十六夜 零の怪奇談

tanuki

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迷家

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この物語りは全てフィクションで有り、登場する場所や人物等の詮索はご遠慮願いたい。

俺はとある出版社の旅行ライターとして生計を立てている。

特技は怪奇譚。

そんな俺は今 とんでもない事に巻き込まれていた。

詳しくは、前譚の『エレベーター』を読んで頂きたい。


2020年 夏の終わり頃、俺は東北のとあるリゾートホテルのお披露目に参加していた。

筈なのだが、今俺は、誰も居ない東北の山の中にいる…

これが現実なら…

ホテルのエレベーターに乗っていた俺を突然襲った怪奇現象。

人間では無い老紳士に突き飛ばされて、エレベーターから出た先は…。

まさかの大自然。

俺は、エレベーターに乗っていた筈だから通常なら建物の中の筈だが…

どう見てもここは別世界だろう。

良く有る話だ、扉の先は、真夏だったりトンネルの先は異世界だったり… 

エレベーターを出たら大自然だったり。 

……馬鹿な事を考えている。




まず冷静になる事だ。

現実逃避は後回し。

今回のホテルお披露目の事。

ホテルの立地、神聖な空間。

エレベーターで出会った老紳士。

あの縦長の瞳は……蛇に似た何か…

妖怪やもののけの類いでは無い。

神様か神の使いの類い…

そしてこの場所。

樹齢で何百年…いや何千年と思われる木々に囲まれた爽やかな草原。

周りの山々は雪をかぶり一見冬の装いだが、

良く見ると近くの林には、梅や桜、百日紅やツツジなど花が咲き乱れている。

風は微妙に涼しく、

初夏の爽やかさだ。



こんな大自然は、まずあり得ない。

……まるで桃源郷。

もしくは、隠世……。

この世では無い別次元。

俺は、ただこの世ならざる物が見えるだけだからとは言っても、
子どもの頃からの経験で自分が調べられる限りの知識は持っている。

これまでも妖怪やもののけ等の類いはそれなりに対応して来た。

しかし、今回の場合…

神様の類いとなると話しは別だ。

俺が知っている限り、
神様は、常に人間の味方では無い。

人間から見た常識など、神仏からすればどうでもいい事なのかも知れない。

優しくされた事も有るが、とても無慈悲な対応をされた事も沢山ある。

あの老紳士は、俺に何と言っていた?

この眼では、生きづらいとか何とか。


俺の眼に何かを感じたのか。


……そしてこの有様。

ここが隠世だとして俺に何が出来る?

本などの知識によれば、隠世や桃源郷であれば此処と現実世界では時間の流れが違う筈だ。

のんびり構えていたら100年や200年が過ぎている可能性が高い。

後は……そうだ

物を食べてはいけない。

隠世や桃源郷であれば、ご馳走や果物が沢山有るだろう。

しかし、それらを食べた場合、

元の世界には、大抵帰れない。

後は、何か……。

あっ、そうだ。

望めば必ず望みが叶う筈。

例えば、休める場所。

そうだ家が有れば、とにかくひと息付ける。

と、考えた瞬間。

林の中に煙が上がっているのに気付く。

俺は、この光景を半分喜び、半分悲しんだ。

もう間違いない。

ここは、隠世だと確信した。

煙が上がる方向に少し歩くと藁葺きの御殿が有った。

そう、まるで昔話の迷家の様に。

家の中からは、煙が上がり、今にも人が飛び出して来そうな気配。

思いきって扉を開けて中に入ると、やはり誰も居ない。

囲炉裏には火が入っている。

誰の為でも無く、汁物が鍋に掛けられていて焼き魚なども串に通して焼かれている。

台所には、釜があり米まで炊けている。

間違いなく、ここは迷家だ。

伝承の通り。誰も居ない。

伝承では、この家にある物は神様の供物にあたる。

ただの人間が口にしては、バチが当たる。

俺は、美味しそうなご馳走を尻目に家の中を次々と見て回る。

何故なら、此処が迷家なら必ず元の世界に帰れる扉がある筈なのだ。

色々な物語りや伝承に記されている。

迷家には現実に帰れる扉が有り、迷家の物に手を出さず、その扉を出ればこの世界から出られる筈なのだ。

俺は、迷家の全ての部屋を見て回つたがどの部屋に入ってもそれらしい事が起きない。

俺は途方に暮れて座り込んだ。

何がかが足りないのか?

文献には、何か無かったか。

大概の物語りでは、最初は大喜びで迷家を満喫するが、時間が経つに連れて里心が芽生える。

最後は、元に帰れたり、何百年も経った後だったり、中には帰る事が出来なかったり…….。

俺の場合は、果たしてどうなるのか…

俺は、元の世界に帰りたいと思っているのに望みが叶わない。

…本当に?



俺は、本当に帰りたいと思っているのか?

それこそ、今日ですら俺は本当に自分の眼に振り回されている。

この眼が有るから俺はいつも怖い目に遭っている。

もしも俺の眼が普通だつたら、今日だってただ楽しめたかも知れない。

普通の人の様に、生活して家族を作ったり好きな事が出来たかも知れない。

でも俺には出来なかった。

普通では無い眼のお陰で、見たくも無い生き物や心霊やら神様やら…

でも、もしもこのまま…

この隠世に住み着いたら。

ここは、神聖な空間だから幽霊や妖怪なんてのに出合う事はない。

衣食住にも困らないし、こんな田舎だって、むしろ俺は大自然が好きな方だ。

俺は、本当に元の世界に帰りたいと思っているのか?

俺は、どうしたい。

迷家の広間、俺は大の字に寝転がつた。

そして横を向き、外の景色を見ながら考える。

時間だけがゆっくりと流れていく。


部屋にある昔の家具調柱時計だけがチクタクと部屋の中に響いていた。



どれくらい 経ったのだろう…

日は傾き、何処からか蝉時雨が聞こえてきた。

迷家の中は、夕焼けのオレンジ色に染まっている。

今は誰……誰ぞ彼…

黄昏の語源だったか…

この世とあの世が重なり合う時間。

俺は、大声で叫ぶ。「いるんだろ。出て来いよ。」

大の字になって寝転んだ俺の横に老紳士が突然現れた。

俺は、老紳士を見詰めながら静かに起き上がり、

かしこまって正座して座り直す。

老紳士 「どうかのぅ、此処で暮らしてみんかなぁ。」

俺 「わかりません。」

老紳士 「何が分からん?」

俺 「元の世界が良いのか?この隠世が良いのかが、俺にはまだ分かりません。」

老紳士 「此方も彼方も等しく同じ。」
「ただ我が想うに、お主には彼方は住み難くかろぅ。」

俺 「えぇ、だからここで考えていました。
見えるお陰で色々有った事を。」

俺 「俺が思うに、生きる事とは、良い事も悪い事も両方共に必ず発生する事ですよね。」

「どちらかがどれだけ良いとか、どれだけ悪いかを一人で決めるのは愚かです。」

老紳士 「ほぅ。」

俺 「確かに俺の眼は色々な物が見える….お陰で現世では少し暮らし難い。」

「でも、お陰で色々な事に出会えた。そして考える事が出来た。」

老紳士 「ふぅむ。」

俺 「自分はどうしたいのか。」

「本当の自分は、どうなりたいのか。」

老紳士 「で、解らんのだろう?」

俺 「貴方は、神様なのですか?」

老紳士 「まぁ、似た様なものだ。」

俺 「俺のこの眼を普通の眼に変える事は出来ませんか?」

老紳士 「無理だなぁ。」

「お主のその眼は、お主が産まれた時に背負った宿命。」

「生かすも殺すもお主次第では有る。」

「それでも辛いなら、この隠世で平凡に暮らす事も良いのでは、と考えてみたのじゃが。」

俺 「この隠世で起こる悪い事って何ですか?」

「良い事なら何となく想像出来たんです。」

「例えば、妖怪や幽霊なんて、此処には現れないとか、仕事もしなくていいとか。美味しいご飯が食べ放題とか…」

【あなたは、彼方も此方も等しく同じ】とおっしゃった。

では、此方にある悪い事とは。

老紳士 「……それは。」

老紳士は静かに俯いて震え出した。

今まで穏やかだった顔から優しさが消え、顔がいびつに変形して行く、老紳士がだんだん蛇の顔に……

俺は、更に言葉を繋げる。

俺 「貴方は、神様とゆう訳では無いですね。」

「そう、例えば神の御使い。」

俺は、ズバリ指摘して老紳士に指を差した。

途端に老紳士の体は蛇のそれに変わり俺の目の前でのたうち回る。

これも今までの経験から知った事だが、

変幻した、もののけは、相手に正体が見破られと術が解け、

自分の術が自分に帰ってしまい、それが致命傷になる。

今回もそれに殉じた形だ。



俺は、広間に大の字になって寝転びながら此処までの経緯を考えたていた。

幾つかの理由は有ったが、どうも辻褄が合わない。

元来、俺が知る限り神仏の類いで有れば俺一人にこんなに興味を示さない。

もし本当に神仏であれば、

もっと漠然とした形で事の善悪を捉えて、ほぼ強制的に事を進める。

あの老紳士は、あまりにも俺に興味を持ち過ぎていた。

そして俺に対して強制力が無さ過ぎた。

きっと、この山の神様の使いとして長い歳月を過ごし力を手に入れた蛇が

その力を使い、気に入った人間を此処に隔離して自分を神様だと思い込ませる。

自分を神格化させる事で相手の自由を奪い自分の虜にして居たんだろう。

と、俺が考えても仕方ない事か。


後はどうやって元の世界に帰るかなのだが……。

息絶え絶えの、蛇の化身を見ながら考えていると….。



突然、広間の襖が開き、眩い光が部屋全体を照らし出す。


これは、間違い無く降臨。

神仏等の真なる力が有る物の降臨だ。

俺が考えるより先に光のブラインドの中から気配を感じる。

暖かく、激しい力の塊。

俺は、何も出来ずただじっと塊を見詰めていた。

何処からなのか、俺の頭に直接声が聞こえてくる。

その声を聞いただけで俺は震える程縮み上がった。

今回のお披露目イベントで、この地に着いてからずっと感じていた『神聖な力の本流。』

絶対的な存在感。

紛れも無く、神の降臨。

静かで抑揚の無い穏やかな声が、俺の頭の中を駆け巡る。


【小さき者よ、迷惑を掛けた。】


俺は、ただただ恐縮してその場に正座し頭を下げて平伏した。

先程の老紳士とは比べる事すら馬鹿げている程の力の差。

今度こそ本当に自分の存在にかかわる。

神仏が、俺の是非を決める。

是ならば良し、もしも非と断じられれば一瞬で俺は塵芥と化すだろう。


平伏したまま俺は審判を待つ。

「…………。」



長い長い沈黙の後、俺の目の前に小さな光りの球が集まり俺の手の中で形を調える。


俺は、手のひらの何かをしっかりと握りしめスッと顔を上げた。

力の本流たる光の中に俺は、何か笑顔の様な暖かさを感じた。


途端に、俺の身体中から力が抜けて、その場で意識を手放した。






それから数時間後。

俺は、ホテルの医療室に寝かされていた。

同僚のカメラマンY氏によると、俺は高速エレベーターの中で意識を失い倒れて居たのだと言う。

直ぐにホテルの医療室に運ばれたのだが意識を取り戻すのに5時間も経ったのだと心配された。

俺は、迷家から無事に生還出来たのだ。



相変わらずホテルの中は、先程の神聖感で溢れている。

横になって、ぼーっとしている俺にY氏が色々と状況を話してくれた。

俺が倒れたのは、高速エレベーターに原因が有るとか。

ホテルのオープンセレモニーは既に終わってしまったとか。

体調が整ったら、大学病院で精密検査が待っているとか。


俺は、少しずつ覚醒して行く頭の中で、先程の体験を振り返る。

力の本流から伝わって来た最後のメッセージが頭に残っていた。

あれは、何と言っていたのか。

最後に俺の手のひらで形になった光りの球。


アレの事だと直ぐに解った。


『毒蛇の言霊』と頭に響いた神の言葉。

これは、一体なんだろう。


そう言えば。


迷家を無事に出られた人は、等しく一つ家に有った物を土産に貰うと伝承に聞く。

俺は手のひらで、小さい塊を握りしめた。



そして、この神様からの贈り物が俺をますます不思議な世界に導いて行く事になるとは……。

この時の俺は考えてもいなかった。



















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