103 / 111
第103話 悲しい過去
しおりを挟む
クロに連れられて歩くこと約1時間。
次第に、とても大きく、荒い息遣いが聞こえ始めた。
――間違いない。これはケルベロスだ。
だって、チビクロたちが異常なほど警戒し、ぐるぐると周囲を回っている。
まだ距離があるはずなのに、こんなにはっきり息遣いが聞こえるものなの?
それに、さっきからやたらと血生臭い。
辺りには肉片と思しきものや、瀕死の状態の魔物が転がっている。
これで「ケルベロスはいない」なんて、そんなの嘘だろう――
そうとしか思えなかった。
【警告します。近くにケルベロスが潜伏しています。
濃い霧を纏っているため、暗がりではさらに視認しづらくなっています。
十分に注意してください】
「エマ……怖い情報、ありがとう……」
【ご武運を……】
「怖い! そういうの怖い!!」
恐怖におびえる俺に対し、エマは皆へ警告を発した。
そして「ご武運を」なんて、やけに日本らしい言葉を添えてくれたものだから、余計に恐怖が増してしまう。
気配感知をしようにも、怖さで集中できない。
見つけたくない気持ちが強すぎて、完全にパニック状態だった。
ロウキたちはエマの警告を受け、さらに周囲を警戒しながらケルベロスを追っていく。
――その時。
「ガルルル……」
「ひっ!」
耳を突き破るような低いうなり声が、霧の奥から響いた瞬間。
それは起こった。
情けない俺の悲鳴が喉に張り付いた直後、目の前の濃霧が暴力的に引き裂かれる。
霧の向こうから、巨大な黒い影が凄まじい速度で突進してくるのが分かった。
「ででで、出たーーー!」
白い牙を剥き出しにした、三つの巨大な頭部。
血のように赤く光る瞳。
間違いない――ケルベロスだ。
「主! 伏せて!」
「ちゃんと護られておれ!」
「ひゃいっ!」
ロウキとクロの叫びと同時に、ミルが俺の前へ飛び出した。
俺はパニックで動けなかったが、仲間たちは一瞬で俺を囲ってくれる。
「グルルアアアア!」
囲いが完成した瞬間、ケルベロスの咆哮が体の奥まで響き渡り、震えが止まらなくなった。
今まで魔獣を怖いと思ったことはあったけど……ここまでの恐怖は初めてだ。
――無理だ、これ。
そう思って縮こまった瞬間、鋭い爪がこちらへ振り下ろされた。
だけど、その攻撃はロウキの一撃によって阻まれる。
爪は俺に届かなかった。
その瞬間、ケルベロスの標的は完全にロウキへと移る。
血走った赤い瞳が、俺からロウキへ向けられた。
「グアアアアァァッ!」
獰猛な咆哮と共に、三つの頭部が一斉に展開し、ロウキの巨大な胴体へ噛みつこうと襲いかかる。
しかしロウキは軽やかにかわし、まるで相手を嘲笑うかのように舞っていた。
それを見て、俺は確信する。
――この人、めちゃくちゃ楽しんでるんですけど?!
「ふははははっ!我に歯向かうとは良い度胸だ。
ケルベロスかベルベロスか知らんが、我に貴様の攻撃など効かぬわ!」
「グギャアアアアアアッ!」
「我に牙を向けたことを、後悔させてやるわ!」
さっきまでの恐怖はどこへ行ったのか。
俺たちは、ロウキが全力で戦い、心底楽しんでいる姿を呆然と見つめていた。
「あーあ。ロウキ、スイッチ入っちゃったね、主。
ストレス溜まってたのかな?」
「はは、そうかもね。
今は力を解放してるから、全力で戦えるのが楽しいんじゃない?」
「それはあると思います。父上、とても楽しそうです」
クロたちは笑い、シンゴたちはロウキの強さを初めて目の当たりにしたようで、興奮気味だった。
ミルも「ボス強いね!」とはしゃいでいて、まるで闘技場の観客のようだ。
そんな中、俺は気づいた。
ケルベロスの頭のうちの一つが、明らかに苦しそうな表情をしている。
ロウキにやられて痛いのだろうか?
……いや、それだけじゃない。
何か、別の違和感。
そう思っていると、ケルベロスを見つめていたクロが、ぽつりと呟いた。
「なぁ、主。あのケルベロス、呪われてるぜ?」
「え? 呪われてるって……分かるのか、クロ?」
「うん。体の周りに、悪魔文字で呪詛の輪を作ってる。
誰かにかけられたのか……それとも、自分でやったのかもな」
「ええ……?自分で自分を呪うこともあるの?なんで……」
「自分に呪いをかけることで、限界を超えた力を得られるから」
「あー……そういうタイプ……」
クロが教えてくれたのは、ケルベロスが呪いに侵されているという事実だった。
しかも、自分で呪いをかけて能力を引き上げることもあるという。
ゾッとする。
これが、この世界では当たり前なのだろうか。
……いや、俺がとやかく言えることじゃない。
それでも、苦しそうな表情をしていたあの頭部は、今、何を思っているのだろう。
そう考えずにはいられなかった。
「あ! 主、今、助けたいとか思っただろー?!」
「え?!」
「ヨシヒロ様らしいですわね?」
「ちがっ……」
「違うのですか? ヨシヒロ様」
「あるじさまなら、そう思うのは当然ですね」
「……まぁ、まぁね」
心の中を見透かされたようで、言葉に詰まる。
違う……いや、違わないけど。
正直、どうすれば助けられるのかなんて分からない。
そう思っていると、クロはケルベロスを見つめたまま、少しだけ哀しそうな表情を浮かべて言った。
「でも主、もし自分自身でかけた呪いだったら、
呪いを解きたいって本人が思わないと、誰にも解けないよ」
「え?そうなんだ……
じゃあ、もしあのケルベロスが自分の意思でかけた呪いだったら、難しいかもしれないってことだよな……」
「自分で呪いをかけるってのは、相当な覚悟があってのことだからなぁ……」
「そっか……」
――自分自身の意思でかけた呪いは、他人には解けない。
そんな世界の理があるなんて。
だって、明らかにあの一つの頭は苦しそうだったのに。
でも、残りの二つが「解きたい」と思わない限り、どうにもならないのだろう。
本当に、自分でかけた呪いなのか。
それを確かめる方法は――
そう考えていた時、エマの声が脳裏に浮かんだ。
――ステータスを確認できる、マスターの役目とは?
「……そうか!そういうことにも使えるのか!」
俺はすぐにケルベロスへ意識を向け、心の中で唱えた。
――ステータスオープン。
「……これ、は……」
表示されたケルベロスのステータス。
状態の項目には、はっきりと【誓いの呪い】と記されていた。
(やっぱり、誰かにかけられたものじゃない。自分自身でかけた呪いだ。)
そして、さらに目を疑ったのが生息地の欄だった。
【他惑星】
「……え?」
(それってつまり、この世界のケルベロスじゃないってことじゃないか。
どういうことだ……?)
「ロウキ! このケルベロス、他の惑星から来たケルベロスっぽい!」
「はぁ? この地のケルベロスではないのか?」
「うん! なんかそうらしい!
それに『誓いの呪い』を自分にかけてるみたいなんだ。
だから解呪したいんだけど……説得、してくれない?」
「説得、だと……?」
ロウキは露骨に「正気か?」という顔をした。
このまま戦えば、ケルベロスは死んでしまう。
そう思った俺は覚悟を決めた。
「ロウキ、動かないように押さえてて。俺が行く」
「……お前、本当に……」
ロウキの言葉を背に、俺は恐る恐るケルベロスへ近づいた。
近くで見ると、やはり獰猛な悪魔獣だ。
牙も爪も、圧倒的な存在感も――怖い。
でも、不思議と、さっきまで感じていた恐怖はなかった。
「ね、ちょっと動かないでね」
「ガルルルル……」
「はいはい、大丈夫だよ。
ねぇ……本当は、もう解放されたいんじゃない?」
ケルベロスの赤い瞳を見つめながら、静かに続ける。
「覚悟を決めて、この呪いをかけたんだよね。
……その理由、教えてくれない?
もしかしたら、助けになれるかもしれないから」
「ガルルル……」
「君のために……少し、見せてね」
どうすれば助けられるのか。その答えは分からないけど、
記憶を見せてもらうことで、何か分かるかもしれないと思った。
いつもの頭痛のあと、ケルベロスの記憶が、断片的に流れ込んでくる。
別の世界。
魔界らしき場所で、番犬として主を護っていた日々。
だけど、「役に立たない犬は不要だ」と、従魔契約を一方的に解除され、
術によってこの世界へと飛ばされ、この森に落とされた。
――自分は役に立てなかった。
その思いに縛られ、主に認めてもらいたい一心で、
自らに契約の呪いをかけ、限界を超えようとした。
その結果、魔力は暴走し、理性を失って暴れ回るようになった。
正気に戻った時、置かれた現実に耐えられず、泣き崩れた。
この森を出るという選択肢もあったはずだ。
だけど、見知らぬ世界を歩く勇気はなく、ただ必死に、この森で生き延びてきた。
――忠誠心と、絶望と、自己否定に満ちた、あまりにも悲しい記憶。
「ガルル……」
覗かれたことに気づいたのか、ケルベロスは低く唸った。
だけど、その瞳に宿っていたのは怒りではなく、深い悲しみだった。
俺はその大きな前脚に、そっと手を重ねた。
「……もう、全部分かったよ。
もう、いいんだ。お前は十分頑張った。
主に背を向けられて、知らない星に飛ばされて……
こんな暗くて寂しい森で、一人きりで……本当によく耐えたな」
「ガル……」
「お前が悪いわけじゃない。もう、自分を許してやっていい。
誓いの呪いを、一緒に解こう。
それからさ……これからのことを、一緒に話そう?」
「ガルル……」
俺の言葉で心が動くかなんて、分からない。
でも、一年もの間、孤独に耐え続けたその姿は、誰よりも強いと思った。
もう元の世界には帰れないかもしれない。
だからこそ――これ以上、自分を傷つけなくていい。
その想いを込め、俺は唱えた。
「……Angelic Hand!」
膨大な魔力が奪われていく感覚に耐えながら、手を離さず集中する。
すると、三つの頭すべての表情が、次第に柔らいでいくのが分かった。
血走っていた赤い瞳は、澄んだ青へと変わっている。
俺はクロに視線を向け、確認した。
「……どう?」
「主、消えたよ!
呪詛の輪、完全に消えてる!」
「さすがですわ、ヨシヒロ様」
「……はぁ……良かった。ちゃんと、出来た……」
安堵した瞬間、力が抜け、その場に座り込んだ。
呪詛が解けた反動か、ケルベロスは目を閉じて動かなくなる。
一瞬ヒヤリとしたが、大きな鼻から静かな寝息が漏れているのを見て、ようやく胸を撫で下ろした。
「ロウキ、お疲れ様。
ロウキが相手をしてくれたおかげで、呪いを解けたよ」
「そうだろう?
我も久々に、まぁまぁ力を出せて楽しかったぞ」
「……あれで、まぁまぁ?」
「我はフェンリルだからな」
「はは……そうだね。フェンリル様だもんな」
眠るケルベロスの隣で、満足そうなロウキ。
こんな従魔がいるなら、魔王と噂されるのも無理はない――
そう思わず納得してしまった。
ケルベロスが目を覚ましたら、皆で優しく話しかけてあげよう。
少し警戒はするだろうけど……もう、呪いはない。
そう信じながら、俺は大きく息を吐いた――
次第に、とても大きく、荒い息遣いが聞こえ始めた。
――間違いない。これはケルベロスだ。
だって、チビクロたちが異常なほど警戒し、ぐるぐると周囲を回っている。
まだ距離があるはずなのに、こんなにはっきり息遣いが聞こえるものなの?
それに、さっきからやたらと血生臭い。
辺りには肉片と思しきものや、瀕死の状態の魔物が転がっている。
これで「ケルベロスはいない」なんて、そんなの嘘だろう――
そうとしか思えなかった。
【警告します。近くにケルベロスが潜伏しています。
濃い霧を纏っているため、暗がりではさらに視認しづらくなっています。
十分に注意してください】
「エマ……怖い情報、ありがとう……」
【ご武運を……】
「怖い! そういうの怖い!!」
恐怖におびえる俺に対し、エマは皆へ警告を発した。
そして「ご武運を」なんて、やけに日本らしい言葉を添えてくれたものだから、余計に恐怖が増してしまう。
気配感知をしようにも、怖さで集中できない。
見つけたくない気持ちが強すぎて、完全にパニック状態だった。
ロウキたちはエマの警告を受け、さらに周囲を警戒しながらケルベロスを追っていく。
――その時。
「ガルルル……」
「ひっ!」
耳を突き破るような低いうなり声が、霧の奥から響いた瞬間。
それは起こった。
情けない俺の悲鳴が喉に張り付いた直後、目の前の濃霧が暴力的に引き裂かれる。
霧の向こうから、巨大な黒い影が凄まじい速度で突進してくるのが分かった。
「ででで、出たーーー!」
白い牙を剥き出しにした、三つの巨大な頭部。
血のように赤く光る瞳。
間違いない――ケルベロスだ。
「主! 伏せて!」
「ちゃんと護られておれ!」
「ひゃいっ!」
ロウキとクロの叫びと同時に、ミルが俺の前へ飛び出した。
俺はパニックで動けなかったが、仲間たちは一瞬で俺を囲ってくれる。
「グルルアアアア!」
囲いが完成した瞬間、ケルベロスの咆哮が体の奥まで響き渡り、震えが止まらなくなった。
今まで魔獣を怖いと思ったことはあったけど……ここまでの恐怖は初めてだ。
――無理だ、これ。
そう思って縮こまった瞬間、鋭い爪がこちらへ振り下ろされた。
だけど、その攻撃はロウキの一撃によって阻まれる。
爪は俺に届かなかった。
その瞬間、ケルベロスの標的は完全にロウキへと移る。
血走った赤い瞳が、俺からロウキへ向けられた。
「グアアアアァァッ!」
獰猛な咆哮と共に、三つの頭部が一斉に展開し、ロウキの巨大な胴体へ噛みつこうと襲いかかる。
しかしロウキは軽やかにかわし、まるで相手を嘲笑うかのように舞っていた。
それを見て、俺は確信する。
――この人、めちゃくちゃ楽しんでるんですけど?!
「ふははははっ!我に歯向かうとは良い度胸だ。
ケルベロスかベルベロスか知らんが、我に貴様の攻撃など効かぬわ!」
「グギャアアアアアアッ!」
「我に牙を向けたことを、後悔させてやるわ!」
さっきまでの恐怖はどこへ行ったのか。
俺たちは、ロウキが全力で戦い、心底楽しんでいる姿を呆然と見つめていた。
「あーあ。ロウキ、スイッチ入っちゃったね、主。
ストレス溜まってたのかな?」
「はは、そうかもね。
今は力を解放してるから、全力で戦えるのが楽しいんじゃない?」
「それはあると思います。父上、とても楽しそうです」
クロたちは笑い、シンゴたちはロウキの強さを初めて目の当たりにしたようで、興奮気味だった。
ミルも「ボス強いね!」とはしゃいでいて、まるで闘技場の観客のようだ。
そんな中、俺は気づいた。
ケルベロスの頭のうちの一つが、明らかに苦しそうな表情をしている。
ロウキにやられて痛いのだろうか?
……いや、それだけじゃない。
何か、別の違和感。
そう思っていると、ケルベロスを見つめていたクロが、ぽつりと呟いた。
「なぁ、主。あのケルベロス、呪われてるぜ?」
「え? 呪われてるって……分かるのか、クロ?」
「うん。体の周りに、悪魔文字で呪詛の輪を作ってる。
誰かにかけられたのか……それとも、自分でやったのかもな」
「ええ……?自分で自分を呪うこともあるの?なんで……」
「自分に呪いをかけることで、限界を超えた力を得られるから」
「あー……そういうタイプ……」
クロが教えてくれたのは、ケルベロスが呪いに侵されているという事実だった。
しかも、自分で呪いをかけて能力を引き上げることもあるという。
ゾッとする。
これが、この世界では当たり前なのだろうか。
……いや、俺がとやかく言えることじゃない。
それでも、苦しそうな表情をしていたあの頭部は、今、何を思っているのだろう。
そう考えずにはいられなかった。
「あ! 主、今、助けたいとか思っただろー?!」
「え?!」
「ヨシヒロ様らしいですわね?」
「ちがっ……」
「違うのですか? ヨシヒロ様」
「あるじさまなら、そう思うのは当然ですね」
「……まぁ、まぁね」
心の中を見透かされたようで、言葉に詰まる。
違う……いや、違わないけど。
正直、どうすれば助けられるのかなんて分からない。
そう思っていると、クロはケルベロスを見つめたまま、少しだけ哀しそうな表情を浮かべて言った。
「でも主、もし自分自身でかけた呪いだったら、
呪いを解きたいって本人が思わないと、誰にも解けないよ」
「え?そうなんだ……
じゃあ、もしあのケルベロスが自分の意思でかけた呪いだったら、難しいかもしれないってことだよな……」
「自分で呪いをかけるってのは、相当な覚悟があってのことだからなぁ……」
「そっか……」
――自分自身の意思でかけた呪いは、他人には解けない。
そんな世界の理があるなんて。
だって、明らかにあの一つの頭は苦しそうだったのに。
でも、残りの二つが「解きたい」と思わない限り、どうにもならないのだろう。
本当に、自分でかけた呪いなのか。
それを確かめる方法は――
そう考えていた時、エマの声が脳裏に浮かんだ。
――ステータスを確認できる、マスターの役目とは?
「……そうか!そういうことにも使えるのか!」
俺はすぐにケルベロスへ意識を向け、心の中で唱えた。
――ステータスオープン。
「……これ、は……」
表示されたケルベロスのステータス。
状態の項目には、はっきりと【誓いの呪い】と記されていた。
(やっぱり、誰かにかけられたものじゃない。自分自身でかけた呪いだ。)
そして、さらに目を疑ったのが生息地の欄だった。
【他惑星】
「……え?」
(それってつまり、この世界のケルベロスじゃないってことじゃないか。
どういうことだ……?)
「ロウキ! このケルベロス、他の惑星から来たケルベロスっぽい!」
「はぁ? この地のケルベロスではないのか?」
「うん! なんかそうらしい!
それに『誓いの呪い』を自分にかけてるみたいなんだ。
だから解呪したいんだけど……説得、してくれない?」
「説得、だと……?」
ロウキは露骨に「正気か?」という顔をした。
このまま戦えば、ケルベロスは死んでしまう。
そう思った俺は覚悟を決めた。
「ロウキ、動かないように押さえてて。俺が行く」
「……お前、本当に……」
ロウキの言葉を背に、俺は恐る恐るケルベロスへ近づいた。
近くで見ると、やはり獰猛な悪魔獣だ。
牙も爪も、圧倒的な存在感も――怖い。
でも、不思議と、さっきまで感じていた恐怖はなかった。
「ね、ちょっと動かないでね」
「ガルルルル……」
「はいはい、大丈夫だよ。
ねぇ……本当は、もう解放されたいんじゃない?」
ケルベロスの赤い瞳を見つめながら、静かに続ける。
「覚悟を決めて、この呪いをかけたんだよね。
……その理由、教えてくれない?
もしかしたら、助けになれるかもしれないから」
「ガルルル……」
「君のために……少し、見せてね」
どうすれば助けられるのか。その答えは分からないけど、
記憶を見せてもらうことで、何か分かるかもしれないと思った。
いつもの頭痛のあと、ケルベロスの記憶が、断片的に流れ込んでくる。
別の世界。
魔界らしき場所で、番犬として主を護っていた日々。
だけど、「役に立たない犬は不要だ」と、従魔契約を一方的に解除され、
術によってこの世界へと飛ばされ、この森に落とされた。
――自分は役に立てなかった。
その思いに縛られ、主に認めてもらいたい一心で、
自らに契約の呪いをかけ、限界を超えようとした。
その結果、魔力は暴走し、理性を失って暴れ回るようになった。
正気に戻った時、置かれた現実に耐えられず、泣き崩れた。
この森を出るという選択肢もあったはずだ。
だけど、見知らぬ世界を歩く勇気はなく、ただ必死に、この森で生き延びてきた。
――忠誠心と、絶望と、自己否定に満ちた、あまりにも悲しい記憶。
「ガルル……」
覗かれたことに気づいたのか、ケルベロスは低く唸った。
だけど、その瞳に宿っていたのは怒りではなく、深い悲しみだった。
俺はその大きな前脚に、そっと手を重ねた。
「……もう、全部分かったよ。
もう、いいんだ。お前は十分頑張った。
主に背を向けられて、知らない星に飛ばされて……
こんな暗くて寂しい森で、一人きりで……本当によく耐えたな」
「ガル……」
「お前が悪いわけじゃない。もう、自分を許してやっていい。
誓いの呪いを、一緒に解こう。
それからさ……これからのことを、一緒に話そう?」
「ガルル……」
俺の言葉で心が動くかなんて、分からない。
でも、一年もの間、孤独に耐え続けたその姿は、誰よりも強いと思った。
もう元の世界には帰れないかもしれない。
だからこそ――これ以上、自分を傷つけなくていい。
その想いを込め、俺は唱えた。
「……Angelic Hand!」
膨大な魔力が奪われていく感覚に耐えながら、手を離さず集中する。
すると、三つの頭すべての表情が、次第に柔らいでいくのが分かった。
血走っていた赤い瞳は、澄んだ青へと変わっている。
俺はクロに視線を向け、確認した。
「……どう?」
「主、消えたよ!
呪詛の輪、完全に消えてる!」
「さすがですわ、ヨシヒロ様」
「……はぁ……良かった。ちゃんと、出来た……」
安堵した瞬間、力が抜け、その場に座り込んだ。
呪詛が解けた反動か、ケルベロスは目を閉じて動かなくなる。
一瞬ヒヤリとしたが、大きな鼻から静かな寝息が漏れているのを見て、ようやく胸を撫で下ろした。
「ロウキ、お疲れ様。
ロウキが相手をしてくれたおかげで、呪いを解けたよ」
「そうだろう?
我も久々に、まぁまぁ力を出せて楽しかったぞ」
「……あれで、まぁまぁ?」
「我はフェンリルだからな」
「はは……そうだね。フェンリル様だもんな」
眠るケルベロスの隣で、満足そうなロウキ。
こんな従魔がいるなら、魔王と噂されるのも無理はない――
そう思わず納得してしまった。
ケルベロスが目を覚ましたら、皆で優しく話しかけてあげよう。
少し警戒はするだろうけど……もう、呪いはない。
そう信じながら、俺は大きく息を吐いた――
0
あなたにおすすめの小説
『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~
チャチャ
ファンタジー
味のない異世界に転生したのは、料理研究家の 私!?
魔法効果つきの“ごはん”で人を癒やし、王子を 虜に、ついには王宮キッチンまで!
心と身体を温める“スキル付き料理が、世界を 変えていく--
美味しい笑顔があふれる、異世界グルメファン タジー!
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
りゅうはきっと、役に立つ。ピュアクール幼児は転生AI?!最強知識と無垢な心を武器に、異世界で魂を灯すためにばんがります!
ひつじのはね
ファンタジー
経験値はゼロ、知識は無限大!
無邪気な無表情で周囲を振り回す、ピュアクール美幼児は転生AI?!
日常がじんわり心をあたためる、ほんわかファンタジー!
襲撃のあった村の傍ら、小さな身体で目を覚ましたのは――対話型AIの『意識』。
膨大な知識を持ちながら、笑うことも、泣くことも知らない。
無表情で、身体を動かすことも覚束ない小さないのちは、素直に「人」として生きるために学び始める。
そんなリュウを拾った訳アリ冒険者、リト。
不器用だけど温かい彼と、AIであるがゆえに、とんでもなく無垢なリュウ。
全てが初めてのリュウを通して、リトは日々の美しさを認識していく。
宝物のような日々を、成長を、共に。
クリームパンに驚き、魔物に動じないトンデモ幼児が、 持ち前のAI知識を活かしながら、
リトの唯一となるために奮闘する。
ただひとり、リトのために。
りゅうは……きっと、役に立つ。
【kindleにて電子書籍発売しました! 紙書籍についてはSNS等にて告知致します】
※こちらはWeb版です。Kindle書籍は全編改稿し、書き下ろしを加えた完全版です。
表紙イラスト:よたりーぬさん
*更新は毎週日曜予定です。
本来タイトル『りゅうはきっと、役に立つ。ピュアクール幼児は転生AI?!最強知識と無垢な心を武器に、異世界で魂を灯すためにばんがります! ――デジタル・ドラゴン花鳥風月――』です。
サブタイトルが入らなかった……!
旧タイトル『デジタル・ドラゴン ~迷えるAIは幼子としてばんがります~』
※挿絵(羊毛写真)あり。挿絵画像のある話には「*」印をつけています。苦手な方はご注意ください。
異世界で焼肉屋を始めたら、美食家エルフと凄腕冒険者が常連になりました ~定休日にはレア食材を求めてダンジョンへ~
金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
辺境の町バラムに暮らす青年マルク。
子どもの頃から繰り返し見る夢の影響で、自分が日本(地球)から転生したことを知る。
マルクは日本にいた時、カフェを経営していたが、同業者からの嫌がらせ、客からの理不尽なクレーム、従業員の裏切りで店は閉店に追い込まれた。
その後、悲嘆に暮れた彼は酒浸りになり、階段を踏み外して命を落とした。
当時の記憶が復活した結果、マルクは今度こそ店を経営して成功することを誓う。
そんな彼が思いついたのが焼肉屋だった。
マルクは冒険者をして資金を集めて、念願の店をオープンする。
焼肉をする文化がないため、その斬新さから店は繁盛していった。
やがて、物珍しさに惹かれた美食家エルフや凄腕冒険者が店を訪れる。
HOTランキング1位になることができました!
皆さま、ありがとうございます。
他社の投稿サイトにも掲載しています。
辻ヒーラー、謎のもふもふを拾う。社畜俺、ダンジョンから出てきたソレに懐かれたので配信をはじめます。
月ノ@最強付与術師の成長革命/発売中
ファンタジー
ブラック企業で働く社畜の辻風ハヤテは、ある日超人気ダンジョン配信者のひかるんがイレギュラーモンスターに襲われているところに遭遇する。
ひかるんに辻ヒールをして助けたハヤテは、偶然にもひかるんの配信に顔が映り込んでしまう。
ひかるんを助けた英雄であるハヤテは、辻ヒールのおじさんとして有名になってしまう。
ダンジョンから帰宅したハヤテは、後ろから謎のもふもふがついてきていることに気づく。
なんと、謎のもふもふの正体はダンジョンから出てきたモンスターだった。
もふもふは怪我をしていて、ハヤテに助けを求めてきた。
もふもふの怪我を治すと、懐いてきたので飼うことに。
モンスターをペットにしている動画を配信するハヤテ。
なんとペット動画に自分の顔が映り込んでしまう。
顔バレしたことで、世間に辻ヒールのおじさんだとバレてしまい……。
辻ヒールのおじさんがペット動画を出しているということで、またたくまに動画はバズっていくのだった。
他のサイトにも掲載
なろう日間1位
カクヨムブクマ7000
精霊さんと一緒にスローライフ ~異世界でも現代知識とチートな精霊さんがいれば安心です~
舞
ファンタジー
かわいい精霊さんと送る、スローライフ。
異世界に送り込まれたおっさんは、精霊さんと手を取り、スローライフをおくる。
夢は優しい国づくり。
『くに、つくりますか?』
『あめのぬぼこ、ぐるぐる』
『みぎまわりか、ひだりまわりか。それがもんだいなの』
いや、それはもう過ぎてますから。
不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます
天田れおぽん
ファンタジー
ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。
ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。
サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める――――
※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
元王城お抱えスキル研究家の、モフモフ子育てスローライフ 〜スキル:沼?!『前代未聞なスキル持ち』の成長、見守り生活〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「エレンはね、スレイがたくさん褒めてくれるから、ここに居ていいんだって思えたの」
***
魔法はないが、神から授かる特殊な力――スキルが存在する世界。
王城にはスキルのあらゆる可能性を模索し、スキル関係のトラブルを解消するための専門家・スキル研究家という職が存在していた。
しかしちょうど一年前、即位したばかりの国王の「そのようなもの、金がかかるばかりで意味がない」という鶴の一声で、職が消滅。
解雇されたスキル研究家のスレイ(26歳)は、ひょんな事から縁も所縁もない田舎の伯爵領に移住し、忙しく働いた王城時代の給金貯蓄でそれなりに広い庭付きの家を買い、元来からの拾い癖と大雑把な性格が相まって、拾ってきた動物たちを放し飼いにしての共同生活を送っている。
ひっそりと「スキルに関する相談を受け付けるための『スキル相談室』」を開業する傍ら、空いた時間は冒険者ギルドで、住民からの戦闘伴わない依頼――通称:非戦闘系依頼(畑仕事や牧場仕事の手伝い)を受け、スローな日々を謳歌していたスレイ。
しかしそんな穏やかな生活も、ある日拾い癖が高じてついに羊を連れた人間(小さな女の子)を拾った事で、少しずつ様変わりし始める。
スキル階級・底辺<ボトム>のありふれたスキル『召喚士』持ちの女の子・エレンと、彼女に召喚されたただの羊(か弱い非戦闘毛動物)メェ君。
何の変哲もない子たちだけど、実は「動物と会話ができる」という、スキル研究家のスレイでも初めて見る特殊な副効果持ちの少女と、『特性:沼』という、ヘンテコなステータス持ちの羊で……?
「今日は野菜の苗植えをします」
「おー!」
「めぇー!!」
友達を一千万人作る事が目標のエレンと、エレンの事が好きすぎるあまり、人前でもお構いなくつい『沼』の力を使ってしまうメェ君。
そんな一人と一匹を、スキル研究家としても保護者としても、スローライフを通して褒めて伸ばして導いていく。
子育て成長、お仕事ストーリー。
ここに爆誕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる