線香花火が上がる夜に

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線香花火が上がる夜に

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なんでだろう

そう、私、横山灯火は小さい頃から思い続けてきた。

星が灯ることのない、闇に包まれた夜。
地面の奥深くまで埋められた、突起のついた家の柱。

その全てが、私が生きるこの夜影島だけに見られるものだということを知ったのは、小学五年生のときだった。

「ふあぁ...」
ゆっくりと体を起こし、枕元の時計を見る。
時刻は午前六時を回ったところで、辺りはまだ薄暗かった。

まだ眠気はあったが、起きてしまったものはしょうがないと思い、居間へと向かった。
いつものように、父の姿はない。
また、工房に行って作業をしているのだろう。

私の父は、代々受け継がれてきた線香花火屋の職人だった。
確か、十六代目だっただろうか。
私自身、昔から父の作る線香花火に触れ、その華やかさに魅せられた一人だった。
しかし、今は違った。

台所に向かい、朝食の支度をする。
そして、出来た料理を工房にいる父の元へと持っていくため、家を後にした。

寒さが日に日に強さを増し、思わず身震いする。
腕を抱えながら、なんとか工房までたどり着いたあと、その場にいた父に声をかける。

「おはよう、朝食、持ってきたから」
しかし、一向に返事はない。
人が朝から寒い思いをしながら持ってきてるのに。
そんなことを思いながら、今度は声を張り上げて言った。
「ご飯持ってきたから、冷めないうちに食べて!」
そこでようやく、父と目が合う。
火薬で頬を黒く染めた父の口が、開いた。

「あぁ、わかった」

気づけば、学校へ行く時刻になっていた。
支度をし、学校への道を歩き始める。
その途中で、いつも通り彼の姿が見えた。
「おはよう」
その言葉に、自分もおはようと返す。

ふと、彼が言った。
「なんか、今日も元気ないな」
自分では隠していたつもりだったのだが、バレてしまったのなら仕方がない。
「また、お父さんのことでね」

父は、工房にいるときは人が変わったようになる。
口数は少なくなり、必ず言って欲しいわけではないが、今日のように朝食のお礼も感想も言ってはもらえなくなる。
さらに、一度集中すれば、張り倒されるまで集中を切らすことはない。
以前、朝から夜の二時まで工房に篭られた時は、流石に心配で胸が張り裂けそうだった。

「俺も少しはお礼言われたいな」
「でしょ?」
そんなこんなで、私は恋人の星野祐也とともに、学校へと向かう。
今朝の憂鬱と、これからへの絶望を胸に秘めながら。

学校につき、教室へと入る。
その瞬間、彼女と目が合った。
そっと視線を外し、席に就こうとする。
しかし、座ろうとしたところで、椅子に誰かの足が置かれた。
ため息をぐっと堪え、静かに目線を上げる。
そこに、人を嘲笑うかのような笑みを浮かべた彼女がいた。

「遅かったね、貧乏女」
「今日も線香花火でパチパチ遊んでたんですかぁ?」
その言葉を無視し、一時間目の用意を進める。
「…っ」
その時、腰あたりに激痛が走った。
どうやら、彼女が蹴飛ばした椅子に当たったらしい。

「聞いてんの?」
流石にこれ以上好き勝手をされては困るので、頷く。
「あのさ、なんか買ってきてくんない?パンとか」
そんなことを言っているが、今月は厳しい。
「あぁ、そうだった、あんた貧乏だもんね」
また、そんな皮肉を言われる。
「放っておいて」
「はぁ?友達もいなくて貧乏なあんたにわざわざ話しかけてやってんのよ?」
「大丈夫だから」
「…もういい‼︎」
振り下ろされる、腕。
それには、私の水筒が握られていた。
洒落にならない。
咄嗟に身を翻そうとした瞬間、視界の外から誰かが走ってきた。
「裕也…!」
「何で邪魔すんのよ…⁉︎」
「分からないのか?この人殺しが」
「…っ‼︎」
「だ、黙れ…」
そう言って、彼女は舌打ちをしてこの場を離れた。

また、やられてしまった。
彼女は富崎依里。
初めて出会ったころは、特にあんなことをされることはなかった。
しかし、ある時突然、彼女は私にあのような態度を取ってくるようになった。
反抗したい、が、みんな内心怖がっているのだ。
誰もが、ただ見ているだけ。
中には彼女の取り巻きとして振る舞う人もいた。
手を差し伸べてくれる人は、彼を除いて一人もいなかったのだ。
理由も分からない、だからこそ聞いたこともある。
それでも、彼女はうるさいの一点張りだった。

「ごめん、ありがとう」
「いいんだよ、というより…」
「何かあったら、すぐに叫べって言ったのに…」
「まだ、それほどのことじゃないかなって思ってたら、突然」
「…先生に言ったほうがいいんじゃないのか?」
「言ったよ、けど…」

「それぞれの家庭の事情って、何も対応してくれなくてさ」

「…また何かあったら、すぐに呼んで」
「うん」
そうして、そこからは特に何かをされることもなく、一日が過ぎていった。
だから、嫌なんだ。
一日中、何をされるか分からず、怯えていなくてはいけないような、学校なんて。

「ただいま」
そう言って、玄関の扉を開ける。
しかし、立て付けが悪くなっているのか、なかなか扉は開かない。
体重をかけてやっと、その扉は嫌な音を立てながら開いた。
「…ただいま」
しかし、帰ってくる言葉はない。
「はぁ…」
ため息が出る。
どうせ、父はまた工房に籠って作業しているのだろう。
そんなだから、母は死んでしまったんだ。
ずっと心配させられ、風邪でも工房に籠る父の面倒を見た。
昔から体が弱かったのに、毎日のように火薬を吸い続けて…
いつか、私もそうなるのだろうか。

私は、普通というものに憧れていた。
決して、裕福な家庭に生まれたかったわけでも、豪邸に住んで贅沢をしたいわけでもない。
ただ、今の生活が少し変わってくれるだけでいいのだ。
父が私と一緒に食卓を囲み、できれば母も側にいて欲しかった。
それだけ、なんだ。

町では、花火屋はかなり繁盛していると言う。
花火だけでなく、大量の火薬を使ったテレビ番組の演出なども受け持っているからだ。
特に夏には、花火自体の売り上げも上々、と言ったものなのだろう。
しかし、私の家は線香花火屋。
夏に売り上げは伸びるが、線香花火屋なんて他にも沢山ある。
島に一つしかない花火屋に比べれば、お互い競争しなければならないと聞いたこともあった。
なぜ、それなのに父は線香花火を作り続けるのだろう。

そう思っていると、今の自分の境遇が不憫に感じてならない。
いつしか、私は工房の扉を開け、大きな声で叫んでいた。
「何で毎日、こうなのよ⁉︎」
流石の父も、驚いたような顔でこちらを見つめていた。
「毎日毎日、ここに籠りっぱなしで、私にまでずっと心配させるつもり⁉︎」
すると、作業の手を止められたことに腹が立ったのか、父も怒気を孕んだ声で言った。
「急に驚かせてくると思ったら、なんだ⁉︎」
「俺は…お前のためにずっと働いてるんだぞっ⁉︎」
「……っ」
正論だ。
確かに、それは紛れもない事実なんだ。
それでも、私は…
「今、お前が手を止めたせいで、売り物にならないのが山ほどでた‼︎」
「一体何のつもりな…」
「もういい‼︎」
「もう…いいよ…お父さん」
涙が溢れる。
今思えば、何故突然こんなことを叫んだのだろう。
年齢故の思春期というやつなのだろうか。
何にせよ、それでも私はやっぱり…

父にまだ、甘えたいところがあったのかもしれない。

昔から、私の記憶にあるのは母だけだった。
抱きしめてくれたのも、色々な場所に連れて行ってくれたのも、全部母だった。
母が亡くなってから、約6年という、決して短くはない年月が過ぎていた。
その間に私は、大人になっているはずだった。
しかし、今思えばどうだろう?
そんなもの、ただの妄想でしかなかったのかもしれない。
料理を作ることができれば大人。
我慢ができれば大人。
そんな定義も、意味をなさない。

私は、父に何が伝えたかったのだろう。
そんなことを、暗くなった空の下、田んぼの畦道に座り込んだ私は、考え込むのだった。

「大丈夫か?」
「うん、急にごめんね」
「いいんだよ、俺一人だし」
そう言って、私は裕也の家へと足を踏み入れた。
あの後、帰るのが憂鬱だった私を、裕也は家へ誘ってくれたのだ。
「お風呂とか、俺全部済ましたからさ、好きに使っていいよ」
「…ありがとう」
お風呂に入りながら、私はまた考え込んだ。
今までのこと、中には母との記憶まで。
「……ん?」
その時、うっすらと浮かび上がる情景があった。
空が、異様に明るい。
見れば、ないはずの星が空に浮かんでいた。
そして、何故か私も宙を舞っている。
下では、母と…
母と父が、私に向かって微笑みかけていた。

「裕也っ‼︎」
「な、何だ、そんなに慌てて」
「裕也のお姉さん、巫女やってるんだよね?」
「そ、そうだけど…」
「私…見たの」
そうして、私は言葉や絵で、何とかあの情景を裕也に伝えた。
「そんなことが…俺は記憶にないな」
「でも、ただの妄想ではないはずなの!」
「…分かった、聞きに行こう」
「でもまずは、しっかり休もうな」
「…うん!」
その夜は、ただ興奮して眠れなかった。
自分が思い出したあの情景が何なのか、疑問を晴らしたい。
もちろんそれもあった。
ただ、今私が一番知りたいことは…

父が笑顔な理由だった。

翌日。
今日は土曜日ということもあり、お姉さんの巫女の仕事は少ないという。
そのため、時間を作ってくれたとのことだった。
「聞きたいことって、何かな?」
昔、神社に七五三に行ったときにも会ったことがある、星野神奈さん。
相変わらず、長い黒髪が似合う、とても綺麗な女性だった。
「えと…灯火さん?」
「あ、はい!すみません!」
「ふふっ、いいのよ」
「その…昨日思い出した情景なんですけど…」
そう言って、私はまた、あの情景を伝えた。
すると、神奈さんは微笑んでから、口を開いた。
「それは、ここ夜影島特有の現象、星灯祭ですね」
「セ、セイテイサイ?」
「はい、15年に一度行われる、星を灯す祭りで、星灯祭です」
「でも、この島に星なんてどこにも…」
「そうですね、だから…」

私は、家への帰路を辿っていた。
それも、父に謝罪の言葉を口にするため。
そして、日頃の感謝を伝えるため。
私は、今までの考えを全て捨て去った。
だって、夢にも思わなかったから。
まさか、私が星だと思っていたものが…

父の作った線香花火の火種だなんて、思いもしなかったから。

「…ただいま」
玄関の扉を開ける。
そこに、珍しく父の姿があった。
「灯火…⁉︎」
焦りを隠せていない顔を見て、一気に申し訳なさが募ってくる。
「お父さん…ごめんなさい」
怒られると思っていた、しかし、父の口から紡がれた言葉は。
「いいんだ、俺も言い過ぎた…」
「すまなかった」
そんな、謝罪の言葉だった。
「最近は特に忙しくてな…母さんとの約束も、頭から消えてしまっていた」
「お母さんとの…約束?」
「あぁ、約束だ」

「どんなときでも、お前と一緒に過ごす時間を作る、っていうな」

涙が、溢れていた。
どこか、お父さんは私のことが嫌いなのではないか、と思ってしまっていた時があったから。
それも全て、違った。
考えてくれていた、それでも時間が取れないだけだった。
それに、実際父からも謝罪の言葉が紡がれたから。
「お父さん、あのね…」
そうして、私は神奈さんから聞いたことを話した。
「そうか…確かにあの時、灯火はまだ2歳だからな」
「うろ覚えなのも、無理はない」
「あ、そうだ」
そう言って、父はタンスの中を探し始めた。
「お、あったあった」
そうして差し出されたのは、一つのアルバムだった。
その1ページに、その写真があった。
「うわぁ…」
構図は違う、しかしこれは紛れもなく、私が思い出したあの情景だ。
「そうだ…巫女さんは言ってたか?」

「星灯祭の日は、重力が弱くなるんだ」

「そうなんだ…神奈さんは言ってなかったね」
「あ…もしかしたらサプライズってやつだったのかもな、すまん」
「ううん、大丈夫!」
久しぶりに、父とこんなに長く話したかもしれない。
今までの生活を、私は嘘のように感じていた。
「もしかして、だから家の柱が長いの?」
「あぁ、そして何より、重力が弱くなると花火は打ち上げられなくなる」
「勢いよく発射されて、次第に花火は空からも姿を消してしまうんだ」
「だからこそ、俺の線香花火を使うんだ」
「そう…なんだ…」
「よし、そろそろうちも、自転車縛りつけとくぞ」
「え、もうそんな日なの⁉︎」
「毎回決まった日ではないからな、念のためだ」
「よし、手伝うね」

あれから、数日が経過した。
午後6時。
すっかりお祭りの雰囲気に包まれた町には、焼きそばやりんご飴などのお店が並んでいた。
「そろそろかな」
そう、父の顔を見る。
「だと、いいんだけどな」
父のリュックには、大量の線香花火が詰め込まれていた。
この時のために頑張ってきてくれた父のことを、私は心の底から誇りに思う。
「灯火‼︎」
「あ、裕也‼︎」
「お父さん、紹介するね、彼氏の裕也くん!」
「初めまして!」
「…あぁ、灯火をよろしくな」
「えと…そういうのはまだ早いんじゃ…」
そう、みんなで談笑していた時だった。
「お、きたぞ‼︎」
体が、やさしく何かに包み込まれる感覚に襲われる。
まるでテレビで見た月面歩行のように、私の体は軽くなった。
「すごい…ジャンプしてみていい⁉︎」
「いいぞ、ただ、あんまり飛びすぎるなよ」
「灯火、手を」
「…うん」
裕也と手を繋ぐ、そして、その場で思いっきりジャンプした。
「おいおい、大丈夫かー」
「うん、大丈夫ー‼︎」
地上から4メートルほど上空。
そこに、私たちはいた。
「あ、あそこ‼︎」
地上では、小さな子供たちが線香花火を楽しんでいた。
パチパチと弾ける火花は、徐々に勢いを落としていく。
普通、線香花火が終わってしまうのは、どこか虚しい気持ちになる。
ただ、それもこの星灯祭では…

空で輝く一つの星となるのだった。

「星を上から見るって、こんな感じなんだな」
「…だね…綺麗」
ふわふわと地上に舞い降り、私たちも線香花火をしようとした。
その瞬間だった。
「え…?」
体が、引っ張られる。
遥か、上空へ。
「灯火…‼︎」
看板にしがみついた裕也の手を掴む。
見れば、島の住人全員が、地上で逆立ちするような格好になっていた。
「こんなものなの…重力が弱くなるって…」
「いや…今回は何かがおかしい、今までこんなことはなかった」
「でも、私たちにどうにかできることなの⁉︎」
「灯火…あれ‼︎」
裕也が指差した方向へ目をやる。
そこには、縛りつけていたはずの自転車が、上空へと吸い込まれていく光景があった。
「嘘…私たちもあんな風に…⁉︎」
「灯火、俺の姉ちゃんのところへ行こう、何か分かるかもしれない」
「でも…どこにいるの…?」
「場所は分かる…神影山、その山頂だ」
「確か、神様に供物を捧げることで、重力が弱くなっているって言ってた」
「…本当に行くのなら、これを使え」
父から差し出されたのは、配達用の三輪バイクと、スパイアニメで見たことのあるロープ射出機だった。
「バイクは中に大量の重りを入れてある、ある程度は大丈夫なはずだ」
「もし浮きそうになったら、この装置でフックを出して踏み止まるんだ」
「…絶対に、無事に戻ってくるんだぞ」
「…分かった‼︎」

そうして、私たちは出発した。
途中、整備されていない道を通る時に、窪みに嵌り宙に投げ出されそうになった。
それでも、裕也の咄嗟の行動で、何とか上空へ吸い込まれずに済んだ。
「なぁ灯火、あれって…」
木の枝に、誰かが捕まっている。
その人物は今にも手を離してしまいそうで、必死に助けを求め叫んでいた。
「行ってくる」
「え、おい、危ないぞ⁉︎」
フックを木にかけ、ロープを登る。
「…あなたは」
泣いていた少女は、富崎依里だった。
「お願い…助けて…」
正直、今まで彼女にされてきたことは、許すつもりはない。
しかし、だからといってここで見捨てるのも、私の良心が許さなかった。
「捕まってて」
そうして私の体をしっかりと抱きしめた彼女と共に、私はバイクへと戻った。
「…お前、灯火に感謝するんだぞ」
そう、諭すような口調で裕也が言う。
「うん…ありがとう」
「そして…今まで本当にごめんなさい」
彼女の口から、そんな言葉が紡がれる。
「…いいよ、ただ、これからはやめてね」
「…うん」
そして、私と裕也はまた、神影山への道を進もうとする。
すると、依里の口が開いた。
「私も、連れて行って」
裕也と目を合わせる。
そして、少し沈黙が漂った後だった。
「いいよ、行こう」
そう、二人の言葉が重なるのだった。

「ここが…神影山」
「なんだか、ここはあまり体が引っ張られないな」
「…確かに、体が少し重いね」
「あ…横山さん、そこに洞窟みたいなのがあるよ」
「本当だ、しかも明るいね」
「壁にランタンがかかってるな、もしかしたら、山頂に繋がる道かもしれない」
バイクを降り、浮きそうになる体を抑えながら、私たちは何とか洞窟の中に入ることができた。

「うわっ…⁉︎」
「え、裕也⁉︎」
突然、裕也が何かに引っ張られるように宙を舞い、視界から消えた。
「こっちにきちゃダメだ、重力の方向がおかしくなってる」
「だからって…目に見えないから分からないよ⁉︎」
「横山さん、足元の石を投げてみたら?その石の飛んで行った方向が、重力の方向って分かると思うよ」
「…分かった」
手頃な大きさの石を拾う。
そして、それを目の前の虚空に向けて投げた。
重力に沿って落ちていく石、しかし、急にその軌道が変わった。
「ここは危ない、遠回りしていくね」
「分かった、こっちも何とか進めそうだ」
「後で、また落ち合おう‼︎」
そうして、私と依里は裕也と別れ、洞窟の中を進み続けた。
ある時は、石を投げたにも関わらず、おかしな重力に捕まり、壁を走ることを余儀なくされた。
方向感覚がなくなり、自分たちがどこにいるのか分からなくなる。
それでも、島の人々のために、何か有益な情報が欲しい。
その一心で、私たちは進み続けた。
本当に、あの山の中に広がる空間なのか分からなくなるほど、洞窟は広く複雑だった。
「う、嘘…」
そして私は、とある部屋のような場所に閉じ込められていた。
入ってきた穴から出ようとするが、反対向きの重力に押し返され、出ることができない。
まるで、重力の見えない壁がそこにあるようだった。
「もしかして…閉じ込められた⁉︎」
重力なんて、抗いようがない。
一生、この場所から出ることはできないのだろうか。
「横山さん、大丈夫⁉︎」
そう、向こうから依里の声が聞こえてくる。
「いや…出られなくなっちゃった」
携帯の電波は、圏外で繋がらない。
諦めかけた、その時だった。
「今、助けに行くね」
「…依里⁉︎」
「危ない、もしかしたら依里も閉じ込められるかも知れないよ?」
「大丈夫、私が近くの岩にフックをかけて、重力のかかっている方向を垂直に走り抜ける」
「横山さんはできるだけ重力の壁から手を伸ばして」
「本当に…大丈夫なの?」
「うん、任せて」

「絶対に、横山さんを助けるから」

依里が壁を走りだす。
徐々に、私たちの距離が近づいていく。
「今だよ‼︎」
手を掴む。
体を押さえつけられるような感覚に少し襲われた後、一気に体が軽くなった。
「だ…脱出成功…だね」
「…ありがとう」
嗚咽を漏らしながら、私はひたすら感謝の言葉を紡ぎ続ける。
「…もう、大丈夫だよ」

「あのね」
ふと、依里が口を開いた。
「私の家、全然裕福でも何でもないの」
「…え」
「うちの家は代々花火屋でね、正直、夏にしか儲からないの」
「でも、花火屋の方が儲かるって、うちのお父さんが…」
「それはこの国の本島の話、こんな小さな島だったら、撮る番組も少ないし、演出に呼ばれることも少ないらしいよ」
「そう…なんだ」
「今まで、うちのお父さんも愛想悪くて、嫌気がさしてて」
「それでストレス溜まって、ずっと横山さんに八つ当たりしてた、本当にごめんなさい」
「私と、同じだね」
「え…?」
「線香花火屋で、儲からなくて、お父さんの愛想も悪くて」
「同じ花火屋ってだけで、ここまで似ることもあるんだね」
「………」
「私さ、この星灯祭を見て思ったんだけど」
「やっぱり、儲かるとか儲からないとか、裕福だとかそうじゃないとか、あんまり関係ないよ」
「そう…なのかな」
「そうだよ、花火であれ線香花火であれ、綺麗で思い出に残るものを、私たちのお父さんは作ってくれてる」
「それだけで、島のみんなが笑顔になるのなら、いいんじゃない」
「…でも、お父さんの愛想はどうにかして欲しいけど」
そう、微笑を浮かべながら依里は呟く。
「それは…そうだね」
「あ、そうだ」
「私のこと、灯火でいいよ」
「…分かった、これから、改めてよろしくね」
「あ、二人ともこんなとこにいたのか…」
「裕也、よかった無事だったんだね」
「あぁ、もうかなり昇ってきたからな、頂上は近いぞ」
「よし、行こう依里」
「うん、灯火」

あれから、私たちはかなりの距離を歩いていた。
そして、ついに。
「頂上…だ」
町の景色が見渡せる。
ただ、今はそんな状況ではない。
「神奈さん‼︎」
「姉ちゃん‼︎」
彼女の名前を、叫び続ける。
しかし、一向に返事はない。
それどころか、何の物音も聞こえてこなかった。
「あ、あっち、何かあるよ」
「本当……え?」
目の前に広がる光景を、一瞬疑った。
「大丈夫かよ、姉ちゃん⁉︎」
祭壇の前で、神奈さんを含めた巫女全員が気を失っていた。
一体、ここで何があったのだろうか。
「神…暴走……鎮力石…必要…」
「鎮力石…って何?」
「一度姉ちゃんが言ってたことがある、蒼い水晶みたいな、丸い石だって」
「もう一度、探しにあの場所へ行かないとダメなんだね?」
「…覚悟を決めよう」
そうして、私たちは再び洞窟へと戻った。
今度は、行ったことのない道を進んで行く。
その先に、目的の石があった。
「あった…けど…」
手が、届かない。
石の置かれている場所と、今私たちがいる場所には、幅10メートル程の崖がある。
渡ることはもちろん、飛び越えるなんて以ての外だ。
「俺が行く」
「待って、絶対に落ちるよ‼︎」
「だからって、取りに行く方法は他にないじゃないか」
「………」
「みんな、もうじき耐えられなくなるかもしれない、耐えられなくなって、上空へ吸い込まれるかもしれない」
「だからって、裕也が犠牲になるのを見とけっていうの⁉︎」
「………」
「だったら、どうしたらいい」
「繋ぎ合わせてみよう、三人のロープを」
「そうだよ、依里の言う通り!」
「…だめだ、長さが足りたとしても、引っ掛ける場所がない」
「………」
「やっぱり、飛んでみよう」
「だめ、それが一番だめ‼︎」
「…どうしればいいんだよ、俺たちは」
「あ、もしかしたら透明な橋があるのかも」
そう言って、依里は足元の砂を拾い、目の前に投げる。
しかし、砂は暗闇へと消えていくのだった。
「あぁ、もう‼︎」
裕也が、近くに落ちていた石を投げつける。
その瞬間だった。
「……え」
石が、浮いている。
よく見れば、投げた砂も石と同じ高さの場所に浮いていた。
「これ…もしかして」
全員で、手を繋ぐ。
そして、一気に崖へと飛び込んだ。
「…ははっ」
私たちは、浮かんでいた。
重力に、支えられて。
無事、鎮力石を手に入れた私たちは、神奈さんの元へ戻るのだった。

「ありがとう…ございます」
「では…私もそろそろ本気を出さないといけないみたいですね」
鎮力石を祭壇に祀る。
そして、神奈さんと巫女は、舞い始めた。
段々と、体が重くなっていく。
どうやら、元の重力の強さに戻ったようだ。
「これでみんなも…助かるんだね」
「…あぁ」

町に戻ると、みんなが拍手で出迎えてくれた。
「本当に、よく頑張ってくれた」
そんな父の言葉に、思わず笑みが溢れる。
「依里…無事だったんだな」
「うん、二人が助けてくれたから」
隣では、依里が家族と再会していた。
二人が何かを話し終えた後、依里の父親がこちらに近づいてきた。
「君は…横山さんの娘さんか」
「初めまして、灯火です」
「初めまして、富崎輝牙だ」

軽い自己紹介を終え父の元へ戻ると、思い出したかのように父は言った。
「そうだ、実はな灯火…」

父から手渡された、特製の線香花火。
「いくよ」
その言葉で、私と裕也、そして依里は、火を灯す。
かなりの大きさがある線香花火が、火花を飛ばす。
飛ばされた火花も、ゆっくりと宙を舞っていく。
やがて、火花の勢いが落ち、火種が空へと昇っていく。

夜空で、一番星が輝いた瞬間だった。

「すごいだろ、富崎さんと作った特製の花火は」
「…うん…綺麗」

星が灯ることのない夜影島。
星灯祭の今日、島の上空には。

数え切れないほどの星々が、輝いている。
その中で、最も大きく、明るく輝く星がある。

それを見上げながら、私たちは今日の冒険を、思い出の1ページに刻むのだった。
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