜いた厚めの食パンを乗せ、くり抜いた部分に卵を落として両面を焼いたシンプルなものだ。ちなみに、恵に渡した〝おまけ〟というのは、食パンのくり抜かれた部分のことだ。
「ん? どうしたの?」
「いや、変わんねぇなぁと思って、ふふっ」
小さいころ恵とキャンプに行っていたころは、全員分のくり抜いた部分の丸いパンを、恵が料理する横で食べるというのが定番だった。久々に見るそんな光景に俺はひとりくすくすと思い出し笑いをしていた。
「わぁ、いい匂い。これがキャンプ飯っていうやつ?」
顔を洗って戻って来た彩乃が、興味津々にフライパンを覗き込んだ。
「ああ。女子にはちょっと重いかもしれないけど大丈夫そうか? サンドウィッチとかの別メニューもできるけど」
「ううん、私もこれがいいな」
「そっか。それじゃあ仕上げにぱぱっとかけて……よっしゃ、いっちょ上がり」
「わぁ、ありがとう! いただきます」
彩乃は大丈夫だとは言っていたが、念のため、小瓶に入った粉末状のオレガノやバジルなどのすっきりする香辛料を仕上げに振りかけておいた。
「真人君、これすごく美味しいよ! こんなの初めて!」
「へへっ、気に入ってくれて良かったぜ」
まれに見る彩乃の大げさな反応だ。都会っ子の彩乃にはよほど新鮮な味だったのだろう。
「あっ、もう食べてる! ふたりだけずるーい!」
帰ってくるなり先に食べているふたりを指差し、非難の声を飛ばす菜月。
「お前のももうできるからちょっと待ってろ…………ほら」
「うはぁー美味しそう! ありがとっ、いただきまーす」
さっき使って出ているついでに、菜月のトーストにも香辛料を振りかけて渡した。
「マー君お代わりお願ーい、今度は私のもスパイスありで!」
その元気な声が届いたのは、三人の分を作り終え、ようやく自分の分を作り始めた直後だった。なんとなくこうなる気はしていた。
「はいはい。てか、お前ハーブ系苦手じゃなかったか?」
「うーん……たぶんもう平気?」
「疑問形かよ。まあちょっと待ってろ」
小さいころ「変な味がする!」と、専らハーブ系の香辛料が食べられなかった恵だが、おそらく他所の芝生が綺麗に見えるのと同じで、恵もふたりが食べている少し見た目の違うトーストが美味しそうに見えたのだろう。
俺も空腹だったので少し面倒にも思えたが、美味しいと言って食べてくれるうえ、お代わりまで要求されると悪い気はしなかった。
「んーデリシャス! なんで今までこんな美味しいの食べれなかったんだろう」
もしものときは今作っている自分の分と交換してやろうと、スパイス付きの二枚目を食べる様子を見ていたが、どうやら本当に恵のハーブ嫌いは治っているようだった。
恵のお代わり分を作った後にあらためて自分の分を作り、ようやく朝食に有り付いた。
「ねぇ、なっちゃん。寝ぼけ眼だったからはっきりは覚えてないんだけど、夜中になんかばたばたしてなかった?」
朝食の最中、彩乃の不意打ちな質問に、俺と菜月は思わず食べる手を止めてしまった。
「そ、その話を聞いてしまうのかアヤ……」
「えっ、何? もしかして怖い話なの?」
深刻な顔で答えた菜月を見て、彩乃の顔がだんだん青ざめてきた。
「それは、まだ陽が昇りきらない朝方のことだった……」
「ちょ、待って待って! もういいよなっちゃん」
「私も怖いのパス!」
菜月が怪談話のように語り始めると、彩乃に続き恵まで、食べかけのトーストを膝の上に乗せている皿に置いて耳を塞いだ。
「えぇー、ここからが面白いとこなのにぃ」
ふたりには悪いが、菜月がピンチを上手く回避してくれて内心ほっとしていた。
その後は、いつもどおりわいわい楽しくやりながら朝食を済ませ、火の始末やテントの片付けを終え、大まかな荷物をフロントに預けてキャンプ場を後にした。預けた荷物は父が迎えに来る前に取りに行ってくれる予定だ。
会場に着いたのは午前八時を少し過ぎたころで、今日のライブが始まる時間まで一時間ほどあったが、昨日から泊まり込みで来ている客に合わせ、今日新たに来場したであろう大勢の人たちが居合わせており、会場は昨日以上にごった返していた。
動画サイトでの配信を中心に活動している、女子中高生に絶大な人気を誇る仮面で素顔を明かさない男性バンドグループ【神様の落とし物】それが今日新たに来場している人たちの目的だろう。新たな客層だとすぐにわかったのも、昨日よりも明らかに女子の割合が増えており、そのほとんどが彼らのバンドのロゴの入ったシャツやタオルを身に付けていたからだ。
「うわぁー、昨日よりも人多いねー! みんな、逸れないように気を付けようね」
「お前が一番危ういわ。逸れたら恥ずかしい迷子のお呼び出しかけてやるからなー」
「えっ、それやだ!」
まるで他人事のように言う恵に一喝してやった。それ聞いて『うんうん』とうなずく二人も同感だったようだ。
ライブ開始までの間、出店でも見て時間を潰そうと思っていたが、既にステージ前に集まり、場所取りをしている人たちが多く見られたので、俺たちも早めにステージ前に移動して場所をキープしておいた。
何もない芝の上でただ座って待っているのはあまりにも退屈だったので、交代で店を見て回って時間を潰していると、『ジャーン!』というエレキギターのひずんだ音が会場に鳴り響いた。
それから間もなく、ステージ裏から、上下黒の革に鋲が付いた衣装を着た、ロングヘアーで色白のワイルドな外国人男性が登場し、しんと張り詰めた無音のステージの上で、抱えている艶のない黒く渋いエレキギターを激しく掻き鳴らし始めた。
高度なテクニックで力強く紡がれていく音色は、ステージから遠く離れた場所にいる来場者すらもあっと言う間に引き付けてしまった。
彼の奏でる音色にただただ圧倒されているうちに演奏は終わってしまった。そして彼は、マイクを使わずに大きな声で会場にこう言い放った。
「皆さーん! やかましいアニソン、楽しんでってねー!」
予想外に飛び出した流ちょうな日本語で、一部驚きの反応も見受けられたが、会場は大いに沸き上がった。
会場から拍手喝采が飛び交う中、徐々にステージ裏から他のメンバーたちも登場した。
先ほどの流ちょうな日本語をしゃべるギタリスト、マーティーが率いる【アニロック】は、様々なアニメソングをロック調にアレンジしてカバーしている世界的に人気のあるグループで、ギター、ベース、ドラムの三人の男性に、女性がボーカルを務める四人で構成されている。
「それじゃあ早速、朝から元気の出る一曲目いくよー! 『疾風の軌跡』」
黒の奇抜なデザインのドレスを着たボーカルの女性のかけ声で、彩乃も大好きな人気アニメ【疾風忍者コガラシ君】の主題歌をカバーした騒がしい演奏が始まった。
一気に密集地帯となった会場で人酔いしそうになっていた彩乃も、大好きなアニメの主題歌が流れ始めると、次第に元気を取り戻した。
途中、アニメオタクでないと知らないようなマニアックな曲も登場したが、知っている人も知らない人も、最初から最後まで彼らのステージを楽しんでいた。
アニソンをカバーしながらオリジナルの曲も持っている彼らとは、グループの構成的にも趣旨的にも俺たちのバンドと近いものを感じた。
憧れの誰かのようになりたいという考えは、本来の自分らしさを捨てるようで個人的に好きではないが、彼らのように、どんな人でも楽しんでくれるライブができるようなバンドグループになりたいという、密かな目標が俺の中で芽生えていた。
昨日からここまでで、自分たちに最も近いタイプのグループを目の当たりにし、ほかの三人はどう捉えただろうか? ふと左隣に立っている三人の表情を見てみると…………恵と菜月はこれまでと変わらずハイテンションで曲に乗っており、アニメファンの彩乃に至っては熱い涙を流していた。三人とも、今はただライブを楽しんでいるという様子だ。
それもそうだ。これほど熱気の溢れるライブの最中に、ごちゃごちゃと別のことを考えているのは、気を抜けない照明や音響などの演出の担当者か、よほど頭の固い変人くらいだろう……そう、俺のような。今〝だけ〟は恵たちを見習って、俺もライブを楽しむとしよう。
ひとグループ約一時間ほどの持ち時間で、途中休憩を挟みながらも、足早にライブは進行して行った。
そんな中、昨日に引き続き登場したアリゲーツは、お昼休憩中に写真撮影をしてくれたり、こっそり観客の中に紛れてみたり、頻繁にステージに上がり様々なグループとのコラボ曲を披露して会場を楽しませてくれた。こういった茶目っ気のあるファンサービスも、彼らの人気の秘訣なのだろう。
そして、いよいよ本日の大取り【神様の落とし物】がステージに姿を現した。
黒いおそろいの衣装に、目と鼻の部分だけを覆う白い狐の仮面を付けた怪しげな四人組だったが、その姿を見た会場からは黄色い声援が多く飛び交っていた。
スポットライトの光できらきらと白く輝くエレキギターを抱えた、白に近い薄い金髪のメンバーがスタンドに立てられたマイクに歩み寄る。
「会場の皆さん、こんばんわー!」
背の高い怪しげな姿とは裏腹に、その声は、キーの高い澄んだ少年のような声だった。
「いよいよ僕たちで最後となりました。もう疲れちゃってるかもしれませんが、どうぞ最後まで付いてきてくれると嬉しいです!」
長丁場で疲れているはずの会場が、彼の言葉で疲れを忘れたかのように沸き上がった。
「ありがとう! それじゃあ行ってみましょうか、『迷い星』」
彼の澄んだハイトーンボイスで奏でられる曲は、アップテンポでありながらしっとりと切なく、曲が終わるころには元気が貰えるような不思議な感覚だった。
「さて、名残惜しいですが次の曲でラストとなってしまいました。暑い夏、楽しい夏、切ない夏。みんなそれぞれ目に映る景色は違うと思いますが、今しかない夏を精一杯楽しんで、後から思い出して笑えるようないい思い出を作っていってください。それではラスト、皆さんがいい夏を過ごせるよう願いを込めて『夏の色』」
ロックバラード調のその曲はまるで会場を包み込むように沁み渡り、気が付けば頬に涙が伝っていた。
その現象は俺だけだはなかったようで、老若男女問わずグスグスと鼻をすする人や、涙を拭う仕草をしている人が多く見受けられた。もちろんあの三人も例外ではなかった。
最後の曲が終わると、会場からは今日一番の歓声が贈られた。
「ありがとう! これからも僕たち【神様の落とし物】をよろしくお願いします。それでは皆さん、またどこかで会いましょう!」
歓声がやまぬ中、メンバーは大きく手を振りながら名残惜しそうにステージを去って行った。
『これを以ちまして、第二十八回サマーロックフェスを――』
「アンコール! アンコール!」
イベントの終了を知らせる場内アナウンスが流れ始めたのだが、会場からの歓声や拍手は未だ鳴りやまず、とうとう誰かがアンコールを叫び始めた。
アンコールの声はどんどん会場に広がり、場内アナウンスを流していた女性は、それに圧倒されてアナウンスを中断してしまった。
それから一、二分が過ぎたころ、鳴りやまぬアンコールが大きな歓声に変わった。
「アンコールありがとう!」
盛大なアンコールに応え、再び怪しげな四人がステージに登場した。
「折角こんな怪しい僕たちのためにアンコールして頂けたので、今日は特別に、まだネット動画でも出してない新曲をお披露目させていただこうと思います!」
予想外の宣言で会場は大きく沸き上がった。
「但し! 但しですよ皆さん。これで今日は本当に最後なので、この曲が終わったら会場のお姉さんのアナウンスに従って、良い子でおうちに帰ってくださいね? 僕たちと約束してくれますか?」
会場からは『イェーイ!』や『はーい!』と元気な返事が飛び交った。
「それじゃあ、お約束していただけたところで、聴いてください『約束の空』」
先ほどの曲よりも激しいロック調の曲だったが、またもや響き渡った彼の澄んだ声は、変わらずに会場を虜にしていた。
「本当にありがとうございましたー! 皆さん気を付けて帰ってくださいねー」
最後のアンコール曲が終わると、観客たちは彼らとの約束をしっかり守り、会場からは見る見るうちに人が減り、少し前の騒がしさが嘘のように静かになっていった。
なんだか名残惜しくもあったが、俺たちも長居はせず、父が迎えに来てくれている駐車場に向かった。
「ううっぐ……涙が止まらないよぉ」
帰りの車の中、会場を出てもうかなりの距離を走っているのだが、ライブの熱が冷めない恵は、後ろの席で菜月と彩乃に慰められながら未だに泣き続けていた。
「はいはいメグ、もう家に着くから泣き止もうねー」
「よしよし」
菜月も彩乃もかなり手を焼いていたのだが、慰める二人の様子は、まるで酔っ払いの相手をしているようで少し笑えてしまった。
「ごめん父さん、次のコンビニ寄ってくれないか」
「あははっ、了解」
泣き止みそうにないので最後の手段に出た。父さんも察してくれたようだ。
「恵、コンビニで美味いもん買ってやるからいい加減泣き止め。店員さんに笑われるぞ?」
「わかった」
今の今まで号泣していたのがまるで嘘だったかのようにぴたっと泣き止んだ。幼いころから、恵が泣き止まないときにはいつもこの手を使っていた。まだ通用するとは……。
「切り替え早っ⁉ さすが真人、メグの扱い慣れてるねぇー」
「ふふっ、真人君お母さんみたい」
コンビニに着くと、大食いの恵の分に合わせ、ちゃっかり菜月と彩乃、そして父さんの分までおごらされ、なかなかの出費になってしまった……。
「おごるとは言ったけど……お前たち高いもんばっか買い過ぎだろ! ハーゲンいくつ買ってんだよ⁉」
呆れる俺のことは気にもかけず、後ろの席ではプチお菓子パーティが開かれている。
「まぁいいじゃないか。『未来に懸けてきた』と思えば」
「池澤さんの声!」
後ろの席はわいわいと騒がしかったが、アニメ好きの彩乃は、父が渋い声の声優を完璧なクオリティで真似て言った、人気アニメの有名な台詞を聞き逃さなかった。
「お、彩乃ちゃん詳しいねぇー」
「アニメも声優さんも大好きなんです!」
父の買った地酒とご当地限定のおつまみが一番高かったのだが、その話を出す前に上手く逃げられてしまった。まあ、ここ数日、何かと世話になったお礼ということにしておこう。
コンビニに旅立った諭吉さんは、ひとりの英世さんへと姿を変えてしまったのだが、これもいつか、夏のいい思い出となることだろう……と信じたい。
応援ありがとうございます!
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