オープンシーズン ~妖精姫は今日も預かりの騎士にいたずらを仕掛ける~

アルカ

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本編

38 ランビュール・バルト・グラーソニス 中編

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「ランビュール」
「はい、兄上」
 アンソニーから執務室にただ一人呼ばれる。

「乳母はダリアの乳姉妹だった。その分、肩入れも激しかったのだろう」
 十一歳のランバルトはこくりと頷く。
 彼女は甥と姪の乳母であり、ランバルトもよく一緒に過ごした。
 フェンメリーとシルビットはランバルトによく懐いてくれていたので、遊ぶ機会も多かった。
 そんな風には全く見えなかったけれど、微笑むその下で、ランバルトのことを、ずっと苦々しく思っていたのかもしれない。

「ダリアは事実を知って、心を許した者の犯行に酷く取り乱し、義母に詫びたいと泣き崩れたよ」
「母は義姉上を責めたりしません」
 母も身体は頑強な方だ。落ち着いたら、自分の方から彼女に会いに行くだろう。しきりにダリアの心身への影響の方を心配していたから。
「もちろん分かっている。お前の母上はとても心根の優しい人だから。けれどダリアは自分を許せないようだ。……離縁して欲しいと縋られた」
 語る兄の声には抑揚がない。
 ランバルトはのろのろと伏せていた顔を上げた。
 同じ灰色をした瞳は、騒動の隠蔽と妻からの申し出に、随分陰りを帯びている。目の下のクマが、おだやかなばかりだと思っていた兄の、知らない面を見せている。

「全ては周りの悪意に鈍感であった私の落ち度だ。けれど、妻を、ダリアを手放す気はない」
 今まで知らなかった兄の強い意思に、ランバルトの全身にびりりと痺れが走った。兄と義姉は上流社会では珍しい、幸福な恋愛結婚だった。

「僕が母と共に出て行きます。父上が身罷られたあとすぐ、家を出るべきでした」
 執務室に赴く前から、ランバルトの覚悟は決まっていた。
 父が生きている内は良かったけれど、今はもうランバルトたち親子は、グラーソニス家にとっていらぬ波風でしかない。

「そうもいかない。ランビュール、おまえはグラーソニス家の直系だ。他家の名を名乗らせるわけにも、他で教育を受けさせるわけにもいかないんだ。そんなつもりなんてなくても、誰かが担ぎ上げるかもしれない」
「ああ、それで……」
 ランバルトは溜息を吐いた。
「声をかけられたか」
「はい。叔母様に」
 侯爵家の血は古い。王都近郊の上位貴族とは殆ど縁続きだ。
 中には過去の諍いで拗れた家同士もある。叔母の嫁ぎ先と、侯爵夫人の生家がそれにあたる。

「私は妻も、ウッドテイルの領主としての責務も、どちらもおろそかにするつもりはない。それが、まだ十一歳のおまえに無理を強いることになっても。すまないとは、思っている」

「いいえ、兄上。僕を一人前として扱ってくださって、ありがとうございます。お蔭で母と家を、自分の意思で守れます」
 ランバルトは首をふるふると振った。長めの髪が耳と頬に擦れる。
 年若くても、ランバルトにだって矜恃がある。
 ただ命じられて流されるのと、真実を知った上で受け入れるのは大違いだ。

「お前は私よりもずっと、侯爵に向いていそうだね」
 そう言って、何故か兄は疲れたように笑った。


 ランバルトの母、先代ウッドテイル侯爵未亡人は、実家へと戻されて再婚をした。今度は爵位はなくとも幼なじみの男性と、愛ある結婚をしたとのことだから、彼女には幸せであって欲しいと心の底から願っている。
 両親に絆はあったけれど、それは愛とは違ったように思うから。

 普段は温和な兄侯爵が、妻ダリアに関する部分だけは感情を優先し、なおかつ冷徹に対処をする。乳母はどうなったのか、決してその後姿を見なかったし、ランバルトを唆そうと近づいた叔母は、ウッドテイル侯爵の土地には一歩も立ち入れなくなった。

 義姉ダリアは儚げな、悪意とは無縁の女性だ。
 けれど、いくら独断の行動だとしたって、乳母がぶつけた不満を彼女が何も知らなかったとは思えない。それは彼女に起因する感情なのだから。ダリアの口にしない、行動には見せない深い部分を、乳母は感じ取っていたのではないか。彼女はダリアの生まれたときからの従者だったのだから。従者の手綱を握るのは、上に立つものの役目だ。それが上手く出来なくて、だからこそ彼女は離縁を申し出たのだろう。
 そうして、兄はそれらを分かった上で、ダリアを離縁はさせないと決めた。

 兄の意思は、ランバルトには理解できない不思議な感情であり、未知の激しさだ。
 その激しい感情を羨ましいと思った。
 母と離ればなれになっても、父が亡くなったときにも、ランバルトは苦しいと感じたものの、耐えられないとは思わなかった。
 誰にも話したことはない。
 けれどもしかしたら、自分にはその部分の才能がないのかもしれない。
 感情の起伏をみせたり、狂おしく誰かに執着する才能が。

 実母と引き裂くことを詫びながらも、決定を覆すつもりのない兄を見て、ランバルトは渇望した。
 自分も、そんな風に必死に思える何かを見つけてみたいと。
 けれど、数年を過ごし大きくなるうちに、そんな想いすら薄れていった。

 毎日は緊張の連続で、口の達者な貴族ばかりの世界は甘やかではなかったから。

 どうやって、次期当主がランバルトだなんていう噂を起こさせないように振る舞うか。十二歳で騎士学校に入っても、一族の集まりに顔を出しても。家名に傷を付けず、目立ちすぎず、つまらない揚げ足取りを華麗に飛び越える。
 ついでに財産と家名目当てで寮の寝室に忍び込む、自称「婚約者」や、どこぞのご令嬢とやらを追い払うので精一杯だ。
 兄一家の側からは、離れるように努めた。
 それが甥姪や、義姉ダリアを悲しませていると知っていても、過分なリスクは避けたかった。この部分での判断は兄と一致していたので、二人はやはり似た兄弟なのだろう。

 ランバルトが十六歳。騎士学校卒業間近の年、せっかく穏やかに過ごしていたというのに、またつまらない噂が流れた。
 成長したランバルトが、あまりにも兄に似ていると言って、今度は先代ではなく、アンソニーの子ではないかという噂が流れたのだ。
 丁度貴族院での覇権争いの最中で、兄は渦中の人だった。
 国王陛下のお気に入りである兄に権力を握られては、困る誰かがいるのだ。日常茶飯事であるそんな中央の泥仕合に、皮肉気な笑みをすっかり覚えたランバルトは、投げやりに嗤ったものだ。

 王都から遠く離れた場所なら、何処でも良いと思った。

 甥が成人し、正式に次期侯爵を名乗るまで、逃げていられる辺境なら。誰もランビュール・バルト・グラーソニスを知らない場所ならば。

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