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いざ、婚約者お披露目パーティーへ

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 皇太子、オズワルド・ロングフェローの新しい婚約者をお披露目するためのパーティーは、城の大広間で行われる。招待客は国内外の貴族で、すでに成人済であるものだけが集められていた。ただ、家族全員で参加というわけではなく、アリンガム家からは忙しい両親に変わりスザンナが代表で参加することとなっている。チェスターは年齢が成人に満たないため、留守番だ。
 令嬢や婦人がパートナーと共に参加しており、スザンナもハロルドと共に入場した。スザンナのドレスは淡いエメラルドに細かな銀糸の刺繍が施されたもので、首元にはハロルドに贈られたガーネットのネックレスが飾られている。並ぶハロルドはグレーを貴重としたパーティースーツ。やはり銀糸の刺繍が施され、胸元のポケットからはスザンナのドレスと同じ色のハンカチーフが覗いていた。ちなみにこれは邸にて、チェスターに押し込まれたものである。
 招待客の目は一気にスザンナたちへ向いた。「悪魔憑き」だからではなく、少し前まで皇太子の婚約者であった令嬢がエスコート役に選んだ相手が、公爵家の従者であったためだ。
 ひそひそと陰口を叩くものもいれば、ハロルドの妖しい美しさに見惚れるものもおり。あるいは、スザンナの可憐な姿にぼうっとしてしまうものもいた。
 尤もスザンナは、こういった反応にはすっかり慣れてしまっている。悪口を言われようとも、恥ずかしい真似はしていないのだと胸を張っていた。
「レディ・アリンガム!」
 声をかけられたスザンナが顔を上げると、そこにはファータ・フィオーレ・ソレッラのオーナーであるレオンツィオと、店長であるニナがいた。揃いの色の正装に身を包み、招待客の中でも一際目立っている。そんな二人がスザンナに声をかけたものだから、視線はもう、二組に釘付けであった。
「オーナー、マダム! お二人も招待されていましたのね」
「はい、実は新しい婚約者の方もファータ・フィオーレのお得意様なのです」
「アタシたち、これで一応公爵家のものなのよ。お城のパーティーなんて久しぶりだから、緊張するわぁ」
「はっ。緊張するってタマかよ」
「なによ、あんただって可愛い可愛いレディ・アリンガムのエスコート役に選ばれて緊張してるでしょうに」
「あ? んなワケあるか」
 親しい、としか言えない会話をするレオンツィオとハロルドに、令嬢たちは頬を赤くして見惚れている。タイプは違えど見目麗しい男二人が揃っている光景は、たとえ一方が「悪魔」と囁かれていようが凝視してしまうものなのだ。
 レオンツィオがふとスザンナへ視線を向けると、彼女の胸元に光るガーネットがきらりと光る。レオンツィオの表情がにんまりと緩み、スザンナに一歩、歩み寄った。
「執事くんからのプレゼントね?」
「え、えぇ、そうですの。よくわかりましたわね」
「そりゃあねぇ、うちの店のものだってのもあるけど、……だいぶ落ち着いた色合いとは言え、赤い宝石ですもの」
 うふふ、と笑ったレオンツィオは身を屈め、スザンナに耳打ちする。
「執事くんの『色』でしょう?」
 ハロルドの瞳は、強い赤色だ。血の色だとか、忌まわしい色だとか言われるほどの鮮やかな赤。スザンナの胸元に光るガーネットは、ハロルドの目の色よりもずっと落ち着いた色であるが――光の加減によっては、同じくらいに鮮やかに輝く。
 似合うと思って、と、ハロルドはスザンナにプレゼントした。そのときはプレゼントされたことが嬉しくて、気にも留めていなかったけれど。
 レオンツィオの言葉に、ハロルドからの贈り物が「彼の色」であると気づいた瞬間。スザンナはそのガーネットと同じくらいに顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせた。
「いいいいえこれは赤いですけれど、ハルの瞳の色とは少し異なるというか、まぁ光の加減によっては見えないこともないといいますか」
「……おい」
 レオンツィオがスザンナをからかっていることが気に食わなかったのか、ハロルドはスザンナの身体を引き寄せた。レオンツィオがスザンナに何を言ったのかは聞こえていなかったが、それによってスザンナが赤くなったことは見逃せず。彼女の肩を抱いて、レオンツィオを威嚇した。
「やだ、ヤキモチ? 安心なさい、アタシのハートはニナのものなんだから。……ていうかそんな態度とるくらいならとっとと覚悟決めろっつーの」
「レオンツィオ、お言葉……」
 ニナに窘められるとレオンツィオは満面の笑顔で、「はぁい」と返事をする。ニナは改めてスザンナに視線を向けると、にこりと笑っていった。
「実は、以前レディがいらっしゃってから、『ディアーボロ』シリーズが流行り始めたんです。クッキーだけじゃなくて他のお菓子も、装飾品も悪魔の羽やしっぽをモチーフにしたものを集めたのですが」
「これが、大当たり! あのとき居合わせたマダムたちもお茶会で広めてくれたそうなのよ。だから今日は、お礼も伝えたくて」
「お礼だなんて! 寧ろあの日はご迷惑をおかけしてしまいましたわ」
 ニナはいいえ、と首を振る。
「店の雰囲気を悪くしたのはあのご令嬢たちですし、あのことがきっかけで新しい作品ができあがりましたもの。どうか感謝させてください」
「執事くんにもね。一応よ、一応」
 ついでと言わんばかりのレオンツィオであったが、その言葉には親しみが込められている。ハロルドは浅く息を吐き出し、スザンナは頬を紅潮させてミネルヴィーノ夫妻を見やった。
 彼らと接していると、心底安心する。そして心の奥から、喜びが湧き上がる。
 ハロルドを受け入れてくれている。悪魔だなんだと嫌悪したり、警戒するものが多い中。レオンツィオたちはハロルドを、自分たちと同じように見てくれている。そのことが堪らなく嬉しくて、自然と笑顔になった。
 それじゃあまたあとでね、と、レオンツィオたちが離れて行った直後、音楽隊のファンファーレが響き渡った。
「皇太子オズワルド・ロングフェロー様、婚約者アイリーン・オールドリッチ様が入場されます」
 本日の主役の登場に、会場からは大きな拍手がわいた。スザンナたちに向けられていた好奇の目はすぐに、オズワルドたちへと向いていた。
「ねぇ、ハル」
「うん?」
「結局、こういうものなのですわ。悪魔だなんだと噂されていても、それこそあなたが悪魔らしい振る舞いさえしなければ、ただ物珍しい眼差しを向けるだけ。婚約解消されたわたくしがパートナーとして従者を連れていたとしても、気にするのはただの一瞬だけ。……ハル。ダンスタイムでは本気を見せますわよ。わたくしの従者がどれほどのものか、皆様にお見せするの」
 スザンナの表情は、嬉々としていた。その顔に、ハロルドは心底ほっとする自分に気がついた。
 婚約解消の傷はもう、残っていない。否、残ってはいても、スザンナはとっくに乗り越えている。
「仰せのままに、お嬢様」
 ふ、と笑みを浮かべて答えた刹那。不意に首元にちり、と何かを感じ取り、ハロルドは視線を上げる。
 オズワルドとアイリーンの少し後ろに控えているのは神官たちで、その中にはあのユージーン司祭もいた。彼はまっすぐスザンナを見つめて微笑んでいる。ざわりと、ハロルドの腹の奥に不快な感覚が生まれた。
 スザンナの肩を抱く手に、自然と力が入る。ユージーンの存在に気づいていないスザンナは、身体が密着することにどぎまぎしていた。
 皇太子の新しい婚約者の紹介、それからオズワルドの挨拶があり、また自由時間となる。オズワルドはすぐにアイリーン、それからユージーン他神官を伴ってスザンナのもとへとやってきた。
「王子殿下。この度はご婚約、おめでとうございます」
 スザンナがカーテシーを披露すると、それに倣いハロルドも礼をする。オズワルドはすぐに二人に顔を上げさせた。
「来てくれてありがとう、アリンガム嬢。パートナーには彼を選んだんだね」
 オズワルドがハロルドを一瞥する。
「えぇ、そうですの。わたくしの知る限り、今この国で王子殿下の次に素晴らしい殿方ですわ」
 本気なのか冗談なのかわからない答えに、ハロルドは思わず横を向いて吹き出した。オズワルドは気にせず、安心したように笑う。
「違いない。いつもきみを守ってくれる騎士様だからね。そうだ、改めて紹介するよ。アイリーン・オールドリッチ嬢だ」
 アイリーンは静かに一歩を踏み出しオズワルドの隣に並ぶと、スザンナにも引けを取らない見事なカーテシーを披露する。レッドブラウンの巻き髪に、少し垂れ目気味の目元。顔を上げたアイリーンは、扇子で口元を隠した。おそらくスザンナと同じ歳か、そう離れていないはずの彼女は「大人っぽい」と形容するのが相応しいだろう。
「初めまして……ではありませんわね。他のパーティー会場で何度かお会いしておりますわ、アリンガム嬢」
「えぇ、そうですわね。きっとこれからもお会いすることと思いますし、どうかスザンナと、そうお呼びになってください」
 スザンナが笑顔でそう言うと、アイリーンはじっとスザンナを見つめる。それから間を置いて扇子をぱちりと閉じ、ふぅ、と息を吐き出して表情を緩めた。
「アイリーン? どうしたんだい?」
 オズワルドが尋ねる。
「安心して気が抜けましたのよ。王命とは言え私は、スザンナ様の位置を奪ってしまった。スザンナ様の御心が傷ついたままなら、私の姿なんて見たくもないでしょうに」
「そんな、わたくしは気にしてませんわ! わたくしの婚約が解消されたのはわたくしの力が足りなかっただけのこと……それに新しい婚約者が、オールドリッチ公爵令嬢でしたら、何の不満がありましょうか!」
「あぁスザンナ様、私のこともアイリーンと呼んでくださる? 貴方が素晴らしい令嬢であることは知っていてよ、婚約解消の話を聞いたときは驚きましたもの。どうしてオズワルド様はあなたとの婚約を解消なさったのか……」
「あ、あの、それは。アリンガム嬢、手紙に書いた通りだよ。婚約解消についてきみに一切の瑕疵はない。全ては僕の心の問題だから」
「気にしておりませんわ、王子殿下。ショックを受けなかったと言えば嘘になりますけれど、今はもう立ち直ってますもの」
「ほら、こんなにも明るいスザンナ様に対してなんの不満があったと言いますの?」
「だから不満ではないのだって、僕は……」
「……年相応だよなぁ、お前ら……」
 思わずハロルドが素で呟けば、三人の顔が一斉にハロルドに向けられる。スザンナは慌てふためいてハロルドの腕を掴んだ。
「ふ、不敬ですわよ、ハル! 王子殿下とその婚約者相手にお前、なんて!」
「はは。いや、いいよアリンガム嬢。きみと婚約していた間、彼とも長い付き合いだ。気安く接してくれていい」
「で、でも、礼儀は弁えなければ!」
 全くハルったら、と、眉を下げて言うスザンナはふと、自分に注がれる強い視線に気づいた。何事かと周りを見渡して、大きく瞬きする。ユージーンが穏やかな笑顔を浮かべて、オズワルドの後ろに控えていた。
「司祭様? まぁ、いらしてましたのね」
「はい、スザンナ様。我が女神に、ご挨拶申し上げます」
 女神だなんて、またそんな……と笑うスザンナの横で、ハロルドの眉がぴくりと動く。
「ユージーン司祭には今日、王家の新しい婚約の見届人として参加してもらってるんだ。教会の関係者を呼ぶのが習わしだからね」
「えぇ、そうでしたわね。確かわたくしたちのときは別の教会から司祭が呼ばれていましたわ」
 司祭が仕切るわけではないが、神聖なる儀式の一つであるとして、王家の婚約あるいは祝い事の際には国にあるいくつもの教会の中から代表して司祭を含む神官が呼び出される。
「此度のご婚約に我が教会が選ばれたのは幸運でした。こうしてスザンナ様にお会い出来るとは」
 ユージーンが笑顔を浮かべて言うと、スザンナもまた笑顔で返す。
「そんな、大袈裟ですわ。また弟と一緒に教会へご挨拶に伺います」
「えぇ、是非」
 ぐい、と。先程よりもさらに強い力で、ハロルドはスザンナの身体を抱き寄せた。ユージーンの眉がぴくりと動くのを、ハロルドは見逃さない。笑顔はそのままであったが、感情は決して読めなかった。
「スー。親父さんの代わりに挨拶回りするんだろう」
「まぁ、そうでしたわ! 王子殿下、アイリーン様。ユージーン司祭様も、一度失礼しますわね。また後ほど、お時間がありましたら」
「えぇ、スザンナ様。あなたとはゆっくりとお話をしたいと思っているの。お茶会には必ずお呼びしますわね」
「はい、ぜひとも。それでは」
 スザンナは一礼して、ハロルドと共に招待客の中へ混じって行った。ユージーンはその姿をじっと見つめて、ぽつりと言葉を漏らす。
「早く……、……なければ……」
「――ユージーン司祭、何か?」
 オズワルドの呼びかけにユージーンは、穏やかな笑顔を作っていいえ、と首を振る。オズワルドは司祭の視線の先に疑問を抱いたものの、それ以上は何も問いかけなかった。
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