ガールズバンドの佐倉くん

小鳥遊

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文化祭1週間前! 恵の気持ちと真人の覚悟

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次の日、今日は土曜日なのだが、午前中は、それぞれ間に合っていない文化祭の準備があるとのことで、集合は昼過ぎからとなった。

 文化祭一週間前の今日、久々に全員で合わせて練習することができたのだが……。

「あれ? 悪い、またミスった」

 今まではしなかったような単純なミスを連発してしまい、何度も演奏を止めてしまった。

「マー君大丈夫?」

「ああ、久し振りに合わせるからなんか調子出なくてな」

 本当のことを言うと、俺の中の雑念が邪魔をして集中できていないのだ。

「真人君、ちょっと頑張り過ぎなんじゃない? 私たちと違ってずっと休んでないし」

「そうだよ、マー君バイトも毎日大変なのに、たまには休まなくちゃ駄目だよ」

 言われてみれば、夏あたりから何かと忙しくなってしまい、十分な休息が取れていなかった。

「曲作りとかずっと頑張ってくれてたもんね。メグが言うとおり、たまには休みなよ。置いてったりしないから」

 文化祭までの時間は残り少なく、正直少し不安ではあったが、気持ちを整理するためにもお言葉に甘えさせてもらうとしよう。

「みんなありがとう。調子悪いみたいだし、今日は帰ってゆっくりさせてもらうわ」

 みんなより一足先に帰り、しばらくベッドに横になってぼーっと休んでいると、携帯のメッセージの着信が鳴った。

 メッセージの送り主は菜月で「大丈夫? もし私の所為で余計な気を使わせてるんだったら謝るよ。迷惑だったらあの話は忘れて」という内容だった。

 菜月の告白のことで悩んでいるのは確かだが、決して迷惑だとは思っていない。

 俺はすぐに「こっちこそ余計な気を使わせてしまって悪い。大丈夫、迷惑だなんて思ってないよ。面と向かって言うのは恥ずかしくて言えなかったけど、お前が『好き』って正直な気持ちを伝えてくれて嬉しかった。だから迷惑だとか忘れろだなんて言うな」と返信した。

 必死でフォローしたつもりだが、ぶっきらぼうな俺の乱文で上手く伝わっただろうか? 少し心配しながら反応を待っていると、わずか数分で返信が届いた。

「ありがとう! 真人大好き(ハート)明日までゆっくり休んで、また月曜日から張り切っていこう!」

 一通目とは違い、ハートやピースサインの絵文字が多用されたメッセージだった。

 菜月が気を落とさないようにとあんな返信をしたのだが、結果、さらなる恋愛フラグを立ててしまった……。

 彩乃も菜月も、俺にとっては大切な仲間であり良き友人だ。傍から聞けば贅沢な悩みで、何様だと言われそうな話だが、今後どちらかを選ぶことで、今の関係が崩れて険悪になってしまうのは怖い。

 どうしたらいいのか、考えれば考えるほどわからなくなってしまい、気が付くと眠ってしまっていた。

 目が覚めたときには陽はすっかり沈み、部屋には月明かりが差していた。

「真人ー、そろそろ晩ご飯できるから下りて来てー」

 一階から母の呼ぶ声がした。

 下りて行くと、休日で暇を持て余した父が食卓でスマホゲームをしながら夕飯を待っていた。

「起きたか真人、勝負しないか? これ見てくれ、イベント限定のレアキャラ手に入れたんだ! この前みたいにはいかないぞ?」

 父は俺にスマホを見せ、まるで無邪気な子供のように目を輝かせている。

「あー悪い、今日は疲れてるからまたの機会に頼めないかな」

「あらあら、どっちが子供なんだか。ゲームは後にしてご飯にしましょう」

 はしゃぐ父に呆れながら母が食卓に夕飯を並べた。

「どうした、何か悩み事か?」

 父に言われて気付いたが、考え事をしながら食べていた所為で、いつもよりも箸の進みが遅くなっていたようだ。
「まぁ、ちょっと最近いろいろあってな……」

「あはははっ、青春だなぁ」

「笑うなよ、こっちは真剣なんだぜ?」

 他人事のように笑う父に少しむっとした。

「あーごめんごめん、真人もちゃんと青春してるんだなぁって思って」

 母さんにまでくすっと笑われてしまった。確かに最近まで、学生の青春とはかけ離れた堅物な生き方をしていたかもしれないが……。

「でもそうだろうね。真剣だから迷って悩んでいろんな壁にぶつかるんだ。でもね、明日明後日のことで悩んでても仕方ないよ? 誰にもわからないことだからね。まぁ、今は間違えながらでも、やるべきことさえちゃんとやってれば自然と解決していくものだよ」

「あ、ありがとう……」

 いつもお気楽な父からは想像できない、意外にもしっかりとしたアドバイスに驚かされた。

「あら、たまにはしっかりしたこと言うのね」

「あははは、これでも普段からしっかりしてるつもりなんだけどなぁ」

 普段の様子を見ていると母が言うこともわかるのだが、思い返してみれば、ここぞというときには頼りになる父で、困ったときにはいつも力になってくれている。

「まぁ、俺は頼りにしてるよ、父さんのこと。ちょっと子供っぽいけど」

「そうね、頼りにはなるのよねぇ。子供っぽいけど」

「はいはい、どうせ子供ですよーだ」

 母と顔を合わせて笑うと、それを見た父も耐えきれずに笑いだした。

 笑う門には福来たるとはよく言ったもので、笑っているうちにごちゃごちゃしていた思考は吹き飛んでしまっていた。

 ひとりで抱え込んでいたら、どんなに楽しいことがあっても、また後で思い出してひとり悩んでいたことだろう。

 だが今回は違う。父の言ったとおり、明日のことで悩んでいても仕方がないと前向きに考えることができている。
単純かもしれないが、俺では気付けないことを気付かせてくれた父には本当に感謝だ。

 今までは周囲に迷惑をかけないようにと、なんでも自分ひとりで解決しようと努力してきたが、次からはもう少し誰かに頼ってみるのもいいかもしれない。

 こんなポジティブ思考でいけば、スランプ気味だったギターの調子も戻るだろうか? いや、戻るはずだと信じておこう。

 それよりも今は、母さんの美味いご飯と休息だ。明日は明日の風が吹く、なんてな。

 次の日、久々にバイトと部活のプレッシャーから解放されて気が緩んだのか、覚めたのは午前十時前だった。俺が休みだと知っていた母さんも気を使って起こさないでくれたのだろう。

 寝過ぎて重い体を起こしてリビングに下りて行くと、父と母が、平日見逃した録画のドラマに夢中になっていた。

「おはよう」

「あら、おはよう。ちょっと待ってね、すぐご飯用意するから」

 母はそう言いながらも、ドラマが気になって目を離すのが惜しい様子だ。

「ああ、自分でするからドラマ観てていいよ」

「あらそう? ありがとう、ちょうど今ずっと観たかった回なのよ」

 今日は特に予定もないので、朝から手の込んだものでも作ろうと思ったが、作って食べて片付けが済むころにはもう昼食の時間だ。大変恐れ多いが、ほんの少しだけ家事を毎日こなす主婦の苦悩がわかったような気がした。

 というわけで、朝食は簡単に目玉焼きトーストで済ませた。

 食器を片付け終わり、最近買ったお気に入りのサイフォンでコーヒーを淹れようと豆を挽いていると、玄関のチャイムが鳴って聞きなれた大きな声がした。

「こんにちはー、マー君居ますかー」

 出てみるとやはり恵だった。

「よお、どうしたんだ? 用事ならメールでもいいだろうに」

「来たほうが早いじゃん、家目の前だし。それよりさ、マー君今日用事ある?」

「いや、今日は惰眠を貪る予定だ」

 意味が通じなかったのか、恵の顔が難しくなった。

「だ、だみーん? よくわからないけど、もし暇なら買い物付き合ってくれない?」

 よく見ると、他所行きのような服装にポシェットを提げていて、恵は完全にお出かけモードで来ていた。

「んーそうだなぁ……行くか、家に居ても暇だし。ちょっと着替えて来る」

「やった!」

 早々と着替え、父と母に伝えて玄関を出て行くと、散歩が待ち遠しい犬のようにそわそわと足踏みしながら恵が待っていた。

「早く行こう!」

「あ、おい、走るのかよ⁉」

 家を出て間もなく、行き先も知らされずに恵を追いかけて走る羽目となった。

 数百メートル走ったところで、ようやく恵の足が止まった。

「はぁー疲れたぁー……うぅ……横腹痛い」

「はぁ……当たり前だ……いきなり全力ダッシュする奴があるか……はぁ……ちょっと待ってろ、飲み物買って来る」

 近くにあった自動販売機でふたり分の飲み物を買い、息を整えたところで恵に問いかけた。

「それで? そんな急いでどこ行くつもりなんだよ」

「楽器屋さんだよ。この前ひとりでマイクとアンプ買いに行ったんだけど、いっぱいあって迷っちゃったんだよねぇ」

「店の人にお勧めとか聞いたのか?」

「うーん、機能とか性能とか、聞けば聞くほどわかんなくなって、結局三時間くらい悩んで何も買わないで帰っちゃったんだ」

「三時間⁉ そりゃあ店の人も大変だったろうなぁ……」

 こいつの性格ならわかる話だが、普通なら質の悪い冷やかしと思われても仕方がない。変に目を付けられてないといいのだが……。

 少し心配しながらアーケード街にある二階建ての大きな楽器屋に到着したのだが、思っていたようなことは何もなく、普通に入店することができた。

 マイクがある売り場まで入って行くと、恵を見かけた白髪交じりの年配の男性店員がこちらに歩み寄って来た。まさかここで退場かと思ったが、店員は笑顔で話しかけてきた。

「いらっしゃいませ、お待ちしていましたよ。今日は決められそうでしょうか?」

「あ、この前のおじさん! こんにちはー」

 その店員の姿を見て、俺はとっさに無邪気に挨拶をする恵の前に出て頭を下げた。

「この前はどうもすみません。あほなこいつに三時間も付き合ってもらったみたいで……でも冷やかしとかじゃないので大目に見てやってください」

 頭を下げる俺に店員は慌てて言い返した。

「いえいえそんな! 頭を上げてください。冷やかしじゃないことはこのお嬢さんの真剣な目を見ていてわかりましたよ。私も長年いろんな楽器やお客さんに付き合ってきましたので」

 優しく微笑むその姿は、まるで仏のようだった。

「ありがとうございます。よく見られてるんですね」

「いえいえ、一種の職業病みたいなものです。そういうあなたも、お若いのに他人によく気配りのできる立派なお方ですな」

「あはは、そんな、俺なんてまだまだです」

「いやいや、私のほうこそ」

 俺の勝手な思い込みでしかなかった誤解が解け、年配の店員と楽しく話していると、恵が割って入ってきた。

「ねぇ、いつまでふたりで謝ったり褒め合ったりしてるの? 私たちマイクとアンプ買いに来たんでしょ?」

 ごもっともなことを言われてしまったが、こうなった元凶が自分であるという自覚はないのだろうか……問うだけ無駄な気がして大人しく本題に戻った。

「ついつい話し込んでしまいましたね。さて、本日はいかがいたしましょう」

「ああ、ええと、俺たち今度の文化祭でバンドやることになってて、こいつに合うマイクとアンプを探してるんですけど、お勧めのものってどんなのがありますか?」

 年配の店員は、近くにサンプルで置いてあったよく見る頭が丸いマイクと、見慣れない四角い頭の付いたマイクを持って来た。

「近ごろはダイナミックマイクも質が良くなってきてはいますが、やはり、繊細な音質を求めるのであればこちらのコンデンサー型のマイクがお勧めです」

 お勧めされたのは、見慣れないほうの四角い頭のマイクだった。

 さらに詳しく聞いてみると、ダイナミックマイクのほうは充電や電池式でコードレスで使うことができるが、コンデンサーマイクのほうは電力の関係でコードレスのものはなく、音質と同じくらい繊細な機械で、扱いには細心の注意が必要らしい。その上高価で湿気にも弱く、環境の整った屋内での使用が主流とのことだ。最近流行の歌の一発撮りなんかも、このマイクを使用しているらしい。

 三時間は大げさだが、少しずつ違う機能やデザインがこうも豊富にあると、恵が迷うのもわからなくはない。
 しかし、俺は説明を聞いたときから選択肢はふたつしかなかった。

 ダイナミックマイクで一番音質の良いもの、または、コンデンサーマイクで防水対策がされているもの。こんな我がままに応えてくれる商品があればいいのだが……。

「おっ、これだ!」

 いろいろと話を聞いている恵の傍らで、数多く並べられたマイクから条件の品を発見することができた。

「恵、これはどうだ?」

「おー、私が欲しい感じのだけど……どうなの? えっと、中身的に?」

 恵がきょとんとしていると、年配の店員が様子を見に来てくれた。

「ほほう、これはお目が高い。コンデンサー型でありながらハンディタイプで屋外でも使用できる防水防塵仕様とは。しかしお値段が少々……」

 目的の商品を見付けるのに夢中で値段のことはすっかり忘れていた。恐る恐る手元に付いている値札を見た俺は、衝撃のあまり言葉を失ってしまった。

 その様子を見て、恵も不安そうに値札を覗き込む……。

「一、十、百、千…………なっ、七万円⁉」

 ギターと比べると半額程度だが、精々一、二万くらいだと思っていた。

「どうだ恵、買えそうか?」

「うーん……買えなくはないけど、これ買ったらアンプ買えなくなっちゃうし……あーでもいいなぁこのマイク。デザインも好きだし、なんかいろいろ良さそうだし」

 よほど気に入ったのか、悩みながらも恵は手に取ったそのマイクを放そうとしない。ここまで真剣に悩む恵を見ていると、とても諦めろとは言えなかった。

「あの、似たようなのでもう少しお手頃なのってありませんか? 最低限外で使えるやつで」

 普段なら「マー君これ買って!」とねだってくるところだが、こればかりは恵にも譲れないプライドのようなものがあるのだろう。恵の気持ちを尊重すると、今俺が出せる助け舟は、恵にとっての最善策を探すことくらいだ。

「残念ながら、屋外で使用できるものはこちらが最安値となります。しかしながら、おふたりを見ていると、私の若いころのことを思い出してなんだか胸が熱くなってきました。少し待っていてください」

 そう言うと、年配の店員は別の商品コーナーのほうに歩いて行き、ランドセルくらいの大きさの箱を抱えて帰って来た。

「お待たせしました」

「え、あの、そのアンプは……」

 見るからに高性能で高そうなアンプが目に入り、俺は恐る恐る尋ねた。

「私お勧めのマイクに最適なアンプです」

「うわぁ、こっちも凄く高そう……」

 恵にもその価値がわかったようで、瞬時に顔が青ざめた。

「ああ、お代はお気になさらないでください。こちらはささやかながら、私からのプレゼントです。なので差し支えないようであれば、アンプのことは気にせずにそちらのマイクをご購入いただければと」

 ふたり同時に驚きの声を上げた。

「そんな、悪いですよこんな高価なものを」

「そうですよ! おじさんが怒られちゃう!」

「はっはっはっ、私が買ったことにしておくのでご心配なく。マイクも無理に今日買っていただく必要はありません」

 数回来店しただけの見知らぬ学生相手になんという神対応なんだ。何か裏があるのではないかと心配になってきた。

「その代わりと言ってはなんですが……私も文化祭に招待していただけないでしょうか? あなたたちのバンドに興味が湧いてきました」

 やはりそうきたかと思ったが、年配の店員が切り出した条件は意外なものだった。

「もちろんです! おじさんもぜひ見に来てください!」

「はっはっはっ、交渉成立ですな。では、こちらは遠慮なく頂いてください」

「え、あ……」

 年配の店員は、半ば強引に俺にアンプを持たせてくれた。

「すみません。ありがたく受け取らせていただきます!」

 ここまでされて突き返すのも逆に悪いと思い、戸惑いながらもありがたく頂くことにした。

「じゃあおじさん、このマイクのお会計お願いします!」

「はい、かしこまりました」

 こうして恵は、高性能なマイクひとつ分の値段で、高性能なアンプまで手に入れてしまった。

「ありがとうございました」

「そんな、こちらこそ! それじゃあおじさん、私たちの文化祭は十月一日だから、絶対見に来てくださいね!」

「あ、おい、走ることないだろ? てか店で走るな!」

 そう言うと、恵はマイク片手に、年配の店員に手を振りながら元気に店を出て行った。肝心なことを伝え忘れていることにも気付かずに……。

「騒がしい奴ですみません。あいつ言い忘れてましたけど、学校は桜ヶ丘高校で、午後二時から体育館である予定ですので」

「はい、楽しみにしてますよ」

「本当にありがとうございました。それでは失礼します」

 場所と時間を伝えた俺は、恵を追いかけるようにして慌ただしく店を出た。

「はぁ、やっと追い付いた……今日二回目だぞこのくだり……」

「あははー、ごめんごめん、嬉しくってつい」

 心底嬉しそうにする無邪気な恵を見ていると、これ以上文句を言う気にはなれなかった。

「そういえば昼飯まだだったな。もう二時前だし何か食って行くか?」

「うん! あ、でも……」

「俺のおごりだ。さっきので小遣い使い果たしたんだろう?」

「うん……本当は付き合ってもらった分、今日は私がおごるつもりだったけどごめんね……」

 普段あまり見せない少し残念そうな顔からは、その言葉が嘘や見栄でないことがうかがえた。

「気にするな。また今度頼むよ」

「うん! 期待しててね」

 いつものように見せた恵の無邪気な笑顔だったが、今日は一段とまぶしかった。

 アーケード街まで来れば飲食店は迷うほどあるのだが、質より量の恵が選んだのは、安価で美味しいが売りのファミレスチェーン店だった。

 遠慮のない恵は、ステーキやパスタなど三人前くらいの量を食べた後、最後に特大パフェで締めた。このファミレスが安価を売りにしていてくれて助かった……。

 ファミレスで数時間過ごし、帰るころにはもう日が落ち始めていた。

「マー君、今日はありがとう。今度ちゃんとお礼するね」

 帰る途中、お菓子を買ってもらった子供のように、いつまでもマイクの箱を握りしめて喜んでいるかと思うと、急にかしこまってお礼を言い出した。

「どうしたそんなあらたまって。買い物付き合うくらい気にすんな」

「ううん、ちゃんとお礼させて?」

 本当に大したことをしたつもりはないのだが、恵はなぜか引き下がろうとしない。

「買い物とご飯の分もだけど……ほら、さっきお店行ったとき、おじさんに私が悪い子じゃないって言ってかばってくれたでしょ? あれすっごく嬉しかったんだ。本当にありがとう」

「お、おう、そりゃ良かった……」

 本日二発目の刺さるようなまぶしい笑顔に、不覚にも俺の心拍数は乱されてしまった。

 そんな恵の姿に調子を狂わされながら歩いていると、気が付けばもう家の近くまで来ていた。

「もうすぐ着いちゃうね……」

 恵がどこか名残惜しそうに呟いた。

「ねぇ、マー君ってさ……好きな女の子とか居たりする?」

 正直、驚きよりも先にまたこのパターンかと思ってしまった。しかし、三度目でもこの時間ばかりは慣れるものではない。むしろ知っているからこその緊張なのだろうか。

「な、なんだよ急に……まぁ、友達として好きな奴なら居るけど……」

 嘘ではない。彩乃も菜月もいいとは思っているが、恋愛的な好きに発展するかどうかは気持ちの整理中だ。

「そうなんだ……」

「おう……」

 恵は一瞬嬉しそうな顔を見せたが、すぐに緊張で強張っていった。

「あ、あのね! えっと……私のことってどう思う? その……女の子として……」

「そりゃあまぁ……昔よりお洒落とかもするようになったし、普通に女子って感じか?」

「ちょっとそれ褒めてるの? それともけなしてる?」

「いや褒めてるだろ! お転婆は昔から相変わらずだけど、普通に女子らしく可愛くなったって意味だよ!」

 思わず口を滑らせてしまった。

「そ、そっか……ありがとう……」

 むっとした表情を見せたかと思うと、今度は嬉しそうに顔を真っ赤にした。何度も言ったかもしれないが、本当にころころとよく変わる表情だ。

「昔からよく見てくれてたんだね……私もね、ずっとマー君のこと見てきたんだよ? なんでもできて頼りになって、ちょっと意地悪だけどいつも私のこと助けてくれて……」

 唇をぐっと結び、何かを決意したように歩く俺の前に出て立ち止まった。

「私、マー君のことが好き! ずっと前から大好きでした……私と付き合ってください!」

 恵は深々とお辞儀をした。

 正直なところ、恵のことは仲のいい幼馴染としてしか見てこなかった。家族同士の中も良く、恋仲と言うよりは兄妹のような存在だ。実際、お互いに遠慮や妙な気を使うこともなく、相手としてはベストなのかもしれない。

 またもや悩ましい状況になってしまったが、今回の俺の答えに迷いはなかった。

「悪いな恵。今は誰とも付き合わないって決めてるんだ」

「だよね……バンドもあるし私も今じゃないって思ったんだけど、今しか言えない気がしたからつい……ごめんね」
 涙目で無理に笑って見せる恵を見て心苦しくなった。

「謝らなくていい、そこまで考えてるなら上出来だ。今はそういう関係にはなれないけど、ちゃんと向き合うから待っててくれないか?」

「マー君……うん! わかったよ。待ってるね」

 恵の目に涙は残っていたが、先ほどとは違う無理のない笑顔だった。

「あーお腹空いたー。マイクも買えたし、帰っていっぱい食べて明日からまた頑張るぞー!」

「ぷふっ、気合入ってんなぁ。てか、あんだけ食ってまだ食うのかよ。腹壊すなよ?」

「大丈夫大丈夫。それじゃあ、また明日ね!」

「おう、また明日」

 家の前で別れると、恵は意気揚々と家に入って行った。

 結局三人ともフラグを立ててしまった。言葉で安心だけさせて、いつまでも何もしないなんていう最低な結果を残すような真似だけはしないようにしよう。

次の日、文化祭の準備はどこも順調に進んでいるようで、恵から放課後は全員集まれるとの連絡が入っていた。

 いつものように、放課後になってしばらく部室で待っていると、廊下から賑やかな声が聞こえて来た。今日は三人一緒に来たようだ。

「マー君お疲れー」

「よう、お疲れさん。みんなこの前はありがとうな。お陰でゆっくりできた」

「良かった、真人君元気そう」

「うん、調子良さそうだね。みんな心配したんだぞー、たい焼きパフェぐらいおごってよね」

「たい焼きパフェ⁉ 食べたい! なっちゃんナイスアイディア!」

「えー、真人君に悪いよ」

 みんなのお陰でゆっくりできたのは確かだ。恵には昨日散々おごってやったのだが、まあ良しとしよう。

「まぁ、みんなには迷惑かけたしな。帰りにおごってやるからさっさと練習始めようぜ?」

 話がまとまったところで、準備をして練習に取りかかった。

 やはり気持ちの問題だったのか、今日はこの前のようなミスはなく、今週末が本番ということもあり、ほど良い緊張感でいい練習ができた。演奏のレベルもこれなら申し分ないだろう。

「いい感じだったね! マー君もばっちりだったし」

「ああ、お陰さんで調子戻ったわ。本番もこの調子でいこうぜ」

 あまり追い込んで、本番を不調で挑むことになっては元も子もないので、今後の練習は調整程度にしようということになった。

 片付けを終わらせた後、約束どおりみんなでたい焼きパフェを食べに行った。

「おっちゃん来たよー」

「おっ、いらっしゃい! ありゃー、今日は選り取り見取り両手に花ってか? くぅー羨ましいなぁ兄ちゃん!」

 店に着くなり、おじさんのいつもの威勢のいい調子に翻弄されてしまった。

「いやいや、みんな部活の仲間ですから!」

「がはははっ、そりゃあ失敬失敬。さあて、今日は何にしようか?」

 たい焼きパフェを頼もうとすると、メニューを見ていた恵が店のカウンターに身を乗り出し注文を言い始めた。

「たい焼きパフェ四つと、私は追加でオリジナル小倉タピオカミルクティーの一番大きいのください! みんなは飲み物どうする?」

「なっ⁉ お前何勝手に」

「えー、いーじゃん甘いもの食べたら喉乾くし、これ絶対美味しいやつじゃん! それとこのノーマルなたい焼きも見逃せないよね!」

 恵はメニューを指差し、目と口元のよだれを輝かせた。

「お前どんだけおごらせる気だよ。てかタピオカも甘いだろ」

「それなら心配ないでしょう真人? おっちゃんのタピオカは甘いけど、すーっとしたミルクティ使ってていくらでも飲めるからねー」

「いやいやいや、確かに餡子とクリームとスパイスティが絶妙でめっちゃ美味いけど――」

「へぇー美味しそう! 私も飲んでみたいかも」

「しまった、彩乃まで乗せちまった!」

 ごちゃごちゃ言い合っていると、おじさんが店のカウンターにぽんと何かを並べた。

「はいよ、オリジナル小倉タピオカミルクティー四つお待ちぃ! 散々褒めてくれたお礼に今日だけ特別俺のおごりだぜぃ」

「えぇっ⁉ さすがに悪いですよ! 俺払います」

 このクオリティで一杯五百円というのは、たぶん良心的な店長のぎりぎりの価格設定だ。それを四杯もおごってもらうのはさすがに気が引ける。

「いいっていいって。美味しい笑顔が見れりゃそれで十分だ。それに〝今日も〟しっかり宣伝してもらったしなぁ、がっはははは」

 ふと後ろを見ると、さっきまでは居なかった人だかりができていた。店主が言うように、今日も、そしてこの前も、俺たちは、オーバーなリアクションでこの店をしっかりと宣伝していた。思い返すと恥ずかしくもあるが、この店はそれほどに絶品なのだ。

「ほら、早く持って行きな。次のお客さんがお待ちかねだぜ?」

 急かす店主に言われるがまま、俺たちはタピオカを受け取った。

「おじさんありがとう! あ、そうだ! 次の日曜日、桜ヶ丘高の文化祭でバンドやるから、おじさんも見に来てねー!」

「おぉーそうなのかい! 絶対見に行くぜー」

 去り際に恵がしっかり宣伝した。しかし、店主はそうは言ってくれたが、こんなに繁盛する店を閉めてまで俺たちを見に来てくれるだろうか? たい焼き屋の店主や、この前の楽器屋のおじさんを含め、わざわざ見に来てくれる人たちをがっかりさせないためにも、俺たちはベストを尽くそう。
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