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八章 アルディアに吹く風
868.止まった風と白い猫
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城門をくぐった瞬間、外の空気とは質の違う静けさが私たちを包んだ。
城内の通路は広く、石畳も丁寧に整えられている。壁際には風を象った装飾が施され、少なくともかつては、この城が“風の国”のシンボルとして誇り高く在ったことを、無言のまま語っていた。
だが、その通路に立つ兵士たちの表情は、どこか張り詰め、疲労の色を隠せずにいる。
「――来訪者、通過されます」
低い号令がかかると、通路の両脇に並んでいた兵士たちが、一斉に姿勢を正した。
金属が擦れる音が揃い、槍の石突きが床に軽く触れる。整然とした動きだったが、その奥には必死に秩序を保とうとする緊張が滲んでいた。
私たちが歩き出すと、兵士の何人かが視線を向ける。
それは、好奇心や警戒心によるものではない――期待と、不安だ。
「・・・本当に、大魔女様だ」
誰かが、思わず漏らしたような声が聞こえた。
そんな母は、足取りを乱さず進みながら、軽く周囲を見渡した。兵士一人一人の顔を確かめるように、その視線は落ち着いている。
「皆、よく持ちこたえているわね」
その言葉は、叱咤でも慰めでもなかった。
ただ、事実を認める声だった。
兵士の一人が思わず喉を鳴らし、深く頭を下げる。
「・・・恐れ入ります。エスリィ様亡き後、我々だけでは・・・」
言葉が続かず、兵士は唇を噛んだ。
「責任を背負っているのは、あなたたちだけじゃないわ」
母は立ち止まり、静かに言った。
「国というものは、一人で立つものではない。今は、大きく揺れているだけ」
その場にいた兵士たちの肩から、ほんのわずかだが、力が抜けたのが分かった。
彼らは、叱られることを覚悟していたのかもしれない。だが、向けられたのは理解と認識だった。
「これより先、城の中枢へご案内いたします」
別の兵士が前に出て、深く一礼する。
「現在、城内は通常体制ではありませんが・・・」
「構わないわ。事情は聞いてるから」
母は即座に答えた。
私たちは兵士に導かれ、城の奥へと進んでいく。高い天井、長く伸びる回廊、風を象ったステンドグラス──どれも美しく、そしてどこか、主を失った空虚さを帯びていた。
その中で、兵士たちは必死に背筋を伸ばし、槍を握り、私たちを迎えている。
それは儀礼というより、「国がまだ折れていない」ことを示す、最後の矜持のように見えた。
私はその背中を見ながら、胸の奥が静かに熱を帯びていくのを感じていた。
「エスリィは、数日前に亡くなったそうね?」
「はい・・・5日前に。病死でした。4年ほど前から、侵されていた病で」
「4年前・・・もう、あの人ったら」
母は、エスリィも他の大魔女と同様に連絡を時々取っており、娘が生まれた、夫が亡くなったといった話は聞いていたが、病に侵されているとは聞いていなかった。
ただ、エスリィは自分にも他人にも厳しい性格だったし、自分が病気だと話せば母が心配すると考え、敢えて言わなかったのだろう、と予想した。
すると、兵士が「その通りです」と答えた。
「エスリィ様は、ご自身が病気であることを長らく秘密にしておられました。我々も、知ったのは去年のことです」
とはいえ、本当に誰にも言っていなかったわけではなかった。
エスリィが唯一、病のことを早々に打ち明けていたのが、娘のミディ。
当時10歳だったミディは、幼いながらも確かに母の血を引いており、優れた魔法の才能と国を統治する力を持っていた。
それもあってか、母が病に侵されていることを聞いても、動じることなく受け入れた。
「しかし、そのミディ様も半年ほど前から行方不明でして・・・そのことが、エスリィ様には毒だったのかもしれません」
その時、突然妙な甲高い声がした。
それは、明らかに人のものではなかった。
「あ、猫ちゃんだ!」
ノエルの視線の先には、全身が真っ白い毛に覆われた緑目の猫がいた。
こちらを見てにゃーんと一声鳴き、勢いよく走ってきた。
「あら、かわいい子」
母は、その猫を笑顔で撫でた。
すると、猫は母の指をペロペロ舐め、まるでえさを欲しがるようににゃーにゃー鳴いた。
「この猫は?」
「2日前、エスリィ様の葬儀が終わって間もなくして城に入ってきたのです。どことなく不思議な雰囲気の猫でしたので、みなエスリィ様ではないかと・・・」
「なるほど、ね」
そう言われてみれば、確かに不思議な雰囲気の猫だ。
毛並みは美しく整っており、野良猫だった割には痩せてもいない。
「しかし、5日前か・・・もう少し早く来ていれば、彼女の最期に間に合ったのに。残念だわ」
母は、寂しげに言った。
「でも、その代わりにこの猫が来た・・・なら、きっとこの子はエスリィの生まれ変わりね」
そう話す母の前で、白い猫は前足と両足を体の下にしまって座り、母を見た。
その目は、どこか悲しげに見えた。
城内の通路は広く、石畳も丁寧に整えられている。壁際には風を象った装飾が施され、少なくともかつては、この城が“風の国”のシンボルとして誇り高く在ったことを、無言のまま語っていた。
だが、その通路に立つ兵士たちの表情は、どこか張り詰め、疲労の色を隠せずにいる。
「――来訪者、通過されます」
低い号令がかかると、通路の両脇に並んでいた兵士たちが、一斉に姿勢を正した。
金属が擦れる音が揃い、槍の石突きが床に軽く触れる。整然とした動きだったが、その奥には必死に秩序を保とうとする緊張が滲んでいた。
私たちが歩き出すと、兵士の何人かが視線を向ける。
それは、好奇心や警戒心によるものではない――期待と、不安だ。
「・・・本当に、大魔女様だ」
誰かが、思わず漏らしたような声が聞こえた。
そんな母は、足取りを乱さず進みながら、軽く周囲を見渡した。兵士一人一人の顔を確かめるように、その視線は落ち着いている。
「皆、よく持ちこたえているわね」
その言葉は、叱咤でも慰めでもなかった。
ただ、事実を認める声だった。
兵士の一人が思わず喉を鳴らし、深く頭を下げる。
「・・・恐れ入ります。エスリィ様亡き後、我々だけでは・・・」
言葉が続かず、兵士は唇を噛んだ。
「責任を背負っているのは、あなたたちだけじゃないわ」
母は立ち止まり、静かに言った。
「国というものは、一人で立つものではない。今は、大きく揺れているだけ」
その場にいた兵士たちの肩から、ほんのわずかだが、力が抜けたのが分かった。
彼らは、叱られることを覚悟していたのかもしれない。だが、向けられたのは理解と認識だった。
「これより先、城の中枢へご案内いたします」
別の兵士が前に出て、深く一礼する。
「現在、城内は通常体制ではありませんが・・・」
「構わないわ。事情は聞いてるから」
母は即座に答えた。
私たちは兵士に導かれ、城の奥へと進んでいく。高い天井、長く伸びる回廊、風を象ったステンドグラス──どれも美しく、そしてどこか、主を失った空虚さを帯びていた。
その中で、兵士たちは必死に背筋を伸ばし、槍を握り、私たちを迎えている。
それは儀礼というより、「国がまだ折れていない」ことを示す、最後の矜持のように見えた。
私はその背中を見ながら、胸の奥が静かに熱を帯びていくのを感じていた。
「エスリィは、数日前に亡くなったそうね?」
「はい・・・5日前に。病死でした。4年ほど前から、侵されていた病で」
「4年前・・・もう、あの人ったら」
母は、エスリィも他の大魔女と同様に連絡を時々取っており、娘が生まれた、夫が亡くなったといった話は聞いていたが、病に侵されているとは聞いていなかった。
ただ、エスリィは自分にも他人にも厳しい性格だったし、自分が病気だと話せば母が心配すると考え、敢えて言わなかったのだろう、と予想した。
すると、兵士が「その通りです」と答えた。
「エスリィ様は、ご自身が病気であることを長らく秘密にしておられました。我々も、知ったのは去年のことです」
とはいえ、本当に誰にも言っていなかったわけではなかった。
エスリィが唯一、病のことを早々に打ち明けていたのが、娘のミディ。
当時10歳だったミディは、幼いながらも確かに母の血を引いており、優れた魔法の才能と国を統治する力を持っていた。
それもあってか、母が病に侵されていることを聞いても、動じることなく受け入れた。
「しかし、そのミディ様も半年ほど前から行方不明でして・・・そのことが、エスリィ様には毒だったのかもしれません」
その時、突然妙な甲高い声がした。
それは、明らかに人のものではなかった。
「あ、猫ちゃんだ!」
ノエルの視線の先には、全身が真っ白い毛に覆われた緑目の猫がいた。
こちらを見てにゃーんと一声鳴き、勢いよく走ってきた。
「あら、かわいい子」
母は、その猫を笑顔で撫でた。
すると、猫は母の指をペロペロ舐め、まるでえさを欲しがるようににゃーにゃー鳴いた。
「この猫は?」
「2日前、エスリィ様の葬儀が終わって間もなくして城に入ってきたのです。どことなく不思議な雰囲気の猫でしたので、みなエスリィ様ではないかと・・・」
「なるほど、ね」
そう言われてみれば、確かに不思議な雰囲気の猫だ。
毛並みは美しく整っており、野良猫だった割には痩せてもいない。
「しかし、5日前か・・・もう少し早く来ていれば、彼女の最期に間に合ったのに。残念だわ」
母は、寂しげに言った。
「でも、その代わりにこの猫が来た・・・なら、きっとこの子はエスリィの生まれ変わりね」
そう話す母の前で、白い猫は前足と両足を体の下にしまって座り、母を見た。
その目は、どこか悲しげに見えた。
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