雪と聖火

波津井

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第15話 転げ落ちた石ころ

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「アゼク・シャルヤン……今日も病欠か。引き続き体調管理には気を付けろ、怪我もな」

 以前声をかけてくれた、エリシアと近い席の男子生徒は連日病欠だ。呪い騒動による精神的なものか、ベルダートの仕業かは謎だ。休んでいる生徒は他にもいる。

 だが図書室で現行犯が捕まった話は知れ渡り、似た手口の悪戯は減るはず。教科書の管理にもびくびくしていた生徒は、だいぶホッとした様子だった。

 ニーナはまだ抜かりなく傷薬などを持って来ているが。エリシアは体育の授業後お世話になったりする。
 鞄には真新しい紐のチャームが揺れ、すっかり日常に戻った心地だ。

「ベルダート様」

「来たか」

 落ち合う場所と決めていた屋上で、三人は再会する。ベルダートはなんとも機嫌良さそうな顔。ストレスが解消されたらしい。どんな解消法かは聞けてないけれど。

「抵抗や言い訳も尽きるまで、三日三晩かけたのだよ。四日目には心が折れたようだった。とりあえず今晩、最後の追い打ちをかけるとしよう」

「徹底的にへし折っておいて! 百年先まで語り継がれるように!」

「うむ」

 煽るニーナに首肯して、ベルダートは一枚の紙切れを手元に出した。ずいとニーナの鼻先に突き付ける。エリシアはなんとなくピンと来た。きっと契約書だ。

「誠意を見せて貰おうか小娘。私への償いに、この条件を呑むことだ」

「……荷運び労働、女性と児童診察時の助手、手続き代行、雑用各種……?」

「破格の待遇であろう、これっぽっちで済むことを感謝するのだよ」

「ぐっ……簡単そうでいて諸々絶妙に面倒臭いのが混ざってる……! やるけどね! 温情ありがとうございますぅ!」

「よい心がけなのだよ」

 わなわなしつつも、ニーナはサインしろと求められるがまま素直に記名した。
 ベルダートが人間社会で必要に迫られる諸般の手続きは、いずれニーナも人生で必要になり得る。将来の予習と思い、勉強しようと決めた。

 サインした契約書をベルダートが受け取ると、ニーナのチャームに使われる水晶が煌めく。見れば雪の結晶……六花の紋章が宿っているではないか。

「必要あらば呼び出す。その報せになる、肌身離さず持っているがいい」

「他人に見られたら異端者扱いされるじゃない!? 私……もしかして使い魔にされたんじゃ……!」

「使い魔? 成程、一理ある。では我が使い魔として精進するのだぞ小娘」

「あああああああぁぁ……」

 主人公を離脱した先が、ラスボスの手下だなんて微塵も思っていなかった。ああ無情。
 膝から崩れ落ちたニーナに、エリシアはおろおろと慰めを口にする。

「私も手伝うわニーナ、泣かないで」

「エリシアあああ……っ」

 ベルダートは実に愉快そうににんまりと笑った。


***

 屋上でベルダートと別れ、昇降口へ向かう階段の途中、エリシアは巡回中の監督生達に声をかけられた。

「あらイースさん、先生が呼んでらしたそうよ。職員室へ行った方がいいと思うわ」

「そうだったんですね、ありがとうございます」

「御機嫌よう」

 図書室の話を聞いて安心したか、見回る生徒達も一時期の棘々しさが抜けている。噂が終息すれば、行事を楽しむゆとりも持てよう。二人の学院生活はまだ序盤もいい所だ。

「ニーナ、先に帰っていて」

「一緒に行くよ」

「大丈夫、長い話かもしれないし。危険もそうないと思うわ」

「確かに……じゃあ私はここで。また明日ねエリシア」

 何せ犯人はベルダートが私的制裁を加え戦意喪失、校舎内は見回りが続いている。
 階段で別れてエリシアは一人職員室を目指そうと──した。少しして階下に走る足音。ニーナの驚く声。

「え?」

 鞄を取り落としたであろう物音。床に叩き付けられチャームの石が軽い音を弾けさせる。エリシアは無思考で引き返した。嫌な予感よりも早く、答えを出していたから。

「……いった……っ!?」

 荒げた息遣いと苦悶の呻き、エリシアは見た。ニーナの捕まえた男子生徒が、ナイフを振り回すのを。ニーナは腕を押さえている。

「なんで俺だけ犯罪者扱いされなきゃならないんだよ! 俺に寄越した奴は見付かってもないのに、俺だけ! ふざけんなよ!」

「ニーナ!」

 エリシアは咄嗟に階下へ鞄を投げ付けた。それは当たらずとも牽制を果たす。男子生徒が怯んだ目を向けた隙に、ニーナも上へ逃げる。

「逃げて!」

 ニーナがエリシアにそう叫び、エリシアもまたニーナにそう叫んだ。

「お前のせいで……! 死ねよあばずれ!」

 鞄を手放し二人は無手。刃物を持って気が強くなっている少年は後を追いかけて来た。

 エリシアがそれを迎え討つ。残念ながら武術の心得はない、ただ愚直に走って飛び付いたのだ。勢いと自重を武器に、二人で塊になって転げ落ちる。

 視界が回る──揉みくちゃになり全身を強打し続け、それでもエリシアは最後まで少年を離さなかった。絶対に友達に近付けさせない為に。

「エリシア!」

 ニーナの声が谺した。折り重なって止まった二人に駆け寄り、ニーナが叫ぶ。

「エリシア、返事して! エリシア!」

「だ、大丈夫……」

 エリシアがよろよろと上体を起こす。一見して無傷。痛みで呻く少年と対照的だ。武術の心得はないが、エリシアには保険があった。

 かつてベルダートに貰ったペンダントだ。一度だけ守ってくれる魔法を信じていた。引っ張り出すと水晶は無惨に罅割れ、役目を果たした破片が落ちる。

「えへへ、昔ベルダート様がね」

 愕然とするニーナの思考停止と、上手く行って安堵したエリシアの油断を突き、少年がエリシアの脇腹を刺した。朦朧としたまま狙える大きな的──胴体を。

「っ……あ……?」

 ぐっさりと刃が柔らかい肉を貫く。はは、と嘲る声が微かに漏れ聞こえた。

「ははっ……はっ……ざま、みろ……っ」

「ぐ……っ」

「嘘よ……エリシア!」

 刃物が抜けて行く感触、ひやりと空気が体内に入り込む実感。寸の間を置き、それ以上の熱が吐き出される。傷口を庇い折れた身体、みるみる制服が赤に染まった。

 どれ程の失血か分からない、エリシアは激痛を噛み殺す。道連れにしてやったと、優越感にすら浸りながら少年は気絶した。

 血液が抜けて行くごとにエリシアの意識は現実から引き剥がされて行く。悲痛な叫びが絶え間ない。死なないで、絶対に助かるから、そんな言葉だったと思う。

 ──泣かないでニーナ……無事で良かった……

「ぇる、だ…………ぁ」

 ──お母様、お父様ありがとう……ああ、誰も……ニーナを責めないでね……

 エリシアが最後に思ったのは友達のこと。なんだか酷く寒い、あの紅茶が恋しかった。凍える寒さに包まれて、エリシアの命は零れ落ちて行く。





***

 そこには白き火が灯る。神々しいような、禍々しいような白い揺らめき。或いは無で、ただ心象が聖と魔を分け隔てるのか。

 夢現、人間風情にはとても理解が及ばない生死の境で、エリシアは声を聞く。

「悪魔に魂を売る覚悟は?」

 そう訊かれる。昔似たようなことを言われたが、いつだったろう──
 自我も思考も薄ぼんやりしたまま、エリシアは声の主に返事をした。
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