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四章 ミフィアの青と水音
259.静かなる出陣
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夜も更けてきた。
宿屋はいよいよ賑わい始め、エントランスはさながら酒場のような雰囲気になってきた。
私は部屋を出てすぐの廊下に立っていたが、ふと隣の部屋に目を向けた。
そこは、母とシェルとミラ女王が使っている部屋だ。
扉は半ば開いていて、そこから微かに魔力の気配が漏れてくる。
気になって、そっと覗いてみると──部屋の中央に、母がいた。
シェルと女王は、席を外していた。
どこにいったのかわからないが、おそらく見回りか、二人での打ち合わせか──どちらにせよ、今は問いただす気にはなれなかった。
母はというと、古びた木の椅子に腰かけ、一本の杖を手にしている。
私のリーヴァより少し長めの、見慣れた黒銀の杖。神魔戦役の時から使っているという、母愛用の一本だ。
だが、今その表面には赤い魔紋が淡く浮かび上がり、まるで心臓の鼓動のように脈打っている。
それが他の似た杖との違いであり、母が「炎の大魔女」であることを示す証でもある。
母は静かに、布で杖を磨いていた。
その手つきは、私より遥かに落ち着いていて──それでいて、普段とは違うほど慎重で、どこか、決意のようなものを帯びていた。
そして、その傍らの机には一冊の本が置かれていた。
おそらく魔導書・・・なのだろうが、その古びた青色の皮表紙には、今まで一度も見たことのない、奇妙な紋章が刻まれていた。
(もしかしてあれ・・・母さんの専属魔導書?)
私は思わず、息を呑んだ。
母は、一度も私に自分の専属魔導書を見せてくれたことがない。
その名前すら、私は知らない。
炎の大魔女としての母は、正直私からすると遠い存在だったはずなのに──今、その背中はとても近く、けれどどこか、決して越えられない壁のように感じた。
母は私の視線に気づいたのか、ふっと目を上げた。
「あら、アリア。・・・どうかした?」
声は、いつもと変わらぬ柔らかさだった。
私は、慌てて首を振る。
「ううん。・・・ちょっと」
母は微笑んで、そっと魔導書の表紙に手を置いた。
「昔からね──本当に危険な時だけ、これを開くって決めてるの」
それ以上、母は何も言わなかった。
私は頷き、そっと扉を閉めた。
母は、母なりの覚悟を決めている。
私も、私のすべきことをせねばならない。
そう思い直し、自室へと戻った。
夜が深まり、宿の中も次第に静けさを取り戻し始めた頃──
私たちは、一階の裏口に集まっていた。
「皆さん、準備はよろしいですね?」
女王が、低く声をかける。
その声は、威厳ある女王のものではなく、まるで戦場に向かう仲間へ向けた呼びかけのようだった。
「問題ないわ」
シェルが短く答える。
腰には剣を、背には細身の杖を背負っている。
「私も、大丈夫です」
ノエルが頷く。
彼女もまた、杖と短剣を装備していた。
「・・・はい」
サラも、小さな声で返事をする。
その手には、彼女にしては珍しく魔導具が握られていた。
おそらくは、防御用の結界符だろう。
母は何も言わず、私たちの後ろに立ち、静かに杖を握っている。
その表情には、どこか淡々とした冷静さと、芯に燃えるような気迫が宿っていた。
そして──私も、リーヴァをしっかりと手にし、剣を腰に下げる。
「・・・では、行きましょう」
女王が静かに告げた。
私たちは、一言も発さず、裏口を開けて夜の町へと足を踏み出した。
月は雲に隠れ、通りは深い闇に沈んでいる。
けれど、私たちの足取りは迷いがなかった。
これが、この町を守るための戦いの始まり──
私は、そう強く心に刻みながら、歩みを進めた。
宿屋はいよいよ賑わい始め、エントランスはさながら酒場のような雰囲気になってきた。
私は部屋を出てすぐの廊下に立っていたが、ふと隣の部屋に目を向けた。
そこは、母とシェルとミラ女王が使っている部屋だ。
扉は半ば開いていて、そこから微かに魔力の気配が漏れてくる。
気になって、そっと覗いてみると──部屋の中央に、母がいた。
シェルと女王は、席を外していた。
どこにいったのかわからないが、おそらく見回りか、二人での打ち合わせか──どちらにせよ、今は問いただす気にはなれなかった。
母はというと、古びた木の椅子に腰かけ、一本の杖を手にしている。
私のリーヴァより少し長めの、見慣れた黒銀の杖。神魔戦役の時から使っているという、母愛用の一本だ。
だが、今その表面には赤い魔紋が淡く浮かび上がり、まるで心臓の鼓動のように脈打っている。
それが他の似た杖との違いであり、母が「炎の大魔女」であることを示す証でもある。
母は静かに、布で杖を磨いていた。
その手つきは、私より遥かに落ち着いていて──それでいて、普段とは違うほど慎重で、どこか、決意のようなものを帯びていた。
そして、その傍らの机には一冊の本が置かれていた。
おそらく魔導書・・・なのだろうが、その古びた青色の皮表紙には、今まで一度も見たことのない、奇妙な紋章が刻まれていた。
(もしかしてあれ・・・母さんの専属魔導書?)
私は思わず、息を呑んだ。
母は、一度も私に自分の専属魔導書を見せてくれたことがない。
その名前すら、私は知らない。
炎の大魔女としての母は、正直私からすると遠い存在だったはずなのに──今、その背中はとても近く、けれどどこか、決して越えられない壁のように感じた。
母は私の視線に気づいたのか、ふっと目を上げた。
「あら、アリア。・・・どうかした?」
声は、いつもと変わらぬ柔らかさだった。
私は、慌てて首を振る。
「ううん。・・・ちょっと」
母は微笑んで、そっと魔導書の表紙に手を置いた。
「昔からね──本当に危険な時だけ、これを開くって決めてるの」
それ以上、母は何も言わなかった。
私は頷き、そっと扉を閉めた。
母は、母なりの覚悟を決めている。
私も、私のすべきことをせねばならない。
そう思い直し、自室へと戻った。
夜が深まり、宿の中も次第に静けさを取り戻し始めた頃──
私たちは、一階の裏口に集まっていた。
「皆さん、準備はよろしいですね?」
女王が、低く声をかける。
その声は、威厳ある女王のものではなく、まるで戦場に向かう仲間へ向けた呼びかけのようだった。
「問題ないわ」
シェルが短く答える。
腰には剣を、背には細身の杖を背負っている。
「私も、大丈夫です」
ノエルが頷く。
彼女もまた、杖と短剣を装備していた。
「・・・はい」
サラも、小さな声で返事をする。
その手には、彼女にしては珍しく魔導具が握られていた。
おそらくは、防御用の結界符だろう。
母は何も言わず、私たちの後ろに立ち、静かに杖を握っている。
その表情には、どこか淡々とした冷静さと、芯に燃えるような気迫が宿っていた。
そして──私も、リーヴァをしっかりと手にし、剣を腰に下げる。
「・・・では、行きましょう」
女王が静かに告げた。
私たちは、一言も発さず、裏口を開けて夜の町へと足を踏み出した。
月は雲に隠れ、通りは深い闇に沈んでいる。
けれど、私たちの足取りは迷いがなかった。
これが、この町を守るための戦いの始まり──
私は、そう強く心に刻みながら、歩みを進めた。
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