雨夜の繭

たかし

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雨夜の繭

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窓を叩く雨脚は激しさを増し、世界からこの家だけを切り離してしまったかのようだった。

友人の和也は、飲みすぎたアルコールに耐えきれず、早々に二階の自室で泥のように眠ってしまった。取り残された私は、喉の渇きを癒やすために一階のリビングへと降りた。薄暗いフロアスタンドの明かりだけが灯る静寂の空間。そこには、予想もしない先客がいた。

「あら、起きてたの?」

和也の母、真由さんだった。 深夜二時。彼女は古びたソファに深く身を沈め、琥珀色の液体が入ったグラスを弄んでいた。普段の、エプロン姿で微笑む「友達のお母さん」ではない。濡羽色の髪を無造作にアップにし、胸元の開いたシルクのナイトウェアを纏ったその姿は、あまりにも無防備で、そして残酷なほどに「女」だった。

「すみません、水を……」 「そう。そこにあるわよ」

私の声は上擦っていた。冷蔵庫から水を取り出し、逃げるように部屋に戻ればよかった。けれど、彼女の纏う空気が、透明な膠(にかわ)のように私の足を床に縫い付けた。 私は誘われるまま、彼女の対面のソファに腰を下ろした。

距離にして、わずか一メートル。 しかしその空間には、濃密な湿度が充満していた。雨音だけが支配する部屋で、彼女がグラスを傾ける氷の音だけが、カラン、と鋭く響く。 ふわりと漂ってきたのは、雨の匂いと混じり合った、熟れた果実のような甘い香り。それは彼女の首筋から立ち上る、風呂上がりの火照りそのもののようだった。

「主人は出張、和也はあんな調子……。静かすぎて、耳が痛いわ」

独り言のように呟き、彼女が私を見つめる。その瞳は深い湖のように暗く、それでいて底の方で妖しい熱を帯びて揺らめいていた。視線が絡み合う。逸らすタイミングを失った私は、蛇に睨まれた蛙のように動けない。いや、自らその毒牙にかかりにいこうとしているのかもしれない。

「……君は、大人しい顔をして、案外情熱的な目をするのね」

真由さんがふいに身を乗り出した。胸元の布地がたわみ、白磁のような肌の谷間が露わになる。理性が警鐘を鳴らす音よりも、ドクン、と跳ねた心臓の音の方が遥かに大きかった。 彼女の指先が、テーブルの上で私の手に触れた。ひやりとするほど冷たい指先。それが私の熱を求めて、絡みつくように這い上がってくる。

「ダメです……和也が、上に」 「だから、いいんじゃない」

唇に人差し指を当てて微笑むその表情は、聖母のようであり、悪魔のようでもあった。 次の瞬間、私の首に細い腕が絡みついていた。 吐息がかかる距離。彼女の唇が私のそれを塞いだとき、脳内で何かが音を立てて崩れ落ちた。

そこからは、嵐のような奔流だった。 私たちはソファに崩れ落ち、互いの存在を確かめ合うように貪り合った。彼女の肌は、想像を絶するほど柔らかく、そして吸い付くように滑らかだった。私の未熟な指がその豊かな肢体をなぞるたび、彼女は喉の奥で甘い蜜のような声を漏らし、背中を反らせる。

「んっ……静かに……起きちゃうわ……」

耳元で囁かれるその言葉が、背徳の炎に油を注ぐ。二階には友人が眠っている。その事実が、この行為をより一層、罪深く、そして堪え難いほど快感なものへと変えていく。 薄いナイトウェア越しに伝わる体温は、私の理性を焼き尽くすほどに熱い。 彼女は「母親」という殻を脱ぎ捨て、ただ快楽を貪る一人の雌となっていた。成熟した女性特有の、包み込むような、それでいてすべてを搾り取るような求心力。私はその深淵なる海に、抗う術もなく溺れていった。

衣擦れの音、湿った皮膚が触れ合う音、そして押し殺した吐息。 雨音がすべてを隠してくれる。私たちは共犯者のように視線を交わし、互いの唇を噛み締めながら、罪悪感と快楽が入り混じる絶頂へと駆け上がった。 彼女の中は、どこまでも深く、温かく、私という存在を丸ごと飲み込んで離さない泥沼のようだった。

嵐が過ぎ去ったあと、リビングには再び重苦しい静寂が戻った。 乱れた衣服を整えながら、彼女は気怠げに髪をかき上げた。その横顔には、先ほどの妖艶な熱さはなく、どこか冷めた、しかし満ち足りたような気品が漂っていた。

「……もう、寝なさい」

短く告げられた言葉は、私を突き放すようでもあり、秘密の契約を結ぶようでもあった。 私は逃げるように二階への階段を上った。

翌朝。 キッチンには、いつも通りエプロンを着けて朝食を作る「和也のお母さん」の姿があった。 「おはよう。よく眠れた?」 背中越しにかけられたその声は、あまりにも日常的で、明るかった。昨夜の出来事は、すべて私の妄想だったのではないかと思えるほどに。

しかし、彼女が振り返り、私にコーヒーカップを手渡した瞬間。 その指先が、私の手に触れた。 昨夜、私の背中を強く掻きむしった、その同じ指先が。

「……熱いから、気をつけてね」

そう言って微笑んだ彼女の目尻には、昨日までは気づかなかった、艶めかしい朱色がほんのりと差していた。 カップから立ち上る湯気の向こうで、彼女は一瞬だけ、あの夜の「女」の顔をして、小さく舌なめずりをしたように見えた。

私は悟る。 この雨の季節が終わるまで、いや終わってからも、私はこの家という繭(まゆ)から、もう二度と抜け出せないのだと。
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